India: 2004年9月アーカイブ

化石

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アジア映画祭第2回アジア映画祭がプネーのナショナル・フィルム・アーカイブと映画テレビ研究所で開催された。毎日夕方5時から7日間、マラーティー映画4本、中国4、ヒンディー3、イラン3、カンナダ、ベンガル、アフガニスタン、ブータン、韓国、トルコ、日本各1と21タイトルを上映。500円払えば見放題ということもあるが、プネー人は映画好きが多いようでどの映画も立ち見が出る満席である。2日間通って5本の映画を見た。

Saatchya Aat Gharat(7時まで家に帰ること)
2004年、S.スルカル監督。主演:カルティカ・ラネー、マーナウ・カウルほか。プネーを舞台にしたマラーティー映画。ビジネススクールに通う8人の若者は時代の最先端。親の言うことも聞かず自由に恋愛を楽しみ、夜遅くまで遊んでいた。ところがその1人ナンディニーが強姦にあってから状況が変わり始める。学校は彼女が夜間外出禁止の規則を破ったとして退学を決め、頼りにしていた恋人は彼女を避けてしまう。時代の最先端を標榜しながらも結局、男は処女を結婚相手に求め、女は親の決めた枠組みでしかものを考えられないのだった。彼らに幸せはやってくるのか。
保守的な街プネーならではの映画と言えた。『ラーマーヤナ』でラーマの妻シーターが火に飛び込んで貞操を証明する有名な話について、おばあさんが「ラーマは神様だから、女性なんかに関心はないのよ」と言っていたのが印象的。貧富の差や結婚観など考えさせられるところあり、また笑いありで充実した映画だった。◎

萠的大脚(何て大きい足)
2004年、ヤン・ヤーチョウ監督。主演:ニー・ピン、ユアン・チュアン。ジャン先生は山奥の田舎で教師をしている大足の女性。中国では古来女性は小足がよいとされており、彼女は大足で性格もがさつなことを気にしていた。一方、ボランティアでやってきたシア先生は北京出身のファッショナブルな格好で、はじめは馴染めなかったが子どもたちとともに次第に溶け込んでいく。しかしやがてシア先生は夫の都合で北京に帰らなければならなくなってしまった。そこでジャン先生と子どもたちは北京までついてきて、大都市を見学。ジャン先生は故郷もこれぐらい立派になるように頑張ろうと子どもたちを励まし、田舎に帰って街づくりに精を出した矢先、列車との衝突事故で死んでしまう。「子どもたちが私の夢の全て」と言い残したジャン先生を看取ったシア先生は、再び田舎に戻ることを決意する。
舞台となった雨も滅多に降らない中国の片田舎の様子が面白い。場面がころころ変わる手法は、目が疲れた。△

裸の島
1962年、新藤兼人監督。主演:音羽信子、殿山泰司。尾道近くの離れ小島に暮らす夫婦と2人の子ども。その日課は、本島から毎日何度も水を船で運んできて畑にかけるという、実にたいへんなものだった。子どもも甲斐甲斐しく働き、そのかたわら長男は毎日本島の学校に通っている。しかし貧乏な中にもたまには秋のお祭に行ってチャンバラ道具を買ってもらったり、鯛を釣ってそれを売ったお金でロープウェイに乗ったりとしていた。そんなある日、長男が急な病気で死んでしまう。父親が医者を探しに本島まで急いだが、間に合わなかった。クラスメートたちとささやかな葬式をして島の頂上に棺を埋める。――また普段の生活に戻るが、母親は突然運んできた水を投げ出し、突っ伏して泣き始める。それを一瞥しただけで仕事に戻る父親。母親もまた、仕事を再開するのだった。○
40年以上前の白黒映画。台詞は父親が次男を抱き上げるとき「よいしょ」というところだけ。あとは90分間、家族は黙々と仕事にいそしむ。ほとんどの場面はヨロヨロと水桶を運んでいるところばかり。そのせいか一生懸命生きる姿がひしひしと伝わってきた。○








環境にやさしいガネーシュ
(The Times of India 9/15)
まもなく始まるガナパティ祭に向けて環境を保護する動きが進んでいる。これまで各家庭平均3キロのガネーシュ像を、祭の最後にムター川に流していたが、これによって3トンの焼石膏と化学塗料による環境破壊が懸念されていた。そこでプネー市役所は専用の水槽を設置、そこに入れるよう呼びかけている。また、陶器製・天然色素による着色や毎年使える金属製の使用、リサイクルの推進も薦められている。


和イ尓在一起(北京バイオリン)
2003年、チェン・カイグー監督。主演:リウ・ペイチー、チェン・ホン。中国の田舎で育ったシャオチュンは13才にしてバイオリンの名手の名を轟かせていた。料理人の父親チュンは彼の未来のために、北京に連れて行って専門的な教育を受けさせる。こうして2人の北京生活が始まるが、子どものためによかれと思って必死に働き、いい先生を探し、教えてくれるようお願いしてくる父親に対し、シャオチュンはすっかり気後れしてしまいバイオリンを売り払って近所の女性にプレゼントを買ったりしてしまう。そのうちシャオチュンは衝撃の事実を知る。それは、シャオチュンが駅にいた捨て子で、これを拾い上げたチュンが、彼が劣等感を抱かないようにバイオリンを始めさせたということだった。シャオチュンは気を取り直して国際コンクールの練習に取り組むが、チュンは彼の海外留学費用を捻出するため、コンクールの当日田舎に帰ってしまう。シャオチュンはコンクールに出ずに北京駅に駆けつけ、育ての親の前で涙ながらにチャイコフスキーを弾き、しっかりと抱き合うのだった。
音楽の効果が抜群.主人公の子役はどう見ても本物のバイオリン弾きだ。中国映画はその道のスペシャリストが主役をしていたりすることがあるので侮れない。ただ、父親が息子の成功を祈りながら「聴きに行ったらきっと失神してしまうから」という理由でコンクールを見ずに田舎に帰ろうとする筋書きはちょっと理解できない。せめて聴いてから帰れよ(それだと筋書きが成り立たないが)。○

Not Only Mrs Raut(ミセス・ラウトだけでなく)
2004年、S.アヒレー監督。主演:ヴィクラム・ゴーカレー、モーハン・ジョシ。今年のベスト・マラーティー映画に選ばれた作品だそうで、監督があいさつしていた。海岸でみずぼらしい姿をした女性が男性を刺し殺し、ナイフをもって自首してくる。弁護士が面会に行くが彼女は一切しゃべろうとしない。やがて明らかになる彼女の過去。それは夫を失い、不幸に襲われ続けた続けた半生だった。
男性社会でも流されずに自分を信じて戦う強い女性の姿を描く。芸術映画なのかもしれないが、意味のない風景シーンが入ったりして展開が冗長だった。△








インドでは駅構内や空港は軍事的な理由で写真撮影できない
プネー駅

インドに来ている旧友T氏にに会うべくムンバイへ。プネーからムンバイは160キロほど、インドでは非常に近い都市の部類に入る。しかしムンバイはこれまで空港以外立ち寄ったことがなかった。思い返せばちょうど1年前、夜遅くに国際線でムンバイに到着し、3時間待たされた乗り合いタクシーでプネーへ直行したのがインド生活の始まりだった。

今回は多くのインド人の薦めで鉄道を使うことにした。道路がよく整備されていないインドで鉄道はバスより早く、しかも格段に安い。プネーからムンバイまではインド最高の高速道路エクスプレス・ウェイが敷かれているが、それでも4時間はかかる。バス料金は500円ぐらい。一方特急を使えば3時間30分、190円で着いてしまう。本数が少ないこと、そのため予約がたいへんなことを差し引いても鉄道に軍配が上がる。

出発の前日に駅に行き、予約カウンターで切符を購入。申込書に列車番号、等級、乗降駅、名前などを書いて並ぶ。当駅発着分については、壁に詳しい情報が書かれているのでそれを見ながら記入できる。プネーからムンバイへは朝と夕方しか出ていないことが分かり、早めに行こうと思っていたが結局15:30発の便にした。予約窓口はそれほど込み合ってはいなかったが30分ほど待たされる。

さて当日行ってみると、列車の入り口に搭乗者名簿が貼り出されていた。これはキャンセル待ちの人が乗れるかどうか調べるためのもの。「オーノー タクヤー」とデーヴァナーガリー文字で書かれた名前を発見。座席番号に変更はなく、運よく窓側の席だった(日本のJRは窓側から席をあてがっていくが、こちらは窓も通路も関係なく、列順に機械的にあてがう)。

