Diary: 2007年3月アーカイブ

先週の金曜日、檀家さんが亡くなった連絡が入って、家族に「じゃ、月曜日にお葬式が終わったら帰ってくるよ」と出てきた山形に、まだいる。

この辺のお葬式はたいてい亡くなって3日目(2日後)というのが普通。今回は3日目が友引だったので月曜日になるだろうと予想していたのだが、もうひとつ罠があった。それはシダミ※。

昔はそんな風習はなかった当地域だが、こういうものは一旦気にし始めるとダメなものらしい。私が「それは一部の地域でしか通用していない迷信だから、葬式をしないというのは全く賛成できない」と繰り返し繰り返し言ったが、聞いてもらえなかった。ああ無力……。

というわけでお葬式は五日目となってしまい、つくばに帰るのが1日遅くなった。家族には「ごめん、シダミだとかいうものだから……」

でもお陰で今日は銀行に行って住宅ローンの相談ができるようになった。時代は最長年で固定金利のプランである。ほかに長井線の新しい時刻表をもらったり、ドコモショップで携帯の充電をしたり。

そんな今日、近くのお寺さんから電話があり、明後日に御詠歌の大会のための練習を水曜日の夜にするという。「明後日というと、水曜日ですね……」ガックリ。

練習が終わってからではもうつくばに帰れないから、帰るのは木曜日になってしまった。家族には「ごめん、御詠歌の練習だとかいうものだから……」今日は長男が目やにで早退したとかでつくばはたいへん。

木曜日に帰ったとして、土曜日には近くのお寺で大般若があるからすぐ戻らなくてはならない。それでも、1週間以上家を空けるよりは2日でも帰ったほうがよい。新幹線やバスで5時間の移動は疲れるので、体力を温存しておきたい。

でもその前に、明日か明後日別の用事ができて、滞在がさらに延びないことを祈るばかりだ。

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※シダミ
死後四日目の葬式(ダミ)を避ける風習。葬儀社に勤める友人によると、シダミの風習は県内でも長井・中央地区と高畠にしかないそうだが、誰かから聞いてだろう、徐々にこちらまで広がってきている。
日々是好日という曹洞宗では、友引も迷信という公式見解を打ち出しており、こうした語呂合わせのタブーを全て否定している。しかしそういう日にお葬式をして、後日何か不幸が続くと「ほれ見ろ、だから言ったんだ」という馬鹿が必ずいるので遺族もつい消極的になってしまう。
最近は気にしない人が増えてきたというが、中にはこういう風習を口実にして、故人に1日でも長く家にいてもらいたいという遺族の思いがあったりするので、なかなか厳しい態度で臨めないのが現状である。

昔の手紙

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庫裏の新築が決まったので、今の庫裏を片付けなければいけない。昨日は第一弾として亡き祖父の部屋の整理を始めた。

不要なものは解体業者が分別するのでそのままにしておいてよいという。したがって必要なものだけを取り出していく作業だが、いつも乱雑にしているツケが回る。本堂の倉庫に続くリアル倉庫番2。

その中から、曽祖父が受け取った手紙が出てきた。大正から昭和初期のものである。

札幌に嫁いだ大叔母が曽祖父に送金をお願いする手紙が胸を打つ。父母を案じ、日々の苦労を愚痴り、お金を無心するこの手紙は生活の苦労をしのばせる。切手は三銭。

「雪を見た時すぐ内地の事を思ひ出しました。事に此の頃はいろいろ見たり聞いたり珍らしい事が有る度びに御父母様の事を思い出し弟達の事を思ひ出されてなりませんです。」

「私は針仕事をして少しづつの家計のたしにして居ります。朝早くから夜十時半十一時頃までやって居ります。(中略)夜は子供を寝かしてからやりますの。だから歯が浮きてしまって奥歯は皆物をかむははなく前でやうやく物を食べて居りますの。それで別に体も悪るくしないで毎日働いて居ります。これも御父母様の御陰と感謝して居ります。」

「いつか前ニ年も立ちましたがジャケツの袖と足袋カバーとをあんで有りましたの。御氣に召さないでせうけれども弟につけてやつて下さいませ。カバーはキノヱにビン止め二ツキノヱに上げて下さいませ。」

