Diary: 2014年2月アーカイブ

スマホ中毒

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周囲はすっかりスマホ。電車に乗っていると、だいたい6割はスマホをいじっている。これは確かに「21世紀のアヘン」である。我が家では妻だけスマホを使っていて、私と母はガラケーである。インターネットはPCでやっており、携帯でメールを打つのは電話が繋がらないときにショートメールで1行程度。

スマホのよくないところは、リアルな会話をなくしてしまうところにある。せっかくそこに人がいるのに、話をしないでスマホに熱中しているのはもったいない。事故があったりしてその人とはもう会えないかもしれないのに。

お寺によくいらっしゃるのが年配の方のせいだろうか、あるいは数多くの葬儀に出ているせいだろうか、別れ際に「この人と、また会うことはできるのだろうか」と思うことがよくある。家族でさえ、「亡くなる前最後に会ったのは○ヶ月前」なんてこともある。

昨日の人は今日はなく 会えば別るる世のならい 夜半のあらしに散る花の もろきは人の命なり

生きているうちにたくさんの人と会っておきたいと思う。

中毒になったらこれ、ソーシャルメディアガードです。コカコーラ提供。

主体性

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共働きが増えてイクメンが一般化し、夫への要求レベルは相対的に上がっている。夫がどれだけ家事や育児をしても、妻の愛情を一瞬にして憎悪に変える発言をしてしまうことがある。
「俺は積極的に育児に参加している」
「俺は家事を手伝うほうだ」
主語の「俺」を「妻」に置き換えると、いかに主体性に乏しいかが分かる。(アエラ14.2.24)

何をするか、どれくらいするかよりも、主体性があるかが大切という話をちょうどこの前、妻としたところだった。あとは慣れ。うまく段取りできるようになるまで、大目に見てもらうことも必要だと思う。

「修行とは、ならしめることである(भावयतीति भावना)」

現在の伽藍は、1746年に再建されたものだが、それ以前、草岡村と、となりの勧進代村との村境にあった。その村境争いにまきこまれて火災にあったといわれている(下記リンク)。

昨日総代さんから伺ったところによると、この村境はその後もずっと曖昧なままになっていて、昨年ようやく、関係者立ち会いのもと、杭を打って確定したという。250年以上も経ってからの解決とは、歴史的な出来事ではないだろうか。

洞松寺の歴史は約550年。そのうち前の場所にあったのが300年で、今の場所に移ってから250年となる。前の300年のうちに11名が、後の250年のうちに22名が住職をしている。後の250年は平均で1人あたり10年ちょっとしか住職をしていないわけで、住職歴15年になる私は平均を超えたことになる。

洞松寺外伝

子どもが通っている小学校の保健だよりに、「東北大学教授・医学博士川島隆太先生によると、テレビやゲームをしているときは、前頭前野をあまり使っていないことが分かりました。テレビやゲームを遊ぶ時間が長いと、前頭前野がなまけてよく働かなくなるかもしれないので注意しましょう」と書いてあった。ゲームをやり過ぎて、ちょっとしたことですぐ怒る・キレる、勉強や読書に集中できない、インターネットやメールなどで人が傷つく言葉を書くことがある・または書いてもなんとも思わない、やる気がなくぼーっとしていることが多い、物忘れや忘れ物が多い、片付けるのが苦手で机の上や部屋が片付かないなんてことがありませんか?などと書いてある。こんなに悪者扱いしなくてよいのではないか。

川島隆太『脳を育て、夢をかなえる』を読むと、確かにゲーム中に前頭前野はほとんど働かないことが書かれているが、それは「頭を休めているのかもしれない」という。同書では、前頭前野が休んでいるケースとして、音楽を聴く、マンガを読む、ゲームをするの3つが挙げられており、決して否定的に捉えられてはいない。「まんがやゲームも、うまくつかいさえすれば、前頭前野にとって、たのもしい味方になるのです。」

「頭を休めている」から「なまけてよく働かなくなる」は拡大解釈であろう。仕事の合間に休憩しているのを見て、「あまり休んでいると怠け者になるぞ」といっているようなものである。そんなことをいわれながら休憩するのでは、休憩にならない。休むときは休み、遊ぶときは遊び、勉強するときは勉強する、メリハリが大切だと思う。

すぐ怒る、集中できない、やる気が出ない、忘れ物が多いなども、逆にきちんと頭を休めていないから起こる可能性も考えられる。だとしたら、結論は「もっとゲームなどをして頭を休めましょう、勉強はそれからしたほうが能率が上がります」ということになる。

そんなことを言いたいわけではない。私の意見は、ゲームのせいにしたところで、子どもの問題は何にも解決しないということだ。親が子どもと一緒に過ごす時間が少ないとか、子ども同士が関わりにくい環境になっているとか、子どものスケジュールが過密であるとか、そういったことに目を向けなくてはいけないだろう。いずれも大人の社会とリンクしている問題であり、大人が変わらなければ変わらないということも。

レシートとお札

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お店でお釣りをもらうとき、レシートとお札を先に、その後で小銭を渡すお店は好感がもてる。レシートとお札はお札入れに、小銭は小銭入れにしまうからだ。小銭とレシートを一緒にわたすのは、小銭を落とさないようにするためだと思うが、お札入れと小銭入れを往復しなければいけないので手間がかかる。

そこまで考えて渡しているのか分からないが、レシートとお札を先に渡されると、「分かってるなあ、このお店」という気持ちになる。そんな気持ちになる近くの書店を贔屓にしている(店頭になさそうなものはネットで注文して店頭受取り)。

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