Diary: 2006年2月アーカイブ

2つの閉店

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つくばで家から一番近かったスーパー「リブレ京成」が2月いっぱいで閉店することになった。雑貨・文房具全3割引セールをやっていて、いつもは静かな店内(だから閉店なのだ)がハイエナで埋め尽くされていた。私もそこにいたわけなのだが。
それでも29年間やっていたらしい。食料品の質はよかったが値も張るので、何かちょっと足りないときにしか使っていなかった。近所の人の話でも皆そういう使い方をしていたらしい。だから閉店になったのだろう。
でもいざ閉店というと寂しいもので、店長になったつもりで店内を見回し、感傷的な気分になってしまった。おそらくこの跡地に別の店が入ることはないだろう。日本のどこでも起こっていることだが、郊外に大きなショッピングモールができており、人の流れはそうやすやすと取り戻せない。
そして今度は山形。先代からずっと毎月雑誌を配達してくれている本屋さんが支店をたたみ、社員を全員解雇して家族だけで営むことにした。そのため配達はこれで最後ですと告げられた。その配達員のおじさんも解雇されることになっており、再就職のあてはないという。
街の本屋さんも大型店舗の開店やインターネット通販の普及で窮地に立たされている。こちらはまだ閉店というわけではないが、何か大切なものを失ったような寂しい気持ちに再び襲われた。
ひるがえってみれば私のお寺は大丈夫だろうかなどと不安になる。スーパーや本屋のように商売ではないからといって安心してはいられまい。戦後世代の宗教離れと葬祭業者の進出はお寺の存在感を薄れさせ、それに過疎化が拍車をかける。
50年後に生き残るお寺として曹洞宗の先鋒・南直哉老師は檀家数が現在1,000件以上あるところか、都市部で土地貸しなどの副収入があるところか、カリスマ住職がいるところしかないという。実際、何百年も続いてきたお寺でも自分の代で終わりだと思っている住職が結構見受けられる。
お寺とて危機感をもって時代についていく努力を怠れば、未来はない。そんなことを強く思わせられた、2つの店じまいだった。

パキスタン

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保育所の娘のクラスにパキスタン人の子どもが入って、迎えに来たお母さんにアッサラームアライクムとか挨拶したらすっかり仲良しになった。ヒンディー語とウルドゥー語は文字こそ違え喋る分にはほとんど同じなので、会話に支障はない。いざとなったら英語。
お父さんは自動車の輸出業をやっていて、ニュージーランドから引っ越してきた。娘と同じ3才の息子と、2才の娘がいる。今は会社で借りているアパートに住んでいるが、そこを会社で使うというので家を探さなければならなくなった。そこで市営住宅の申込を手伝ってほしいと頼まれる。
申請書、源泉徴収票、納税証明書、住民票、給与証明書、貸主からの手紙、保険証の写し、外国人登録カードの写しなど、提出書類がたくさんあって驚いた。結局これで3回も会い、書類の代筆や確認をすることになった。
そして書類がやっと揃って市役所に赴く。2,3質問があったが想定の範囲内。貸主からの手紙は英語で係員には読めない様子だったので、こういうことが書いてあるとだけ説明した。
これで終わったかと思いきや、奥さんの収入または無収入を証明するものがないという。別の窓口で申請してみたら、その時期はつくばにいなかったので証明書が発行できないとのこと。この証明書は、奥さんがつくばに来る前住んでいた江戸川区でもらわないといけない。さあ、困った。
しかしここはお父さん、経験豊富だった。江戸川区に行くなら今日は無理かとあきらめていた私に「私がやるからここで待っててくれ」と立ち向かう。私がいると、係員が私に理解を求めてしまうので、カタコト日本語で押し切るつもりらしい。そして待つこと15分。「私を信じてください」の一点張りでお父さんのネバリ勝ち。さすが。
申請中、日本はこういう手続きが早い、インドでは「カル・アーナ(明日来い)」ばっかりだったという話をしたら、パキスタンもそうだとお父さんも同調。特に裁判の遅さがたいへんで、審理を早くしてほしかったら賄賂、お前ら裁判官だろ!と。それがイヤでパキスタンを出てきたのに、今はパキスタン大使館で同じ思いをしているそうだ。
しかし次の問題が待ち構えていた。空き部屋なし、待機者30名で空く見込みは当分なし。県営住宅の申込書ももらったが、また同じ書類が必要。しかも県営住宅もいっぱい。つくばエクスプレスの開通で人が増えているそうだ。
ここまで絶望したのは、インド=ネパール国境で、千キロ以上離れたプネーまで戻って警察から許可証をもらってこいと言われて以来だ(その場は同行したK氏の賄賂500ルピーで乗り切った)。でも、お父さんはあまりガッカリしていない。この逆境での楽観は、見習いたいものがある。
帰り道、まるで反対方向に行くお父さん。「この辺の道はよく知ってるからドント・ウォーリー」といった5分後、「あれ?道が分からなくなった。」ここは日本かと疑問に思うような体験ばかりで楽しかった。

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