Diary: 1999年1月アーカイブ

三鷹寮の思い出'92

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三鷹寮入口1992年上京して2年間住んでいたのがこの三鷹寮だ。

三鷹寮は一応、京王井の頭線三鷹台駅が最寄。電車に乗ってしまえば大学まで25分だから近い。とはいえ自転車で15分かかる上に勾配が大きい。雨の日はバスに乗って吉祥寺に出た。自転車を盗まれたり移動されたりして、しかも夜遅くに帰ってきたりすると、40分も歩かなければならない。当然のことながら、学生がタクシーなど乗れるはずもない。

北寮三鷹寮は南寮と北寮に分かれていた。1部屋は3?6人で構成されており、サークルの名前がついていた。私が入った部屋は「スポ研」。1部屋といっても談話室、寝室、学習室の3つがセットになっていて、生活時間帯がまるで違っていても困らない。誰かが寝る頃に、誰かが起きる。

前には寮生用のテニスコート。ときどき女学生が来て遊んでいるのを私はうらやましそうに眺めていた。

森昔は馬場だったという敷地はものすごく広く、外でトランペットの練習をしている人がいるほど。建物の周りは森になっていて、誰も足を踏み入れることはなかった。ちょっと歩き回っったことがあったが、あまりの茂みで退散した。

どこからでも入ってこれるはずなのに、犬を散歩させている人を除くと外部の人にはまず会わない。森はおいしい空気の源であるとともに、外界からの遮断として機能していたのである。


浴室テニスコートの裏にある浴場。渡り廊下があるので雨の日でもあまり濡れなかったが、冬は寒い。冬場は2日に1回で、よく近くの銭湯にいった。銭湯は早い時間に閉店するが、寮の風呂は午前になっても入れた。

風呂掃除は当番制だが、ボイラーは寮委員会の仕事。ボイラーを止められてしまうとお湯が出なくなるが、寮委員会はたいてい遅くまで起きて酒盛りをしているのでその心配はなかった。

浴場遅くまで入れるということになると、ついウダウダしてしまう。同じ部屋や近くの部屋の仲間と連れ立って入りに行く。当時は疲れを知らない年だったが、おしゃべりしながら風呂につかるのはリラックスできる至福の時間だ。

夜の11時ごろがピークだっただろうか。お湯は継ぎ足しできたので温かさを保つことができたが、時間が経つにつれて湯舟にはいろいろなものが浮いてきて、うっかり口に入ろうものならたいへん。

ホール夏の風呂上りは、隣りのホールで延々とビリヤードや卓球をしてから帰る。とにかく広い上に、だだっ広い建物がいくつもあり、夜の3時や4時まで遊んでいても何も言われない。金管楽器の練習でさえもすることもできた。

発情期のネコの声を赤ん坊の幽霊だと思って、すごく怖くなったのを思い出す。それぐらい建物は古びており、がらんとしていた。

食堂寮の食事は朝はサンドイッチと牛乳、夜は黒板に発表されたメニューをおばちゃんが作る。1カ月分の寮食費を払って、あとは自分の都合で2、3日前までに止食の手続き(黒板の前の帳簿に×をつける)ができた。止食分は翌月に還元される仕組み。こうした手続きも寮委員会の仕事だ。

1カ月1万円台で安かったが、いつも夜の6時くらいにはできていたので時間がたつと全てが冷めてしまい味噌汁は煮詰まりカレーはルーに逆戻り。

食堂「十時軍制度」は、朝も夜も十時を過ぎて残っていた寮食は誰でも食べていいという決まりである。9時50分くらいになると何人か集まってきてハイエナのように待っている。そして10時になると始まるじゃんけん。「ジャンケンポン!」かなり気合が入っていた。

普通に予約している人は十時軍に食べられないよう走ってやってくる。じゃんけんが終わった頃に着いてよくトラブルになっていた。

ラウンジ各階にあるラウンジは、洗濯、物干し、電話置き場、冷蔵庫置き場、ゴミ置き場になっており、人の休む場所はない。掃除しようとしてもすぐに諦めざるを得ないような何十年分の汚れの蓄積で、通路だけ確保しておくのがやっと。スペース無駄遣いもいいところである。