プネー発ムンバイ行の特急デッカン・エクスプレス。少し驚いたが、始発だけに予定時刻どおり出発した。遠距離を走る列車では遅延は日常茶飯事で、ヴァラナシからプネーに来る電車は出発が20時間遅れたことがあるという。駅で地べたにごろ寝している人が多いのは、そういう電車を待っている人がいるせいもあるだろう。

しかしそこからが遅い。特急のくせに小さい駅に停まるのはまだいいとして、駅でないところで停まったり(そのたびに客や係員が線路から乗り降りする)、のろのろ運転を繰り返したりしているうちに、ムンバイの終点についたのは予定を45分もオーバーしていた。向かいのおじさんはしょっちゅう時計を見ながら焦っている様子。私は初めての景色を楽しんでいたが、日が暮れるとホテルで待っているT氏のことが気にかかってくる。

鉄道の景色はいい。プネーからムンバイまでは、賑やかなプネー市内、山がちなデカン高原、西ガート山脈を越えるトンネルや崖、そしてムンバイの終点に近づくにつれて再び賑やかになっていく街並みというように、変化に富んだ景色を楽しむことができる。特に雨季直後の山脈越えでは、岩山をつたって降りてくる滝が何本も見られたのが壮観だった。車内ではチャイやスナックなどの物売りがひっきりなしに往復し、また楽器を演奏する父親とお金をねだる娘もやってきた。これまた風物詩である。









オベロイ・タワーズ最上階からの景色。オフィスビルが海岸まで並ぶ
オベロイタワーズからの眺め

ムンバイで特急はバスターミナルがあるダダール駅と、オフィス街が広がる終点CST(チャートラパティ・シヴァージー・ターミナス)駅に停まる。CSTを降りてからバス停を探し、T氏の宿泊しているオベロイ・タワーズへ。アラビア海に面したムンバイ有数の最高級ホテルだ。同行者のひとりが先に帰ったため、その代わりただで泊まることができるという幸運に恵まれた。

T氏は大学以来の同級生で工学修士をとって大手電話会社に勤めたが、派遣で家族とともに渡米し、MBA(経営学修士)の学校に通っている。インドに来たのは市場調査とインタビューの依頼があったからで、研修でありながら収益もあるというのはMBAならでは。人口10億人を抱え、中産階層の経済力がぐんぐん上がっているインドの市場は世界的に注目の的だ。しかし道路や電気などインフラの未整備、法律による外国資本率の制限、今年の政変に見られるような政策不安定、賄賂を是とする役人体質などがあって、外国企業は容易には参入できない。そうした壁を乗り越えていくための資料を集めているという。

夕食はその仲間たちとタージ・マハルというこれまた最高級のホテルのレストランにて。ムンバイ名物のライトアップされたインド門を眼下に見下ろしながらワインなどを頼んでいるうちにうすうす予想はついていたが、5人で17,000円という請求書が来たときには少し目が飛び出た。これは私の家賃約2か月分に当たる。彼らはインドに来て3週間、各都市の最高級ホテルでこんな食生活を繰り広げていたという(別に悪いことではないが……)。T氏はインドに来てアメリカよりもお金を使っているようだと言っていたが、これならそれも頷ける。驚く私を「つぼ八よりはましだと思えば…」と言ってなだめるT氏。

その後ホテルに帰ってインターネットで知り合いのホームページをネタに盛り上がったり、インドやアメリカのこと、家族のことを語り合ったりしているうち、就寝は午前4時ごろになってしまった。

インドでT氏は貧しい暮らしをしている人をたくさん見て、負け組がいくら努力しても勝ち組に入る見込みはないような気がしたという。インド人民党政権の経済政策は都市部の中産階級を底上げしただけで、置いてけぼりを食った貧しい人々との格差が広がる結果になった。口では負け組、気持ちは勝ち組の日本、本当のところはいったいどっち?。

停電とアリ

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TITLE: 誕生日のうるさいお祝い
(The Times of India 9/8)
街のたくさんの場所でダヒ・ハンディ祭(クリシュナ誕生祭の一部)が行われ、積み上げられたスピーカーから、1日中パブのようにロック音楽がかかっていた。騒音公害は特に老人、病人、妊婦、乳児の健康に悪影響を及ぼす。政府の騒音公害規制では、住居エリアで日中55デシベルまで、商業エリアで65デシベルまでとされているが、この日はナーラーヤン通りで96.2デシベルをはじめ90デシベルを超える場所が続出。警察は「全ての箇所で騒音の基準を監視するのは物理的に不可能。」主催者は「夜11時まで行う許可は取っているが、警察が言うならボリュームを下げる。」


昨夜コルカタ(カルカッタ)で行われたワールドカップ予選日本対インドは、ネットカフェで試合の行方を追っていた。マスコミでもはじめから勝敗は関心の外で、インドが何点取られるか、一矢報いることができるのかが焦点となっていた。いやむしろそれすら焦点ではなく、日本代表監督として来ていたジーコが「伝説のブラジル人」として注目を浴びていたようだった。

インドらしいと思ったのは休憩時間の停電。後半開始が30分遅れることになったが、45分以上遅れたら無効試合になるところだったという。今インドは雨季が終わリつつある時期で気候が不安定だ。停電はスコールの後に起こりやすい。ネットカフェでメールを書いていたときに停電になり途中まで書いた内容が全てパーになったことは先日書いたとおり。インドに工場を出している日本企業も停電には泣かされているという。そりゃ、機械が途中で止まるたび不良品ができるわけだからなあ。

さて今日は駅まで外出してみたが、特に変わったことはなし。インドのサッカーは実は弱いわけではなく、東南アジアや隣国のパキスタン、バングラデッシュ、スリランカとなら結構の勝率を挙げているのだが、国民の盛り上がりはクリケットに遠く及ばない。日本人だ、昨日の憂さ晴らしをしてやろうなどという輩はいなかった。

ところで重慶のサポーターよりもたちが悪いのは、このごろ家中にいるアリ。体調3ミリほどの小さいもので、噛んだりはしないのだがどこからともなく大量にやってくる。引っ越してすぐ、厳重に結んでおいた砂糖の袋に入られ、砂糖を捨てる羽目になった。家の中で卵を運んで行進しており、掃いても掃いても出てくる。

不動産屋に助けを求めると、アリ殺しパウダー「チャマトカール(奇跡)」(12円)を教えてくれた。薬局に売っている。「この粉は決して直接触らないように。もし触ってしまったらすぐ手を洗って」と警告されたその粉は確かに強力。アリが通っているところにパラパラと撒くと……アリが次々と縮れて死んでいく! いったい何なんだろうこれは。日本だったら認可が下りそうにないが……。

しかしこれだけの毒なのでどこにでも撒くわけにはいかない。特にいつも勉強している部屋では、吸い込むのを恐れて撒かないでいる。すると当然、アリはどこからともなくやって来る。今一番困っているのは、ノートブックのパソコンにアリが出入りしていること。キーボードの隙間からちらほら、SDカード挿入口から出たり入ったり。ぷっと息を吹きかけて飛ばすようにしているが、きりがない。第一気になってしかたない。

もう保証期間も過ぎているこの時期、アリがもとでパソコンが壊れたらイヤだな。

ガナパティ

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プネーの名物のひとつに、ゾウの神様ガナパティ(ガネーシュ)祭がある。今年はヒンドゥー暦に閏月が入った関係で例年より遅く、9月18日に初日のガナパティ・チャトゥルティー(ガネーシャの4日)が祝われた。

数日前から道路の30メートルおきぐらいにマンダルと呼ばれる即席祭壇が準備され、初日に神像をステージ中央に安置する。ここで行われるのがプラーンプラティシュターナ(安置式)という祭式だ。まず神像は目隠しをした状態でトラックに乗せられ、シンセサイザーと制服を着た太鼓の楽団に率いられてやってくる。安置されると、招かれたブラーミンがマントラを唱えながら、水、お菓子、線香、花輪、装飾品をお供えして目隠しを取る。それから灯火を点して神像の前でぐるぐる回し、それから後ろで見ていた参加者が灯火の煙を頂く。マントラの一部を全員が手をたたきながら唱え、その場で右回りにくるりと回るところがあり、この全員参加型が日本の祈祷にないパターンである。

クリシュナナガルのマンダル地区ごとにステージを作り、祭式を始める時間はまちまち。一般に商店街は昼に行い、住宅街は夜に行っているようだ。1キロほど近くを見て回ったが、ステージごとに設置の仕方が違っていて面白い。電飾でピカピカさせているもの、現代風にアレンジしているもの、草木で飾っているもの、ガネーシュ以外の神像と一緒に飾っているもの、『ラーマーヤナ』などの古代説話の一場面を人形で再現したもの……。

