India: 2004年10月アーカイブ

電気

コメント(0)

昨日の日記で、床屋に終わってからこっちを切れ、あっちを切れと言ったことを書いた。こういう図々しいことができるようになったのはインド1年の生活の成果だと思う。

工芸品店でおみやげを買ったとき、まけろと言うのは基本中の基本。店員が「私たちは従業員ですので決められません」と言われたとき、「それじゃあ店長に連絡しろ」と返す。そして店長から電話で説明を受けながら、「しかしねえ、これだけ買ったんだからまけるのは当然だろ」とねばる。それでも無理だと分かったとき「じゃあ代わりに何かくれ」。もちろん終始笑顔である。日本でも名古屋や大阪ならこれぐらい普通だろうか。関東や東北で、この口調で(しかもスキンヘッドで)やったらはっきり言ってヤクザだ。

このやりとりを後で反芻して独りで笑ってしまった。そのほか、家のベランダ(4F)から下を見下ろしたとき、「ここから落ちても絶対死なない。痛いだけだ」と思ったことも後からおかしくなった。以前ならば「ここから落ちて死んだら、誰が悲しむかな」などと考えていたはずなのに、自分だけは決して死なないと思い込んでいる。これを人間的な強さと言うべきだろうか。








電気を止められて落ち込んでいる間、外はドゥルガー祭がけたたましかった
ドゥルガー

そんなことを考えているときに限って試練が待ち構えている。往復3時間かけて大学に行ったら先生から「今日は無理だ」と言われたのは今日が初めてではないからまだ許せるとして(それでも帰りにビール1杯が必要となったが)、家に帰ったら電気が止まっていたのだ。そして40,000円の請求書。電気代滞納である。なぜか隣りの家までとばっちりで電気が止められていた。

実はこの事件には伏線がある。前に大家から「電気代の請求書は来ているか?」と聞かれていたのである。この額から推定するに、大家はここに住み始めた4年前から1度も電気代を払っていない。どうやって電気会社の追及をかわしていたかは分からないが、私が借りるにあたって、いつ止められるか心配になっていたのだろう。その日がついに来た。

大家に早速電話をしたら、覚悟はしていたようでさっそく電気工事士を送ってくれた。しかしこれが使えない奴で「感電が怖いので、明日の朝10時に来ます」と言って帰ってしまう。大家にクレームをつけたが、もう夜も遅い。蚊取り線香を焚いて寝るしかなかった。ちなみにとばっちりを受けた隣りの家は親父さんが自力で復旧させた。

さて翌朝10時、もはや自明のことながら電気工事士はこない。1日中大家と電話のやりとりをして、1時に来る、2時に来る、4時半に来る、そのうち来る……どんどん遅くなり、やがて日も暮れてきた。大家は電気代を支払ったから、いつでも来るはずだと言うが、全然来ない。

不動産屋のプラモード氏のところに行って事情を話すと、「オー・マイ・グッドネス(※彼の口癖。なぜかゴッドではない)。彼の性格からして、電気代を払ったなんてウソだと思うよ。彼の部屋を紹介したことを本当に後悔している。」などと、またどうしようもないことを言う。彼にあたっても仕方ないと分かっていたが、
「これだからインド人は国際社会から見放されるんだ」
「それぞれの国民にはそれぞれの短所があるだろう」
「いいや、インド人は時間や約束を守らないことで悪名高い。いったいこの国の教育はどうなってるんだ?」
「……」
いつもは強気のプラモード氏が、ちょっと涙目になっていた。彼に罪はないのに悪いことをしたなと思う。
「まあ、これはあなたの落ち度ではない。」









