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仏典解題事典

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『仏典解題事典』が50年ぶりに改訂されることになり、先生が忙しいとかで1項目だけ回ってきた。10冊ぐらい関連書籍を読んで要点をまとめ、作業完了。ドイツ語の論文が予想外にすんなり読めたのは、日頃からドイツのボードゲームのルールブックを読んでいるお陰だ。芸は身を助く?

学生時代に専門にしていたニヤーヤ学派は、バラモン教の一派ではあるが竜樹(ナーガールジュナ)と関係が深い。竜樹が一切皆空の立場から徹底的な批判を加えたことにより、その後1000年以上にわたる議論が始まったといえる。仏教は、バラモン教から批判される立場にあっただけでなく、逆にバラモン教を批判する立場でもあったのである。

仏典解題事典

2007年の夢

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10月12日 人形


ある楽器店で弾けもしないピアノをデタラメに弾いていたら、近くの悪そうなヤンキーたちに目を付けられる。店を出ると付いて来て、逃げていくうちに追いかけっこに。
電柱に登って、高い塀を乗り越えて逃げ込んだところは異次元空間だった。並木25丁目とか書いてある。
そこは人が全部紙をまるめて作った人形でできていて、ある家に逃げ込むと人形の奥さんが出てきた。追いかけられているのでかくまってほしいことをお願いすると、奥の押入れに連れて行かれる。そこを空けると、人形の旦那さんがゴロリと倒れていた。
「うちの主人は失敗作で、こんなふうなんですよ。もし誰かが家にいたら、嫉妬して嫉妬してもう……」
よく見ると人形の旦那さんは足のところがグズグズになっている。その上に無造作に置かれた人形の子どもと一緒に、私を見つめる旦那さん。

02月20日 クイズ


'92文3-3Eでクイズ大会が行われる。クラス役員をしていた同級生が作った渾身のクイズだったが、答えるほうも博学でいとも簡単に解いていく。聞いていた私はその凄さに舌を巻いていた。
「最後は、小野君に問題です」と言われドキッとする。「第7問目は、何と言う問題だったでしょうか?」いちおう覚えていたので答えられたが、なぜ私だけ知識を試すクイズではなかったのか疑問が残った。

01月20日 子ども


妻が仕事で忙しいので、3番目の子どもは自分が産むことになった。産婦人科に行って台に乗り、足を広げる(裸ではない)。看護士さんが「もう少しですよ〜」と声をかけながら、何やら卵型のやわらかいものをもみ始めた。そして私の股のところで卵から赤ちゃんを取り出す。
「もう1個あるんですよ。二卵性だったんですよね」といってまた卵をもんで2人目。両方とも女の子だった。

01月02日 初夢


おもちゃ屋でウルトラマンのフィギュアを使ったすごく楽しそうなゲームを見つける。買っても遊べるんだろうかと迷っていると、同行した友人が同じゲームを買いたいけれどお金がないという。そこでお金を貸してあげて、友人はそのゲームを買った。
 帰宅して友人とゲームを広げてみると、マスはボード上にたくさんあるのに、なぜかコマは周囲しか回れないようになっている。もしかしてこれ、欠陥ゲームじゃないの……という話になると同時に、買わなくてよかったと安堵する私。

2006年の夢

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01月02日 初夢


うどん屋にて。となりに座った見知らぬ女の人が、前の客が残したうどんをすすり始めた。
「おいおい!」私が突っ込むと、「あなたも食べたいんでしょう?ほら。」といって半分食べたうどんを目の前に突き出した。
「……図星です」といってそのうどんを食べ始める私。

2005年の夢

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12月27日 知らぬ間に


御詠歌の師範として、検定会に参加する。審査委員長に山形放送の芳賀アナウンサーがなっていたが、私はあいさつをせずに席に着いた。これが悪かったらしく、「全く、小野さんには失望した」とほかの審査員。その直後に衆目の前で審査員解任が言い渡された。すかさず立つ私。
「こんな若輩者が審査員だなんてもともとおかしかったのです。審査員に推挙していただいた方々、ほんとうにありがとうございました!」

08月13日 お盆


朝のお供え物を下げてくると、祖父がそれをまた上げに行こうとしている。「それはもう下げてきたものだよ」と言うと、祖父は「先輩の和尚がつまらないこと言ったって、真面目に反論しないではいはいって聞き流してればいいんだぞ」と教えてくれた。確かに。