初日はK氏、I氏と景気付けにビーフステーキでビールを飲む。理由は分からないが、このところプネーにはビーフステーキを出す店が増えている。今日食べたのはコレゴンパークの「マッド・ハウス・グリル」というところだが、バンダルカル東洋研究所の近くにも「神戸」という店があるし、カリヤニナガルにもあるらしい。メニューを指差して店員に「これは何のステーキか?」と訊くと勇気を振り絞ったような声で「ビーフ!」と答えるのが面白い。ヒンドゥー教のお祭の初日に牛を食べるとは世間に背を向けているが、肉は柔らかくて美味しかった。

2日目は去年ホームステイさせてもらっていたアムルタさんに案内され、正式な祭式を見せてもらう。サハストラ・アーヴァルタナ(千回繰り返し)といい、ガネーシュを讃えるマントラ「ガネーシュ・アタルヴァシールシャ」を1000回繰り返すもの。1回唱えるのに2分はかかるから、単純に計算して33時間かかることになるが、幸い20人で唱えれば50回でいいことになっており、1時間30分ほどで終わる。お経本を渡されて私も参加したが、休みなしで声を張り上げ続けるというのもなかなかつらい。日本の葬式でもそんなにお経を読み続けるということはない。









現代の伝統主義者
(Pune Times 9/20)
かつて人々はシュローカ(サンスクリット語の讃歌)を知っていたものだったが、今はお祈りのときにカセットテープを流す人が増えている。「確かに便利だからだけど、シュローカをちゃんと覚えていないからでもあるんです」とグプテさん(27)。シュローカを知るブラーミンや親戚の長老が招いてはどうかといえば、「ブラーミンはこの時期たくさんの家で呼ばれていて忙しい。そもそもみんな時間がなくて簡略にせざるを得なくなっている」と銀行員のクルカルニ氏(56)。祭日の料理ボーグも今では外に注文したり、簡略化する人が出ている。ソフトウェア・コンサルタントのパトワルダンさん(29)は「仕事が忙しくて祖母や母が作っていたようにボーグを準備するのは無理。だから一部だけ作ってあとはお店に頼んでいるわ。」こうした若者だけでなく、料理があまりできなくなった老人などにもボーグの配達サービスは売れているという。


マントラの内容は「ガナパティ神に敬礼して私は真実を語ります。あなたは我々の上下左右前後、世界のどこにでもいます。あなたは世界の原因として存在・精神・歓喜そのものであり、ブラフマー神であり、ヴィシュヌ神であり、スーリヤ神でもインドラ神でもヴァーユ神でもルドラ神でもあり、不滅です。私は心を込めてあなたを讃え、供物を捧げます」というような内容。サンスクリット語だが、暗記している小さい子どももいた。

終わってから参加者に昼食が振る舞われ、お腹いっぱいになった。大好物のデザート、ラス・マライ(スポンジケーキを劇甘ココナッツミルクに浸したもの)をお替りしたのがいけなかったような気がする。夜遅くまで満腹で夕食がほとんど食べられなかった。

夜には今住んでいる団地でイベント。初日は「スプーンの上に小さいレモンを置き、スプーンをくわえてレモンを落とさないようにしながら20メートル走る徒競走(リムブ・チャマチャー・スパルダー)」が行われていた。喜んで写真を撮っていると、ステージに呼び出される。司会者は名前などを訊くとマイクで「只今写真を撮っておりますのは日本から来たミスター・オノです。プネー大学でサンスクリットを勉強しています。ミスター・オノ、何かスピーチを!」

……恥ずかしかったが、マラーティー語で簡単な自己紹介をすると子どもたちが次々と近づいてきた。こうして私のデビューは果たされた。半径数キロ以内に外国人が住んでいる形跡のない地域だが、外国人が珍しくて子どもたちがはにかみながら近づいてくるのを見ると、ここは田舎なんだなあとつくづく思う。

3日目の夜はスピーチコンテスト(ワクトリトワ・スパルダー)。小学生がマラーティー語か英語で3分のスピーチを行う。私はステージ横のゲスト席へ。20人ぐらいの子どもたちがきちんと作文をして、それを覚えてきて発表する。その上半分は流暢な英語。「何も見ないで一定の時間話す」という教育は、日本にはない。だから国会の討議ですら台本を読むだけになるのだ。インドはこれからどんどん世界的に通用する人材を輩出していき、日本はおろか中国も負けていくような気がする。

しかしテーマは1年生から4年生が「私の国インド」、5〜7年生が「力を合わせる大切さ」、8〜12年生が「インドの宗教とお祭」。豊かな文化と歴史遺産、広大な国土と偉大な先駆者をもつインドは、独立を堅持し、異なる地域と宗教が力をあわせて未来を作っていかなければならないという話が異口同音に語られる。インドの愛国心教育はすさまじいものがあるとは聞いていたが、目の当たりにすると面食らってしまって苦笑いしか出なかった。

ちなみにこのガネーシャ祭はもともと各家庭で行われていたが、インド独立運動の一環として今のようなかたちになったという。今日ではエンターティメント化しているが、インドの伝統を知り、愛国心を育てるというのが元来の目的だったのである。このスピーチコンテストもそういう過去の流れを汲むものだ。


ダグルシェートのガネーシュ4日目は市内で一番大きいというガナパティ寺院・ダグルシェートを見に行く。映画俳優のアミターブ・バッチャンが耳を患ったときに黄金の耳を寄贈したという曰くつき。夜は人がごった返して何も見えないというので、昼のうちに行くことにした。それでもずいぶん込み合っている。参道はお供え物の椰子の実を売る店がずらりと並び、寺に着けばマントラが絶えず流れ、そばでは古式ゆかしい護摩炊きも行われていた。

僧侶がカラオケのようにマイクを握ってマントラを熱唱していたり、休憩に携帯で電話をかけたりしていたが、その違和感で笑ってしまった。少なくとも何百年と行われてきた伝統と、マイクや携帯といった現代グッズのコントラスト。伝統に従って厳粛に進めるため、またお客様に違和感を抱かせないため、私はこれを日本で気をつけているので、余計そういうところが気にかかる(お葬式や法事に携帯電話を持っていかない、法要の最中は腕時計を外す、マイクは極力使わないなど。あと休憩にタバコをふかしているのを見るのも興醒め。メガネを外すわけにはいかないので、はじめから地味なものをかける)。

そして4日目の夜はダンスコンテスト。音楽にあわせて子どもたちが1人ずつ踊りを披露する。伝統舞踊からエアロビ風ダンスまでさまざまあったが、みんな驚くほど上手だった。日本人の踊りといえばせいぜい阿波踊りぐらいまでのスピードだが、こちらのダンスは手足の残像が目に残るくらい超早回し。しかも全身くまなく使う。私が真似したら3分で翌日の筋肉痛が確定しそうな激しい踊りだ。超早回しなのに指の先から足の先まできれいに揃っている。これは日ごろの鍛錬なのか、それとも生まれつきのリズムなのか。


ダンスコンテストインドに来る前、成田空港で浜崎あゆみの新曲プロモーションビデオが放映されていた。インド映画の踊りにすっかり慣れていた私には、彼女の踊りは(バックダンサーも含めて)ただ左右に揺れているだけにしか見えず、生ぬるい気がしたのを思い出す。揺れているのと踊っているのは全く違うのである。そういう意味では、日本人は踊りを知らない民族なのかもしれない。

5日目は雨で特に見るものなし。6日目にアムルタ家に再び行く。神像のヴィサルジャン(送別)が終わった家は、客を招いてお祝いをするのだという。祭の期間は最長10日あるが、家によって1〜8日で切り上げてしまう。魂抜きは近くの川(または街が用意した水槽)まで行き、「ガネーシャさま、また来年!」と言って神像を沈めるという儀式。10日の後は街の大型神像が神輿を始めてものすごく混雑するため、家庭では早めに切り上げる。

お祝いといっても何かあるわけではない。ただ客が次から次へと訪れてお菓子を食べておしゃべりしていくというだけ。往復2時間かけて来た身としては拍子抜けしてしまったが、アムルタさんのおじさんから、「ガネーシャの4日」というのはヒンドゥー暦の話だとか、みんなが「ガナパティバッパー・モーリヤ!」と叫ぶのは「ガネーシャ神に敬礼!」という意味だとか、祭の期間中ガウリーという女神も崇拝されるとか、いろいろ教えてもらった。

