Buddhism: 2019年5月アーカイブ

『正見経』(中部経典9)を講読。十二支因縁(①無自覚(無明)②本能(行)③分別(識)④事物(名色)⑤感覚器官(六入)⑥対象との接触(触)⑦感受(受)⑧渇愛(愛)⑨執着(取)⑩輪廻(有)⑪誕生(生)⑫苦しみ(老死))の最終的な結果である老死の苦しみから、原因、原因の原因と遡るかたちで説かれている。

ことは誕生から始まる人生の苦しみという実存的な問題から始まり、感覚器官と対象の接触による感受・欲望・執着という認識論、さらに本能による分別で事物が作られるという存在論、そして最終的には真理の無自覚という宗教的なテーマへ。このように視点がどんどん変わっていくところが、十二支因縁の理解を難しくしている。

『正見経』ではさらに無明の原因として煩悩を設定し、無明の原因は煩悩、煩悩の原因は無明と循環させているところも考えさせられた。

無明の眠りの夢覚めて 尊き身をば今ぞ知る(御授戒御和讃)

合葬墓への懸念

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朝日新聞:安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」

秋田市が1500体分、1体17000円の合葬墓を整備。これに対し「人生の価値考えるとひどい」という市内の寺院は、20万円から永代供養を受け付けているという。

間違ったことは言っていないとは思うが、この記事の書き方では、寺院のコメントが自分の利益を守ることが動機になっていると思われて説得力を削がれてしまう。このような論法は、人格攻撃の詭弁である。

厳密には、合葬墓の使用料と、永代供養料は異なる。永代供養には合葬墓の使用、位牌の預かり、お盆・彼岸・年回忌の供養の委託、寺院護持費の前払いなどが含まれる。洞松寺では、その家その家の状況に応じて話し合い、これらを組み合わせていくというやり方を取っている。例えば合葬墓に納骨しても、家族が元気なうちはと法事をその都度行い、護持会費も毎年納めるという方もいらっしゃる。

合葬墓に入れればそれで終わりというわけではないのだが、それで終わりにしてもかまわないと考えている方が増えているのも事実で、現に檀家さんでない方が合葬墓に納骨だけしていくという場合も時々ある。このようなケースはもっと増えていくだろう。

墓じまいの需要が増えている背景(家族観・死生観の変化、働き方の多様化、少子高齢化)に目を向ければ、そこに悩みや不安をもっている方々にどう向き合うか手腕が問われるところで、頬かむりをしてけしからんとか言っている暇はない。

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