India: 2003年10月アーカイブ

自然

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正門 授業も大部分が終わり,大半の時間は図書室で本を読む生活.コピー機がないので,気になった箇所はせっせとノートに写す.手は疲れるけれどもコピーを取っただけでよくよく読まずに安心してしまうのと違って,考えながら写すのでよく頭に入るものだ.読むべき本はどんどん増えていき,きりがない状況.人の話を聞くのと違って気づかれはしないが,目はとても疲れる.その分,終わってからの「今日もよく勉強したなあ!」という達成感は精神衛生上なかなかよろしい.
 キャンパスに所狭しと並んだビルが大学のイメージだったが,ここに来て覆された.正門から中央まで1キロ近くあり,その間はほとんど森の道になっている.その中にところどころポツン,ポツンと建物があり,サンスクリット語と英語で学部名が書かれた看板が木の陰に隠れているような感じだ.キャンパスを一歩外に出ると排気ガスとクラクションだらけの道路に沿って建物がずっと続いているので,これだけ大きな森が取り残されているのは珍しい.話によると,この森のお陰で夏場は市街地と比べて数度温度が下がるという.
 ほとんどが森だけに大学の中は自然がいっぱい.最初に驚いたのが牛.道路をのんびりと集団で歩けば,バスもリキシャーもよけて通るしかない.私が把握する限り,牛は4匹いる.茶色い牛(写真)がなかなかりりしくて好きだ.キャンパスの中心を歩き回っては生ごみと草を交互に食べる.暑いときは自転車が止まっている中で昼寝.母牛が子牛をなめていることもある.見ていて飽きないが,何しろ大きいので危なくてあまり近づけない.いきなり走り出すこともあるのだ.
牛 インドでは神様の乗り物として聖獣とされており,牛乳を搾るのと牛車を引かせるけれども決して食べたりしない.私が丑年生まれということもあって,心なしか親近感を覚えてしまうが,あちらは人がいようといまいとおかまいなしにのんびりしている.
 次に驚いたのがイノシシ.自転車で走っていると急に茂みからガサッと音がしたと思うとすごい速さで前を横切っていった.しかもこれまた3,4匹集団で移動している.けっこう図体がでかいので自転車に横から衝突されたら怪我することは避けられまい.野良犬もいる.インドに来る前狂犬病の予防接種をしてきたものの,狂犬病の犬に噛まれたら死亡率100パーセントというのを聞いて犬を意図的に避けている.もっともこちらの野良犬もあまり人に近づいては来ない.
 今は正門からではなく,西門から入る.こちらはさらに建物が少なく,森林浴しているような気持ちよさだ.森はうっそうと茂っているが,地面に草は不思議と生えていない.そこで近所に住む人が薪などの燃料を集めているからかもしれない.人間が通るのかイノシシが通るのかわからない獣道.ふらふらっと森の中に入ってみたくなる.ただしこういうところは街頭もないので,暗くなる前に脱出しなければならない.
 この前校舎の前で人を待っていたら,足がチカチカ痛いので焦って見ると,サンダルからアリが這い登って私の足を噛んでいるところだった.かなり小さいアリだが何匹もいて痛さは強烈.しかも小さいためなかなか払い落とせない.片足を上げてケンケンしている姿を,通りがかりの人が不思議そうに見ていた.
 生命力の強さを思い知る.私も負けていられない.

チャリ

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私の自転車 大学へは自転車(写真右)で行く.引っ越した当初はリキシャーで通っていたがあまりに近いので運転手がよく乗車拒否をする.特に皆が帰る夕方なんかに「アウンド(今住んでいるところ)へ」と言うと,おっちゃんは怖い顔で首を振る.すぐ前のおっちゃんもそのやりとりを聞いていてこちらが行き先を告げる前に首を振る始末.こうして軒並み乗車拒否されて,仕方なく歩いて帰ったこともある.歩いて帰る場合は20分くらいだが,最初は道がわからなかったので遠回りして30分以上かかっていた.

