Diary: 2013年8月アーカイブ

送り盆

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今年のお盆は、法事が滅法少なかった。以前は8月14日(迎え盆の次の日)が1年で最も法事の多い日で、早朝から1時間刻みで回っていたものだが、今年は朝の1件だけ。おかげで棚経をゆっくり回ることができた。

棚経で回っていると、檀家さんから「お盆だから忙しいでしょう」とよく言われるので、近年はお盆中の法事が少ないという話をして、原因を一緒に考えてもらった。

  • お盆休みがなくなって、お盆は働き、それ以外に夏休みを取るようになったのでは?ー伺ってみると、お盆休みはしっかり取っているという方が多い。この推察は当てはまらないようだ。
  • お盆は夏祭りの準備やあいさつ回りで忙しいから?ー近年は、親戚が泊りがけで滞在するお家が少なくなり、お盆礼もあまりゆっくりせず帰ってしまう。夏祭り準備は確かにたいへんだが、以前からあったこと。
  • お盆中は暑いので、お墓参りやその後の食事のことを考えて避けている?ーO157騒動のとき、食中毒を心配して夏場の法事が少なくなったことがあったが、一時的なものだった。参列者の高齢化が進んでいるので、お墓参りで熱中症になる心配は確かにあるが、それだけで法事をずらすとは考えられない(年配の方には、お墓に行かないで留守番していてもらうという選択肢もある)。
  • 東日本大震災以降、不景気か、多忙かの両極端になっているー不景気だと法事を行う資金繰りがつかない可能性があり、多忙だとそこまで気が回らない。

ほかのご寺院さんにも伺ってみたところ、同じような傾向があったがはっきりした原因は分からない。ちなみに近年、法事が最も多いのは4月末のゴールデンウィーク前半である。

さてお盆の行事でよく訊かれるのは、「送り盆は何日か?」ということである。暦には8月16日となっているが、近隣では15日に家の前で、薪に火を付けて送るところが多い。

『仏説盂蘭盆経』ではお盆の供養日は7月15日と定められているが、太陽暦になってからも7月15日のまま行う地域と、1ヶ月遅らせて(太陽暦は太陰暦より約1ヶ月遅い)8月15日にするところに分かれた。このほか地域によって、1日(釜蓋朔日)、7日(七日盆)、20日(二十日盆)、24日(地蔵盆)に行事を行うところもある。広義では1日から24日がお盆の期間ということになるだろうが、狭義では13日からの3日間か、14日からの2日間がお盆の期間である。いずれにしても、15日が中心となる。

問題は、15日に供養をした後、いつ送り出すかである。江戸時代に「十六日夕に送り火をたく」という記述がある(『越後国長岡領風俗問状答』)。十六日といっても、日付が変わってすぐというところから、未明、夕方、夜というところまである。ところが、精霊流しは15日の夕方に行うのが有名。

15日か16日か、この謎について調べたところ、次のようなサイトを見つけた。

そして、いよいよ満月です。暦は、十五日か十六日。月の満ち欠けの周期、「朔望周期」は、29.5日。この割り切れないことと、ついたち「朔」の日の決め方のせいで、満月は必ずしも十五日にはなりません。十五日満月と十六日満月になる確率は約半分だといわれています。
武蔵屋マニアックレポート:送り盆の日にち

昔は、月の満ち欠けを見て行事を行っていた。太陰暦では、1日に新月、7日か8日に上弦の半月、15日か16日に満月、22日か23日に下弦の半月となる。送り盆を満月の夜にしようとすると、15日であったり、16日であったりすることが地域によってずれる元になったという。

そうだとすれば、お盆の行事は暦を見て行い、送り盆は月を見て行ったということになる。基準が別なのである。

このようなわけであるから、15日と16日のどちらが正しくて、どちらが間違っているということはできない。ましてや太陽暦では、月の満ち欠けと全く関係ないので、各地域、各家庭の決めようだということになる。檀家さんに訊かれれば「お宅で今までやっている通りで結構です」と答えるようにしている。

ちなみに私のお寺では、迎え盆はするが送り盆は以前から行っていない。追い出すようなことをしたくないからなのか、忙しいからなのか、それとも単なるずぼらなのかは分からないが、精霊たちがそのままお寺に留まってくれても結構である。
(参考:蒲池勢至『お盆のはなし』)

曹洞宗では平成22年から2年間にわたって、僧侶・寺族の研修会で手紙・口頭による相談の模擬体験を行った。死にたいという人に、どのような言葉をかけるべきか、どのような態度で接するべきかを実践的に学ぶ研修で、私自身も参加してたいへん勉強になった。

その総括パネルディスカッションが曹洞宗報6月号に掲載されており、興味深く読んだ。「僧侶はカウンセラーではないのに、カウンセラー養成のようなことをなぜやるのか」、「従来のように、宗旨や法式について研修するほうが大事ではないか」、「寺院運営についての講義のほうが大事ではないのか」などといった疑問に丁寧に答え、「活かし方が分からない」、「力不足で悩みに対応できない」、「忙しくて檀信徒と話をする時間がない」といった不安に励ましを与え、今後、組織的な実践について展望している。

