Diary: 2010年4月アーカイブ

次女の風邪

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保育園に通い始めて3週間目、次女が熱を出してダウン。慣れない環境で疲れがたまっていたのだろうか。長男の保育園でも、お休みしている子供が多いようだ。長男もバスから降りたときと、お風呂に入っているときに吐いた。

自宅で看病するといっても、特に変わったことはない。食後に薬を飲ませれば、あとはひたすら抱っこしているだけである。床に置くとすぐ起きてしまうが、抱っこしていればずっと寝ていてくれる。抱っこしながらでも、手を伸ばせばキーボードは打てる。平日に仕事がほとんどなかったのも幸いした。

週末に妻が帰ってきて看病を引き継ぎ、私は仕事のほかに長男と長女を連れて米沢に外出したりして一息。しかし次女はここで治らなかった。

一昨日の朝は普通に登園したが、帰りにはまた熱が上がっている。2回目のお医者さんでは抗生剤をもらったが、夜はなかなか寝付かない。一方、私は土日の仕事と遊び疲れがたたって、とうとう風邪がうつってしまう。昨日の午後は、座薬を入れた次女と布団でダウン。咳がひどくなり、歯がカタカタ言うほどひどい寒気がして体の節々が痛む。

一晩寝て私は持ち直したものの、次女は相変わらず熱が高い。というわけで今日もまた1日中抱っことおんぶである。

長男は保育園を休まずに回復。インドで生死の境をさまよった長女は、全く元気である。どちらも0歳児のころから保育園に通っているので体の出来が違う。

今日の長男の迎えのとき、長女に見張りをお願いした。帰ってくると次女が部屋を抜け出して階段の降り口に! 何でも、次女に本を読んで聞かせている間に本に熱中してしまい、次女が抜け出したのを気づかなかったらしい。

平日夜はご勘弁

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妻が単身赴任となって2週目、今週は平日夜の外出が多い。月曜日は、保育園の父母の会役員会で19:00〜22:30で資料作り。火曜日は小学校PTAで18:00〜21:00で会議、水曜日は保育園の父母の会の会議で18:00〜19:00。今日はお寺の会議、明日は長女の音楽教室。お寺の会議は懇親会を欠席させていただいた。

日中はお寺の仕事がない限りのんびりしているが、朝起きてから子供たちを送り出すまでの3時間と、子供たちが帰ってから寝るまでの5時間は戦争である。その夕方から夜にかけて私がいなくなることは、致命的なダメージとなる。

私がいない場合、食事の準備、次女の食事、食器の片付け、子供たちの入浴・就寝と母が全部することになる。母はその後さらに祖母の介護があるため、就寝は毎日12時過ぎで、私のように子供たちと一緒に寝てしまうことができない。

月曜日は、次女を母の部屋で寝かせようとしたが、1時間くらい寝付かなかったという。11時過ぎになって、次女はようやく寝付いたところだった。長男と長女はしばらく待っていたようだが、疲れ果ててもう寝ていた。そこで火曜日は次女だけお風呂に入らずおんぶして待っていることにして、私が帰宅してすぐにお風呂に入れた。次女はもう背中で寝入っていたが、風呂に入れられても大人しい。水曜日はさらに早く帰って来られたので、3人とも風呂に入れて早寝できた。早寝できると、翌日の機嫌がすこぶるよい。

というわけで夕方は10分でも早く帰れば、それだけやることがある。会議や作業は致し方ないが、懇親会で酒飲みをしている余裕などない。もっといえば、会議でも無駄話をしている時間すらもったいない。

懇親会で管を巻いているお父さんたちには内心、「今、この時間に子供を見ているのは誰だ? 奥さんやお母さんに任せて、よくのんびり飲んでられるな!」と言ってやりたい。でも、本当にそんなことを言ったら角が立つので、せめて私の欠席を許して頂きたいと思う、主夫の私である。

結婚10年目

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昨日の夜に珍しく寝付かれなくてここ10年のことを振り返っていた。実は結婚してもう10年目を迎えている。

妻が就職した2001年3月に結婚してつくばに引越し、2002年4月に長女が生まれた。このとき私は住職になって3〜4年目で、大学院にもまだ通っていた。よく授業や読書会など出られたものだと今になって思う。

山形・つくば・東京を行ったり来たりする生活にピリオドを打つべく、2003年9月にインド留学。長女はまだ1歳半である。2〜3ヶ月おきに帰国していたが、第一次反抗期を迎えた長女に手を焼きながら、妻は私を死んだものと思って仕事を続けたという。