7日目はガネーシャ・パーティが行われ、女優のアイシュワリヤー・ライがゲストとして来るというのでK氏と見に行く。授業のため30分ほど遅く行ったら、もう満員で入れなかった。入り口で隙あらば入り込もうとしているインド人の群れ、棒を持って警備している警察。ときどき警察が棒を振り回しながら群れを散らすが、すぐにまた群れができる。まるで食べ物にわんさかたかるハエのようだった。VIP入口にアイシュワリヤーを乗せたものと思しき遮光ガラスのベンツが入って行ったときはみんなわっと群がり、わっと追い払われた。中には逃げ遅れて本気で叩かれている人も。


人力観覧車何とか入ろうと粘ったが、チケットなしではどうしようもない。中から「ガナパティバッパー・モーリヤ!」の大きい掛け声が聞こえてきて、中も相当混雑している様子を伺わせた。諦めてお茶を飲み、帰ることにする。翌日の新聞によると1万人が入り、ガネーシュ祭というよりもアイシュワリヤー祭になっていたとのこと。当のアイシュワリヤーは30分遅れで到着し、終わる前に帰ってしまったらしい。それでも史上最大の動員を記録したのは、彼女のおかげにほかならない。

帰る途中で移動遊園地を見つけ、ものは試しと人力観覧車に乗る。3〜4人の男たちが押したり引いたりして弾みをつけ、観覧車を動かしてしまうというもので、不規則に回る感覚が怖い。カゴにぶら下がったり、軸に足をかけたりして曲芸のように力を加えていき、どんどんスピードアップしていく。「バース、バース(もう十分)」……気持ち悪くなってきたので止めてもらった。これで25円也。観覧車だからとなめていたが、回転系に弱い私の三半規管は確実にやられ、足がしばらくふらついていた。

9日目はプネーで勉強している日本人で駅裏のイタリア料理店「ピザ・エクスプレス」に集まり会食。お祭がこんなに盛り上がっているのは自分のところだけかと思ったら、みんなのところでも同じようなものらしい。ただ今年は警察の取締りが厳しくなったのか分からないが夜中はあまり騒がしくなくなっているという話だった。これは騒音公害が取りざたされるようになっているからで、11時には切り上げなければならない。もっとも熱狂はすぐに止むはずもなく、12時を過ぎてまだ盛り上がっているところもまだまだ見られる。


ヴィサルジャン10日目、祭の最終日は踊りながらガネーシャの神像を川や池に流しに行くヴィサルジャン(送別)という儀式。祭壇からトラックやトラクターに神像を移し、各家庭から出た神像も一緒に乗せると、派手な音楽を鳴らしながら行進が始まる。トラックの前で音楽にあわせて赤い粉をかけながら、老若男女が踊りまくる。周囲には見物人の群れ。トラックのスピードは時速20メートルぐらい。池はすぐ近くだが、何時間もかけてゆっくりゆっくり進む。中心街ではこの何倍もの規模で行進が行われているという。後日の新聞では10日目の昼から始まり、翌日の昼過ぎまで、25時間やっていたそうだ(それでも警察の指導で去年より3時間早く終わったとのこと)。

昼に行ったときはまだ穏やかだったが、夜に通りかかったところでは「どうか踊って下さい。2分だけ!」と手を引っ張られて踊りに参加。苦笑いしながらちょっと踊ってみる。みんなシラフだが、私はたとえ酔っ払っても付いていけない熱狂にすっかり気後れしながら…。ちょっとだけ楽しかったが、踊っている最中、狙っていたかのように赤い粉をかけられる。挙句の果てに、頭にまぶしこまれる。こんな日に限って白い服を着ていた私は上半身全部がピンク色に染まり、見るからに陽気な人になってしまった。

去年プネーに着いたのはちょうどお祭が終わった翌日だったので、初めて見たガネーシュ祭。楽しみにしていたことはあまりなく、むしろスピーカーの音がうるさくて勉強や授業ができるかが心配だった。実際のところうるさいかどうかは住んでいる場所による。お寺や特設祭壇のすぐそばだったらもうどうしようもないが、今住んでいるところは幸い遠くの喧騒程度。先生のお宅での授業は何度かヒンディー映画音楽が流れてきたものの、集中力を切らさなければ聞こえないということはなかった。

形骸化しつつある日本のお祭と比べると、みんなが思い思いに楽しんでいる。それだけ日常の娯楽が少なくつまらないということかもしれないが、笑顔を見ているるとこちらも顔がゆるむ。このお祭を通して、プネーの人々に親しみを覚え、ここに住んでいるのが好きになったような気がする。

ガス

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ガスコンロついにガスコンロ設置完了。滅多に調理をしない生活だが、具合が悪くて家の外に出られないときお湯も沸かせないのでは困る。それに加えてお昼に軽食を食べられるところまで結構歩くので、面倒くさくてお昼は手抜きになりがち。バナナやポテトチップを昼食にするのはいかんと思い、オムレツでも作ろうかと思った次第だ。

まずよく通りかかる近所の自転車&バイク修理屋さんに、コンロが陳列してあったのでそれを購入。サンスクリット語を勉強していると言ったら「あなたからお金を取りたくない」と言って2割ぐらいまけてくれた。田舎町にはこういうよさがある。ガスはどこで手に入るのか訊いたら、「ジェイ・ガス・エージェンシー」というところを教えてくれた。この辺では唯一のガス屋さんらしい。

教えてもらったとおりにオフィスに行くと「3,4日以内に技術者を送る」という。しかし1週間経ってもこないので、しびれを切らしてまたオフィスに行ってみたら「明日送る」などという。今までのパターンから言えば、おそらく私のいないときに1度来たのだろう。それで不在だったからあとはそのままになっているとみた。

翌日来た技術者はガスコンロのメーカーを調べ、器具が揃えてあるのを確認して終わり。肝心のガスシリンダーがないのだから、それ以上できないのは目に見えている。「この調査書をオフィスに渡して」と言って帰っていった。その日のうちに持っていく。

オフィスでの登録は前の客がいたため30分待たされた。その間、襲い掛かる蚊と格闘し続ける。結果は3勝4敗(3匹殺して4ヵ所刺された)。その隣で平然と仕事を続けるおばさんたち。前から不思議に思っているのだが、インド人には手足に蚊に刺された後をまず見ない。刺されても体質的に腫れないのか、それとも皮膚が強くて刺されないのか?(後日確認してみたところ、赤ん坊のころに嫌というほど刺されて耐性ができ、痒いことは痒いが赤く腫れたりはしないという。ただ顔など肌が敏感なところを刺されれば目に見えるぐらい腫れる。)

なぜか生年月日まで書かなくてはいけない長い申込書を書くと、いろいろな書類が出てきた。レシートだけで4枚、それに「ガス手帳」。金額も3000円ほどと、予想を超える金額になった(うち約半分は保証金)。そんなに持ち合わせがなかったので、家に取りに戻る。「今ガスを持っていくか?」などと訊くので「届けてください。接続もやってほしいので」というと、「では明日の午後。」こうしてまた1日が過ぎる。

そして今日、15キロのガスシリンダーを自転車に乗せて係員がやってきた。作業時間3分で完了。ガスコンロに火が点ったときは実にほっとしたものである。早速お湯を沸かして、日本から持ってきたどん兵衛を食べた。

電話格闘記(4)

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電話!家に電話を引く。それだけでこんなに時間がかかるとは思わなかった。

引越し前、不動産屋に電話を用意するようお願いしたのが7月7日。それから大家の電話代滞納と他の電話会社の対応の悪さのせいで23日が無為に過ぎ去り、7月末に一時帰国のために中断。そしてインドに戻ってきた8月29日、すぐに不動産屋に行って電話をつなぐよう頼んだ。今度はBSNLのアナログ回線だ。

今の住まいには、同じBSNLの回線が通っている。それが使えないのは大家が13,000円を滞納していて、私が肩代わりするのを断ったためだ。来年返すと言われたが、日本に帰る直前、敷金50,000円の上にそんなお金が戻ってきても使い道はない。ルピーからドルに換金するには書類が必要な上に手数料が引かれてしまう。デポジット(保証金)は極力なくすのがインド滞在では大切なことだ。

一方、不動産屋のプラモード氏が紹介してくれたBSNL回線は、同じ電話線を使いながら別の電話番号を開設してしまう荒技で、電話工事をしている彼の知り合いが非正規な手続きで行う。7月に私が苦労しているのを見て、プラモード氏が考えた最終手段である。「彼に頼めば3日でつながる」と言っていたが、はたしてそんなはずはなかった。結局つながったのは30日後である。7月の分とあわせて56日間にわたる戦いに、ようやく終止符が打たれた。