電話番は当番制。事務室に待機していて、電話がかかってくると全館放送で案内。「○○さん、○○さん、1番に電話です。」これを聞いて各階にある電話から、案内された番号を押して話す。女性からかかってきた場合は「お電話です」、親(らしき年配の人)からかかってきた場合は「おお電話です」という決まりになっていた。「お電話」だったりすると、後からねほりはほり聞かれる。

電話をかける場合は、外にある電話ボックスから。電話ボックスで長電話している人がいたら、寮の外までいかなければならない。まだ携帯なんてなかった時代の話だ。


バイク置き場昔はさぞたくさんの寮生が住んで、さまざまな寮内行事があったのだろう。ホールが2つもあった。1つはビリヤード兼卓球場になっていたが、もう1つはバイク置き場に。昔は何に使っていたのか分からない。廃墟寸前である。

寮祭は年に1回あったが、日本酒をジョッキで一気飲みさせられるらしいというのを聞いて、私は小平の友達のところに避難していた。

トレーニング室ホールだけでなく、建物の中にも謎の部屋があった。ここはトレーニングルーム兼自転車修理場といったところ。昔は何に使われていたのだろうか。

ゴミはカゴに入れておいて、決められた日に出す。建物周りはおじちゃんが掃除していたが、部屋の中を掃除することはまずなかった。はじめのうちは気持ち悪いが、やがてゴキブリがブーンと飛ぶと、「あ、ゴキちゃんだ」とか言えるようになってくる。

洗面所トイレだけはおじちゃんが定期的に掃除していたので概して汚くはない。しかし、使用中止の貼り紙がずっと貼ってあったり、扉がなかったり、ナイスな落書があったりとその強烈さは印象的だった。

「昨日、このトイレで用をたしていたところ、体内から巨大な物体が出てきた。イモムシ状の茶色い物体で体長20cm、直径4cmほどもあった。気持ち悪いので流してしまったがいったいあれは何だったのだろう?」(北寮3F)

春三鷹寮の広大な敷地にはたくさんの木があふれ、とくに銀杏の木は四季の移り変わりを色濃く映し出していた。木漏れ日が気持ちいい夏、そして黄金色に染まる秋、日差しが横向く冬。

1993年、広大な空き地に国際留学生会館が建ち始め、寮生の引越しが終わると旧寮は全て取り壊された。もうひとつの駒場寮では、取り壊しにずっと反対運動が起こっていたが、三鷹寮では特にそのような運動は起こっていない。

三鷹寮・秋自称「平成のムッソリーニ」とか、司法試験X浪でちょっとおかしくなっている人とか、いることはいたが政治活動の拠点になっているわけでもなく、寮委員会も酒癖は悪かったが中立だった。

新寮はやや家賃が上がったが、完全個室で各部屋に電話も引かれている。シャワーだけになったり、電熱器しかなかったりと不便になることはあったが、概して生活の質は向上したと言えるだろう。

三鷹寮・冬しかし今になって振り返ると、友達と夜な夜な麻雀をしたり酒を飲んで語ったり、一緒に風呂掃除をしたり電話番をしたり、マンガ雑誌の回し読みをしたり、その結果午前中の授業はほぼ出られず、勉強はきまってテストの1週間前になってしまったが、そういう生活も、悪くはなかったような気がする。無駄だらけのスペースも、今そんな場所が果たしてあるだろうか。

三鷹寮よ永遠なれ。

マイブームの変遷

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私の生活に深く浸透したもの、コンプリート欲求を追及してしまったものを、記憶のため思いつくまま列挙しておきたい。


  1. ピンポンパン(保育園時代)[テレビ番組]
    幼児テレビ番組。あまり覚えていないが、最後に木の中からおもちゃをもらえるのがうらやましくてよく見ていたような記憶がある。一方で同じぐらいの時間帯にあった「ひらけポンキッキ」は見ていない。ムックが赤くて目も怖かったせいかもしれない。
     
  2. ブロック(保育園〜小学低学年時代)[玩具]
    何というか忘れたが、レゴブロックではないブロック。お城や車を作ったり、何だか訳のわからないものを作ったりして創作意欲旺盛だった。友達ともよく一緒に遊んだ覚えがある。今考えてみれば、当時からインドア派だった。
     