完全帰国が2年後の2005年。そして翌2006年1月に長男が誕生する。そこからは住職兼主夫として山形とつくばを往復する生活に戻った。学籍を抜いたので大学には行かなくなったが、代わりに秋葉原にちょくちょく通ったので(笑)、行ったり来たりする生活にピリオドは打たれなかった。育児を分担するべく、長女を山形によく連れて帰ったので、新幹線は飽きたと長女はいう。

8年間にわたる往復生活が終わった直接の原因は、2009年4月の長女の入学である。かねてより妻も私も、子供はつくばでなく山形(長井)で育てたいと考えていた。つくばのお勉強熱に辟易していたというのもあるが、実際問題私がすぐいなくなるのでは、下校してくる長女を迎える人がいない。いわゆる「小1の壁」というものである。

長男も地元の保育園に通える年齢となっていた。しかし、環境ががらりと変わった上に母親まで離れ離れになるのはつらい。そう思っていた頃、2009年2月に次女が誕生(作ったというべきか)。妻は育児休業を兼ねて、山形に1年間滞在することになった。この点で上の2人(と私)は母親を山形に留めた次女に感謝しなければならない。

山形で家族一緒に過ごす1年間は夢のように瞬く間に過ぎた。遠方の友人が遊びに来たり、裏磐梯のペンションに泊まったり、妻はこの間に韓国や熊本まで出かけた。最初で最後のチャンスではないかと思われる。

そして今月から妻は平日につくばで仕事をし、土日に山形で過ごす生活が始まった。次女が小学校を卒業するくらいまであと10年は、今のような生活が続くだろう。

このように、昨年1年間を除いて、妻とはしょっちゅう離れ離れの生活でやってきた。結婚当初から予想されていたことなので、結婚式でよく聞かれる「明るい家庭」というフレーズは自分には空々しかったが、実際はそんなに悪くない。久しぶりに懐かしい友達に会うような新鮮さがあるからである。これからもそんな風にときめき続けられたら幸せである。

運転手

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今日は特に仕事がなかったが、家族の送り迎えで1日中車を運転していた。まるでタクシーの運転手みたいだ。

8:15 次女を保育園まで送り、帰宅*
8:40 デイサービスに行く祖母を見送り
8:50 長男をバス乗り場まで送り
9:30 アリファーさんを米沢駅まで送り、帰宅*
13;30 長男がバス乗り場に迎え
13:45 母を近くのお寺まで送り*
15:00 次女を保育園まで迎え、帰宅*
15:20 長女帰宅。次女におやつを食べさせる
15:40 長女を音楽教室まで送り*
16:10 母をお寺に迎え、帰宅*
16:40 デイサービスから帰宅する祖母を迎え
17:00 長女を音楽教室に迎え、帰宅*
19:20 妻を駅まで迎え、帰宅(これから)*

*印が車での出動。つごう6往復したことになる。いずれも往復20分くらいで空き時間もずいぶんあったが、細切れだった。このスケジュールは車を乗りながら考えた部分もあるが、パズルのようでなかなか楽しい。ちょっとでもヘマしたらアウトという緊張感は頂けないが。

今週は初めて、妻なしで子供3人を見た平日だったが、お葬式やホームステイ受け入れもあったにも関わらず、割と難なく乗り切ったと思う。綱渡り感はあるが、思っていたほど気合を入れることもなかった。母が次女をよく見てくれているのと、子供たちが風邪を引かず、夜泣きもほとんどせずによく頑張ったのが大きい。長女などは、毎朝6時に起きて自主的に通信教育の課題をこなし、朝のテレビ体操をするという日課を続けた。おいおい、受験生じゃないんだから。

来週からは通常保育となり、お迎えも遅くなるからずっと楽になるだろう。この調子で来週もいきたい。

これから妻のお迎え。4日ぶりに会う子供たちがどんな顔をするか楽しみである。

ホームステイ

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結婚直後から入っている外国語サークルの紹介で、我が家に3泊4日、アリファーさんというマレーシア人の女性がホームステイすることになった。

つくばでは私が仕事で急にいなくなるため、ホームステイを受け入れたことがなかったが、山形では実は受け入れ経験が豊富。というのも叔母が学生時代からよくドイツ人を連れてきていたからだ。昨年も全く日本語の分からない従兄弟が半月も滞在していた。

とはいえ、今回は妻がつくばに行き、初めて子供を3人とも見る中でのホームステイだったため、不安な面もあった。妻は電話でしゃべっただけで、顔を合わせていない。

開始時刻を早めてもらった葬儀を終え、至急帰宅して着替え。長女と長男を連れて米沢駅に向かう。駅に着いたときちょうど新幹線が入ってきた。子連れのお坊さんが迎えに来たとあっては、日本人だって緊張するだろう。アリファーさんもずいぶん緊張していらしたが、車中で(英語で)いろいろしゃべっているうちにだいぶ打ち解けた。