08月11日 気になる・気にする


大学生協の店舗を、学生が何人かで1チームとなり交代制で運営することになる。私の当番になってトイレ掃除などしていると、オケの後輩が紋付袴で現れた。助手か何かの偉い地位に着くと、こういう格好ができるらしい。当番のはたらき具合を聞き、ふんふんとうなづいている。
私は柱の影に隠れて見ていた。後輩の額の生え際がかなり後退しており、前半分はなきに等しい状態になっているのを見て、それを指摘するのはよそうと心に誓った。

07月19日 別れ


 しばらくぶりに自宅に帰ると妻が別の男と暮らしていた。彼は現代を代表する劇作家で、かなり年上のようだったが丸い眼鏡から鋭い眼光が投げられていた。
 もともとこの男は、私がいない間に妻の面倒を見てくれるよう頼んでおいた人。私は文句を言う筋合いでなかった。しかし男に「もうお前は夫ではない。キョウコはオレのものだ」と言われたので、「それはないだろう!」と言い返す。
 男は私を劇場に連れて行った。「私は台本を一気に書き上げる性格でね、一度見てくれ。私の演劇は奥が深くて、これを研究している人もいるくらいだ。」そこで私が見せられたものは、その男の最新の作品だった。作品を見ているうちに、その内容の深さに引き込まれ、それと同時に妻を諦めて1人にならなければならないのだと悟る。娘も妻の方で引き取ることになっており、息ができないほど苦しい思いをしながら帰った。
 目が覚めると妻が寝ている。早朝の新聞配達がやってきた。

06月16日 新生児


第二子が生まれたというので見に行く。仰々しいカプセルから出てきたそれは、ポール星人(※ウルトラセブンのキャラクター)のように管をつなげてできた生命体だった。しかも上半身と下半身が完全に分かれていて、なのに手と足の指は左右10本、同じところにある。
「未熟児だったんですよ。でもだんだん人間らしくなっていきますから」と言いながら、看護師さんはその管の一本に注射器で薬液を注入していた。
「第一子のときも、最初はこんなんだったろうか?」と不審に思う私。

06月15日 デパート


ドイツを旅行し、ホテルの道向かいにあるデパートで自分の誕生日プレゼントを買う。ところがこのデパートには出口がなかった。客はたくさん来ているのだが帰ろうとしない。だんだん不安になってきた私は必死で出口を探し、2階の窓がベニヤ板になっているのを蹴破って、壁をつたって何とか脱出する。
ホテルに帰ってそのことを話すと、「え?このホテルの道向かいにデパートなんてありませんよ。350年前にはあったんですが……」再び見るとそこは廃墟になっている。
「お客さん、その誕生日プレゼント、お客さんの380才(デパートがあった頃の年+私の年令)の記念になったじゃないですか。イヒヒヒ」
気味が悪くなってホテルを出ると、このホテルも廃墟だった。

06月09日 ドラマ人間模様


帰国したその日、山形でテレビドラマを見る。それは妻がある産婦人科医を糾弾した手記をもとに作られたものだった。産婦人科医の役に伊武雅刀、主人公が北野武。
場面は病院で新生児の父母たちが産婦人科医と面会するところから始まる。産婦人科医が繰り出すエキセントリックな発言に、北野武が切れ、口論が始まる。「あんた、焼肉食いに行くとき『さあてこれから、牛でも食いに行くかな』なんて言ってるようなヤツに、妻を任せられるかってんだよ!」「何ですかあなたは! そんなことで絡むなんて…」
その後、北野武が奥さんと会話しているシーン。「あなた、今月から生活費を切りつめてね、スーツ代は3,000円以内…」研修医のセリフが流れる。「さっきの口論ではかなりの人物だと思っていたが、旅館経営も昨今は客が減り、その一方で暴力団がいるのでたいへんなようだ」そして群馬の山奥で旅館を営む北野武の生活に焦点が当てられる。
一緒に見ていた母は居眠りしていた。車の中に忘れてきたノートパソコンを思い出す私。

06月07日 テスト


大学院の制度が改訂され、大学院に在籍する者は毎年4月に試験を受けなくてはならないことになる。インド哲学仏教学研究室では毎年春に行われる研究室旅行でこの試験を実施することにした。今年の旅行先は熊本。不合格だったら除籍となる。
ドライブインを会場に借り切って、試験が始まる。サンスクリット語を日本語にする問題で、「バンギ(bhangi)」という単語が分からない。
「ほら、どこにでもあるあれだよ」と指導教官がヒントを出すが、そのヒントのためにかえって分からない。
サンスクリット語を日本語にできない学生には、英語を日本語にする問題も用意されていたが、その問題に気づいたのはもう時間ぎりぎりだった。