 学生の多くはバイクかスクーターで通学している.日本ならスクーターくらいの値段ででかいバイクが買え,スクーターなら新車でも5,6万円といったところなのだが,まず道路が怖い.道路がカオスのこちらでは事故は日常茶飯事なのに,ヘルメットをかぶっている人はほとんどいない.保険もまず入っていない.ぶつかったり,ぶつかりそうになったらその場で言いたいだけ言い合って,気が済んだら終わり.轢き逃げ,当て逃げ上等.はねられたらはねられた方が悪い.邪魔だと思ったらすぐクラクション.その上スクーター1台に2人乗り,3人乗り,4人乗り….こんな道路では,とてもとてもバイクなど運転する気になれない.道路の隅っこをのんびり走るのが吉と,自転車を買うことにした.

 ところが今住んでいる近くに自転車屋がなかなか見つからない.この街はバイクが標準なのだ.結局大学の正門の近くにあるバイク屋さんで,奥の方に投げ捨てられたように置いてあった中古自転車を800ルピー(2000円)で購入.不動産屋のドゥルゲーシュに「何でそんな大金をこんな自転車に!」とまた怒られた.

 調整してもらって乗り始めたが,乗って5分で異常発生.後輪がガタンガタンいうのだ.パンクしてないのにどうしてかと思ったら,タイヤの中につぎはぎのゴムが入っていた….結局タイヤを交換してもらう.ところがそのタイヤがまた3日後に崩壊.後輪が回らなくなってしまった.リキシャーに自転車を乗せてバイク屋に向かい,80ルピーでまた交換してもらう.それ以降は特に油をさしてもらってからすこぶる順調だが,筋が完全に消えている前輪のタイヤも非常に怪しい.

 しかし自転車のお陰で大学まで10分.映画館にも,バンダルカル東洋研究所にも自力・無料で行けるのが嬉しい.運動にもなるし,事実乗って1,2週間で足に筋肉が付いた気がする(それだけ重い自転車だということ).今住んでいるところから大学までは緑も多くて空気もきれいだが,市街地に行くほどリキシャーやバスが撒き散らす真っ黒い排気ガスを思いっきり吸う羽目になるのが難.それとチェーンがズボンをときどき噛んでズボンの裾が油で黒くなるのもイヤだ.

 アパートでは盗まれないように壁にチェーンでくくりつけているが,どうやらこれだけボロイ自転車だと,あまり盗まれることはないらしい.一体いつ作られて,何人の人が乗ってきたのだろう.あまりの年季の入り方に,畏れ多い気すらしてしまう.はじめは「安物買いの銭失い」と後悔し続けていたが,今ではとても愛着をもっている.

散策

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バンダルカル東洋研究所 今日の午後からの授業は,講師が遠方からの移動でまだ到着していないという理由で休講.今日中に着けば明日は授業があるとのことだった.まことにインドらしい.

 そこで空いた時間に,前々から行こうと思っていたバンダルカル東洋研究所というところの図書館に行ってみる.大学から自転車で20分くらい.時刻は14時,35度という炎天下,排気ガスもうもうの中を行くのは途中で倒れそうになった.「こんなに遠かったっけ?道に迷ったかな…」と思ったとき,ちょうど門が見えてきた.

 ここの図書館は1日,1ヶ月,1年,死ぬまでと選んで利用料を払う.1年だと500ルピー(1250円).事務室でお金を払って領収書を見せると,ライブラリアンのおじさんが顔を覚えてくれてそれ以降は顔パスとなる(利用証などはなし).さすが記憶力の国,インドだ.日本人だというと,和田先生(名古屋大学),宮元先生(国学院大学),故阿部先生(前明治大学)など,これまでここを利用していた研究者の名前が次々に出てきた.阿部先生が先ごろお亡くなりになったのもライブラリアンのおじさんは知っていた.阿部先生はここにあるゲストハウスに長いこと住んでおり,マラーティー語が上手だったという.

 ここの図書館は完全閉架式で,本の名前と番号を言うとライブラリアンのおじさんが持ってくる.そのせいか本の状態はとてもよい.ただ,大学の図書館と比べて充実しているかというと,どっこいどっこいのようだ.大学の図書館になくて探していた本は,こちらにもなかった.もっとも写本などは充実しているから,今後じっくり探してみようと思う.

 貸し出しはさらに500ルピーのデポジットを収めなくてはならない.お金もなかったし,ひとまず今回は様子見なので借りないことにした.閲覧室はとても快適で,閉館時間の17時30分ぎりぎりまで過ごしてしまった.大学の図書室よりも明るくて目に優しい.近くにあったら毎日通うのだが.