お葬式のときに時間がないからといって一言も言わないで帰る僧侶に、「お悔やみの気持ちを表すことだったら三十秒でできるでしょう」といった方がいるそうだ。この研修は、悩み事相談のノウハウを教えてもらうより、普段からの檀信徒との接し方、ひいては僧侶としてのあり方を考えることを目指しているという意見はたいへん感銘を受けた。法事の申し込みを受けるときでも、日程調整のほかに一言、檀家さんに言葉をかけられれば、法事がより意義深いものになるのだと。

翻って反省すれば、出かける直前や葬儀の準備中、家事で取り込み中などに檀家さんがお見えになると、「お茶どうぞ」の一言を出せないことがある。そんなときはきっと、顔も強張って、眉間にしわを寄せたような顔になっているかもしれない。檀家さんは用件だけ済ませてさっさと帰ってしまい、私は檀家さんのこころに向き合うという貴重な機会を失う。私自身のこころに余裕が足りないのだろう。簡素な暮らしを心がけていきたいところだ。

葬儀社懇談会

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祖母の葬儀でお世話になった葬儀社さんと懇談会を行った。葬儀が終わって、社員の方が集金にいらっしゃったときにあれこれ話し込んで、寺院と葬儀社がもっと双方向的なコミュニケーションを取っておく必要があるのではないかという話になったのがきっかけである。

首都圏のように、葬儀社専属の僧侶という方はまだいないようだが、葬儀社の存在感は確実に高まっている。亡くなって遺族が最初に連絡するのは葬儀社であり、寺院に連絡が来るのは遺体を搬送して、枕飾りをしてからだ。ホール葬が一般的となり、「葬儀はできるだけ自宅かお寺で」と呼びかけていた7,8年前とはもはや隔世の感がある。

そのような状況で、葬儀社が寺院の領域を侵したり、寺院が無理にイニシアチブを取ろうとして混乱したりするというケースも見られるようになってきた。よい葬儀にするには、葬儀社と寺院の協力が不可欠である。

葬儀社がよく困るのは、準備するものや次第が寺院によって大きく異なるということだという。たとえ同じ宗派でも、地域や住職の考え方によって葬儀はがらりと変わる。お客様である遺族に対応しつつ、寺院のそれぞれのやり方に細かく対応するのは骨の折れることだろう。それでも葬儀社は、よい葬儀になるように努めて対応している。寺院としても、葬儀社に要求するばかりでなく、自ら為すべきことがあるように思う。

今回の懇談会は、双方向的になるようにテーブルをロの字に並べ、他宗のお寺さんにも参加頂いて、予め葬儀社の社員さんがアンケートを取ってきた疑問点に答えるかたちで行った。葬儀社から次のような質問が出された。

  • 寺院には深夜何時ころまで、早朝何時ころから連絡をしてよいか
  • 葬儀社が提供している食事の評判はどうか
  • 享年の計算で、誕生日にかかわらず満年齢+1という方がいるがそれは正しいのか
  • 食事のお膳と、食事料のどちらがよいか
  • 戒名掛け軸(小国町を除く山形県置賜地方の風習)はあまり作らないほうがよいのか
  • 喪家で仏壇の扉は開けておくか、閉めるか
  • 家の過去帳に別の家の人の名前を載せてよいか
  • 思い出ビデオの上映の是非
  • 納骨のとき骨瓶を使うか、お墓の中に空けるか

多くの質問は、一般檀家さんからもよく聞かれることで、市の仏教会や近隣の寺院会で話題になることばかりである。いずれも正解・不正解がはっきり決まることではないことに注意を喚起しつつ、私なりの考え方で答えさせて頂いた(数え年≠満年齢+1ということは間違いないと思うが)。結局、住職によって考え方は異なるとはいえ、その背景を理解すればうまく応用して対応できると思う。

話し合いの中で、葬儀は仏式とはいえ儒教や神道などのさまざまな要素から成り立っていることに話が及んだ。それゆえにひとつひとつの行事をさまざまに捉えることができ、正統・異端という区別ができない。仏教以外の要素を許さない原理主義は狭量だし、そもそも、仏教自体が時代と地域によって大きく変容しているという事情もある。

私自身多くの知見を得ることができ、ためになる懇談会だった。葬儀は、参列者が生と死を静かに思う場であり、寺院にとっては仏教を伝える大事な機会となる。よりよい葬儀を目指して、今後も定期的に双方向的なコミュニケーションを図っていきたい。

富士登山

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昨年、高校の同窓会の二次会で、たまたま同じ席に座った5人で、なぜか富士山に登ろうという話になった。1人とは1年生のとき同じクラスだったが、卒業して20年、ぎりぎり名前を覚えていたくらいの間柄である。私が恐山の話をしているときに、富士山の話になって、この5人で登ってみようということに。まだ世界遺産に登録される前の話である。

