Diary: 2009年8月アーカイブ

カラオケ

コメント(0)

土日に子供たちを外に出せなかったので、日曜の夕方から無理やり外出。夕方から子供と遊べる場所なんてないかなと思ったが、タウンページのジャンル分けで「カラオケ」を見つける。その手があったか!

というわけで、家族で初めてのカラオケ。カラオケブームに学生時代を送ったので、妻も私もカラオケボックスに入るとヘンに血が騒ぐ。

以下、私が歌った曲。コミックソングとアニメ特撮ばかりじゃ!
『あったらこわいセレナーデ』(嘉門達夫)
『あったらこわいセレナーデ2』(嘉門達夫)
『漢字読めるけど書けない』(ダンス☆マン)
『商売繁盛』(?)
『ドラえもんのうた』(東京プリン)
『Justiφ's』(ISSA)
『Round ZERO〜BLADE BRAVE〜』(相川七瀬)
『Journey through the Decade』(Gackt)
『侍戦隊シンケンジャー』(サイキックラバー)
『MOTER MAN(秋葉原〜南浦和)』(SUPER BELL”Z)

子供たちは恥ずかしがって歌おうとしなかったため、夫婦で1時間歌い続けた。長男はシンケンジャーを口ずさんでいたけど、歌詞をずっと目で追っていた長女は帰宅後感想を聞かれて「しょぼかった」。次女は始まるや否や就寝zzz。夫婦だけで楽しんだ感じだ。

帰りはファミレスによるつもりが激混みだったので、回転寿司に行って帰宅。

長男の山形弁

コメント(0)

つくばから引っ越して半年、長男がときどき山形弁を話すようになった。小学校では先生が標準語なので、長女は山形弁を話さないでも済む(女の子は、標準語を話す子が多い)。でも保育園は先生も園児もみんな山形弁なので、自然に身に付くようだ。

これまで「見て?」だったのが「見ろ?」、「ヤだ」が「ヤンだ」、そして極め付けは「♪わーりんだーわーりんだ」(いけないんだ、いけないんだ)。家ではこういうと、私や妻が笑うので元に戻す。そしてまた保育園で1日過ごして帰ってくると、山形弁が出てくる。面白い。

そういう私も3歳で山形に来たので、状況は全く同じだ。大学生だった叔母が、標準語と山形弁が入り混じる私の言葉を、大学のレポートにしたという。

女の子はともかく、男の子で山形弁を話さないのは結構浮く。言葉が違うことによる仲間はずれやいじめもよく聞く話である。

長男よ、ワンパクでもいい。たくましく育ってほしい。でも家の中で白虎刀を振り回す(シンケンジャーの影響)のは危険なので禁止な。

子供ゲームは一通り揃えているが、家の子供たちと一緒に遊ぶことは滅多にない。大人が遊んでいる間、子供たちは勝手に箱を出してコマを並べて遊ぶくらい。それが昨日、小1の長女が『ブロックス3D』を自ら持ってきた。快挙。

今月の初めにあった坐禅会のレクリエーションでボードゲームを遊んだとき、いくつか遊んだ中でこのゲームが気に入ったらしい。ルールもしっかり覚えていた。そばにいた妻と3人でスタート。

L字テンプレートで私が経験者の勝利。片付けようと思ったら今度は高層ビルのテンプレートでしたいという。妻と私がつぶしあっている間に長女が勝利。さらにリクエストでピラミッドのテンプレートも遊んだ。これは妻と私の同点。

『ブロックス3D』は、日本ボードゲーム大賞でゆうもあ賞にも選ばれているが、3ゲーム立て続けに遊んだのは初めてである。1ゲーム20分くらいで1時間。テンプレートが変わるごとにブロックの優先順位も変わるので、頭の切り替えが楽しい。

父親が子供たちに無理やり遊ばせるというのが嫌で、積極的に勧めてこなかったボードゲームだが、3歳の長男も知能がどんどん発達しているし、これから活躍する機会が増えそうだ。そのために、ラインナップをよく吟味しておきたい。

ホール内覧会

コメント(0)

今月から近所にオープンするセレモニーホールの内覧会に招待され、出席してきた。ホールを一通り見学した後は、会場を移しての祝賀会。

市内の葬祭ホールはこれで3件目となったが、今回できあがったのはその中で最も小さい50人程度の小さいホールである。近年、親戚・会社づきあいの希薄化によって葬儀の参列者は減少傾向にあるが、大きいホールで前のほうに少ししか座っていないのは高くつく上に格好が悪い。小さいホールにしたのは、この減少傾向に対応するためのようだ。もっとも、50人くらいなら家でもできないことはない。

近隣の長老のお寺さんの意見に賛同して、自宅かお寺での葬儀を強く推進している私であるが、ホール葬を完全否定するわけではない。駐車場がない場合、会葬者が多い場合、隣組や親戚のお手伝いが期待できない場合、車椅子の参列者がいる場合などは、ホールが必要になる。同じことはこの葬儀社に勤める友人も言っていて、誰にでもホールを勧めるわけではないとのこと。経済格差が広がっている今、実際問題として費用の面もあるし、流行に乗るという理由だけでホールを利用するべきではないと思う。