夜に家の裏で行われていたダーンディ(スティックダンス)
スティックダンス

家に帰っても暗いので外をうろついていると、隣りの親父さんが部屋に入れてくれた。嬉しそうに転がり込む私はまるで捨て猫。
40,000円という滞納額を聞いて彼も驚く。
「彼はデンジャラスな奴だ。」
「本当に彼のような大家にあたったのは不運でしたよ」
「我々は彼がいなくなって幸運だったけどね。」
…この辺りで彼は嫌われているらしい。それが理由で引っ越したとは思えないが、大家はトラブルメーカーだったと聞く。

今夜ももう無理かと諦めかけた夜8時、電気工事士がやっと来た。「電気代を払い込んだレシートを見せろ」というので大家にまた電話して直接しゃべってもらう。冷や冷やしながらやっと電気がつながった。後で払うからと大家に頼まれて500円を工事費として出した。家に戻って、電灯も、冷蔵庫も、パソコンも、蚊取りリキッドも全て動いているのを見てやっと安心。

電気がなかったためにパソコンで仕事ができずぽっかり空いた24時間。いつもはなかなか手に取れない哲学書を読んで、ゆっくり過ごせたし、目の休養にもなったのだからよしとしなければならないはずだが、その実、いつ来るか分からない人を1日中待ち続けるいつものパターンでかなり消耗した。

床屋

コメント(0)

1ヶ月半ぶりに散髪。ひげそり・洗髪なしで45円。日本ではカミソリで剃髪しているので2ヶ月ぐらい伸ばしてもイガグリ頭になるぐらいなのだが、頭皮が空気に触れていないと何となく調子が悪い。亡き祖父も髪が伸びると風邪を引くという奇妙なことを言っていた。

インドでは床屋に困ることはない。前に住んでいたアウンドにも近いところに2件あったし、今住んでいる界隈にも2,3件見つけた。去年ビハール州に行ったときは道端のほったて小屋で営んでいるところもあったし、屋外で電柱に鏡をくくりつけ、その前に椅子をおいて営業しているところもあった。

衛生面ではそれほど心配することはない。カミソリは毎回使い切りで新しいものを出してくる。K氏はインドの床屋でワキ毛を剃っているシーンを見てからしばらく行けなかったらしいが、どこを剃ろうがカミソリを新しくしてくれるならば気にしない。

少しイヤなこともある。以前アウンドにいたころ、終わってから首をぐきっとされたことがある。整体のサービスだろうが、何の前触れもなくいきなりされたので、首の骨が折られたかと思った。それから日本でも言えることだが、下手な床屋にあたるとカミソリの傷が至るところに残る。

いつも言う言葉はひとつ。「短く」。すでに入った時点で短いのだが、それをさらに短くするのは意外に難しい。長さが揃わないのである。1人にかける時間はせいぜい15分。切り方はインド人らしく、実にいい加減だ。目をつむっているといい加減度が増すので、近視でも鏡をにらんで監視する。

店によってはバリカンを使うところもあるが、満足できる結果になったことはない。家に帰って鏡を見ると、妙に長い髪がつんつんと残っている。今日は終わってからメガネをかけて鏡を見ると、長い髪が残っている上に右と左の長さが違う。そこでこっちを切れ、あっちを切れと言ってみた。不服そうに切り始める店員。タオルを取っているので服の上に髪がぱらぱら落ちる。しかしなかなかよくならない。そのうち店員はもう勘弁してくれと言わんばかりに床掃除を始めてしまった。

腕については望むべくもないが、それを補って余りある安さなので、日本に帰る前には必ず床屋に行くようになった。雨季が終わって気温が再び上がるこの10月、帰国まではまだあるが髪を切ってさわやかだ。

あるゲーム関係の掲示板で、インド放浪中のゲーム愛好者がいることを知る。インド各地のネットカフェから簡単な近況報告をしていたが少々退屈している様子。そこで時間があったらプネーに来て遊ばないかと誘ってみると、南インドのコーチンから36時間かけてやってきて下さった。彼とは全く面識がない。つくづくインターネットの偉大さを思い知ると共に、ボードゲームというマイナーな趣味が人をつなぐ強さを感じる。