  3. プリン(小学校時代〜現在)[食べ物]
    小さい頃、母がせっかく作ったのに私が「プッチンプリン」の方がよいと言ってガッカリさせたという。プッチンプリンの味はさておき、底にあるバーを折ってプリンが皿の上に落ちるのが楽しかった。コンビニに行くと全種類チェックする癖がついている。
     理想のプリンとは、本体が上の方まで均質に軟らかくみずみずしいもの、味はバニラエッセンスのほどよい香りと卵の味がすること。カラメルは香ばしくてすこしだけとろみがあることとほんのりとした苦み。量は小さすぎず大きすぎず。
    一方ダメプリンは本体の上の方が乾燥などで固まってしまっているものは最悪。 カスタードやクリームなどとのブレンド自体はよいが、そっちの方が味が強くてはいけない。カラメルは色はあるけど味はなく、ゼラチンで固めたようなのはよくない。
     
  4. マシンロボ(小学低〜中学年時代)[玩具]
    乗り物をはじめとする機械がロボットに変形するというおもちゃ。600円くらいでシリーズになっていた。好きだったのは「ポルシェロボ」で、アイデア募集に応募してゴールデンポルシェロボをもらったのが嬉しかった。
     
  5. ロボダッチ(小学中から高学年時代)[玩具]
    小さいロボットの世界を広げるプラモデル。「大島」「小島」など、地形とロボットがセットになっていて、ガンダムのプラモデルよりも想像力をかきたてられた。箱庭指向か。
     
  6. キンケシ(小学中から高学年時代)[玩具]
    キン肉マン消しゴムのこと。ゆでたまごのマンガ『キン肉マン』のキャラクターのゴム製人形。100円のガチャガチャで3体。1000円のセットもあった。なぜか肌色がいちばんとされており、特に「キン肉マンB(ファイティングスタイル)」が貴重とされていた。机の上で落とされたら負けというおはじき遊びではサンシャインが強かったのを思い出す。見るからに強そうだった。。
     
  7. 九十九一(つくもはじめ)(小学高学年時代)[芸人]
    漫才ブームの火付け役となったお笑い勝ち抜き番組で登場したピン芸人。淡々とした話しぶりなのに、内容はぶっとんでいた。真似をしてテープに録音してみたりするほど。
     
  8. 週刊少年ジャンプ(小学高学年〜高校時代)[マンガ]
    「北斗の拳」「キン肉マン」「魁!男塾」「ドラゴンボール」の黄金時代あたりから、主に近所の床屋さんで毎月まとめて読んでいた。「ジャンプ放送局」「ついでにとんちんかん」「燃える!お兄さん」などが好きで、単行本を揃えた。高校ぐらいになってやっと、敵を求めて無限に世界が広がっていく虚しさと、ギャグセンスのジェネレーションギャップに気付いて撤退。
     
  9. ビックリマンチョコ(小学中学年〜中学時代)[お菓子]
    ウエハースチョコのおまけのシール。はじめは世界の景勝地にイラストを入れたシリーズだったが、まじゃりんこシリーズ、天使・お守り・悪魔シリーズになってからはまる。ホログラムのシール「天空ゼウス」が貴重。
     
  10. マルキンチョコ(小学高学年〜中学時代)[お菓子]
    50円玉の形をしたチョコのおまけで漢字を図案化してシールにしたもの。デザインもさることながら、番号がついているため全部集めたくなってしまう。当たりか補助券3枚で1000円もらえるという特典がついていて、かなり回収した気がする。
     
  11. 少林寺(小学中学年〜中学時代)[習い事]
    映画『少林寺』を見て主役のリー・リン・チェイ(ジェット・リー)にあこがれ、少林寺拳法を5年くらい習った。他の武術と違い、ダンマパダを唱えたり、昇級試験で仏教の教えについて筆記も課される。今考えてみれば、これが仏教を勉強するという最初の経験だった。今でも余裕があればまたやりたいと思う。
     
  12. ドラクエ(小学高学年〜大学時代)[玩具]
    爆発的にヒットしたファミコンゲーム『ドラゴンクエスト』。自分の名前を付けた主人公が成長していく楽しみは中毒性があった。ファイナルファンタジーは1でやめてしまったが、ドラクエは6まで続け、プレステになる7で諦めた。
     
  13. トロンボーン(小学高学年〜大学時代)[習い事]
    小学6年のときに鼓笛隊で始め、中学・高校と吹奏楽少年だった。大学ではオーケストラに入部、毎日数時間練習していた。今の楽器はコルトワ。上野の東京文化会館で行われた大学最後の演奏会は、大学院入試の当日だった。今は練習する時間がほとんど取れないでいたらすっかりダメになってしまったが、時間ができたらまたゆっくり練習したいと思っている。
      