チャトルシュリンギー寺院 帰りに大学のすぐ近くにあるチャトゥルシュリンギー寺院へ.山の上にあり,門のところで自転車を降りて階段を上っていく.真っ赤な顔をしたピカソの絵のようなご神体である.例によって靴を脱いで参拝,プラダクシナーといって参拝が終わったら左から時計回りにご神体の周りを一周する.これは日本でも神社のお参りや,仏教の法要などで行われているものと共通したやり方だ.

 参拝が終わるとさらにその上に階段があることに気づく.のぼってみると,プネー市内を一望できるとても見晴らしのよい広場があった.大学もすぐそばにあるはずと探してみると,何と目の前の森が大学であった.森の中からところどころ背の高い建物がちらちら見えている.大学の中にいても緑が多いとは思っていたが,これほどとは.時刻もちょうど夕暮れ時,景色と心地よい風が気持ちよい.また行ってみたい.

 帰りにお寺の前で物乞いの子供たちに会う.彼らは非常にみすぼらしい身なりをしており,何も言わずとんとんと叩いて呼びとめ,手を口に入れるジェスチャーをして,それから手を出す.余所では相手にしないことにしているが,お寺でもらった謎のお菓子を食べる気がしなかったのであげた.子供たちは大喜び.お寺にお参りした後は,よいことをしようという気持ちになるものだ.

 それから大学の前で自転車に空気をつめてもらって,ついでに油をさしてもらう.自転車は見違えるように軽くなった.こんなんだったら,散策前に自転車屋に寄るべきだった….

食事

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朝食の例 インド滞在1ヶ月.食事が安定してくると生活も安定したような気になるものだ.

 朝だけ自宅でパンにスライスチーズ,スクランブルエッグ,炒めたピーマン,トマト,ゆでたオクラ,牛乳,バナナといったところ(写真右・牛乳はミロ入り).昼食と夕食は野菜がほとんどないのでここでしっかり食べる.卵1個4円,トマト1個3円,バナナ1切れ3円,牛乳1リットル60円.いずれも休日に近所の市場で買っておく.卵屋さんは鳥肉も(その場でしめて)売っているが,まだ買ったことはない.この前行ったとき物陰から鶏のすごい悲鳴が聞こえてきてからそんなに食べたくなくなってしまった.ちなみにお隣は羊肉屋.当然のことながら,お店の前では貧相な羊が草を食んでいる.

 八百屋さんと果物屋さんは別で,市場に何件も並んでいる中からよい品と誠実そうな売り子を見て決める.だいたい買うところは決まってきた.品は指差しで示すし,金額は英語で言ってくるのでマラーティー語を使う必要がない.ただ「このパパイヤはどうか」「このポテトはどうか」といろいろ勧められたときにだけ,「ナコー(要らない!)」と強めに言うのが効果的.相手はニヤッとしてそれ以上勧めない.八百屋には人参,茄子,瓜,キャベツ,カリフラワーなども売っているが家にある調味料が現在塩だけなので見合わせている.

学食 昼は大学内の学食(写真右)にて.食堂が2つと,屋外が1つ.食堂では50円前後,屋外は軽食で30円前後.だいたい全種類食べたと思うが,お気に入りはプリー・バージー(チャパティを揚げたものにカレーが付いている).そしてラッシー(飲むヨーグルト)25円は必ずといっていいほど飲む.ほかにラッシーを飲んでいる人はあまりおらず(たいていチャイ(ミルクティー)を飲む),いつもラッシーを頼む東アジア人として店員に覚えられているような気がする.

 軽食を食べられるところは,いつも勉強している建物のすぐそばにあり,休憩時間などにはチャイ8円,ジュース30円などを飲む.ここは大学の中心部にあり,学生がいつもたむろしている憩いの場になっている.売店では売り子によって値段が変わり,おばあさんのときは8ルピーのジュースも10ルピーのジュースも全部12ルピー.おかあさんのときは1歳にも満たない赤ちゃんを地面に寝かせて店番をしている.おとうさんのときはすぐどこかに行ってしまい,大声で呼ばなければならない.

 大学に行かない休日などは,近所のパン屋さんでサンドイッチを買ってくる.50〜80円くらい.ほとんどのサンドイッチはマサラとコリアンダー(香草)が入ったインド風味で,中が黄色い.それ以外のものを食べたいときには値段の高い店に行かなければならない.