「それから私の命にかけてのおねがひで御座居ます。主人にはおこられるから内証で十二月の二十日頃まで間違なく御返し致しますから十円何んとか都合して借して下さる様固く固くおねがひ致します。」

ほかにお寺で酒を飲んで暴れた檀家さんが「私儀酒癖ノ過失ヲ懺悔シ将来ヲ謹慎スル」とした誓約書、寄付で頂いた十円札(大叔母にやったらよかったのに)、近くのお寺から頂いた達筆の手紙など。いずれも貴重な古文書としてファイルした。

今は何事もパソコンですましてしまうので手書きの手紙など滅多に書かないし、豊かになって昔のような生活苦もない。この手紙を見ていて、言葉だけではない感謝の気持ちとか、父母や年長者に対する尊敬の気持ちも、昔と比べるとずいぶん薄くなってしまったのだなぁと、心寒くなった。

檀家総会

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1週間の山形滞在を経て昨日、長女とつくばに帰ってきた。保育所は結局、インフルエンザのため6日中2日しか開かず、ほとんどの時間を子守に費やす。YouTubeでプリキュアをずっと見ている長女のそばで読書。

土曜日は2年ぶりの檀家総会で、34人の檀家さんが集まった。洞松寺の場合、檀家総会は毎年行わず、何か大きな事業がある場合などに臨時で開いている。

今回の議案は庫裏建築。1戸あたり4〜6万円の高額の寄付をお願いすることになったが、小野家が9割を負担することにしていたためか、すんなり承認頂いた。

庫裏は住職とその家族の住まいなので、基本的に全額を住職が負担するべきだと思うが、さまざまな事情や信条から全額を檀家さんに出してもらうお寺もある。そういうお寺がいくつもあることを檀家さんは知っていて、住職(正確に言うと大部分が妻)が自ら9割を負担すると言ったことを喜んで下さったようだ。

ちなみに1割負担の理由は和室。法要のときの控え室にする和室は、建坪の1割を占める。

それにしてもこの経済情勢の厳しい中、すんなり承認頂いたのはありがたいことである。ちょうど今年は、住職になって10年目を迎える。その間大学院の授業に通ったり、インドに留学したりして不在が多かったけれども、今回の承認はこれまでの務めに一定の評価をして頂いたものかもしれない。それとも、「もう行ったり来たりしないで、ここに落ち着け」というメッセージかな?

終わってからの懇親会では長女が大活躍。むさずられたり(※むさずる=山形弁で「からかう」)、背中をたたいたり、こちょこちょされたり、なぞなぞをかけたりして並み居るおじさん・おじいさんたちを悩殺(?)していた。「めんごいなー」(※めんごい=山形弁で「かわいい」)の大合唱。

皆さんが帰られて後片付けをしてから長女と温泉「はぎの湯」へ。お湯につかって頭をからっぽにすると疲れが癒えて、次の気力がわいてくる。本当にたいへんなのはこれからの引越しだ!

長女保育所へ

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昨年から、私が山形に仕事にくるとき長女がついてくるようになった。お目当てはつくばにはないテレビらしい。というわけで今週1週間も長女と一緒に山形で過ごしている。子育てのワークシェアリング。

長女はこの頃『ギャグマンガ日和』にはまっていて、母や祖母の前で「うんこ大好きうんこ丸」とか「松雄芭しょんぼり」とか連呼する。それはそれで、それなりに会話が成り立っているのがおかしい。

とはいえもうすぐ5才になる子が1日中室内にいても退屈して力を持て余してしまうし、お寺の行事があると面倒を見切れないので、保育を申し込むことにした。私の母校(っていうのか?)西根保育園。今は予算取りなどの関係で西根「児童センター」と名前を変えているが、自分と同じ保育所に子どもが入るとは感慨深い。

親子ともつくばに住民票があるので、厳密にはこちらで保育してもらうことはできない。最初に市役所に相談にいったときも、係の人が困っていた。しかしその後、保育士をしている親戚づてに情報を集めているうちに、里帰り出産しているお母さんが上の子を一時保育するケースがあることを知り、その親戚の口添えもあって申し込むことができた。

