Buddhism: 2008年8月アーカイブ

お盆

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ここ数年、お盆中の法事には『仏説盂蘭盆経』を読んでいたが、今年から『慈経』に替えた。

『仏説盂蘭盆経』は餓鬼界にいる母をお盆の法要で救い出す話である。「如是我聞」から始まるが、お釈迦様の時代の話ではなく、中国撰述の偽経であることが分かっている。このお経は、次の二点で性質が悪い。

・先祖が地獄界や餓鬼界にいることを語って不安を煽る点
・その不安をもとに飲食や金銭を供出させる点

つまり先祖の祟りといって壺や印鑑を買わせるのと構造が同じなのである。

これに対し、柳田國男はお盆がもともと民俗行事であったことを説き、お盆の飾りについて次のように述べている。

「餓鬼というような悪い名をもつ精霊はもちろん、南九州のフケジョロ又はトモドンというものなども、家のない飢えたる求食者であって、盆には家々の精霊様の供物を横から取って食べるといい、先祖を静かにもてなすためには、まず彼らにも何か食物を与えて、邪魔をせぬようにする必要があると考えているものがある。(『先祖の話』)」

お盆にはホオズキ、そうめん、掛けササギ、昆布、リンゴなどのお供え物を枝にかける習慣があるが、これはあの世から帰ってきても寄る家のない無縁仏を供養するためのものだというわけだ。枝にかけるのは、「盂蘭盆」の原語उल्लम्बन(ullambana=掛けること)に基づいたものとも考えられるが、「ご自由にお取りください」という態度を示して誰でも遠慮なくお供え物を取りやすくするものだろう。

でも、無縁仏を餓鬼扱いして先祖の邪魔をする者と考えるのは仏教的ではない。仏教の基本スタンスは「全てのものが幸福で平安であること」という慈悲心にある。相手が御先祖様であろうと、無縁仏であろうと、分け隔てなく冥福を祈る気持ち、それが大事だ。そこで『慈経』を読むのである。

これも民俗行事に対する仏教的な解釈にすぎないが、『仏説盂蘭盆経』的な解釈よりもずっと納得できるのではないだろうか。

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