 夜は自宅近くのレストランにて.歩いていける近場に5件ほどある.そのうちよく行く3件はベジタリアン専門で肉や卵は出ない.よく食べるのはターリー(チャパティとご飯にカレーと付け合せがついた定食)で60円〜80円.そのほかにビリヤーニ(チャーハン)もよく食べる.インド料理の付け合せは必ずといっていいほど生の玉ねぎスライス.これにレモン汁を絞って食べる.レモン汁をよくかけないと胸やけするので注意が必要.「チャイナゲート」という中華料理屋もあるが,チャーハンも焼きそばも,全部赤い.そして辛い.和風中華があるように,インド風中華もあるものだ.

 お腹が空いていないときは立ち食いの軽食屋がすぐ近くにある.だんごやヨーグルトや乾麺を砕いたものやスパイスを手当たり次第に入れる料理やお好み焼きのような料理がここにはある.ココナッツミルクのデザートがお気に入り.価格は学食なみ.それからもう1件,夜にラッシーを売っている店がある.食べたりないときはここでもラッシー.家に帰ったらミネラルウォーターをしょっちゅう飲む.1リットル30円,2リットル48円.暑いということもあるが,外食は結構塩辛いので喉が渇くものだ.スナック菓子はどこにでも売っているが,これを買ったらおしまいのような気がして,手を出していない.

 日本で一人暮らしをしていた数年間は朝はパンと牛乳とバナナ,昼はラーメン,夜は700〜800円の定食が普通だったので,それと比べると健康的かつ経済的と言えるだろう.肉・魚はほとんど食べていないが,その代わり甘いものの比率がぐんと上がった.大学の行き帰りに中古の重い自転車をこいで運動している.

インド映画2

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バグバンタイトル:Baghban(バグバン)

ストーリー:
 主人公マーロートラはICICI銀行(実在のインド銀行)を定年退職し,4人の息子たちに妻のプージャーと共に老後の面倒を見てくれるよう頼む.しかしそれぞれ独立し,家庭も持っている息子たちは誰も一緒に住みたくない.そこで息子たちとの同居を諦めさせるため,マーロートラとプージャーを別々に,しかも6ヶ月交替で引き取るという提案をした.だが夫妻はしぶしぶ了承し,住み慣れない家で別々の生活を始めることになる.
 果たしてその生活は全く幸せではなかった.居候のように邪魔者扱いされ,何一つ自由にさせてもらえない.嫁はあからさまに嫌なことを言い,息子も嫁をかばうばかり.しかし2人にとって何よりもつらかったのは,夫・妻と別居させられていることであった.2人は毎日のように電話をし,手紙を書いてそのつらさを紛らわせていた.
 そんな中マーロートラは近所の喫茶店の主人と知り合いになり,主人の勧めで「バグバン(庭師)」と題する彼の半生記をタイプライターで作り始める.家では息子夫婦にタイプライターがうるさいと怒られ,喫茶店で日がな書いていた.妻との手紙のやり取りが唯一の慰めだったが,ある日メガネが壊れて手紙を読めなかったために,その喫茶店の奥さんに妻からの手紙を読んでもらう.その手紙は,涙なくしては読めないものだった.喫茶店の主人と奥さんはマーロートラを気遣い,いつもあたたかく迎えた.
 そして6ヶ月が過ぎ,今度は別の子供たちの世話になるため移動することになる.しかし2人は結婚生活を始めた街で落ち合い,行くあてのないデートをする.しばらく再会を喜ぶも,これからのことに途方にくれていたとき,たまたま遠くに住んでいた養子のアーロークと再会.その養子は靴磨きだったところをマーロートラ夫妻に取り上げられ,妻と一緒に留学先のロンドンから帰ってきていたのだった.血のつながりのない息子だったが,写真に毎朝手を合わせて両親以上にずっと慕っていた.その夫婦のところに世話になり,久しぶりに幸せな生活を送る2人.
 しかし長居もしておられず,帰途に着く.電車で行くといったマーロートラたちに,アーロークは高級外車をプレゼント.そして懐かしの我が家のところを通りかかったとき,例の喫茶店の主人が小切手を持ってきた.彼が喫茶店にタイプライターと共に置き忘れた半生記を出版社に持っていったら,たちまちベストセラーになっていたという.
 ベストセラー祝賀会では集まった息子たちをさしおいて養子があいさつをし,マーロートラが涙ながらに妻への愛を語る.同席した妻も涙を流しながら聞いていた.子供たちは邪険に扱ったことを詫びるが,マーロートラは耳を貸さず妻と立ち去っていく.→公式ページ