ちなみに保育所の所長さんは、うちのお寺の総代さんの奥様だったりして、いろいろ話が早い。最初の面接に行ったときはもう委細承知といった感じで申込書をもらうだけ。これが地元でなかったら、お寺のこと、つくばにいる訳を長々と説明しなければならなかっただろう。

というわけで月曜日が初登所。私が年小クラスに通っていたときは、お迎えのバスに乗るのがイヤで毎日泣いていたのを今でも覚えている。しかし長女はすでに0才児から保育所に通い、週末もゲーム会のたびに託児されてきたので、もう慣れたものである。父にバイバイすると、すぐ先生と奥に消えていった。

つくばでは布団・着替え・弁当などをセルフで所定の位置にセットしなければいけないが、こちらは一式を先生に渡して、親は玄関のところで引き返すようになっていた。100人もの子どもが通うつくばの保育所と比べると、非婚少子化で子どもが少ないこちらの保育所はゆとりがあるのかもしれない。

お迎えは存外に早く15時。もっともお寺の場合はだいたいそれぐらいの時間までに用事が終わっていることが多いので問題ない。園児服に付けてもらったピンクの名札がかわいい。山形弁全開の保育所内でも、楽しく遊んできたようでほっとした。

また明日もお願いします、というはずが年長さんのクラスでインフルエンザが流行し、火曜と水曜は全園お休み。火曜は結局、親子共に家にいてYouTubeでプリキュアを見たりしていた。今日はちょっと出かけてこよう。

咳が止まらない

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土曜日に長女を連れてつくばから山形に移動。しかし咳が止まらない。花粉症による喘息だが、かれこれ1ヶ月以上続いていて、咳をするたびにわき腹の筋肉が悲鳴を上げる。

母に赤湯駅まで迎えに来てもらい、アイスクリームをなめる長女を尻目に車中で着替え。そのまま枕経へ直行した。枕経の間、プリキュアグッズを買ってもらって満足気な長女とお寺へ。布団をかぶって寝込むzzz。

しかし翌日のお葬式の都合で法事がひとつ繰り上がり、夜の7時から本堂で読経。『摩訶〜ゲホゲホ、般若波羅密多〜ゲホゲホ、心経〜』みたいな調子でお経の4分の1くらいを参加者に読んでもらうような状態だった。

「花粉症の喘息で、お聞き苦しいところがありました点をお詫び申し上げます。ゲホゲホ。この喘息、夜に出ることもあるのですが、お寺などにおりますと、このまま心臓が止まって、朝冷たくなっていたらどうなるんだろう、などと考えることも、ゲホゲホございます……」などという法話。夜ということも手伝って話していてずいぶんしんみりとする。

そして翌朝。わき腹に貼り薬などしてみたものの、それで咳が止まるわけではない。日曜日の日程は朝8時の出棺から始まって、屋外の祈祷、大般若会、午後の葬儀、終わってからの法事と多彩でハードなスケジュール。急遽、いつもの薬に咳止めの売薬を付け足して出動した。用事がひとつ終わるごとに、あといくつと数えて無事最後まで務められることを祈る。

お経の最中は咳との戦いで本当にぎりぎり。咳が出そうなのを押し殺してお経を読み、やがて負けてゲホゲホ咳き込み、一段落収まったところでお経に復帰するという繰り返しである。特に御詠歌は、どうかこのフレーズが終わるまで咳が出ませんように!と祈る気持ちでのお唱えだった。

5つの行事が終わったときは、よく持ちこたえたものだと自分でも信じられないような気持ちになった。「仏天冥護を垂れ給い」である。そして布団をかぶって寝込むzzz。

今日は朝から御詠歌の講習。夜はもう無理かというくらい咳き込んでいたが、講習中は何とか乗り切った。ほんとうにありがたいことである。長男が最近覚えた喃語「トゥヌトゥヌトゥヌトゥヌ」を合間合間にずっとつぶやいていたのが功を奏したか。

もちろん、仏の加持ばかりを期待しているわけにもいかない。帰りにはちゃんとお医者さんにいって咳止めを頂いてきた。

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