Buddhism: 2006年6月アーカイブ

お寺めぐり

コメント(0)

檀家さんが訪れてすぐ法事。3人の年回忌が当たっているが、お布施は1人5000円しか出せない、法事をしてくれるかという申し出に、そんなことは聞かないで下さい、供養は住職の務めです、お布施の額とは関係ありませんということを申し上げると檀家さんはちょっと涙ぐまれた。
近くのお寺さんで、1人1万円、3人なら3万円、それより少なければ供養しないと公言する和尚の話を聞いたらしい。「それは、ケチったらお布施の意味がないという意味だと思いますよ」とフォロー。どういう意図で仰ったのか分からないが、お寺は商売かと取られかねない発言だ(今どきそんな商売は成り立たないわけだが)。
法事が終わって、御詠歌の講習。南こうせつの新曲を練習した。3番の歌詞「幼い頃に抱かれた ぬくもり今も忘れない この世で受けた幸せを そっとあなたに捧げましょう」は、しばらく会っていない息子を抱っこしたときの暖かさを思い出すせいかいつも胸が詰まる。そういえば別れてからもう1週間になる。
午後からは兼務寺院をしているお寺の役員研修。役員のリクエストによって、私が住職になって初めて行ったものだ。4件のお寺を巡り、参拝して住職の話を聞く。一応会費の中から3000円ずつ置いてきたが、どのお寺でもお茶を用意して待っており、暖かい歓待だった。
どの住職のお話も面白かったが、一番は私の師匠の稲川淳二もびっくりオカルト話。人形供養というのがあるが、いつの間にか場所を移っていたり、髪が伸びたりすることがあるんですと真顔でお仰る。特に魔女の宅急便のジジ人形が一番曲者らしい。でかいトトロも置いてあった。これらが夜の本堂をぴょんぴょん飛び跳ねる姿を想像してちょっと笑えた。
研修から帰ってお寺で反省会。一昨日飲んだばかりだったせいか、あまり酔わなかった。今日の面白かった話や境内の整備の話など。

取られる

コメント(0)

平日にしては珍しいが午前中に2件法事。定年退職した団塊世代、土日仕事のサービス業が増えると平日のパターンがもっと出てくるだろう。
帰宅すると明日の葬儀の遣いがいらっしゃってちょっと話し込む。お布施の額を聞くのが主目的だったらしいが「だいたいのところは役員さんに伝えてありますのでそちらから聞いて参考にして下さい。」その後、役員さんから電話がかかってきた(笑)。
こんな回りくどいことをするのは、当事者にはっきり額を言うと「取られた」感が強まるからだが、役員経由でも別の強制力が生まれる恐れはある。だから当事者にはしつこく、「額は参考程度で状況によって変わっても全く問題ありません」と言い添えているのだが、十中八九はピタリその額である。
最近こんな話を聞いた。近くのお寺に東京から「お金がないんですけど、お葬式をして下さるでしょうか」という人があった。当然断るはずもない。すると、「それで、おいくらぐらいで……」と聞かれたそうだ。齢八十になろうとするその和尚、「金ないって言うんだったらいくらも何もないべ?」と受け取らなかったらしい。
「対価ではない」というお布施の意味を理解するには、これくらい極端なことが必要なのかもしれない。このところときどきこの話を思い出している。

このアーカイブについて

このページには、2006年6月以降に書かれたブログ記事のうちBuddhismカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはBuddhism: 2006年5月です。

次のアーカイブはBuddhism: 2006年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Buddhism: 月別アーカイブ

アーカイブ

リンク用バナー