  14. トイレ(中学時代〜現在)[生活]
    少年期にありがちな恐いもの見たさ、中学生くらいの時期にありがちな清潔にしたい欲求、人がやらないことをやる喜びなどがあいまって、トイレ掃除をやるようになり、その延長でトイレや排泄について本を読んだりするようになった。フロイトの言う肛門期から卒業できていない証拠かもしれない。
     
  15. 妖怪人間ベム(中学〜大学時代)[テレビ番組]
    早く人間になりたい心やさしい妖怪人間ベム・ベラ・ベロのアニメ。再放送で見たが、ヒューマンとホラーを兼ね備えた独特の雰囲気が好きで、ビデオを借りて全部見た。オープニング「それは、いつ生まれたのか誰も知らない」がお気に入り。
     
  16. 必殺仕事人(中学時代〜現在)[テレビ番組]
    お金をもらって恨みを晴らすべく暗殺する時代劇。因果な商売の暗さを背負って生きている仕事人たちの葛藤は他の勧善懲悪的な時代劇に見られない。中村主水(もんど)も好きだったが、一番は三味線屋の勇次(中条きよし)。いつもウェイトトレーニングを欠かさない政(村上弘明)などの脇役も名優ぞろい。サントラをそろえ、ビデオを借りまくった。『主水死す』で一区切り。
     
  17. 1/35ミリタリーシリーズ(高校時代)[玩具]
    田宮模型のミニチュアプラモデル。ナチスのことをあまり知らなかった私は、純粋にフォルムの面から「キングタイガー」などのドイツ戦車やドイツ兵が大好きだった。それに比べると日本やアメリカの戦車は丸みを帯びていてかっこ悪い。
     
  18. ドビュッシー(高校〜大学時代)[作曲家]
    印象派と呼ばれるフランス不世出の天才作曲家。高校の時にかなりはまった。『海』と『夜想曲』の幽玄な雰囲気が好きで、さまざまなオーケストラで聴き比べたりもした。カラヤンの『海』にはくしゃみ(らしきもの)が入っている。大学に入ってからはだんだん小編成を好むようになり、結局『ベルガマスク組曲』『弦楽四重奏曲』などに落ち着く。
     
  19. 週刊スピリッツ(高校〜大学時代)[マンガ]
    伝染るんです。に惹かれて少年ジャンプから進級。お金がないので主にコンビニで立ち読みだったが、吉田戦車、中川いさみ、中崎タツヤの三本柱に圧倒されていました。東京大学物語がエロ宗教漫画に走ってきたあたりからあまり読まなくなりましたが。
     
  20. 吉田戦車(大学時代)[マンガ家]
    マンガ界に新しい旋風を巻き込んだ4コママンガ『伝染るんです』をはじめ、全てのキャラクターが常識を完全に外れた論理で動き出し、その外れ方にめまいすら覚えつつ楽しむと共に、外れる前のひながたである常識を深く考えさせられもする作品が目白押し。
     
  21. 中川いさみ(大学時代)[マンガ家]
    4(6)コママンガ「大人袋」をはじめ、常識とされているものが、その実あいまいで虚構も多い点に注目。そこから独特のエスプリで笑いを引き出している。
     
  22. 伊丹映画(大学時代)[映画]
    絶妙のキャスティングとストーリーのドロドロしたところが好きで、シリーズは欠かさず見ていた。『たんぽぽ』でリストの交響詩『レ・プレリュード』でラーメンが出てくるところが一番好き。監督が自殺したときはかなりショックを受けた。
     
  23. スネークマンショー(大学時代)[ラジオ番組]
    高校時代の友達のすすめで聞き始めたラジオ番組。小林克也と伊武雅人がつくりだす狂気に近い独特の世界に大喜び。しかしその頃にはもう番組は終了していたらしく、収録したCDでのみ知ることができた。
      
  24. 嘉門達夫(大学時代)[芸人]
    大学の友達が好きで、その影響を受けて聞き始める。「NIPPONのサザエさん」が最高傑作。コンサートに行ったりするほどの熱中ぶりだったが、「傑作集」とか行って前のネタをやったことから急速に冷めた。しかし、カラオケでは場が盛り上がるのでよく歌う。
     