Vさんはウォーハンマーというミニチュアゲームが趣味。各自が思い思いに彩色したミニチュアを机に並べて戦争をするというイギリスのゲームだ。台となるボードはなく、移動や攻撃は物差しで計りながら行う。ゲーム人口はとても少ないそうだが、プラモデルのような彩色の楽しみと、自由度の高いゲームのルールで、はまる人は徹底的にはまるという。私は遊んだことが全くないが、Vさんの話を聞いていると試してみたくなってきた。

インドに来たのは刺激や意外性を求めてのことだという。どうも今の日本や欧米は予想通りの展開が多い。インドに来れば予想を裏切る劇的な出来事や人物がたくさんいそうだ……なかなかゲーム的な思考で面白い。コルカタでサッカー日本・インド戦を見た後、カーリー寺院で山羊の首が切り落とされるのを日がな眺めたり、南インドのビーチで獲ったばかりの魚を刺身にして食べたりしていたが、例によってカム・トゥモロー(毎日毎日「明日来い」)攻勢に逢ったり、観光地の強欲なインド人と交渉ばかりしているうち、さすがに独りだけの長旅は疲れ始めたことだろう。「あと5分!」というのは30分ということなど、最初は意外だと思ったことも、だんだんと底が見えてくるにつれて刺激に慣れてしまう。

プネーは観光地でないことと、保守的で信仰深い土地柄から、外国人相手にぼったくろうという悪いインド人はまずいない。さらにここには適当な人数の日本人が着かず離れずのコミュニティーを作っており、そこに入ればVさんの旅の疲れはいくらかは癒されるだろうと考えた。

到着した翌日はまず映画。これは単に私が前から見たかったもので、Vさん向けだろうなどと考えたわけではない。ただ映画は1人で見るよりも2人で見た方が、後からあれこれ話ができるので面白い。

キングオブボリウッドKing of Bollywood(キング・オブ・ボリウッド)
〈あらすじ〉
 KKのイニシャルで親しまれた往年の名俳優カラン・クマールは、自らボリウッド映画界の王様「キング・オブ・ボリウッド」を自認していたが、時代は過ぎ去り過去の栄光となっていた。そこにイギリスのテレビ製作会社からクリスタルがドキュメンタリー番組のため取材に来る。KKはこれを機に復活を果たそうと自分が監督主演の映画を作ろうとする。
 しかし映画制作ははちゃめちゃ。イギリスを舞台にKKが大学生役という無理のある筋書きに加えて、スポンサーがお金を出す代わりに出演させた情婦にKKが手を出したり、また別のスポンサーの息子を殴って「この映画でヒーローは俺だけだ」などというものだからお金もつかない。筋書きもころころ変わり、しまいには父親役、祖父役も全部KKという、非常に無理な一人三役。当然のことながら、完成した映画は観客の大ブーイングに終わる。
 しかしそんな中、取材を続けたクリスタルは、幼い頃からKKの息子としてマスコット扱いされてきたラーフルを理解し、はじめは逆らっていたラーフルも、次第に父親を理解するようになる。また、KKの自己中心で浮気な性格を嫌がり、アルコール中毒になっていたKKの妻で元映画女優マンディラも、この親子の絆が取り戻されたのを機に映画界復帰を考え始める。こうしてKKはクリスタルを主演女優、ラーフルを主演男優、そして自分と妻も出演する新しい映画「ハリウッド・ボリウッド」を打ち上げるのだった。

〈感想〉
映画を見ている間は笑えず、終わってからVさんとしゃべっているうちにだんだんおかしくなってくる映画だった。三世代一人三役はないよねとか、KKが首に下げている「KING」というネックレスがほしいとか、KK役のオーム・プリーは一体何頭身なんだろうとか、あの顔の大きさと濃さはインド人でもまずいないとか。後からの思い出し笑いには事欠かない。
一台のカメラで会話を撮っているため、画面が行ったり来たり、ぐらんぐらん揺れるのに、私は酔ってしまった。後半は気持ち悪くて目を開けることができない。低予算である。
KKの映画が不評で満員の観客がスクリーンに向かってものを投げるシーンがあるが、一方我々が見ているその映画は、午前中49ルピーの特別上映でがらがら。「あれでKKの映画ががらがらというシーンだったら、シャレにならないですよね」とVさん。