なぜそれだけ遅くなったかというと、その電話屋がなかなかつかまらなかったことが大きい。日ごろ外で働いている彼は携帯電話も持っておらず、たまたま近くを通りかかったときに見つけて捕まえないといけない。そんなオフシーズンの焼き芋屋のような彼に、プラモード氏を通して開設費用がいくらかかるか訊き出すのに1週間を要した(7500円)。再びプラモード氏を通してお金を本人に渡すまでまた1週間。プラモード氏にはいくら急かしても「捕まらない」の一点ばり。

ようやくお金が渡ると(9/13)、工事に1週間から10日かかるということが判明。3日って言ったじゃないか、3日って言ったじゃないか! でもこれが最終手段である上に、プラモード氏が悪いのではない。私はただ待つしかないと諦めはじめており、すでに電話を手に入れるための格闘という感じではなくなっていた。

闘争心がそがれたのはあまりに時間がかかりすぎていたからでもあったが、もうひとつは、この開設が非正規な手続きだったからである。大家の電話線を使って新しい電話番号を入れるという荒技のほかに、電話局からの許可がおりやすくするため、プラモード氏は何と、サミルという偽名の同居人の名義で回線を開設させようとしていた。別の電話会社タタ・インディコムでは学生だからという理由で開設を断られていたため、慎重を期すのだという。「電話会社から人が来たら、サミルという友達と一緒に住んでいると言うように。絶対忘れないで!」……ここまで来ると非正規というよりも非合法ではないのか?

そして10日目(9/22)。それ以上かかるようなら工事は中止し、開設費用は返すと言われていたので再び不動産屋に出向く。電話線はつなぎ終わっているが、電話機の在庫が会社にないので2日待ってくれと言われたという。そしてくれぐれもサミルと一緒に住んでいることになっているのを忘れないようにと念を押された。もう何が何だか……。









今年の調査でHIV罹患率が1%を超える州が5つ(マハーラシュトラ、アーンドラ・プラデーシュ、カルナータカ、マニプール、ナーガランド)あることが判明。1%は一部のグループに限らず一般に流行している指標。これを超えると制御は難しくなり患者は急増すると言われる。5州の中には5〜6%もの地域も。妊婦は特に罹患率が高い。国内の患者数は510万人、農村部で310万、都市部で200万。


その日の午後、初めて電話屋が家を訪れた。書類を見ながら「ここはラジニカーントの部屋か?」といきなり疑われる。「ラジニ??」書類をちらりと見ると「パティル・ラジニカーント」となっている。「ああ、パティルなら私の友人で、一緒に住んでいる。」プラモード氏が言っていた「サミル」というのはファーストネームで、電話局の登録から抜け落ちていたらしい。おかげで電話屋は不審な顔つきのまま帰り、プラモード氏に確認までしていったという。何でこんなウソをついてまで取り繕わなければならないのかと思うと気分が悪い。

電話屋は翌日(9/23)の12時に電話機を届けると言って帰ったが、翌日はおろか、翌々日も来やしない。もはや毎度のことなので、できるだけ期待しないで待つようにしていたが、時間が過ぎていくにつれてどうしても悔しさが頭をもたげてきてしまう。これはもういい加減の域を超えている。なんて不正直で、怠惰で、でたらめなんだろうか。警察署で、大学で、家で、インド人たちのその場しのぎの言葉にかすかな希望を託して、悶々と待ち続けた日々が甦る。

結局その2日後(9/25)、ようやく電話屋がやってきた。「パティルはいるか?」「いない」「15分後にまた来る」……しかし15分後はおろか、7時間たっても来やしない。そのあいだ家を出るわけにもいかず、インスタントラーメンやおやつで空腹をしのいでいた……こういうパターンばっかり。夜にプラモード氏に行ったところ、外国人しかいないので不審に思ってまた確認して帰ってしまったらしい。プラモード氏は「彼はパティルと一緒に大学で勉強しているのだ」と言い、支払いは自分が保証するから手続きを進めるようにお願いしたとのこと。電話代を滞納している大家の尻拭いとはいえ、そこまで言ってもらえるのはありがたい。

しかし何はともあれ電話屋が約束を破ったのは事実。プラモード氏にそのことを言ったら、彼は1枚の書類を見せてくれた。BSNL新規回線申込書。彼が自分の事務所に引こうとしているものである。その申し込み日が7月9日。「あなたの場合はもう電話線が来ているから10日とかでできるんだ。私のは電話線を引いてこないといけないからって、こんなだよ」……論点をずらされた気がするが、3ヶ月近くも待っているプラモード氏に、2ヶ月足らずの私がこれ以上文句をいうことはできなかった。

さて日曜をはさんで月曜(9/27)。今日こそ電話屋が来るから自宅で待機しているようにプラモード氏から言われる。「パティルのことをまた聞かれたら、仕事で出かけていると言うように。」……さすがにもう遅れまいと期待が否応なく高まっていたが、午後3時まで来るという電話屋は9時になっても現れず。電話がつながったときのことをあれこれ想像しながら空腹に耐える哀れさ。プラモード氏に電話したら、「今日はガネーシャ祭の最終日で、交通マヒが起こっている。夕方に電話屋から、努力するが今日は来れないかもしれないという連絡があった。明日は絶対来るように言うから、今日はもう諦めてくれ」……絶句。フラフラと外に出て、お祭を見て遅めの夕食をとった。

お祭で「インドは気に入ったか」と聴かれた。「何でも時間がかかってしょうがない。今行くというが『今』って今日のことか、今週のことか、それとも今月のことか?」それが私の偽らざる心境だった。

そして火曜日(9/28)、お昼過ぎに電話屋が電話をもってやってきた。こちらは嬉しいというよりもまたパティルのことを訊かれないかと思って無口になる。何やら設定があるとか言っていたのに、電話機をコードにつないでおしまい。こんな簡単なことに、今までどれだけ時間がかかったのかと思うと拍子抜けもいいところだった。

というわけで今、部屋に電話がある。それにちょっと違和感を感じてしまうぐらい長かった。この56日間、通話は携帯電話を使っていたから不自由がなかったが、問題はインターネット。自転車で10分、ヴィマーンナガルのネットカフェに毎日通っていた。DSLの高速回線なので日本語のGlobal IMEをインストールするのは容易だが、あまり快適ではない。その理由は第一に、込んでいると30分ぐらい平気で待たされること、第二に、よく停電や断線が起こりせっかく書いたものが見事に消えてしまうこと、第三に、蚊が多いこと。あとキーボードが古くてエンターキーを押すと戻らずに連続改行が起こってしまうのもイヤだ。ホームページの更新は、家のパソコンからCDに焼いてきたり、ブラウザ上で更新できるプログラムを使ったりして少しだけやったが、あとはメールを書くぐらいが関の山。何をするにも時間がかかってしょうがない。

そしてもうひとつ、9月になってからネットカフェに行く問題があった。それは日が暮れると毎日のように降り始める大雨である。今年は異常気象のせいか雨季がずれ込んでいるのかと思うぐらいよく雨が降る。行く前に降り始めたら断念するしかないが、ネットカフェにいる間に降り始めたら、小降りになるまでだらだらネットサーフィンをするか、いつまでも雨が上がらないようならばずぶぬれで帰るしかない。雨が降ると停電することが多いため、ネットカフェにいても何もできないことも多々。家にネット環境があるありがたみが分かってくる。

日本語を教える

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イスラム教徒増加
(The Times of India 9/7)
2001年の国勢調査によると宗教別人口増加率(1991年比)はイスラム教徒が36%増でトップ(ほかも20%程度で急激な人口増加も背景)。ヒンドゥー教徒6人に対してイスラム教徒1人という割合になった。
識字率はジャイナ教徒が94.1%でダントツ1位、最低はイスラム教徒の59.1%(女性に限れば50.1%)。
男女比率はキリスト教徒だけが男性1000人に対して女性1009人と女性の方が多く、あとは女性900人代。シク教徒では男性1000人に女性893人しかいない。シク教徒が多いパンジャーブ地方などでの出生前性別診断と女の子と分かった場合の堕胎が原因とされる。
全体比0.63%の仏教徒、人口増加率は平均並みの24.5%、識字率は72.7%、男女比は男性1000人に対し女性953人。

アパートから先生の家までは舗装されていないところが多い。砕いた石が敷き詰められているが、それがゴツゴツしてタイヤを傷める。2,3日に1回は空気をつめなければならないほどだ。マウンテンバイク風だが、もともと古い自転車なので空気が抜けやすいのである。