イスラム教徒で、牛と豚はダメということだったので、帰りにスーパーでエビや魚を買って帰ってきた。初日の夕食はタラのフライにエビのカレー粉炒め。食事準備中は意外に長女も長男もなついて、部屋に行っておもちゃやカルタなど見せている。でも次女は見ただけで大泣き。

2日目は午後から、長女と長男を連れて山形市内へ。美術を勉強しているということだったので山形県美術館に行った。学校長名で写真撮影許可のお願いを持ってきていたので、それを渡すと撮影OKに。本物のモネの絵の前で記念撮影するのは初めてである。

その後、すぐ目の前にある霞城公園を散策。初めて行ったが、お城の堀を新幹線が走っていて面白かった。桜が咲いてもっと温かくなれば最高の眺めだろう。

電器店で携帯の充電器を買い、回転すし屋で茶碗むしなどを食べて帰宅。

3日目は朝、長女の小学校を訪問した。予めお願いしておいたところ、6年生の授業を1時間空けて頂き、アリファーさんの自己紹介、マレーシアの話、質問コーナーなどを楽しんだ。私は通訳。こんなところでエッセンの経験が生きるとは思わなかった。子供たちはアリファーさんが6人きょうだいというところと、マレーシアの東にあるジャングルにはワニがいるという話で興奮していた。

夜はもう1人のマレーシア人を受け入れてしている米沢の家族がいらっしゃって、総勢12名で会食。8人がけのダイニングテーブルと、今月買ったばかりの3人がけのソファーがフル活躍したのが嬉しい。

そして4日目の今日、また米沢駅まで送ってお別れ。帰りに感想を書いてもらったのだが、くつろいで楽しんでくれたようだ。1年中30度の国から来て、1度なんていうときもあったからしきりに寒がっていたけれども。

First of all thank you to Ono family for taking good care of me. They are such a happy family and they entertain me very good. Besides, they also prepared very good and delicious meals everyday for me. The family members are very friendly and polite with me.

今日は分散してホームステイしていた一行が集まり、東京タワー、秋葉原、浅草を回って、夜行バスで大阪に行き、ユニバーサルスタジオに行った後、帰国前にディズニーランドに行く予定だという。若いとはいえ、何という強行日程&節約ぶり。

妻なしで若い女性を受け入れるというので心配な面もあったが、子供たちがなついてくれたのと、母が可愛い可愛いと世話をしてくれた(一緒にお墓参りまで行った)のとで、リラックスして過ごしてもらえたのがよかった。「ファ」の発音ができない祖母も、「アリババ」さんと呼んで親しんでいた。私も、マレー語のあいさつを習ったりして見識を広められた。東京からだと遠いけれども、また受け入れしたい(国内ホームステイも歓迎)。

急に慌しい平日

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いよいよ妻の単身赴任が始まった。これから当分の間、月曜の朝から金曜の夜まで、妻なしで過ごさなければならない。山形から茨城までは5時間。妻も月曜と金曜に半日しか働けない分、火曜日から木曜日の3日間で取り返すのはたいへんなようだ。

月曜日は長男の保育園の入園式と次女のならし保育。長男は近所に通うが、次女はまだ1歳なので少し離れた別のところに通う。まず次女を車で送って、そのまま長男の保育園へ。役員なので駐車場整理をしたり、総会で自己紹介したり。妻は途中で抜けて次女を迎えに行ってきた(今週の月曜日の仕事は休み)。

帰宅して作った最後の昼食は、昨日トイザらスでもらってきた男の育児マガジンの「スペイン風オムレツ」に、パンとココアだった。手軽でなかなかいける。それから長女と一緒に妻を送って駅へ。遠ざかっていく長井線で手を振り続ける妻を見送る。

午後3時からは保育園の役員引継ぎ。4時から懇親会だったが、乾杯したらすぐにお帰り。デイサービスに行っている祖母を、お医者さんに連れて行くというタスクがあった。祖母の付き添いをして、薬をもらって、車椅子に乗せて帰ってきたのは5時半。でも今日はここで終わらない。

急いで着替えをして、6時から入棺と通夜。ここまで慌しかったので、喪家の前で車を降りたら気を落ち着かせてゆっくり歩く。切り替えが肝心だ。

通夜では遺族の方々と話し込んでしまって、気がつけば8時半。家から電話がかかってきて、子供たちがぐずっているから帰ってこいという連絡だった。お暇を申し上げて帰宅し、すぐに子供たちを風呂に入れて寝せる。

子供たちが寝たら起きて一仕事でもしようと思ったが、気がつけば朝だった。

母に次女の朝ごはんを食べさせる係をお願いし、朝のお勤めをして、長女と一緒に次女を保育園に送りに行く。帰ってきてすぐに出棺と火葬。火葬場から直接次女のお迎え。住職とパパを激しく行き来する。