さて映画を見てからは市内で用事をすませた後、ヴィナヤクさん宅へ。インド人の生活に直に触れるというのは、ホームステイでもしない限り、その地にしばらく住んではじめて可能となる。ましてや往来が多い観光地で特定のインド人と気の置けない仲になることは不可能であるか、ときには危険でさえある。ちょっと前にヴィナヤクさんから「今度遊びに来てください」と誘いを受けていたのは、絶好の機会だった。ちょっとした日本からのおみやげをもって訪問。

必要最小限のスペースしかなかったヴィナヤクさん宅は、里帰り出産していた姉が帰り、兄が結婚して外に行ったため今は両親と祖母と3人暮らし。そうなるとめっぽう広く感じる。つくづく、家が広い狭いという感覚は住人次第でいくらでも変わるものだと思う。あかちゃんが一人いるだけでずいぶん狭く感じるし、反対にお年寄りしかいないと広く感じてしまう。

驚いたことに、Vさんが来るというので連絡して、こちらで決めた訪問日が何とヴィナヤクさん24才の誕生日。連絡したときヴィナヤクさんが嬉しそうに「はい、どうぞ、来てください」と言っていたのはそのためだった。ちなみに翌日は去年生まれた甥っ子サイラージ君の1才の誕生日だという。

ヴィナヤクさんは大学で試験があるというので帰宅が予定より遅れたが、お母さんは料理の過程をを間近で見せてくれたので退屈しない。そのうちヴィナヤクさんが帰宅し、3人でしゃべりながら料理を見物。Vさんとヴィナヤクさんがチャパティ伸ばしに挑戦し、なかなか丸くならなくておかしい。その点お母さんの手さばきは見事。上機嫌のヴィナヤクさんも日本語ではやしたてたり、拍手したりして面白かった。こういう敷居のなさがヴィナヤクさん家のいいところだ。

こうして一部始終を見ていた料理が美味しくないはずがない。チャパティとジャガイモのカレー、野菜のおかず2品に、タマネギのビリヤーニ(ピラフ)。いつも通り、翌日の昼食まで軽食になってしまうほどのご馳走だ。食事中、ヴィナヤクさんが指でこぼさないように食べる方法とか、お替りをするときは皿を差し出さない(卑しく見えるから)とか、皿の上でチャパティーとライスの場所は別にする(これもマナー)とか、ためになるアドバイスをもらった。

食事の後、誕生日の小さなセレモニーが行われる。お母さんが神様に捧げものをして、それをヴィナヤクさんに向ける。頭から米をかけ、口に砂糖を入れて、灯りを回す。それからヴィナヤクさんはお母さんの足元にひざまずき、足の甲に自分の頭をつけてお拝をした。それからお父さんにも同じくお拝。きっと子どもの頃から毎年ずっとやっているのだろう。しかし日本ではいつの間にか失われた「お父さん、お母さんは神様です」という考え方はなぜか懐かしく、日本にいる母親のことを思った。ハッピーバースデー、ヴィナヤクさん!