中にはつめた数時間後に空気が抜けてしまうことがある。そういうときは栓を20円で交換してもらう。道端でテントを張って営業している自転車屋に頼んで、夜に引き取りに行ったらもう閉まっていた。しかたなく近くで夕食を取ってとぼとぼ歩いて帰ることにする。

夕食を食べている間、2人の女性がじっと私の方を見ている。顔立ちがマハーラシュトラっぽくないので、こちらも気になって見返していると、店主が「Are you japanese?」と訊いてきた。何でもその女性が話したいという。プネーでは日本語を勉強している人が多く、今まで何度か話しかけられたことがあったので驚かない。

彼女の名前はルパリ・カプールさん。ITベンチャー企業に務めている。大学で日本語を勉強し、会社からも日本へのビジネス要員として期待されているが、日本語を訓練する場がなくて困っていたという。いつも通っているネットカフェで私が日本語でメールを打っているのを見てチェックしていたという。家の近くだし、気分転換を求めていたこともあり、夕食をご馳走させてくれるという代わりに家庭教師を引き受けた。

まず必要なのが会話の練習。敬語と口語体にあふれた会話は、いくら文章を読めても苦労する。「かしこまりました」「承りました」などは外国人にしてみたら早口言葉のようなもので、実際使われているのか疑問に思うのも頷ける。それから「恐れ入りますが」「申し訳ありませんが」「ごめんください」「〜して頂けませんか」などの謙譲・婉曲表現も冗長でつらい。でもビジネスの場面では非常に大切だろう。

次は漢字。ビジネス関係のキーワードに絞って勉強しているが、これも苦労する。まずは会社の部署や役職を漢字で書けるようにするところから。「営業部」「総務部」「経理課」など。これはビジネスレターを日本語で書くのに必須となる。「そうむぶ 山下さま」などと平仮名にしたら小学生の作文みたいだ。

プネーの日本語熱はさらに増しているようで、大学で開講されているクラスの受講者もうなぎのぼり。今年は初年度受講者が1000人に達したという。残念ながらプネーには日本語学科を設置している大学がないため本格的に学びたい人はデリーに行かなければならないが、この調子ならば数年後、日本語学科ができているかもしれない(ことはそう簡単に運ばないようだが)。

さて、カプール一家はもともとパキスタンのラホール出身のヒンドゥー教徒。分離独立のときに、迫害を恐れて一族郎党みんなデリーに移住した。だからパキスタンに親戚はもういない。それからムンバイを経てプネーへ。現在お父さんはレストラン経営(「Are
you japanese?」と訊いてきた人である)、お母さんは昔バーレーンで新聞社に務めていたらしいが今は専業主婦。大学生の妹ナターシャも影響されて今年から日本語を習い始めている。元来のマハーラシュトリアンではないので、家ではパンジャーブ料理だったり、ガネーシャ祭は家でしなかったりする。

「パキスタンはイスラム政府だけど、インドはリベラルだからね。彼らはインドを憎んでいるよ」とお父さんが言うと、「インドこそ、パキスタンを憎んでいるじゃないの」と家族がつっこむ。やや語気を荒くして「それじゃあ、あのカルギル事件(パキスタンの民兵がカシミールに侵入して起こった紛争)はどうだっていうんだ?」「……」もとはパキスタン領出身だけに、インドとパキスタンに対する思いは交々のようだ。

外国人登録許可証を受け取りに中央警察へ。実は5回目である。
 1回目…在学許可証とアパートの賃貸意契約書を忘れた。
 2回目…パスポートの入国スタンプをコピーしていなかった。
 3回目…書類が揃い、受理される。
 4回目…許可証は7日後に発行されることになっていたが、10日経ってまだ発行されていなかった。
 5回目…申請から12日後、やっと許可証を受け取る。しかし係が来なくて40分待たされた。
去年同じ登録をしたときは一発で受理され、一発で発行されたので合計2回で済んだため、余裕だろうと侮っていたのが失敗。考えてみれば去年は、ホームステイしていた家のヴァーマンさんが付き添ってくれて、あれこれ指示してもらっていたのだった。外国人が独力でするのはこんなものかもしれない。たいへんだった分、終わるとせいせいする。その足で映画館に行き、マクドナルドでマックシェイクを飲んでから映画を見てきた。

心はあなただけをディルネー・ジセー・アプナー・カハー(心はあなただけを)
〈あらすじ〉
 朝6時。目覚ましを止めたバリー(プリーティ・ズィンター)はとなりで寝ていた夫のリシャーブ(サルマン・カーン)を起こす。海岸のジョギングが朝の日課である。2人はとても仲のいい夫婦だった。妻のバリーは病院の医師、夫のリシャーブは建築設計会社のチーフ。やがてバリーは妊娠し、2人の幸せは最高になったかに見えたが……。
 バリーが車を運転しながらリシャーブのもとに向かう途中、目の前でバイクが転倒。それを避けて急停車したバリーの車に後続のトラックが追突し、バリーは車ごと道路の外に投げ出される。自分が勤める病院で緊急手術を受けたが、リシャーブに「I
love you...」と最後の言葉を遺してバリーは死んでしまう。妻とお腹の中の子どもを一挙に失ったリシャーブは気も狂わんばかりとなり、卒倒してしまった。
 実はバリーが勤めている病院には、心臓の病気であと2,3年の命と言われている女の子ダーニーが入院していた。バリーが死んだのを受けて移植手術が行われ、バリーの心臓はダーニーへ。ダーニーはその後ぐんぐん回復し、社会復帰できるようになった。
 一方、気を失っていたリシャーブは、移植手術が行われたことを知らないままバリーの火葬を行い、家に戻ってからも妻のことを思い出してばかりの暗い生活を始める。そんなある日、知り合いの結婚式に招かれたリシャーブは、ダーニーと偶然出会った。心臓のなせるわざであろうか、ダーニーは彼を一目で好きになり、一方リシャーブも彼女のノートを偶然見つけてその言葉に打たれた。それがきっかけでダーニーはリシャーブの会社に就職することになる。
 就職してからもダーニーはますます思いを強くし、自分の心臓が彼の妻のものであることを聞いてからはいてもたってもいられなくなり、ついにリシャーブの家を訪れる。しかしリシャーブは妻を忘れられず、彼女の告白を拒絶。絶望したダーニーは心臓がおかしくなり、「I
love you...」と言って瀕死状態になってしまう。
 電気ショックを与えても回復しないダーニー。リシャーブはそこで初めて、彼女の心臓が妻のものだったことを知らされる。途端にバーリーの思い出とダーニーの行動が重なっていく。「バリー、俺が悪かった。どうかこの子を生かしてくれ」と涙ながらに語りかけるリシャーブ。すると奇跡が起こった。心臓が再び動き出したのである。
 ……朝6時。目覚ましが鳴る前にリシャーブは起きた。隣にはダーニー。「子どもは何人がいい? 1人、2人、3人!」2人の新しい生活が始まっていた。

〈感想〉
 泣ける。愛する者を失う悲しさ、しかしどんなかたちになっても愛し続ける愛の深さ。
 このところラブストーリー映画と言えば男女がケンカをしながらだんだん好きになっていくというパターンが多かったし、ヒロインのプリーティ・ズィンターは怒って早口でまくしたてるシーンが似合う女優なので、この映画もそうなのかなと思っていたら、のっけから仲良し夫婦。これは意表をつかれた。その後も先を読ませない展開で飽きさせない(後半、ダーニーが仕事になじんでいくシーンはややだれるが)。
 バリーが交通事故にあった一因は携帯電話でリシャーブと話していたこと。日本だったら2500ルピーの罰金ものである。そこは彼女にも過失があったと思われ、申し訳ないがあまり同情できなかった。しかしその後のリシャーブには思いっきり感情移入。現実に妻は日本でぴんぴんしているが、車を運転しているので交通事故に遭う可能性がないとはいえない。もし同じことが自分の身に起こったら、その後の人生はどうなるだろう。また反対に自分がインドで客死してしまったら、妻はどうするだろう。心臓が他の人に移植されたら、その人にはどういう感情を抱くだろうなどといろいろ考え始める。帰り道、いつもより慎重に道を横断したのは言うまでもない。
 心臓と心は「Dil」という同じ言葉で表される。バリーのハートは、ダーニーの中にあってもリシャーブを愛していたというわけである。「心というのは比喩で、本当は脳が愛しているのだ」などと野暮なことを言ってはいけない。ちなみに古代インドでは、心は心臓の中にある親指大のものという考え方もあった。
 しかしこの映画は、心臓が愛の拠り所だと言っているわけではないだろう。リシャーブは、バリーの心臓がダーニーに残されたことを知らずにバリーを愛し続けていた。バリーの携帯の留守番メッセージを何度も聞き返すリシャーブ。その結果、ダーニーを通してリシャーブはバリーに再会することになる。この世からいなくなったものの記憶を失わないばかりか、その思いをさらに強めていくのは無形の愛のなすわざであり、人間の本性のひとつと言えるかもしれない。
 まだ封切1週目だというのに、客はがらがら。これまた早く終わりそうな感じだ。原因は何か。ひとつは悲しすぎること、もうひとつは入院や手術シーンが多くてグロテスクに感じられることではないだろうか。この2つから観衆がもっとも期待する華やかさやカタルシス、さらにはロマンスがなくなり、映画館の外でも見ることのできる殺伐とした現実が印象に残ってしまう。私は、そこが気に入ったのだが。インド人のルパリさんに聞いたら、いい映画だとは思うが心臓が意思をもつのは非現実的であるのと、サルマン・カーンがずーっと泣いていたのがマイナスだという。