感想:


  • タイトルは「庭師」という意味.種をまいて,一生懸命育てても,それが自分のために実るとは限らないというテーマ.ポスターには「あなたは家族に頼れますか?」と書かれていた.客層もシニア(お年寄り)世代が多かったようだ.インドでも都市部では核家族化が進んでおり,他人事ではないらしい.
  • 入館料はS席100ルピー(250円)。土日は高くなることがわかった.S,A,B席とあり,S席は一番上で以下だんだんスクリーンに近づいていく.客はほとんどS席に座り,日本でS席といわれる真ん中ら辺はガラガラだった.今度はA席にしよう.
  • ストーリー主体の映画で,ダンスも少なめ(主人公夫妻が年配で派手なアクションができないからかも).ただ筋書きの多くがセリフで進行しているので,ヒンディー語がわからないとストレスがたまった.息子たちがショッキングなセリフをいうところとか(ガーンという効果音はあったけれど).
  • ヒーロー役の養子アーローク(サルマン・カーン)が婚約者と踊るシーンがある.デートの待ち合わせにバイクで現れる末っ子.当然ノーヘルの上に口にはバラをくわえている.笑った.
  • 息子夫婦にいじめられる夫妻の描写がいちいちリアル.マーロートラが家長の席に座ろうとすると嫁は「お父さんはこっち」と末席を指示する.朝マーロートラが新聞を読んでいると「夫が読むから」と言って取り上げられる.プージャーが息子の職場に行くと「母さんを家から出すなと言ったろ!」と嫁を怒る息子.息子の誕生日プレゼントを届けるため職場に行ったことがわかると「そうやって私がかまわないのを詰るつもりなのね」と憤る嫁.そのたびにマーロートラやプージャーのアップとガーン!という効果音がしつこいくらいだった.
  • 日本では定年退職前後というと,たいがい夫婦の愛は冷め切っているような気がするが,この物語では終始アツアツカップル.夫が仕事をしていたときは,朝はネクタイをしめ,帰りは時間を見て夫がベルを鳴らす直前に扉を空ける.一緒に暮らしているのにお互いの写真をポートレートに飾り,息子たちの前でもいちゃいちゃし,夜は腕まくらなんかしている.定年を迎える誕生日には妻特製ケーキ.だからこそ離れるのが悲劇になったのだろうが,実際のところ新婚さんでもそこまでするだろうか?
  • 夫婦別々にさせられてからは,妻の手紙を読むたびに涙を禁じえない主人公.手紙の内容が分からなかったにもかかわらず,妻と離れて暮らす私と重なって思わず胸が熱くなった.電話を通して2人が歌を歌いあうシーンもあった.
  • 再会のシーンはヒンディー語が何となく分かった.混雑する駅のホームで涙を流しながら抱き合う二人.妻「皆が見ているわ」夫「かまわない」妻「何言っているの,もう…」
  • 休憩時間を入れて3時間.長い!
  • 後日分かったことだが,マーロートラ役のアミターバ・バッチャンという役者は日本でいうところの田村正和.ペプシコーラや万年筆,果てはトラクターの宣伝にまで登場している.アミターバは日本では「阿弥陀」と音訳されている.アミダババア(※「俺たちひょうきん族」というテレビ番組で明石家さんまが扮していたキャラクター)?
  • さらに,プージャー役のヘーマ・マリーニは幻の子役で何と35年ぶりの映画出演.幻滅を恐れて遠ざかっていたがこのストーリーに惹かれて出演を決意したという.この映画が話題になっている理由のひとつであろう.

大学

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サンスクリット高等研究センター(CASS).ここで勉強していますこちらに来て1ヶ月くらいになり,大学の様子もだいぶつかめてきた.

今月は授業が終わり次第だいたい試験期間中となり,正規の授業は終わりつつある.この後今月末にディワーリー(ヒンドゥー正月)があって,次学期は1月1日からとなる.