06月05日 ゴージャス


このところ広島大学で勉強会をするというのが流行り、私も行ってみる。校舎の中はバターがちらばって滑りやすくなっている上に階段がところどころ抜け落ちていて危ない。集まった我々が最初にしなければならなかったのは、掃除と修繕だった。
ようやくそれが終わり、勉強会が始まることになる。外国人の女の先生もいたが、その先生はアメリカ仏教の授業だった。参加者は広島大学、京都大学、東京大学の先生といった豪華なメンバーのほか、広島大学や東京大学の学生。後輩が必死に辞書を調べていた。
何を読むのかと思って皆のテキストを見ると、『ガダーダリー』。皆譲り合った後、京大の先生から読むことになった。「私からですかー?」と嫌そうな顔をする先生。詩節の前半が超難しかったのだ。他の先生はほっとしている風である。
詩節の後半はなぜかヒンディー語になっていて、これをサンスクリット語として読むことができるのだろうかとあれこれ考える私。

05月22日 新規開店


ゲーム友達のZさんが山形の実家を訪ねてくる。新しくゲームショップを開くので、挨拶に来たという。
「おお、それはすごい。おめでとうございます。で、どちらに?」
谷和原(※茨城県)です。」笑顔で答えるZさん。
「……」
そんな田舎にゲームショップを開いたところで、どれほど客が来るのだろうかと心配になる私。

04月12日 インドで


印哲の友達が麻薬ガンジャの吸い過ぎか何かで自宅で死亡した、という報が入る。すぐに駆けつけたが遺体はすでに家族に引き取られ、面会することができなかった。その日は友達の家の2階の和室に布団を敷いて寝たが、外の風が音を立てて吹いていて幽霊が出そうだった。
翌日、同じく駆けつけてきた後輩、友達と気晴らしのため海岸まで行く。そこで後輩から、社会人野球で野手から投手に転向したときの話を聞く(回想シーン付きで)。ずっと野手をしていた後輩は、練習が終わってから遊びでピッチングをしていたらそれが上手で監督から気に入られたのだという。「プロも夢ではなかった」という話を聞いて「すげえな」と思う。
後輩がしばらく寝てから帰るというので自転車で友達とあたりを散歩していると、建設途中の階段にさしかかる。友達は歩きだったので階段をほいほい下りていくが、私は自転車を持って下りなければならない。途中に深い穴があって、そのそばにある階段が崩落しそうになっていたのが怖かった(2人とも落ちませんでしたが)。

03月27日 復興


妻と娘が住んでいるところが、本町交差点の北西角だった。みんながバスで買い物に来ていた20年ほど前はジャスコなどがあって栄えていたが、車社会の現在はドーナツ化現象が進んでいる。そこは酒屋があったところで、2階建ての小さな木造住宅である。2階に上がるとき変な磁場がはたらいて体が重くなったりするので、昔ここがお墓だったからではないかと思った。家を出て、駅前まで歩くと杵屋や丹野園などの新店舗ができていて、顔見知りの店主から声をかけられた。

03月22日 秘密


とある田舎の空港の存続を訴えて方々に署名を求めるメールを出す。しかし知人がそれほど多いわけでもないので困っていると、たまたま空港のリネン室で撮影していたシャールク・カーンが彼の知人にもお願いできることになった。しかし彼は忙しいのでアカウントを教えてもらい、彼の名前でログインしてメールを書く。メールボックスを開くと、志村けんの名前が。ついつい興味本位で、志村けんからシャールク・カーンに来たメールを読んでしまう。それは志村けんの主宰するコメディアンコンテストへの出場依頼だった。

03月10日 劣悪


高校のクラスが学級崩壊する。学校に行くと黒板や自分の席にいたずら書きがされていて、それを消すところから1日が始まる。授業中にはとなりのクラスから不良が乱入してくる。どうやら不良同士で抗争しているらしい。一番前の席に座って優等生を気取っている私は、自分のクラスの不良からはいじめられていたがとなりのクラスの不良とは仲がよかった。自分のクラスの不良はほとんどが米沢出身だったのに対し、となりのクラスの不良は長井出身者ばかりだったからだ。となりのクラスに呼び出されて、乱入の仕方などの相談を受ける。
先生は生徒の精神状態を改善しようと、ジュースや歯ブラシなどを提供したが、ジュースには変な味の果肉が入っていて吐き出してしまった。