今日は一切リキシャーを使わずバスのみ。バス停から中央警察、映画館、そしてバス停まで徒歩。帰りはネットカフェに寄ったのでまた徒歩。合計4,5キロは歩いたと思う。帰りの夜道はやや危険を感じるが、運動になる上に風景や人物をゆっくり眺められるので街に親しみを覚えるようになてきた。








インディアダイジェスト
(The Times of India 9/3)
「蛇のマヌ」として知られているギネス世界記録保持者C.マノーハランは、新記録の練習中。それは生きている蛇を鼻から入れて口から出すものだ。木曜日にチェンナイにて。蛇のマヌは30秒以内にミミズを200匹飲み込むという記録を持っている。(写真:涙を流しながら緑色の蛇を鼻から口に通しているところ。)


先月日本で取り直してきたビザの外国人登録をしに行く。案の定、書類が足りなくてまた今度となった。インドでは半年以上滞在する外国人は登録を行わなくてはならない。学生ビザの場合1.申請用紙(3枚コピー)、2.写真3枚、3.パスポートのコピー、4.在学証明書、5.アパートの契約書が必要。4と5は家にあった。ちなみに学生ビザの延長申請は提出書類が7つか8つあって気が遠くなりそうだった。日本に帰れば簡単に取れるのだが。

ついでに来月ドイツに遊びに行くチケットを購入(エアーフランス、パリ経由フランクフルト往復で約95,000円)、マクドナルドで昼食、映画を見てバリスタ(コーヒーショップ)でおやつ、駅で電車の時刻を確認して帰宅。市内にはたまにしか行かないので、用事は思いつく限りまとめるのである。

ほらそうなっちゃったでしょキョーン・ホー・ガヤー・ナ(ほらそうなったでしょ)
〈あらすじ〉
 レーサーのアルジュンは恋愛に関しては鈍感で、結婚はお見合いでよいと考えていた。一方、田舎で孤児院を手伝うディヤーは恋愛結婚を夢見る。ディヤーがムンバイで試験を受けるのをきっかけに、アルジュンもムンバイの実家に呼び戻される。お互い知り合いである両方の親が2人の出会いを画策したのだった。
 アルジュンの率直でひょうきんな性格にディヤーは恋をし始める。しかしアルジュンはディヤーをからかってばかりでまともに取り合わない。そうしているうちにアルジュンのいたずらがもとでディヤーは悲しみ、田舎に帰ってしまう。
 空虚感に襲われたアルジュンはディヤーを訪ね、孤児院でしばらく手伝いをすることになる。そこに昔孤児院にいたイーシャンが颯爽と登場、久しぶりに会ったディヤーはイーシャンと仲良くし始め、結婚の段取りまで決まってしまう。傷心でムンバイに戻るアルジュン。
 そこで父親から愛しているならディヤーに会いに行けと諭され、再びディヤーを訪ねるアルジュン。しかし時すでに遅く、結婚式が執り行われようとしていた。引き止めたいアルジュンを尻目に、花嫁衣裳に身を包んだディヤーは式場に行ってしまった。
 結婚式を呆然と見つめていたアルジュンは、孤児院を経営するおじさんにもう一度ディヤーと会いたいことを告げる。するとどうしたこと、イーシャンのそばにいた花嫁は実はディヤーではなかった。陰から現れるディヤー。そう、これは親たちが画策して一芝居売ったものだった。アルジュンはとうとうディヤーに愛を告げ、抱き合う。ハッピーエンド。

〈感想〉
 8月に入ってから公開されたものだが、1ヶ月でもう特別上映(客が入らない映画を昼間に安い値段で上映する)入り。新聞にはアルジュンが最後まで煮え切らないのが面白くないと書かれているが、ディヤー役の超美人女優アイシュヴァリヤー・ライに惚れられていて鈍感なのはおかしいというのが見る人の本音だろう。そうした観点で見ると、前半はさんざんディヤーを邪険に扱っていて、後半になると途端にメソメソし始めるアルジュンは、確かに煮え切らない。それがアルジュン役のヴィヴェーク・オベロイの役柄にぴったりとも言えるのだが。
 さらにラブストーリーを盛り上げる大きな場面の転換がないため、よく言えば平和裏、悪く言えば単調というのも客を呼ばない理由かもしれない。ロングヒットしたラブストーリー映画を見ると、『カルホーナホー』は主人公の心臓病、『ハム・トム』はヒロインの旦那が事故死するというところが場面を急転させ、感動を生んでいる。普通の恋愛なら映画の中だけでなく巷にもある。それを感動的なものにするのは、悲劇というスパイスなのではないだろうか。夫が子どもを残してインドに行ってしまった妻とか(?)。
 付け加えるならば、最後の結婚式が芝居だったというオチは無理のあるどんでん返しでいただけない。ただ2人を引き合わせたいだけで親たちもそこまでするだろうか。また『マスティー』もそうだったが、芝居とはいえ嘘をついた訳で、騙された側(主人公も観客も)には悔しさが残って当然ではないだろうか。こういうオチはどうも誠実さに欠ける気がしてならない。
 と批評すればきりがないが、私は面白かった。客席には30人もおらず少し寂しいものがあったが。まず第一にアイシュヴァリヤーは見とれるほど美しい。ちょっと老けたかなと思う場面もあったが、細身なのでどんな服でも映える。プリーティ・ズィンターやラーニー・ムケルジーのような年毎に太っている女優がジーンズなど穿くと、その腰の太さにはっきり言って興ざめするものだ。華奢なのにパワフルな踊りも、アイシュヴァリヤーの大きな魅力だ。
 それから音楽もすばらしかった。ひとつのモチーフが断片的に用いられている。例えばディヤーが田舎に戻って本を読んでいると、口笛が聞こえてくる。気のせいだとまた本を読み始めると次のフレーズ。そしてアルジュンが現れるのだ。前半の酒場の場面で流れるタンゴも新鮮で面白い。
 そしてコメディーが楽しめた。孤児院の院長をするおじさん役のアミターブ・バッチャンが珍しくファニーな役をして、子どもたちといたずら合戦を繰り広げていたのが印象的。アルジュンがムンバイに行く駅で荷物を全て盗まれ、その上駅弁を頭からかぶって泣き面に蜂、そして飲み物売りになって列車に乗り込み、「コールドドリーンク」と言って回っているのも笑えた。余計なことを考えずに頭をからっぽにして楽しむべき映画なのかもしれない。
公式サイト



まだ電話が通じていないので、ネットカフェ通いの毎日。1時間10ルピーでDSL回線という申し分のない環境だが、家から自転車で10分、途中ナガルロードという幹線を渡るのが危険。さらに帰りは真っ暗なので夜道も不安だ。今日はじっくり時間をかけてメールを書いていたらいきなり停電で全てパー。ヘナヘナ。

ムンバイ観光

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モーニングコールは朝8時。4時間しか寝ていないが、仕事でお疲れのT氏を脇にこちらは元気。プネーでは昼寝付きののんびりした生活を送っているため体力が充実しているようだ。ホテルで豪華な朝食を頂き、今日はムンバイ観光。

日本人がインドの観光に期待するものと言えばおおよそタージマハル、アジャンターとエローラ、仏教の聖地など史跡ばかり、近代になって発達した大都市で見るべきものは少ない。そこにあるのは薄汚れたビル、交通渋滞、雑踏ばかりで、その活気に気後れするぐらいならまだしも、臭さ・汚さ・うるささに辟易していてはよい思い出になるはずもない。

