Buddhism: 2007年2月アーカイブ

長女を連れて10日ぶりにつくばに帰ってくると、訃報が入っていたので翌朝また山形へ。つくばの滞在時間はたったの8時間ほどだった。

睡眠不足もあって朝からだるい。大宮行きのバスも山形新幹線もずっと眠っていたが、お寺に着いて枕経が終わると体温が37度、通夜が終わると39度にまで上がっている。体中に寒気が走り、一瞬たりとも気を抜けないような状態。喘息もひどくなった。

早めに寝たのだが、朝起きると熱はまだ39度ある。しかしお葬式を延期してもらうわけにも行かないし、代役も立てられないので、ガクガク震えながら洗面所で剃髪。朝食を少しだけ食べて出棺のお経を読みに行く。一旦お寺に戻り、火葬場まで母に送ってもらった。お経を読むとき以外は、魂の抜け殻のような状態である。火葬場の寒さも身にしみる……

午後の葬儀まで時間があったので、火葬場からお医者さんに直行。衣を着たままの聴診器はたいへんだった。新幹線の中でインフルエンザに罹ったのではと検査もしたが、幸いにして陰性。もし陽性だったら、喪家に大量の罹患者を生み出していたことだろう。ゲホゲホ咳き込みながらお経を読んでいたからなぁ。

「安静にしていてください。」
「でも午後からお葬式なんです。代役を立てられなくて」
「お葬式? それじゃしょうがないなぁ(苦笑)」
「終わってから安静にします(笑)」

処方された風邪薬を飲んで、1時間ほど眠ってから午後の葬儀へ。症状はだいぶ緩和されていたものの、肉体的・精神的に全くの余裕のない葬儀だった。途中でぶっ倒れるんではないかと思ったが、何とか最後まで務めを果たし、フラフラになって帰りバタンキュー。予定ではこの日のうちにつくばに帰ることになっていたが、無理な話だった。

こんなとき思い出すのが亡くなった師匠(祖父)の最後のお葬式だ。あれは吹雪の12月だった。祖父のお葬式に付き添いで参加した私は、祖父が酸素ボンベでぜいぜい息を切らしながら、導師を務めていたのを見た。亡くなる3ヶ月ほど前のことだった。それを思い出すと、風邪くらいでへこたれてはいけないと励まされる。

翌日も翌々日も、熱は39度から下がらず薬を飲んでまる1日布団の上。結局三日三晩寝続けた。食欲はまだあるのが救い。治ったらつくばに帰るつもりだったが諦めざるを得なかった。長時間眠って意識が朦朧としていると、自分に妻子がいたことすらも夢の中の出来事に思えてくる。子どものアルバムを引っ張り出してきて確認するほど。

夜に妻が電話をかけてきて、みんな元気だというのでほっとしている。週明けに用事があるので、つくばに帰れるのはもう少し先になりそうだ。

寺院の合併

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妻と長女は金曜夜に無事に到着し、昨日は米沢の上杉博物館で行われていたドールズハウス展と雪灯篭祭、外国語サークルに行ってきた。米沢の市街中心部の寂しさは長井以上かもしれない。バイパス通りは賑やかなのだが……。

そして今日は先週に引き続き大般若会。今年に入って5回目となり、だいぶ心配なくできるようになった。大きな声で「大!般若経巻第……降!伏一切大魔最勝成就……」と唱えていると気合が入ってよい。今年予定されているのはあと3回。

終わってからの食事で、どうすればもっと参拝客を増やせるかという話を振ってみる。私のお寺でもこの悩みは深刻だ。

原因については過疎化もあるが、人々の意識に寺院離れが進んでいるようだ。寺に足が向かないのは、葬儀と法事以外のこと、例えば生きる指針とか悩み事の相談などを期待していないのではないか。

「細木数子とか、江原啓之なんかもひとつの信仰ですからねぇ。そういうので事足りている人は、お寺に来にくいのではないでしょうか……」と言ったところで、「お寺に来ない人は、仏教を信仰していない」なんていう話になったらマズイと思ってやめた。それだと、江戸時代の踏み絵や寺請制度と変わらない話になってしまう。

