Buddhism: 2009年2月アーカイブ

お布施の適正価格

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昨日の朝日夕刊の「日々是修行」で佐々木閑さんが、お布施の適正価格について興味深いことを書いていた。

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お布施は、「もの」や「サービス」ではなく、その僧侶の「姿や言葉」に対して払うものだからである。おみくじなら、実費+気休め料+利益で計100円と計算できるが、「僧侶の姿」となると決まった基準がない。「100円で十分」という場合もあるだろうし、「100万円でも惜しくない」ということだってある。お布施は、僧侶自身のあり方に対する、まわりの人々の外部評価の表れだ。その額は、お布施をする側が決める。自分で納得した額が適正価格になるのだ。
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僧侶の姿や言葉への外部評価。全く持ってその通りだと思う。中には、仏様にお布施をするんだから、僧侶がどんな低俗な人間だってかまわないという信心深い方もいるだろうが、ごく少数だろう。それに僧侶がそんな開き直りをしたら最悪である。

もっとも、建前とは別に常識的な相場というものはある。そういう情報は地域や親戚で出回っているもので、お経を読みに行って100円だったとか、お葬式でいきなり100万円頂いたなんてことはまずない(都会ならば分からないが)。

この相場を住職が吊り上げるのも一概に悪とはいえないが(古い建物の維持にはお金がかかるものである)、常識の範囲内でということになるだろう。ましてや世代が下がって、従来の相場を高く感じる人が増えている現在ではなおさらである。

こういう相場があって、ほとんどの方がそれに従ってお布施をするとしても、高いと感じるか、安いと感じるかは、その僧侶の姿や言葉によるのはまちがいない。例えばお葬式ならば読経や法話以外にも、枕経に駆けつけるまでの時間、遺族からのヒアリングや疑問への受け答え、親族縁者との交流、仏事のインフォームドコンセントなど、総合的なきめこまやかさが安心につながる。これに普段の生活態度も加味されるだろう。

私自身、今頂いているお布施(相場)は、お寺を維持するのに必要な額だとしても、社会的・常識的にはかなり高額であると思っている。その金額を一般的な労働で捻出するのに、いったいどれくらいの汗水を流さなければならないのか。

独り暮らしのおばあさんの家でお経を読んでお布施を頂いた。そのおばあさんが夜、誰もいない広い家の寒い部屋でぽつんと布団に入っている姿が想像されて、私はこのお布施を頂く資格があるのだろうか不安になった。

自分の姿や言葉を磨くだけならば、それは僧侶ではなくて芸能人だろう。それだけでなく、お布施を下さる方の気持ちを十分に汲み取ってこそ、僧侶と呼ばれるのではないだろうか。

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