ムンバイもしかり、多くの観光客はここを拠点にゴアやアウランガバードに行ってしまい、滞在してゆっくり観光するような人はあまりいない。T氏もはじめはアジャンターとエローラを希望していたが、ムンバイから日帰りは無理に近い。そのため小ぶりな市内観光となったが、私としてはわざわざ一人では来ないだろうムンバイ市内を観光できるのは楽しみだった。

ムンバイはバス路線網が整備されている。リキシャー乗り入れ禁止区域が多く、タクシーを使わなければならなくなるので、庶民の足はバスに集中するからだ。主要路線ならば10分も待っていれば目的地へ行くバスがやってくる。どこで乗るか、どこ行きか、料金はいくらか、どこで降りるかなどは、車掌にでも客にでも訊けばよい。あとバスは番号で識別するのでインド数字を知っておかなくてはならないぐらいか。多少面倒くさいが、料金は9〜15円ぐらいと、タクシーの10分の1以下。タクシーでもそれぐらいかといえばそれまでだが、インドで暮らしていると100円でも高いと感じられるようになるものだ。もっともそれ以上に、バスの旅は見晴らしもよくて風情がある。

空中庭園ホテルのあるナリマン・ポイントからバック・ベイという弧状に広がった港湾沿いの道をバスで北上。最初に向かったのはヴィーローズシャー・メーター公園(俗称空中庭園)である。貯水施設の上に作られており、高台にあって見晴らしがよい。しかしそれ以上に気を引くのは、動物や門の形に刈り込まれた植木。それがぽつぽつと点在しているさまはなかなかシュールだ。一番笑ったのが牛二頭に牽かせる人間。遠くから見てもすでにおかしい。人間の頭が大きすぎてゴリラのように見えた。そのほかにもやたら首が太いキリンや、何が何だかわからないハヌマーン(サルの神様)などがいてT氏といちいちウけていた。これがムンバイの代表的な公園とは……。


沈黙の塔入口さてこの公園のわきには知る人ぞ知る沈黙の塔がある。インドではパールシー(ペルシャ教)と呼ばれるゾロアスター教徒の鳥葬場で、死者の体を塔の最上階に置いてハゲタカに食べさせる。そのまま置いたのでは食べにくいので、適当な大きさに切り分けておくという。現在も鳥葬が行われているかは定かではない。プネーにいたイラン人は「自分はゾロアスター教徒だが、ムンバイにそんなものがあるとは知らなかった」、ムンバイに住んでいる映画俳優のジミーさんは「そんな伝統が街で続いているとしたら話題になるはずだが、聞いたことがない」という。塔は広い敷地内にあって外からは見えず、また異教徒は入ることができないため謎のベールに包まれている。ただ敷地から道を挟んだ隣にはマンションが建っており、ハゲタカが集まるようであれば近所迷惑になるのではないかと思われた。塔がどのような形態をしているかは、ヴィクトリア庭園にある博物館で確認できる。

後日聞いた話では、鳥葬は現在も行われているという。ただ辺り一帯が都市化してしまったために、ハゲタカがやってこないこと、そのため遺体がそのままカラカラになって悪臭を近所に撒き散らしていることが問題になっている。ちなみに都市部のヒンドゥー教徒は電気式焼却炉で骨もなくなるまで火葬される。灰は木の下に撒いたり、頑張って聖なるガンジス河まで持っていって流す。その辺のムター川などに流したりはしないそうだ。


ヴィクトリア動物園さて沈黙の塔の模型を見にヴィクトリア庭園までタクシーで150円。ヴィクトリア&アルバート博物館はあいにく改修工事中で見ることができず、敷地内にある動物園に行く。お昼過ぎで気温もずいぶん上がり、ヒョウ、クマ、トラ、カバ、サイなどの大型動物は軒並み横になってぐったりしていた。最近、インドの動物園でオリに手を入れた子どもがヒョウに襲われるという事件があったらしいが、ここは柵が二重になっていて安心。でもヘビコーナーはガラスにヒビが入っていたりして心配だった。映画のアナコンダを髣髴とさせるような2メートルぐらいのヘビが、物陰にトグロをまいて休んでいたのには少しびっくり。

ときどき、金網の内側にじっと人が休んでいたのがおかしかった。係員だと思うが、動物と同じぐらいぐったりしているので見世物のようになっている。


ウェールズ博物館バスでインド門まで行き、ひとまず昼食。すでに2時を過ぎており、T氏が希望していたエレファンタ島には行けないことが分かった。エレファンタ島はインド門から船で行ける小さな島で、ヒンドゥー教の石窟寺院がある。往復2時間かかるにもかかわらず、見るべきものはほとんどなくてがっかりするとK氏から聞いていたので私はおすすめしなかったが、T氏は今回のインド滞在で寺院を見ていなかったので何か見ておきたいと希望していたのだった。時間があれば行けるかもしれないと思っていたが行きの船は2時半が最終便。がっかりするT氏と共に、近くのプリンス・オブ・ウェールズ博物館を見ることにする。入場料は外国人料金で300ルピーもしたが、日本語の音声ガイド機が付いており、見るものも多くてなかなか楽しめた。ガンダーラ周辺で発掘された仏像、チベットやネパールの銅製仏像も展示されている。最上階に展示されている西洋絵画や日本・中国の陶磁器は余計かもしれない。さんざん史料を見たのに一番心に残ったものと言えばホワイト・タイガーの剥製。「子どもだよね」と2人で笑ってしまった。

閉館時間まで見た後はおみやげ探しに再び駅前へ。T氏はガネーシャ神像がほしいといっていたのであちこち見て歩き、120円のプラスチック製と1500円の白檀の木彫りを手に入れた。あとは白檀製のボールペン、紅茶、マサラ・バナナなどを買う。物にあふれた日本人に気に入ってもらえるおみやげを探すのは一苦労。ましてやインドでは日本人好みのものなどほとんどなきに等しい。布類はデザインが派手だし、食べ物は甘すぎるか辛すぎる。小島さんがお土産を買っていくたびに「もうこれは買ってこないで」とおみやげ禁止令が出て苦労していたというのを思い出した。そんな中でもT氏が手に入れたものはなかなかセンスがよかったのではないかと思う。駅からの帰りは二階建てバスの二階に乗り、海風を楽しみながらホテルに戻る。

さて、まる1日外を出歩いて疲れたところだがT氏は午前1時の便でアメリカへ。私は一緒に空港まで送ってもらって乗り合いタクシーでプネーに帰ることにした。電車やバスで帰るには時間が遅いし、体力も使う。乗り合いタクシーならかなり高くつくが家まで送ってもらえるので時間もかからない。

空港に着いたのは23時。タクシーカウンターに行くといつも使っている乗り合いタクシーのKKトラベルがもう閉店している。別のカウンターで「今すぐなら1人だが、あと30分か45分待てば乗り合い1600円でタクシーを出す」というので待つことにする。去年ムンバイ空港からプネーに初めて行ったとき、乗り合いタクシーが出発したのは午前2時だったから、それぐらいまで待つ覚悟はできていた。30分か45分なら午前0時前に出発できるではないか。航空券を持っていないため待合室には入れず、外のガードマンがいる場所で予め持ってきた本を読んで待っていた。

……しかし乗り合いタクシーは待てど暮らせど来ない。結局予想していた午前2時を過ぎ、30分どころか3時間30分経ってから「ほかに客が来なかった。1人だけで行くなら6000円…」などと言ってくる。もう帰る手段がないのを知った上で足元を見ている。もうヤケだ、あと3時間も待ては早朝便があるだろうと断ると、私に見切りをつけたのか、KKトラベルの係が別のところにいるのを教えてくれた。う〜ん、あくどい。

KKトラベルの係員は私が待っているのを気づいていたという。「どうしてあんなにずっと待っていたんだい?」「だって相乗りタクシーが出るっていうから……」「兄ちゃん、騙されたね」――実際にはお金は取られなかったし、あちらの人も相乗りになるよう人を探していたので騙されたのではないだろう。私は3時間の間にずいぶん本を読むことができたし、外は寒くも暑くもなかったから待たされたことに怒りを感じなかった。去年の今頃、同じく午前2時まで待たされた自分を世界一の不幸者のように思っていたことを考えればたくましくなったものだ。

結局私を含めて4人を乗せたKKトラベルの車が2時30分に発車。料金は1250円。前日の寝不足もあってか、タクシーの中では爆睡。4人の目的地がばらばらだったため、家に着いたのは5時間後だった。入浴してまたおやすみなさい。結局お昼過ぎまで寝ていた。

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