そこから発展して寺院の合併の話。これから先、過疎化が進めば空き寺を守る檀家さんも次第に維持費を捻出できなくなり、お寺をお化け屋敷のようにしておくくらいなら、いっそのこと近隣の寺院と合併したほうがよいという話が現実味を帯びてくる。

総代などを代々務めてきた家では、先祖が代々守ってきたお寺をその代でなくしてしまっていいのかという葛藤があり、寺の役員が合併話を持ち出すことは滅多にない。

私がこういう話を聞いたのは2回目だが、どちらも住職がいないお寺の、若い役員から出た話だった。近くの寺院が掛け持ちで住職をして、手厚い檀務をしていたとしても、誰も住んでいないお寺を維持していくのはつらいだろう。維持するには先祖代々の誇りだけでなく、お金もしっかりかかる。

実際問題、お寺の合併は今後どんどん現実になっていくだろう。今のところ、合併すると各寺院が納める宗費が減るためか、宗門は合併に積極的でない。合併には宗教法人の解散はじめ複雑な手続きが立ちはだかり、ほとんど行われていないのが現状だ。

今日お話をした役員さんは、合併だけでなくお寺が葬祭業を運営するという大胆な意見だった。いわく葬儀社は儲け主義でいけない、お寺が葬祭業をすればもっと負担を少なくできるのではないかと。

寺院が葬祭を取り仕切れるようにならなければならないとは私も思っているが、相当な経営手腕がないと葬祭業に手は出せない。ところが、住職というものはあまり商売上手でないほうがよいもの。

曹洞宗では住職が経営に参加したソートービルや多々良学園が経営に失敗し問題になったが、当然の結末と思われる。住職の片手間に葬祭業を始めて、成功するほうが珍しいだろう。

将来、寺院のあり方や葬祭のあり方が変化していけば、もしかしたら寺院は生き残りをかけて葬祭業に打って出ることになろうのだろうか。30年後、50年後に向けて先手を打つべきか、それとも社会変化の後追いをしていくべきか、どちらがよいのか迷うところである。

月曜、火曜は来客もなくのんびり過ごす。長男の風邪はくず湯をきっかけにどんどん回復している。

火曜日は、前から頼まれていた地区の墓地の名簿を作成。名簿はお寺ではなく地区で管理しているものだが、もう20〜30年も更新されておらず、当主の名前がだいぶ変わっているため調査に協力した。過去帳データベースを使えばちょちょいのちょい。

このたび、地区の墓地で管理組合を結成する動きになっている。これまで地区の墓地は、年5万円程度の地区の予算で管理されてきた。ところが、同じ地区内にある2つの寺院の境内にお墓を移転する人が増えるにつれ、区民全体のコンセンサスが取りづらくなり、当事者だけで組織を作る動きが出たのである。

組織を作るにはまず会員を特定させなければならない。新しい名簿は当主名の更新だけでなく、すでに寺院境内にお墓を移転した人、地区外に転出した人を調べて、地区の墓地に現在もお墓を持っている人を確定させるために必要なのだ。さらには、空いている墓所を新しい人に与えることで荒れた墓所をなくす狙いもある。

名簿ができて夕方に区長さん宅に届けると、副区長さんと地区長会長さんも集まっていた。こちらがふと思い立った日に、たまたま墓地管理の件で協議することになっていたとは、偶然にしては面白い。きっと地区のご先祖様方も後押ししているのだろうという話をした。組織案では、私には顧問の職が与えられていた(エラソー)。

今回の墓地管理組合の結成で議論になっているのは、やはり地区の関与だった。区民の全員が地区の墓地を利用している訳ではない以上、地区が全面的に出るのは難しい。かといって地区の墓地である以上、環境や景観を守るために地区と切り離すわけにもいかない。