03月09日 一昔


ドリフスターズの一行が山形の地元を訪れる。何十年も前に撮影で訪れたことがあって、旧交を温めにきたのだという。しかし当時おじいちゃん、おばあちゃんだった人はもうなく、話を聞いても誰のことかわからない。仕方がないので景色を楽しむために山に登ろうということになった。朝日連邦から眺める置賜盆地の風景は絶品である。いかりや長介が、記念に昔ここで撮った志村けんの全裸写真の特大パネルをくれるという。
「冗談で撮ったものだけどね、今なら67億円は下らないよ」
全くいらないものだったが、それだけの価値があると聞いて嬉しいような嬉しくないような気分になる私。

03月01日 ヒゲ


とあるホテルに泊まった朝、起きてみたらオケの友達になっていた。顔のヒゲがいつになく長いので、ヒゲソリで剃ることにする。いつもならヒゲソリに産毛がくっつくくらいだが、さすが友達のヒゲは剛毛で、ヒゲソリからボロボロと下に落ちる。それがとても気持ちよくて、もみ上げや眉毛の周りまで丁寧に剃った。

02月17日 参観


小学生になった娘の授業参観に妻と行く。両親が揃って来ているのは我々ぐらいでちょっと恥ずかしい。前の授業が終わるまで隣りの教室で待つ。授業が終わって教室に入ると、机を並べ替えて親たちが子どもと向かい合わせに座るようにしてくれた。後ろで立ってみるものだと思っていたのでちょっと緊張する。
隣りには、指導教官がいらっしゃった。偶然にも、お子さんが同じクラスなのである。それでさらに緊張してしまう。
クラスの担任は私のことを知っていて、授業が始まると話しかけてくる。「私の趣味は写本集めでしてね。時々インドに行くんですよ。これを見てくれますか?」渡された紙には、日本語で書かれた説教が載っていた。
「仏教は所詮、実践が大事で言葉は二の次なんです。書いてあることをその通りだと思ったら、後で裏切られますよ」
担任はそれを聞いて怒り出して、言い合いが始まる。それに見かねたターバンをかぶった自衛官の親が席を立ってしまう。先生も「小野君、仏教にもいろいろあって一概にそんなことは言えないでしょう?」と宥めた。
はっと気がついて、「申し訳ありません。子どものために集まっているのに自分の話ばかりしてしまって…」とみんなに謝る私。

2004年の夢

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09月08日 いやだいやだ


学生最後の定期演奏会。メンデルスゾーンの『ルイブラス』1曲乗りだったが、さらっている暇が全くなくてぶっつけ本番となった。
この曲は頭からハイB♭、ハイEs、ハイDがありステージリハーサルでは出たものの音程が悪い。本番はどうなるか冷や冷やものだった。こんなことならもっと簡単な曲にしておくんだったとか、ファースト・パートは後輩に任せてセカンドやサードパートに回るべきだったとか後悔しても後の祭り。いよいよ本番の時間がやってきた。ステージ裏では高校の先輩や後輩が激励に来ている。いよいよ高まる緊張。
ステージに立っていきなり、楽器にマウスピースが付いていないことに気づく。鼻血を出しそうになりながら慌てて楽屋へ。何とか間に合ったが、ステージに戻ってきて今度は楽譜も忘れてきたことに気づいた。指揮者はもう棒を上げている。不安と緊張だらけの中、結果がどうなるかは目に見えていた。

09月05日 賑やか


私はまだ寝ているのに、娘と息子(※いない)が廊下を騒いでいる。妻も2人を追いかけるのにてんてこまい。
(これでいつまでも寝ていたら家族からヒンシュクだな)と思って起きることにする。

起きてみたらここはインド。孤独感に襲われる(現実)。

07月18日 証明


保育所に娘を送りに行く。ところが今年度になってから初めて送りに行ったものだから、保育所の先生方が私を父親だと知らない。
「父親だと証明できる保険証と免許証などはありますか?」
 たまたま持っていたので両方見せ、照合した結果父親だと分かってもらう。しかし次には服装が悪いだの、言葉遣いが悪いだの、態度が悪いだのと当所として相応しくない父親だと文句を言われる。
 頭に来て反論したが、反論すればするほど自分の印象が悪くなってしまうのだった。このままでは娘の入所も取り消されると心配になりつつ、反論をやめない私。

06月06日 物質


娘が実は人形だった。とても可愛いのだが、何も食べないし話しかけても反応しない。今まで人間だと思ってきた私は、その事実を知って大いに悲しむ。
「いや、たとえ人間だとしてもその体はモノでできているんだ。この人形とどこが違うだろうか」
などと考えてみたところで悲しみは収まらず、娘の顔をじっと見る私。