祝賀会では席次表まで用意されたが、寺院や出入りの業者とともに、年金友の会の方が招待されていて思わず笑ってしまった。お客さん、しかも送るというよりも送られる側である。

しかし笑った後に、我が身を振り返ると、寺院もまたお客さんなのではないかという気がしてきた。檀家さんに紹介するだけではなく、お寺で誰かが亡くなったときはご利用くださいということではないか。曹洞宗は、意地でも本堂で葬儀を行うが、宗派によってはそこまでこだわらない(こだわれない)ところもある。

しかしここで考えを止めてはいけない。この祝賀会に出席している人の全員(当然私も含めて)が、間違いなく100年以内に全員亡くなる。そのとき、我々はこの世に何を残していくのか。そして誰がどこに集まって、どのように送るのか。私が亡くなったとき、子供たちは何を考えるだろう。そんなことを考えて、せつない気持ちになった。

今日は葬儀社の企業努力に、大きな刺激を受けた。聞いても意味の分からないお経を読んでいるだけでは、寺院もこの先もたない。檀家さんのひとりひとりに応じた、きめこまやかな仏教を打ち出さなければならないと思う。そのためには日々勉強を重ねることだ。

紀尾井シンフォニエッタ東京の山形公演が、来月の6日(日)の午後から寒河江市民文化会館で行われる。私は裏方でのお手伝いで、いつもどおりプログラムの原稿作成と、当日の司会をすることになった。

プログラムはモーツァルトのフルート四重奏曲、ホルン五重奏曲、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、そしてチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。私が当初希望していたフォーレかラヴェルのパヴァーヌは(予算の都合で)叶わなかったが、それでも十分魅力的なプログラムである。ベートーヴェンは眠くなるし、ブラームスは落ち着きが悪い私だが、モーツァルトはすごく現代的で楽しい。チャイコフスキーはあのくどさが好き。

その曲解説原稿。プログラムの曲解説は学生時代からやっているが、当時は図書館で調べて書いていた。今はウィキペディアがあるから便利だ。我田引水なところはご容赦を。
-----
モーツァルト:フルート四重奏曲第1番ニ長調 K285
1777年、21歳だったモーツァルトは、仕事を探すためパリに向かいました。その途中、ドイツのマンハイムに立ち寄り、ヨーロッパ有数だった宮廷オーケストラへの就職を希望します。就職はかないませんでしたが、このオーケストラのフルート奏者の紹介で、オランダ商人のフェルディナント・ドゥジャンという人物から作曲を依頼されました。ドゥジャンはフルートが趣味だったので、フルートのための協奏曲を依頼したのです。こうして作曲された3つのフルート四重奏曲のうち、本日演奏されるのはその1番目の曲です。
ちなみにドゥジャンはほかにも何曲か依頼しましたが、モーツァルトは結局作らなかったので、謝礼は半額になってしまったそうです。モーツァルトは、「フルートの音色が嫌いなのに作曲しなければならないのでうんざりしている」と、お父さんに愚痴の手紙を書いています。もっとも、モーツァルトはフルートが出てくる作品をほかにもたくさん作っていますから、依頼者が好きではなかったというだけのことかもしれません。

モーツァルト:ホルン五重奏曲変ホ長調 K407
フルート四重奏曲を作ってから4年後、モーツァルトはパリでの職探しも結局うまくいかず、旅に同行したお母さんが亡くなり、失恋も味わって、故郷ザルツブルグからウィーンに移り住みました。幸いにも、その翌年にアロイジアの妹のコンスタンツェと結婚し、その直後、モーツァルトが26歳で作曲したのが、このホルン五重奏曲です。
この作品は、友人のホルン奏者ヨゼフ・イグナツ・ロイトゲープのために作曲されました。ロイトゲープはザルツブルクでの友人で、この後にも4曲のホルン協奏曲が彼のために作曲されています。この五重奏曲でホルンは独奏が多く、華麗で技巧的に書かれていることから、協奏曲を作る前に、ホルンの演奏技術を試す意味があったとも言われています。ヴィオラが2本使われているところが特徴的で、内声部が充実するとともに、ホルンとヴァイオリンと1対1の掛け合いが鮮明になっています。

モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調 K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
1787年にこの曲を作った31歳のモーツァルトは、『フィガロの結婚』がプラハで大ヒットしたり、大作曲家ハイドンから認められたりするなど知名度を上げていました。15歳年下のベートーヴェンが訪れたという話もあります。
セレナーデとは、バカンスの夜に歓談のBGMとして流れる曲です。モーツァルトがこれまで作曲してきたセレナーデは、ほとんど管楽器によるものでしたが、第13番は一転して弦楽曲になります。また、もともとは5楽章あったのに、第2楽章を意図的に削除したという説もあります。さらに、この曲はモーツァルトの存命中に一度も演奏されなかったと言われています。これらを考え合わせると、この作品は、発表を意図せず実験的に作られたものと考えられます。セレナーデのドイツ語訳「アイネ・クライネ・ナハトムジーク(ある小さな、夜の音楽)」をわざわざ副題に添えている点も、実験的な感じがします。それゆえに、斬新で印象的なメロディが後世に残り、彼の代表作となったのではないでしょうか。
そしてモーツァルトは、この傑作以降もうセレナーデを作曲することなく、4年後に35歳で死去しました。

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48
1880年、40歳でこの曲を書いたチャイコフスキーは、ヨーロッパ周辺を転々と渡り歩き、大作から遠ざかっていました。遡ること3年前、熱烈な求婚を受けて9歳年下のアントニーナと結婚したものの、彼女は夫の仕事に対して全く理解がなく、結婚生活はたちまち破綻。チャイコフスキーは自殺を図るほど強度のノイローゼにかかってしまいます。結局3ヶ月足らずで結婚は解消し、衰弱していたチャイコフスキーは転地療養を余儀なくされたのです。
弦楽セレナーデは、古典派モーツァルトのセレナーデ形式と、基本的な音階であるハ長調が用いられました。チャイコフスキーは、書簡の中で「この曲は強い内的衝動によって書かれ、芸術的な価値に欠けるところはない」と述べています。帝国主義やナショナリズムを謳う作品が多かった当時、チャイコフスキーはあえて普遍的な音楽を目指したようです。
迷ったら初心に帰るというのは、何についても言えることかもしれません。チャイコフスキーは、離婚後10年かけてようやく、交響曲第5番やバレエ「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」などの大作に取り組むことができたのです。

ホール葬

コメント(0)

田舎にも葬祭ホールが次第に増え、わずか数年前は自宅葬が中心だったのが、ホール葬の比率がどんどん高まっている。

そんな中、近隣で長老になるご寺院さんが「やむをえない事情がない限り、自宅かお寺で葬儀を行うように」と呼びかけ始めた。その理由は、自宅には仏壇があり、お寺には本尊があるからだ。ホールにも本尊の掛け軸が下がっているが、あくまで仮に設置されたものであり、明日には取り外されて神棚になっているかもしれない。

仏式の葬儀において亡くなった人は、戒名を授かることで仏縁を結び、仏様の仲間となって、本尊や菩薩の導きによってあの世に赴く。仏壇に安置された本尊や先祖は、受戒式では「三師七証」の証人となり、引導では来迎する役目がある。

今日、枕経に行って遺族に話を伺うと、ホールでということだった。そこでこのように反対申し上げた。

「住職の立場として申し上げますが、やむをえない事情がない限り、自宅かお寺でお願いしたいと思います。自宅には仏壇があり、お寺にはご本尊様があって、先祖代々手を合わせてきました。その仏様の前で、お送りできればよいと思います。それともホールでせざるを得ない事情がありましたら、ご説明頂けますか。」

最後の一言は言葉がきつかったと反省しているが(学会の質問じゃないんだから)、「暑いから」と言っていた遺族も、「1時間だけのことですから」とさらに説得しているうちに、居合わせた近所の方が賛成したこともあって、自宅への変更を了承した。そこに居合わせた葬儀社の方には、遺族とともに私からも一言謝っておいた。

3月からお寺に住んで以来、亡くなってすぐに駆けつけられるようになったため、このように説得する場面が増えてきた。その前は、つくばで連絡を受けてから到着まで半日かかるので、決定を覆すことは無理だった。しかしここまで差し出がましいことをするのは是か非か。

こういう説得は、葬儀社の不興を買うだけならまだしも、遺族の意に沿わないことも多いので、後味のよいものではない。かといって柔らかく勧めるだけではホール葬になびいてしまう。自宅葬、寺院葬の意義を理解してもらいつつ、遺族の心情も考慮してもう少し上手に進められる方法はないものだろうか。あるいは、ホール葬は世の中の流れと、下手に逆らわないほうがよいのだろうか。上山には「ホール葬なら行かない」と強情の和尚さんもいるそうだが、そこまで私は頑なでもない。

ちなみに、ホール葬を行うにやむをえない理由として考えられるものは、冬に積雪のため駐車場がないというくらいしかない。料理やお茶出しのできる家族がいないとしても、お寺ですれば問題はない。また、遺族の前で言うことはないが、自宅かお寺で葬儀をして、祭壇はお寺から借りるのが葬儀費用が一番安い。お寺には椅子もあり、会場費は3万円である。

このアーカイブについて

このページには、2009年8月以降に書かれたブログ記事のうちDiaryカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはDiary: 2009年7月です。

次のアーカイブはDiary: 2009年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Diary: 月別アーカイブ

アーカイブ

リンク用バナー