Vさんが来なければ家にずっといたであろう1日が、こんなに色とりどりになる。思考の海に独り溺れている日常で、人と会うことは本当に楽しい。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや。」

7月に引っ越して初めに驚いたのがアリの多さだった。床の上、壁、流し台をゾロゾロ、ゾロゾロと列をなして歩いている。ほうきではいても効果なし。またどこからともなく出てくる。小さいアリだが数が多い。♪アリさんとアリさんがごっちんこなんて呑気な状態ではないのである。

いつも同じルートをたどるので、どこから出てくるのか調べてみると、玄関だったり、窓の下だったり、床や扉の隙間だったり。インテリアデザイナーの大家がインドらしくないフローリングをしたために、フローリングとコンクリートの床の間がアリの温床となってしまったようだ。

アリ退治・三種の神器大家に相談したら、「チャマトカール(奇跡)」という粉を教えてもらい、パラパラ撒くと、その辺のアリは縮れて死んでしまい一網打尽。はじめはアリの通るところにずっと撒いていたが、毒性が強そうなので今はアリが出てくる穴の周りや交通の要所に集中的に撒いている。

しかしこの粉が使えないところが2つある。1つはいつも勉強部屋になっている寝室、もう1つは壁だ。

寝室は1日の大半を過ごす部屋なので、毒の粉を撒いて吸い込んだりするのが心配。ましてやパソコンが置かれている机の上はなおさらイヤだ。しかしここにもアリは容赦なく現れる。はじめはノートパソコンが狙われた。どうも温かいのがいいらしい。キーボードの隙間から歩いている姿がちらちら見えたり、SDカード挿入口から大量に出てきたりするのをみて、壊れるのではないかとかなり慌てた。

そしてデスクライトの下で死んだ虫や、パソコンより熱くなるACアダプターにもアリがたかる。コードの差込口付近に小さい隙間があって、そこから出入りしていた。こういうところに粉は撒きたくない。

そこで活躍したのが、日本から持ってきた虫除けスプレー「ムヒ・虫除けムシペールα」だ。ディートの配合量が多く、ツツガムシにも効くことから医薬品に指定されている。このスプレーをアリの出口にシュッシュッシュッ。薬液をもろにかぶったアリはやはり縮れて死に、アリの出入りはぴたりと止む。これも粉に匹敵する毒性がありそうだが、吸い込む心配がないので重宝する。今はノートパソコンにもアリは来ていない。

もう1つの難関である壁、90度なので粉を撒けない。しかしアリは容赦なくゾロゾロと上ったり降りたりしている。スプレーでもいいのだが、1年ですでに1本使っているのでこれ以上無駄遣いしたくない。先生の家は蚊が多いので授業前の虫除けスプレーが欠かせないのである。

そこに便利なものを教えてもらった。その名も「ラクシュマン・レーカー(武将ラクシュマンの線)」。虫除け成分が入った白いチョークで、虫が通ってほしくないところにこれで白い線を引く。するとアリはこの線を越えてこないのである。学校の黒板のように線を引くとき粉がちょっと飛び散るが、効果は抜群。なにせこの薬品はアリ除けではなくてゴキブリ除けなので、アリが通って来れないのも当然だ。

アリしかし勝ってばかりでもない。引っ越した当初、厳重にしまっていた砂糖に大量のアリが何重もの袋の口を通過して入り込み、捨てざるを得なかった。先日は冷蔵庫の上に置いてあった袋ラーメンに小さい穴をいくつか開けられ、中に大量のアリが入り込んだ。これをお昼前に発見したときは袋を開けてぞーっとしたものである。根性を出して乾麺を水洗いしたが、一旦鍋の中に入れておいたらふたの隙間からまた入られて、結局捨てることになってしまった。それ以来、ほとんどの食品は冷蔵庫に入っている。アリが通れるぐらいの隙間はあるのだが、冷蔵庫の中までは入ってこない。

もうひとつ、扉にかけている服にときどきアリが紛れ込んでいることがある。アリがいないか確認して着ているのだが、小さいので見つけにくい。その結果、服の隙間からアリが噛むらしい。へその下や、太ももなど、蚊にも刺されにくいところなので、痛さとかゆさが長引きやすい(ただ、噛むのは、アリじゃなくて先生の家にいるダニかもしれない)。

