Buddhism: 2010年2月アーカイブ

般若心経の私訳

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地区で開かれている写経教室で、写経の前に般若心経の解説を行っている。45分ずつ3回行っているから、あわせると2時間以上にもなる。できるだけ分かりやすいよう、それでいて正確であるように努めているが、これが実に難しい。

以前、講演で十二支因縁の説明を試みたことがあったが、さすがお釈迦様も説法をためらったほどのもの、聞いている人の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶのが見えるかのようだった。

最後に、出席者から、般若心経を分かりやすく今の日本語に訳したものがほしいと言われた。いろんな人の訳があるが、梵文も参照しながら自分の言葉で翻訳してみた。
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観音さまは、お釈迦様のそばで仏教の奥義を修行して、私と呼べるものは何もないのに、何かあると勘違いするから、何もかも苦しみになってしまうのだと悟った。そこで修行僧代表の舎利子に尋ねられて、次のように答えた。

「舎利子よ。まず私たちの身体は実体でない。実体でないものが身体である。同じように、私たちの感覚・印象・意志・知識も実体でない。舎利子よ。この世の全ては生まれたり、死んだり、汚れたり、きれいになったり、増えたり、減ったりしない。だから、私たちの身体・感覚・印象・意志・知識もない。私たちには見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触ったり、思ったりする器官もないし、逆に見られたり、聞かれたり、嗅いだり、味わわれたり、触られたり、思われたりする対象もない。見える世界から思う世界まで、何もない。煩悩もないし、煩悩を断つということもない。そのため老いや死もないし、老いや死がなくなるということもない。苦しみも、苦しみのもとも、苦しみをなくすことも、なくすための修行もない。知ることも得ることもない。

得るものがないから、菩薩たちはこの仏教の奥義によって、自由な心でいられる。心が自由だから、恐怖もなく、迷いもなく、永遠の平安を極めている。また、過去・現在・未来に成仏した方々はみな、この仏教の奥義によって、最高の正しいお悟りを開かれたのである。

だから知っていただきたい。仏教の奥義とは、偉大な呪文のことである。悟りの呪文であり、最高の呪文であり、ほかに比類なき呪文である。全ての苦しみをなくし、必ず効くので真実なのである。さあ、今、仏教の奥義である呪文を教えるのでこれを唱えなさい。

ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー。」
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こうしてみると、般若心経は結局、真言宗のお経だということが分かる。禅宗にも密教的要素がないわけではないが、坐禅しないで(あるいは坐禅中に)真言を唱えていればよいという指導はしない。

そういうこともあって、独りでする朝のお勤めは般若心経を読むが、法事では慈経に差し替えている。

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