私は当初,教授と一対一でテキストを講読するという目的で来た.ウダヤナという11世紀の学者の『ニヤーヤ・パリシシュタ』という本だが,旧ニヤーヤと言われるスートラ註釈史と,新ニヤーヤと言われる専門用語だらけの体系を両方知っていないとよく読むことができない.その両方に手が届く世界有数の学者が,V.N.ジャーと言う私の先生だ.現在プネー大学サンスクリット高等研究センター(CASS・写真右)のディレクターをなさっている.英語も訛っておらず,難解な術語も平易に説明でき,何より人に教えるのが好きという性格で,学生の誰もが尊敬してやまない.

だが講読は今のところ週1回,1時間だけ.今週と来週はその1回すらもつぶれてしまった.今の時期は学期末でさまざまな講演会が入り,インド各地から訪れる学者の接待にお忙しい様子だ.そこで余った時間,授業に出席してみようと思って出ているのが文法学.週5回,毎日1時間ずつサンスクリット語の文法学書『シッダーンタ・カウムディー』のカーラカ章というところを読む.こちらの先生はM.デオカールという若い先生.全盲であるがスートラはおろか,注釈まで頭に全部入っている.カーラカ章は読んだことがあるところだったが,微に入り細を穿つきめ細やかさに,すっかり気に入って出続けている.

そこに先週から,写本学の特殊講義が始まった.インド各地の大学で教えるシニア研究者向けに,古代から中世にかけてインドでさまざまに発展した文字を習うもので,3週間ぶっ通しで月〜土,9時〜17時(昼食休憩2時間)の濃い授業だ.シャーラダ文字という中世カシミール地方の文字を習いたくて先生に許可を得,ちゃっかり出席.ブラーフミー文字というアショーカ王時代の文字から,ベンガーリー,シャーラダ,ネワーリーなどの北方系,テルグ,カンナダ,グランタなどの南方系,それに暗号化された文字シャンカ(貝)文字など「これが文字なの?」というようなところまで隈なく習った.最初は信じられなくても,3時間くらい練習していると名前くらい書けるようになるのが楽しい(下の文字一覧参照).

こうした特殊講義は不定期に行われているらしく,私が来るあたりまではバルトリハリから非パーニニ派など文法学系の集中講義,その後ティルパティから先生が来てヴェーダーンタ学派の講義などが行われていた.どういう講義が行われるかは前の週くらいにいきなり貼り出されるので常にチェックが必要だ.

あとは残りの時間に,サンスクリット会話をヴィナヤクという学生から習っている.彼は日本語を習っているので,1時間習って,1時間教えるという感じでサンスクリット語と日本語の交換授業.文献は10年近く読んでいるが,「ありがとう(dhanyavaadah)」とか「さようなら(punar
milaamah)」と言った基本的な挨拶語や,メガネ(upanetra)・自転車(dvicakrikaa)・時計(ghati)などといった語彙は出てこないものである.「6時になっても私の弟が来なかったら,リキシャーで来て下さい.(shadvaadanaanantaram
api mama anujo na aagataz cet, bhavaan tricakrikayaa aagacchatu)」…実用的な文だなあ.一方,日本語会話の方も「自転車では30分かかりますが,バイクでは10分かかります」というようなどこかおかしな文を英語で説明するのが面白い.

ひとまず今月中旬まではこのような感じで忙しくなった.写本学と文法学が終わったら,自習の時間が増えるだろう.いろいろ読みたい本が増えている.

〈コンピュータ利用の授業で習った「ISCII(イスキー)」という文字コードを元に公開されているフォントたち〉

(言葉は全部「オーム,ナマハ,ブッダーヤ(南無帰依仏)」.左上から
西部地域…デーヴァナーガリー文字(サンスクリット語,ヒンディー語,マラーティー語共通),グジャラーティー文字,パンジャービー文字
東部地域…ベンガーリー文字,オリヤ文字
中部地域…カンナダ文字,テルグ文字
南部地域…マラヤラム文字,タミル文字

仏教寺院参拝

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 こちらに来てから,少しずつ日本人の知り合いが増えた.この街に住んでいる日本人は大きく分けて3種類ある.日本企業の駐在員,現地企業に就職している人,それから学生.話によると300万人のこの都市で50人くらいのものらしい.その中に日本人ネットワークが張り巡らされており,私も人づてに紹介されていくうちにこのネットワークにリンクした.