アリは夜は働かない。その代わり朝早くから日が暮れるまで休まずはたらく。朝起きるともう行列を作って仕事をしている。敵ながら、その勤勉さは見習いたいものだ。

神様のベッド

コメント(0)

ブラフマーの蓮夕食を終えて家に帰ってくると、となりの家族がドアの外でおしゃべりしている。あいさつをして家に入ろうとすると、ブラフマカマル(ブラフマー神の蓮)が咲いているのを教えてもらった。写真を撮ろうとすると、これからもっと花が大きくなるから午前0時にまた見に来てという。

ブラフマーはインド三大神のひとつ。大蛇を寝床にして海上で眠るヴィシュヌ神のヘソ(笑)から蓮が出て、その中に生まれとされる。ブラフマカマルとは蓮の一種で、そのおしべとめしべがこの神話通りであることから名づけられた。横向きに咲いた花の中に、たくさん集まってベッドに見えなくもないめしべと、マンガで見る鯨の潮吹きのようなおしべが入っている。このめしべがヴィシュヌの寝床、おしべがヴィシュヌのヘソから出たブラフマーの居場所というわけだ。花の中の大蛇の中のヴィシュヌの中のヘソの中のブラフマーが、世界を作る。ロシアのマトリョーシカ人形のようにだんだん小さくなっていくのに、最後は世界になってしまうのが面白い。極小にして極大という感覚は、インド思想を理解するキーポイントである。

サンスクリットの詩文に多く現れる蓮の花は昼咲きと夜咲きがあるが、夜咲きを見るのは初めて。蓮の花の茎は葉から出ているのが面白い。1年に1度しか咲かず、一番満開となった今日、午前0時から何とプージャー(花の供養)を行うというので見に行った。

ブラフマーの蓮地面にランゴリの砂模様が描かれており、蓮の花の鉢植えは木の台の上に安置されていた。となりの若奥さんは私がカメラを持ってくるのを知っていたためか上等のサリーに着替えてアクセサリーまで付けている。線香をたき、花びらの代わりの色粉をかけて(花に花をかけるのは面白い)、炎をまわし、そのあと全員にプラサード(別当)の砂糖が配られた。

真夜中の0時から、こんな気合の入ったプージャーを見られるとは思っていなかった。花を神話に結びつけて敬う。「ワドガオン(バニヤン樹の村)」という地名をもちながら、今は乱開発で木々がほとんどないこの地域で、植物の神秘さを畏れ敬い、そして愛する姿がここにある。誰が見るともない家庭の祭に立ち会うことができて、ほのかな満足感をもった。

朝起きてもう1度写真を撮ろうと出てみたら、もうしぼんでいた。1年に1度しか咲かないのに、一夜でしぼんでしまうとは何とも粋な花である。だからこそ、神様のように敬われるだろう。

お昼、ゆで卵作りに失敗※してガッカリしていると2階の家からお呼ばれがあった。いつも通りかかるたびに、天井から吊り下げた紐をハンモックにして、遊園地のアトラクションなみのスピードで赤ちゃんを揺らしている家だ。そういう揺れに弱い私は、ほとんど虐待では?と思っていた。

また何かのプージャーだとかで、額に赤い印をつけて食事をご馳走になった。ここの家はベッドルームが2部屋あってうちよりも1部屋多いものの、おばあさん、兄夫婦に子ども2人、弟夫婦、里帰り出産している妹と先月生まれたばかりの赤ちゃんが9人で暮らしている。1部屋に3人ずつ住んでいる計算だ。今日はさらに妹の旦那と弟まで来て、私を加えて12人で食事。私が日ごろ、自分の部屋をいかに無駄に使っているかを思い知る。


※インドの卵は殻が薄いため、弱火で少しずつ加熱しないと割れてしまう。そのため時間がかかるのだが、待ち時間に勉強していたらすっかり忘れてしまった。水は全て蒸発し、卵は爆発して飛び散り、こげた匂いが立ち込める。泣く泣く生ごみとなってしまったが、家の前に出しておいたらネコが袋を開けて全部平らげた。

ガンジー誕生日で祝日。いろいろと用事を作って市内に向かう。以前大学の近くに住んでいた頃と違って、中心部まで1時間もかかるので最低でも3つぐらい用事を作らないと行く気が起きない。今日の用事は映画、ジョドプーリーというインド風スーツ探し、あとはあとは…と思ったところで留学で来たばかりのAさんを誘って(頼まれてもいないのに)市内を案内することにする。これで3つ。9時30分発のバスに乗って出発!