  25. プーランク(高校〜大学時代)[作曲家]
    オーケストラに入団すると、クラシックを「どのパートがおいしい(=目立つ出番がたくさんある)」といった聴き方しかできなくなり、その結果交響曲と管弦楽曲はほとんど聴かなくなる。そこで急激にはまっていったのがパリのモーツァルトと言われるプーランク。フルートソナタから聴き始め、ピアノ曲へ。フルートソナタを聴きにパユやロジェのリサイタルに行ったりした。
     
  26. ウルトラセブン(大学〜大学院時代)[テレビ番組]
    実際にテレビで放映されたいたのは『ザ・ウルトラマン(なぜかアニメ)』で、再放送で『レオ』を見る程度だったが、大学の後輩に薦められてビデオで見たことから始まり、その深いテーマと哲学に心を動かされた。大学の卒業式の当日、モロボシダンが出ているというので『ゼアス』の映画を見る。
     
  27. ボードゲーム(大学〜現在時代)[玩具]
    もともとは大学時代に夜ヒマだったので始めたものが、いろいろ買い集めていくうちに九段にあるゲームショップ・メビウスに出会い、それ以来ほとんどハズレのないドイツ製のゲームにのめりこむ。特にシュテファン・ドーラというデザイナーの作品は独特の雰囲気を醸し出していて、絶版ものも含めてほぼコンプリート。ルールやレビューを読んだりするためにドイツ語もかなり上達した。
     
  28. 小林製薬(大学〜大学院時代)[生活]
    アイデア・ネーミング・清潔感どれをとってもステキな製品を次から次へと生み出しつづける大阪の会社。あるときドラッグストアを歩いていて面白い名前の製品はかなりの確率で小林製薬だったことに気づいたのが始まり。本社と工場の見学も果たした(外から)。
     
  29. ホームページ(大学院〜現在時代)[ネット]
    大学でアカウントをもらって、後輩に作り方を教えてもらってから発信することの魅力にひきつけられる。何でもかんでもネタにしてきたが、今は日記とボードゲーム関連が主体で、1日中更新や閲覧をしていても飽きない。
     
  30. ブリーフ&トランクス(大学院時代)[芸人]
    ラジオでたまたま聴いた「青のり」で注目。視点の細かい歌詞と軽快で絶妙なハーモニーが抜群の2人組。アルバムを全曲揃えてみた。「さなだ虫」「遠足」「石焼イモ」がお気に入り。カラオケでも歌う。
     
  31. 週刊モーニング(大学院時代)[マンガ]
    スピリッツを卒業したので、手ごろな雑誌を探していたところ、須賀原洋行の作品に偶然出会い、それがもとでモーニングに傾倒。基本的には立ち読みだが、帰省のときなどいい時間つぶしになるので買ってしまうこともあった。
     
  32. 養命酒(大学院時代)[薬]
    もともとは「必殺人」で中村主水を演じていた藤田まことが宣伝していたので気になる。その宣伝の中で「冷え性に」という文句があって、夏になると冷房病に悩まされていた寒がりやの私は、「おやじくさい」という壁を乗り越えて試す決心をしたのだった。これがなかなか美味しくて、月に2〜3回体調のおかしいときに飲む。
     
  33. 御詠歌(大学院時代〜現在)[歌]
    曹洞宗梅花流詠讃歌。知らない人には「仏教の賛美歌のようなもの」と説明している。住職になった直後に近くのご寺院さんから声をかけられ、何となく師範養成所に入ったのが始まりで、お経とは違う歌の楽しさや法要における劇的な効果を覚えてしまう。機嫌が悪いときに出てくる鼻歌の7割は御詠歌。
     
  34. 増田こうすけ(大学院時代)[マンガ家]
    きっかけは朝日新聞の書評だっただろうか、しばらくギャグマンガからご無沙汰していた私は、新しいタイプの笑いを発見することになった。妻も好き。
     
  35. シャー・ルク・カーン(インド留学中)[映画]
    キング・オブ・ボリウッドと呼ばれるインド映画界随一の俳優。お笑い上がりで一見それほどかっこよくはないのだが、映画を見れば見るほどかっこよく見えてくるのが不思議だ。出演した映画はできる限りチェック。インドに留学して一番はまったものかもしれない。

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