Diary: 2001年11月アーカイブ

自分のために

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先日ある老師の言葉を聞き,目からうろこが落ちる思いをしました.

「誰かのために」「世のため人のために」と思わないことです.そう思っていると,壁に突き当たったときにきっと「○○のせいで」と言いたくなってしまいます.そうではなくて,「自分のためになる」と思うことです.

私はこのごろよく「皆のために自分がすべきこと」という考えで行動していることが多くありました.そのために「皆に関係なく自分がしたいこと」というのはできるだけ抑えるべきだとも考えてきました.

一見立派な考えに見えます.しかし老師の言葉を聞いて,それは必ずしも正しいとは限らないと思うようになりました.

まず「皆」というのは家族や職場や地域の組織,自分が所属する集団のことを指します.これに一生懸命貢献すればほめられ,認められ,それなりの地位を得ることができるでしょう.逆に反抗すればけなされ,悪口を言われ,地位を失いかねません.

「皆のために自分がすべきこと」という考えは実のところ,世間体を気にした自己保身から出ている可能性があります.反省する機会があまりないだけに,たちの悪いエゴイズムです.その証拠に,自分の努力に見合った結果が出ない場合に「○○のせいで」と責任を転嫁したくなってしまいます.

そこで「自分のためになる」という考え方です.自分の努力と経験は自分自身を豊かにし,人間として成長させてくれます.誰かに望まれたり強制されたりではなく,自分の理性で判断し自分の責任において主体的に行動すれば,少しずつ向上もするし幸せにもなれるはずです.

仏教では我執を捨て去ることが苦しみをなくす手段であると説かれ,エゴイズムや自尊心は一般に否定されます.しかしそれは「滅私奉公」という言葉に表れされるような,主体性・自己責任のない行動を奨めるものではありません.

食欲や睡眠欲がなければ人は生きていくことができませんし,性欲がなければ人類は滅亡してしまいます.問題なのはそれらの欲望が増大し,周囲のものを犠牲にしても満たされないために自らも苦しむことになるときです.完全な無欲ではなく,欲を自己責任において十分にコントロールできることが求められているのです.

我々は神でも仏でもありません.どうしても過ちを犯しますし,飢えた虎に足を食べさせた釈尊の前世のように他者のために自己をなげうつこともまずできません.しかし利を求めるのでなく自身の向上を求めるのであれば,結果的には必ず「皆のため」になるにちがいありません.

「皆のために」→「自分のために」なのではなく,「自分のために」→「皆のために」という順序.菩薩の心がまえを説く「自利利他」とはこのことを述べていると思われます.

もちろん自分を向上させるというのは口で言うほど簡単なことではありませんが,老師の言葉を聞いて,謙虚に,かつ強かに行動していきたいものだと意を新たにしたところです.

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