映画は久しぶりのイースクエア。大学の近くにあるので以前はここばかりだったが、今は駅の近くのアイノックスに行くことが多い。どちらも最近できたシネマ・コンプレックスだが、あらゆる点でイースクエアに軍配が上がる。施設内にクロスワードという本&CD屋があること、イタリア・中華などのレストランがあること、ベンチがあって館内でくつろげることといった外側だけでなく、ホールも席の配置、映画の音響や画質がよく、より没頭して見ることができる。引越しで行きにくくなってしまったのはつくづく残念だ。

Tumsa nahin dekhaTumsa nahin dekha(君のような人を見たことがない)
〈あらすじ〉
 富豪の御曹司ダクシュは親のすねをかじって何の仕事にも就かず、毎日飲んだくれていた。そんなある日、雨のバス停にいた女性を一目で好きになり、酔っ払った勢いで近づいていっていきなり抱き寄せ、キスをしてしまう。警察に捕まって連行されるが、おじのジョンが身元を引き受けてくれて釈放。きつく叱られる。
 その頃ダクシュには親が決めた縁談が舞い込む。相手も富豪の娘で前から知っている女性だったが、両家のビジネスのための政略結婚だった。全く結婚する気にもなれなかったダクシュだが、断るなら勘当すると親から脅されてしぶしぶ承諾。また飲んだくれていると、たまたま寄った酒場であの女性がダンサーとして踊っていた。仕事帰りの彼女をつかまえ、お茶に誘った。お金をもらって誘いに乗る彼女の名前はジアと言った。知能障害者の兄と2人暮らしで、借金を返すために酒場で働いていたという。
 ジアは飲んだくれのダクシュを嫌っており、二度と近寄らないように言う。ダクシュは10ルピー札に「ダクシュはジアを愛している」とボールペンで書き込み、「この10ルピー札がまた戻ってきたらこの愛は叶う」と言ってそれでワタアメを2つ買った。しかしそれも聞かず、去っていくジア。
 しかし後日、飛び降り自殺をはかった兄をダクシュが救ったことから2人は急速に接近し始める。デートを重ね、ホタルが舞う池で、ダクシュの無邪気な姿を見ながら次第に惹かれ始めるジア。しかしダクシュの婚約式は次第に近づいていた。ジアに婚約を打ち明け、自分の財産を小切手にして持ってきたダクシュを、ジアは怒って追い返す。しかしダクシュを好きになっていたジアは、何も分かっていない兄を抱き寄せ、扉の陰で泣くのだった。
 そんなころ、ダクシュが唯一気を許して何でも話していたジョンおじさんが病に倒れて入院する。ダクシュは病院を訪れて悩みを打ち明け、元気な彼に励まされた。そのおじさんがやがて癌だと判明。しかしジョンおじさんは病院を抜け出してジアを訪れ、「ダクシュは君を愛している」と言ってプレゼントを渡し、婚約式に来てダクシュを奪うように言う。そのプレゼントは純白のドレスだった。これを着て婚約式に出たジアは、ダクシュとひとときのダンスを踊ったが、両家の力で婚約は挙行されてしまう。
 やがて結婚式が近づいてきたが、ダクシュはジアのことが忘れられない。そんなとき、入院していたジョンおじさんは最後にダクシュと教会に行き、「人生はおまえのものだ、おまえだけの…。神のご加護があらんことを」とダクシュの幸福を祈り、そして他界する。
 おじの死後も飲んだくれていたダクシュだが、結婚式当日になって意を決し、ジアの家を訪れる。ジアは借金取りに家財道具を全て取られ、喫茶店で働いていた。弟から居場所を聞いてジアのはたらく喫茶店に向かうダクシュ。ジアは客が出したチップの10ルピー札に、「ダクシュはジアを愛している」と書いてあるのを見つけた。あのときの10ルピー札が再び帰ってきたのだ。そのときダクシュが喫茶店に現れ、「ジア、僕と結婚してくれ」とプロポーズ。ジアは涙ながらに「はい」と答えた。
 2人は結婚式場に向かい、ダクシュは結婚相手に「僕は君のことを愛していないんだ」と打ち明ける。怒ったのはその親で、ボコボコに殴られてしまう。結婚式は当然取りやめ。気を失ったダクシュをジアは介抱する。怒って出ていった祖母に呆然とするダクシュを、ジアはいきなり抱き寄せキスをした。