 ネットワークの目的は交流である.日本にいたら話す機会もネタもないような人たちでも,この異国の地では「仲間」になる.日本の話題,日本的な話題を日本語であれこれ話すのは,ストレス解消にもってこいだと言うことは1ヶ月もいない私でもよくわかった.裏返せば,いかに常日頃インド人との意思疎通に苦労するかということでもある.言葉も違えば,考え方もまるで違う.そこに一から説明をするのは特に企業ではさぞ骨の折れることだろう.

ご本尊 その「日本人会」のお誘いで,近所の仏教寺院に参拝した.駐在員の方々が運転手つきの車で送って下さり,8人で行った.情報を集めるところから始まって,訪問の約束を取り付けたり,方々に連絡したりと,ただ集まるだけではない手間に頭が下がる思いだ.夜7時頃,車に乗って着いた建物は確かに「buddh
vihar(仏教精舎)」と書いてあった.それほど大きくない平屋の白壁で周りは空き地になっており子供たちが遊んでいたが,お寺が開いて我々が中に通されると皆もどんどん入ってきた.礼拝の開始時間である.

 奥の間にあるご本尊にはタイから送られたキンキラキンの釈尊像.インドでは仏教が逆輸入されていることがよくわかる.そこに線香とお花を供えて,礼拝が始まる.「ブッダーン,サラナーン,ガッチャーミー(南無帰依仏)…」前に座っている僧侶(完全に在家)の先導で老人から子供まで三帰依文などを唱える.音程は日本のお経と比べるととても高く,叫んでいるといった方が当てはまっている.

 最初の唱えごとが終わると,日本人から何かないかと言われたので私の血が騒いだ.軽い挨拶をした後,般若心経の読経と御詠歌(紫雲)の奉詠.そして普回向といういわゆる「本尊上供(ほんぞんじょうぐ)」を行った.はじめは緊張したけれども,だんだんと異国の地で心細いところにお釈迦様にめぐり合えた安心感がこみあげてきた.そして終わった瞬間,「サードゥ,サードゥ(満足,満足)」と聞いていた全員が示し合わせたかのように唱えた.通じ合った瞬間である.

 その後また唱えごとがあって,終わると瓶のコーラをご馳走になり,続いて日本人が一人ずつ自己紹介をすることになった.マイクの感度が悪いと思ったら,スピーカーはお寺の外に備え付けられており,あたり一面に我々の声が鳴り響いていたのには驚き.私は外国語サークルで慣らしているヒンディー語の自己紹介.聞いている人の目をよく見ながら,テンション高めに話すことが大事で,反応はとてもよかった.「今度来たときはマラーティー語で」と司会が言って会場は大拍手.一緒に来た人の中にはその後「マザナーウ…アヘー(私の名前は…です)」とマラーティー語に挑戦している人もいて,聞いている人はその度に大いに盛り上がった.

 終わって帰る段になっても「私のおじは大学に勤めていて…」とか「仏教徒がどうしてサンスクリット語を(パーリ語じゃないとダメらしい)?」などといろいろ(英語で)話しかけられて,なかなか楽しかった.中でも「私の名前はシッダールト(※お釈迦様と同じ名前)です」というのにはびっくり.子供がひっきりなしに握手を求めてきた.いったい何者なんだろう,我々?

 集まった人は身なりがきれいで周囲の家もきちんとした建物だったが,中には駐在員に雇ってくれないか尋ねてきた人もいたそうで,決して楽な暮らしではないことが分かった.インドの場合,仏教徒の多くはヒンドゥー教の縦社会から外れた被差別民であり,そういった差別の状況が改善しているとは言いがたい.彼らにとってお釈迦様は本当に救いの主であり,厚い信仰につながっている.それに比べたら,お経を読んだくらいでいい気になっている私は,彼らの足元にも及ばない.

 しかしそんな反省をよそにその後我々が行ったところは高級レストランで,駐在員の方々から料理やビールをご馳走になる.背に腹は代えられず,会話を楽しみながらめいっぱい美味しく頂いたが,途中ふっと,今あの仏教徒たちは何を食べているのだろうと気になった.

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