帰ってから葬儀の最後の準備をして、昼食をほおばり葬儀へ。これだけ切り替えの激しい中だったにもかかわらず、よい葬儀を執り行うことができた。気力は充実しているようだ。でも今日もここで終わらない。

帰宅して急いで着替え、長女と長男を連れて米沢へ。今日からマレーシア人が3泊4日でホームステイするのである。駅に着いたらちょうど新幹線が到着したところだった。

途中で買い物をして帰宅。イスラム教徒ということもあって肉はチキンのみ、卵かシーフード希望だった。マレーシア産のエビを買う。マレー語も、サンスクリット起源の言葉があって面白い(夫がスワーミーで妻がイストリー)。

マレーシア人の名前はアリファーさん。インターナショナルスクールの修学旅行のようなものらしい。日本語は話せないが、上の子2人が滅法なついて、今2階で一緒に遊んでいる。

今日は久しぶりにないもない日曜日だった。ゲーム会でも入れようかと思ったが、今週はハードな1週間になりそうなのでセーブモード。

朝ゆっくり起きて子供たちと仮面ライダーダブルを見て、1時間ほど原稿を書いてから、部屋のお掃除。布団を干したり雑巾がけをしたり。

午後からは子供たちの自転車練習を見ながら、はしごに登って雨樋の取り付け。冬は雪の重みで壊れてしまうため、いちいち付け外ししないといけない。

終わって妻の荷物をコンビニから送って、子供たちと山形市内のショッピングセンターへお買い物。春休み最後の日曜とあって駐車場はほぼ満車だった。

妻が買い物をしている間、次女を乗せたベビーカーを引きながら長男とトイザらスをチェック。1時間ほどあったが、知育玩具、ダブル&ゴセイジャー、ボードゲーム、シルバニア、ガシャポン、ガンバライドと見て回った。一切買わなかったが、私自身好きなのでどの売り場でも全く飽きない。

それからおやつを食べて休憩した後、子供たちを妻に任せてささっと夕食の買出しへ。長女は本屋、長男はゲームセンター。駄菓子だけ買って帰路につく。帰宅して食事の準備(といっても並べて出すだけの簡単なものだが)。終わって布団を敷いて、風呂場の妻に次女を渡して、入浴中にミルクを作って、あがったら服を着せる。

みんなが寝室に入ってから、明後日のお葬式の書き物。先ほど終わって風呂に入ったところ。自己採点だが満点パパな1日だったと思う。

明日から妻が単身赴任でつくばへ行き、子供3人は私が山形で見る。その前日となる今日、水入らずでゆっくりできたのでよかった。今朝、夢に妻が出てきた。電話先で泣き出したので(なぜか)新松戸駅まで迎えに行くという夢。私の無意識の心境を物語っているような気がする。

明日は長男の保育園で進級式、次女はならし保育の1日目で午前帰り。明後日は長女の始業式がある。そこにお葬式が入り、さらに3泊4日でマレーシア人がホームステイに来る。妻は明日の午後から不在。いったいどんな平日になることやら。

お寺が忙しくなかったこともあって、思ったよりずっと楽に過ごすことができた。母が料理と子守をしてくれるので、食事をあげて風呂に入れるだけである。

心配された夜は、初日こそ家中に響き渡る泣き声で1時間近く泣いたが、2日目以降は夜中に1,2回、布団からはみ出して起きるくらい。フガフガいっているがすぐまた寝る。

寝つきもよい。風呂上りにミルクを200cc飲ませると、飲み終わる頃には意識がほとんどなくなっており、そのまま布団に寝かせてすぐ、もう一仕事できるほどだった。夜中起きなかったのも、このミルクのおかげだろう。

その代わり大量に食べるようになった。ごはんを茶碗一杯、おかず、バナナ1本をぺろりと平らげる。足りなかったり、食べたくないものを出されるとキーキー怒る。5日だけで結構太ったんじゃないかと思う。

食べ終われば機嫌がよくなって床で遊んでいるので、大人はゆっくり食事ができる。つくばではちゃぶ台だったので、子供が引っ掻き回さないよう、立って食べていた時期もあったのと比べれば快適である。

「上手」というと拍手をして、「ねんね」というと寝転がるという芸を覚えた。言葉は「バ(ナナ)」と「アンパ(ンマン)」だけ。3秒くらいつかまらないで立っていられるが、まだ歩けない。ハイハイのスピードは日増しに上がっているので、目を離した隙に玄関や階段に行かないよう注意していないといけない。

明日はそんな次女の入園式。今日、妻・長女・長男が帰ってきて5日ぶりに家族が揃う。

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