要するに受益者負担と公共負担のバランス取りの問題なのだ。小泉内閣が小さい政府を掲げて以来、教育や福祉などさまざまな分野で問題になっていることである。

私は、住環境の整備という名分に加えて、地区の支援がなくなったら新規の人が減ったり、寺院境内への移転が加速したりするという理由で地区の支援は必要だと述べた。洞松寺の境内に移ってもらえば永代使用料が入るので嬉しいことは嬉しいが、その分地区の墓地が過疎化するのは困る(そもそも洞松寺の墓地はもうスペースがほとんどなく、これ以上申し込まれたら造成工事をしなければいけないのもたいへん)。

今度の地区の総会に向けてさらに協議を続けることになっているそうだが、どういう結論になるか興味深い。区民が納得のいく落下点を見つけてほしいものである。

その後、大般若の参拝客を増やす方法とか、寄付額を戒名の位階で変えるべきかとか、ざっくばらんに話し合って貴重な意見を頂くことができた。副区長さんと地区長会長さんはお寺の総代も務めている重要人物で話も弾む。

そんなこんなで3時間もみっちり喋って帰宅。長男を風呂に入れて寝たが、明日の朝まで作らなければいけない原稿があったので2時に起きて作り終えた。そんなことをしているうちに長男が起床。もう一眠りしようか。

学習会

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曹洞宗の全寺院に配布される月刊誌『曹洞宗報』2月号に、興味深い記事があった。第一生命経済研究所と曹洞宗の関係者が「学習会」を開いたというのである。

事の発端は昨年夏の日経新聞記事「いまどきの逝き方」。小谷みどり・第一生命経済研究所主任研究員のコメントとして「通夜から始まり葬儀・告別式、火葬、納骨という一連の流れはもともと葬儀業者が考え出したもの。葬式に決まった型はない。」と掲載されたことによる。

これに曹洞宗の寺院住職が異議を唱え、宗務庁が調査の上、顧問弁護士を通じて新聞社や研究所に対し抗議したという。実際このコメントは小谷氏の発言を記者が取り違えたものらしかったが、「歴史的事実などについて正しい情報を共有する必要がある」ということから「学習会」が開かれることになった。

「学習会」の内容は今後の『曹洞宗報』で報告されるということだが、『行事規範』などで全国共通の葬儀法を作り上げ、「威儀即仏法、作法是宗旨」の教えによって葬儀の型を追究してきた曹洞宗の立場を説明するものと思われる。

気になったのが第一生命が曹洞宗僧侶の共済保険を長年担当してきた会社であるとわざわざ説明されていることだ。曹洞宗だけに該当する記事ではないのに抗議しているのは、「第一生命にとって曹洞宗はお得意様なのに裏切ったのはけしからん!」と読める。

事実と異なるならば、出入り業者であろうがなかろうが関係ないはずだが、出入り業者だと明記し、しかも顧問弁護士まで出てくるとは、制裁とまではいかなくともまるで圧力をかけているようでちょっと頂けない。提灯記事だったら事実と異なっていてもよいのか。

改めて小谷氏の著書『お葬式のお値段』を読み返してみたが、確かに「世にも不思議なお葬式」とか「ますます形骸化するお葬式」など葬儀についてネガティブな表現が見られる。

しかしこれは高騰する葬儀費用や義理の参列者の増加などに見られる(主に都市部の)現代人の意識を代弁したもので小谷氏の独断ではない。実際、こうしたネガティブな表現についてそう思うかそう思わないかをアンケートすれば、そう思うと答える人はかなりの数に上るだろう。

さらにその数は年毎に増えているというのが、私の実感だ。そしてその一因として、葬儀社任せで読経のBGM係になってしまった僧侶の怠慢があるのも否定できない。今回の「学習会」が第一生命や新聞社への批判だけでなく、そうした自己反省の場にもなることを望む。

それにしても今回の宗門の対応は大人気ない気がするのだが、どうだろうか? 新聞や細木数子なんかを信用して、住職の言うことに聞く耳を持たなくなった檀家さんが多いのは確かだが、エネルギーを費やす先がちょっとずれているように思うのだ。

(こんなことを表立って書くと、顧問弁護士を通じて厳重に注意されるかもしれない。ナムナム……)

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