最初は飲み会の冗談だと半ば思っていたが、終わってからメールが来て本格的な打ち合わせが始まる。山開きはいつか、どのルートから登るのが適当か......かっこいいと思ったのは、現地集合、現地解散というコンセプトである。集合時刻に、集合場所で初めて会う。ほかの仲間は来ないかもしれないという疑念を払って、友情を信じて待つ。みんな山形から行くわけだから、道中一緒になる可能性が高い。でも、たとえ同じ新幹線やバスに乗っていても、一切声をかけない、目も合わせないという。

年が明けて、登山日を8月の最初の土日に決定。お寺の仕事を入れないようにして臨んだ。そのうち世界遺産への登録や、それに伴う登山客の急増、入山料の徴収など、富士山関連のニュースに興味をもって目を通した。たまたま檀家さんで7月に富士山に登るという方がいらっしゃったので計画を詳しく伺う。全くといっていいほど興味がなかった富士山が、どんどん身近なものになっていく。

さて7月に入ったが、一向に詳細を詰める様子がなかったので、自分であれこれ調べたり、予約したりすることにした。交通手段は山形新幹線で大宮、大宮から埼京線で新宿、新宿からバスで登山口まで直行できる。しかし、登山道具一式を富士急ハイランド駅前の「LaMont(ラモント)」でレンタルすることにしたため、新宿から富士急ハイランドまで直行バスで行き、1駅となりの富士山駅からバスに乗ることにした。レンタル用品は自宅直送もできたが、お店で受け取って着替えれば、道中は完全な普段着でいける。

また、「弾丸登山」にならないよう富士スバルライン五合目の山小屋に宿泊を申し込み。もうすでにいっぱいだったが、2日前にキャンセル待ちが通った。また、「ご来光」を見るため徹夜の登山になるので、帰りはレンタル用品を返却した後すぐ、富士急ハイランドに一泊することにした。

その宿にシングルルームがなかったことから、ふと妻を誘うことを思いつく。誘ってみたら、周りの留学生がたくさん富士山に登ったことがあるのに、日本人として登ったことがないのは気になっていたと乗り気。しかも登山日の前日と週明けは東京で仕事なので極めて都合がよい。そこで急遽、妻も参加することになった。夫婦だけで遠出するのは、結婚12年で初めてである。

集合時間は土曜日の午後10時、富士スバルライン五合目の小御嶽神社入り口である。子供たちを母に任せて、山形を8時に出発し、新宿で妻と待ち合わせをし、登山道具を借りて18時に五合目に着き、仮眠をとる。富士山はなかなか遠い。

10時の待ち合わせには、高校の友人が約束通り現れた。妻を紹介し、張り切って出発する。高校の友人も、登山者の何%が途中で脱落するかとか、50分に10分くらいのペースで休憩するとよいとか、いろいろ情報を仕入れてきている。

しかし最初の休憩は15分後。思ったよりも登りがきつくて、すぐ息が上がる。このために今年バレーボールを始めたり、毎朝ラジオ体操をしたりして体力向上に努めてきたが、生半可なものではなかった。しかも6合目より7合目、7合目より8合目と勾配は急になり、険しい岩場も多くなる。友人たちは無口になり、やがてそれぞれのペースで登ったほうがよいと離散。妻と2人だけで登ることになった。

7合目くらいからランナーズ・ハイというのか、調子がよくなって楽しくなってきたが、それも8合目くらいまで。気温が5度くらいまで下がると、寒いし眠いし、膝が痛いしで、よろよろと登っていく。幸い、大勢の登山者がいて渋滞したおかげで、かえってゆっくり登れたのが幸いだった。妻は足が痛いといいつつ、人混みの隙間を縫うようにすいすい登っていた。私は付いていくのが精一杯。

途中には山小屋があり、そこで食べ物や飲み物も販売されている。値段は上になるほど高いのだが、8合目で寒さに負けてトモエ館というところで味噌汁と甘酒を頂く(ともに400円)。味噌汁はインスタントではなく、甘酒は酒粕が入っていて体が温まった。携帯酸素も一応吸ってみたが、心配していた高山病にはならず。

ご来光

山頂到着は計算通り、日の出時刻の4時50分だった。出発してから休憩を入れて6時間40分である。9合目くらいから登山道は超満員で、係員が拡声器で誘導していた。山頂の初日の出「ご来光」を拝んで、神社にもお参りし、友人や妻と健闘をたたえ合って、温かいコーンスープ(400円)とお汁粉(600円)を頂く。缶とインスタントとは思えない美味しさ!

しかし登山は登って終わりではない。むしろ辛いのは疲労がたまった中での下山である。お鉢巡りはもう無理という妻と共に、下山道を降りたが膝が痛くて、ストックを松葉杖のようにして休みながら歩いた。所要時間4時間30分。友人たちも無事。

富士登山がどれくらいきついかなど想像したこともなかったが、本当にたいへんだった。登山道はよく整備されていても、所要時間が長く、疲労が蓄積する。弾丸登山は論外だが、8合目の山小屋に泊まって、体力を回復させてから登るという方法もあることを知った。きつい登山だったが、友人と妻のお陰で乗りきれたことを感謝している。

9月にまた高校の同窓会が行われる。そこで富士登山を振り返るのも楽しみだ。

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