Diary: 2000年8月アーカイブ

逆境

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笑顔が優しく,柔和で誰からも愛されていた方が亡くなった.まだ若かったがとても幸せそうな死に顔だった.その方は若いときから病気がちであったが,逆にその病気がその方の思いやりあふれる性格の糧になったとも言える.健康な人はしばしば健康のありがたみを忘れ,自分一人で生きているような傲慢に陥りやすい.
しかしこのように逆境を乗り越えられるのは稀なことかもしれない.自分が置かれた逆境に強い不満を持ち,まるで自分だけが不幸であるかのようにして,自分の未来をコンプレックスの渦に巻き込んでしまう人もいるだろう.自尊心が高くて,臆病で,無思慮で,人の痛みをわかることができない.
逆境に立たされたとき,挫折を味わったとき,私はそれを自らの糧にしていくことができるだろうか.自分の弱さがとてももどかしく感じられた.ご冥福を心から祈る.
涙落青山紅滴々
打胸幾度哭蒼天

信心

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祖父の3回忌。家族4人(祖母、母、叔母、私)で準備するにはあまりに荷が重かった。完璧などないのは分かっているが、手落ちがある程度以上になると落ち込んでくる。
ただ、終ってみるとこれだけの作業量を4人でやったのが奇跡に近いように感じられた。
これだけの準備をしていると、「こんなに忙しいのは自分だけじゃないのか?」というエゴがもたげてくる。そんな時、毎晩12時過ぎにならないと帰れないような仕事をしている友人たちを思い出し、慰められた。
仏教における幸福になるための十訓
1.よくばらない
2.悪いことをしない
3.規則正しく正直に
4.尊敬できる人をもつ
5.他の人の幸せを願う
6.惜しまないで与える
7.喜び悲しみを共有する
8.仏教を学ぶ
9.仏教を広める
10.真実を見極める努力

日常生活のPC化

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先延ばしにしてきた論文を作成。6時間パソコンに向かい、2時間食事・睡眠で休憩を4セット繰り返す。高橋名人に怒られそうである。
長時間パソコンに向かっていると頭の中がPC化してくる。これには困った。
まず、「やり直し」をついしたくなってしまう。部屋の配置を考えなく変えて重いものを動かした後、ふと「ああ、Ctrl+Zができたらなあ・・・」などと思ったりする。しかし人生はやり直しがきかない。もっと慎重に!
次に、「検索」をかけたくなってしまう。子供のときからそうだが、私はものをなくすのが得意で、1日に何度も失くなったものを探している。出てこないことも多く、大きなストレスになる。最近探しているとき、「ああ、この机を対象に検索ができたらなあ・・・」などと思ってしまった。まったくのナンセンス。
「ええと、Ctrl+Z、Ctrl+Z、・・・無理か」
「検索は、検索は、と・・・あ、できない」
この症状が進むと、笑い話ですまなくなりそうでコワイ。

結婚披露宴

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久留米にて研究室の先輩の結婚披露宴。
そういう世代に入りつつあるということだろう、一昨年くらいから披露宴にお呼ばれすることが多くなった。
披露宴に出席するのは新郎新婦の結婚を公的に承認し、祝福するためであることは確かだ。しかし、祝宴という華やかさの中に私はなぜか、悲壮感を感じる。
親元からの独立による社会的責任や家事負担の増大。
結婚相手による経済的・時間的・精神的な制限。
親族の倍化によるしがらみ。
こういったものをまだ若い2人がまともに受けるのかなと思うと、なんとも可愛そうになってくるのである。特に新郎に対して思うことが多い。そうなると披露宴はまるで戦地に趣く若人のための激励会のようだ。
新郎新婦は、愛というかたちのないものだけでこういった困難に立ち向かう。武運を祈るばかりである。
・・・ってなことかんがえてちゃ、いつまでたっても結婚できねえな。