06月04日 自己責任


大学祭を妻と見に行く。途中でたまたま知り合った老夫婦と意気投合し、近くのそば屋に行く。そこで老夫婦相手に演説する私。
「日本では古くから、因果応報の考えが浸透していました。よいことをすれば幸せが返ってくる、悪いことをすれば苦しみが返ってくるというものです。自業自得とか、最近言われている自己責任というのはこの考えから来ていると思います。でも、これはあくまで自分自身の生き方の指針とするものであって、他人に対して言うものではありません。『こんなに苦しまなければならないのは、自分が前に悪いことをしたからだ』と反省することと、『そんなに苦しまなければならないのは、お前が前に悪いことをしたからだ』と他人に言うのは同じように見えて全く違うことです。後者は決してやってはいけません。」

06月02日 生きる


実家に帰ると祖父がまだ生きているというので見に行く。祖父は、風水か何かの理由で前の庭に出されている。癌で悪いところを全て取り除いたという祖父の姿は、頭部だけ残っていて体は小さな骨が並んでいるだけだった。庭に長いこと置かれていたため、体の至るところにが生えている。
「これで生きているとは…」と呆気に取られてみていると、祖父の口が開いた。何を言っているか分からなかったが、無性に悲しくなった。

05月30日 姿勢


 都内にある葬儀屋さんの2階に居候することになる。そこでは毎朝坐禅会が行われていた。後ろの方に目立たないようにして坐る。しばらくすると見回りの和尚さんがやってきた。ちょっと緊張していると背中を押さえられる。
 「君は姿勢が悪いな。背中が曲がっているぞ」
自分では真っ直ぐにしていたつもりだったので、骨格が悪くなったのだろうかと心配になる私。実際、姿勢はあまりよくないので気にしていたことを言い当てられた恥ずかしさでいっぱいになった。

04月26日 キレる


 近くのご寺院さんが来訪。檀家さんと話をしている。あまり気が進まなかったが檀家さんがいらっしゃるので出ていった。2人に丁重な挨拶をした後、2人が話しているのを聞く。
 「去年は亡くなった人が多かったな」と言うので、「そうでしょうか、私のところはあまり多くなかったのですが……」と返したら怒り出す。「おまえはいっつも俺の反対ばかりしている。はいはい言っていればいいんだ!」
 それに対して私も逆ギレ。「じゃあこうやってはいはい言ってればいいんですか!」と昭和のいる・こいる(※漫才師)の真似を始める。「はいはいはいはい、そかそかそかそか、よかったよかった、それはよかった」
 それを見たご寺院さんは思わず大笑い。檀家さんは呆れていた。

04月17日 礼


 恩師のお寺を訪問する。しばらく話してから、ちょっと席を外されている間に大きなお土産を持ってこられた。「これ、お土産に」寅さんがもっているようなレトロなスーツケースに入った最中とギョウザのセットだった。
 「いつもありがとうございます!」感謝で深々と頭を下げたら、外にいてお土産を売りに来ていた郵便局員が自分に挨拶されたのだと思って深々と頭を下げてきた。こうして恩師の前で2人はいつまでも頭を下げているのだった。

04月16日 記憶の価格


 風邪を引いて寝込んでいるときの夢。高熱のために日本語をすっかり忘れてしまった私は、漢字を最初から覚えなければならなくなってしまう。医者に行くと1文字1ルピー(2.5円)で思い出せる薬があるという。
 ひとまず3000字で3000ルピーか……インド人ってアコギだなと思いつつも1ルピーずつ払って覚えなおし始めた。

03月03日 勘違い


北海道のTさんとゲームをする。ところが筒井さんのカードゲームはボロボロで補修が必要ということになり、1枚1枚破れたところを直しているうちに終了。でも翌日はまたTさんたちと皆でゲームオリンピックに出ることになっていた。
「あれ、おのさん、それ広島行きの切符じゃないですか?」
「ええ、プレイスペース広島に寄ってから行こうと思いまして」
「でも、ゲームオリンピックの会場は名古屋ですよ?」
と新幹線ホームでやりとりして会場が広島でなく名古屋だったことを初めて知り、どうしようか焦っているうちに広島行きの列車がやってきた。ひとまず乗り込んでから考える私。

01月03日 初夢


オケの後輩とインド国内を観光する。帰国は飛行機の便が違うので空港でお別れとなった。家に着くまで何時間かかるか聞くと、
「途中でバイト先の塾に寄ってから帰るのでわかりません」
と答えられた。12月にデリーで音信不通になっているM君、読んでいたら連絡を!(後日談、日本に無事帰っているそうです)

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