Buddhism: 2002年1月アーカイブ

 草岡地区の大般若会。毎年1月9日に行われる大祈祷で、新春恒例の行事となっている。草岡地区は2つのお寺があり、お隣の御寺院と交互に行うことになっているため、2年に1度当番になる。
 元旦に草岡地区の寺役員12名にお願いして、ほぼ全戸から祈祷申し込みの寄付を集めてきて頂く。その数約250戸。お札を製作する方よりも一戸一戸まわって下さる役員さんの方がよほどたいへんだ。また寺の本堂の準備に加え、除雪作業もあって到底一人でできるものではない。家族、寺役員、一般檀家それぞれが心を砕いてやっと開催の運びとなる。今年は特に、雪が非常に多かった。
 準備から比べると、当日はあっという間である。近隣の御寺院を10名程度お招きし、檀家さんは40名ほどの来訪。導師を務めるのは住職の私になっているが、何しろ一番の最年少である。住職になって4年の間大般若会の導師をするのはこれで2回目。初めてだった前回は無我夢中で、どこが間違ったかなど全然覚えていない。前日から予習などをして、緊張で迎えた法要だった。
 七下鐘上殿。ここで両班にそれぞれ挨拶をしにいく。東序に一礼、西序に一礼。わざわざお出でいただいた近隣の御住職方への敬意と労いの気持ちを表すということらしい。近隣の大般若では当たり前のようになされている。大きい寺のようにたくさんの僧侶を所属させなければ、挨拶抜きで法要ができないということになるだろうか。両祖忌は住職が導師を務めても挨拶しないようなので、ケース・バイ・ケースかもしれない。挨拶をしたいという気持ちはわかるが法要の美しさや完成度という観点では、ちょっと疑問を感じる。 拈香法語。後で指摘されたが「現前の清衆を集めて」と言うのは丁寧さに欠けるという。例えば「隣邦の緒大徳をここに拝請し奉り」というように集まってくださった御寺院方に敬意と感謝を表すのが礼儀だった。これもそれぞれ住職という立場にある方々がいらっしゃっているということを重く受け止める意味がある。態度で敬意を表し、言葉で敬意を表す。そういうものかもしれない。
 上香献茶湯。予め配っておいた差定には、湯・菓・茶の後に宝牘を薫じて供えることを明記していたのだが、「お札は後で」と遮られた。ここでお札を出さなければいけないのは、ひとつには一般的な差定でそう書かれているからでもあるが、そうしていないこの教区においては我が寺の内陣の配置に理由がある。他の寺の場合、たいてい前机と須弥壇には人が通れる隙間があり、読経中でも侍者1人さえいればこの隙間に入ってお札を献ずることができる。しかし我が寺は、内陣の奥行きが狭くてこの隙間がない。お札ははじめ須弥壇わきの机に置かれているため、ここで献じておかないと、人数が少なくなる後半に須弥壇上にお札を上げることができないのである。ここで遮られた結果、今回はお札を薫じるだけで須弥壇に上げることができなかった。多くの御寺院方はもう何十回、何百回と大般若会をやってきており、そのやり方を変更してもらうにはきちんとした説明と承認が事前に必要となる。要するに今回は説明不足。
 さて「お札はいつ献じるんだろう?」という疑問を抱いたまま差定は進行する。普同三拝の後、浄道場。着座の合図が出たので座ろうとしたら、今度は「進前して下さい」。浄道場は花皿、洒水、柄炉の3人がいるが、私の記憶では両班から3名出ると思っていた(後で法要の手引きを確認したがそのようである)。「またもや特別差定か!」と思いつつも法要中に差定の確認もできないので従う。前回は私が行わなかったような気がする。なぜなら、やり方を全く知らなかったのだ!こうなれば適当に、それらしく行うしかなかった。
 前半にさまざまなハプニングで内心大いに焦りながら、後半に突入。十六善神唱礼、読経、大般若転読、読経、回向、普同三拝、散堂である。導師はほとんどの間大般若経の第578巻理趣分品の音読に専念しているので、周囲にはあまり気を遣わない。ただ、消災呪が始まる前までに読み終わって、第600巻に移らなければならない点と、回向の前に600巻の最後の文句を読む(一部差別用語があるので読み替える)点と、回向中に両班の読み込みが終わった所ですかさず導師読み込みが入る点を気をつけるくらいである。
 法要が終了してから、「払子は右手で振りましょう」というアドバイス。左利きなので無意識に左手で振っていたらしい。これは失敗。
 曹洞宗の法要は古代インド祭式(バラモン教)に匹敵する複雑さを有する。法要に明るい僧侶は重宝され、そうでなければやや低く見られる。ハプニングはつきものだが、冷静かつ的確に対処して、間を空けたり混乱させたりしてはいけない。このことが仏教の教義、特に禅の心から見て正しいのかどうかわからない。何至上主義でも同じだろうが、法要至上主義はよくあるまい。しかし「美しい法要は最大の布教だ」という言葉を聞くとき、俗世を離れた彼岸の世界を現前させる一手に頷かざるを得ないのである。
(専門用語が多いため、わかりにくい文章になりましたが、再来年のための備忘録ということでご勘弁ください)

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