変なもの収集癖

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机の引出しを徹底的に整理した。そこはひとつのタイムカプセルであった。
高校時代に書いた座右の銘らしきものは自己紹介の「好きな言葉」に記録。
引出しから出てきた変なものベスト3
第3位 先生用巨大三角定規
  もしかすると小学校が新校舎になったときに要らなくなったものかもしれないが、泥棒だったのではないだろうか?
第2位 農水路水門用ハンドル
  これは完全にやばい。相当な重さのある金属のハンドル。といってもどこに返しにいったらいいかわからない。
第1位 米坂線のひじ掛け
  ボックス席の通路側にあるもの。外れていたのを持ってきたらしい。いったい何のためだったんだろう?
どれも相当の大きさがあるものばかり。もの珍しさにひかれて持ってきたのだろうが、全く使い道がない。しかし無用の用を感じていた自分の子供時代がとても懐かしくなった。

サマーコンサート

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東大オーケストラサマーコンサート長井公演。
前回から6年。人口3万の小さな街に東大オケは再びやってきた。
市制40周年にのった前回と異なり、今回は独力。チケット販売や広告取りは有志の手によって行われた。私はOBとしてお手伝いをしたが、その他の方々が私以上に一生懸命に尽力して下さり演奏会は成功裏に終わった。めでたし。
それにしても自腹を切って強行日程で演奏旅行をしている東大オケの団員は異様である。毎日のように食事は弁当、早朝から夜遅くまではたらき、観光などをしているひまはない。その姿はもはや音楽にとりつかれた宗教団体といっても過言ではない。敬意というよりも、サーカスの動物に対するような哀れみを禁じえない私であった。
そういう気持ちもあったからかもしれない。新世界のアタッカから必死のボーイングを見て少し目が潤んでしまった。
アンコールのヴィー・シェ―ンで出てきた外務とアナウンサー(共に山形出身)の緊張しきった顔つきを見るやいなや激しい懐古に襲われ、自分がまるで老人にでもなったような錯覚を起こした。「ああ、あの頃は・・・」などと。
今回は長井が最終地だったので恒例の打ち上げが演奏会終了後行われた。相変らず厳しい先生方の講評。特に「君たちは音楽をしていない。ただ楽譜を再生しているだけなんだよ」というのは、冷たい演奏といわれてきた東大オケのいちばん痛いところである。
しかしその後コンマスがさりげなく「僕らは僕らなりに楽しんでやっている」というような反論をした。これには溜飲が下がる思いをした。楽しくないなら辞めているはずなのに、これだけの「音が苦」を続けているのは、やはり楽しいからなのだ。しかしそれを生き生きとした表情に出すような下品な真似はしないだけなのだ。表情が硬いからと言って楽しんでいないわけではない。抑えきれない感情をコントロールしようとしている彼らの気持ちがよくわかった。
東大オケは良くも悪くも、何者にも依存しないで孤高を守ろうとする自律的集団である。彼らは心から「お陰様で・・・」などと言っていない。常に自分たちの力で自分たちの道を切り開いていく。周囲の手助けは後から付いてくるだけのことである。それでいいのだ。

東大のトイレ

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結構、ある一部の人々には有名らしい「東大のトイレ」。学内者じゃなければやらないし、学内者はふつうやらないので、珍しいサイトになっている。
はったりでつけたテーマ「トイレと学問」も受けているのかもしれない。
http://www.excite.co.jp/lifestyle/toilets
・・・学内のトイレを逐次紹介するとともに、トイレと学問が相互に影響し合うことを考察していく。トイレの写真と、清潔さ・広さ・混雑度・総合評価を★印で記載。見た目や使用した感想も。
http://www.t.u-tokyo.ac.jp/~watanabe/information/links.html
・・・"学内のトイレを逐次紹介するとともに、トイレと学問が相互に影響し合うことを考察していく"とおっしゃるインド哲学専攻院生の方のページです。工学部を含むキャンパスの西の方は未開拓のようです。
ちなみに、工学部も理学部も新しい建物を中心にリサーチ済み。しかし、どこも中途半端な狭さで絵にならないのだ。駒場キャンパスの方がずっと面白いトイレがあるが、わざわざ行くのもなんだか・・・
「トイレ盗撮」で検索してくる輩がいる。確かに人がいないのを見計らって盗み撮ってくるのだけど。

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