〈感想〉
 実にいい映画だった。好きになってはいけない2人が恋に落ちて、幾多の困難を経ながら最後にその恋を叶えるというラブストーリーものの王道に、幸せを願う身内の死というスパイスが見事にきいている。飲んだくれのお坊ちゃまを、辛酸をなめてきた彼女が好きになってしまうのはどうかと思ったが、それ以外の展開はごく自然で、主人公に感情移入することができた。瀕死のおじが教会でダクシュを勇気付けるシーン、ダクシュが結婚式当日にジアにプロポーズをするシーンはうるっとくる。
 音楽もよくできていた。特に主題歌となっている「Maine soch liya(私は思った)」が印象的。しかし何よりも印象的だったのは、ジア役のディヤー・ミルザーの美しさだろう。アイシュワリヤー・ライに雰囲気が似ているが、また別の魅力を持っている。演技も下手でないのに、あまり出演するのを見ないのはどうしてだろう。アイシュワリヤーとキャラクターがかぶってしまっているからだろうか。
 いきなりのキスで始まり、いきなりのキスで終わるシーンや、10ルピー札が戻ってくるシーンなど、ベタベタだと自分で分かっていながらその劇的効果に感動してしまう自分がいた。こういう映画はハリウッドや日本ではもう作られていないし、日本で公開されても若い客は入らないだろう。「冬のソナタ」が年輩の人を中心に流行っているのも同じ理由だ。だからこそ、インドで見ておく価値は非常に高いと思う。
 今年はこれから豪華キャストのラブストーリー映画が控えている。早く見たい。

 何の映画を見るかも教えずに誘ったAさんは初めてのヒンディー映画だったというが、楽しんでいただけたようである。去年の今頃の私を思い出すと、ヒンディー映画なんて分からないだろうと思っていた。しかしホームステイ先のアムルタさんに連れて来てもらってから、ひとりでも見に行くようになった。娯楽がほとんどないインドでは、ヒンディー映画の面白さに触れないままでいるのはもったいなさすぎる。きっかけさえあれば、ヒンディー映画は言葉が分からなくても誰でも十分楽しめるものだと思う。

 その後プネー随一のデパート・ショッパーズストップに行くも思うようなスーツが見つからない。私がほしかったのは、先日の国連総会でマンモーハン・シン首相が着ていたようなジョドプーリーというスーツ。小泉首相やブラジル大統領、ドイツ外相と常任理事国入りを目指して握手していた写真でひとりだけ違うスーツを着ていた。つめ襟でずっと上までボタンがあり、ネクタイは締めない。学ランのような感じだが、色はグレーでボタンもシックである。インドの民族衣装は日本に帰れば仮装パーティーででもないと着れないが、このようなスーツならさりげないインド感を出しつつ普通に着こなせる。

 次にラクシュミーロードにある紳士服の専門店、ジャイヒンド・コレクションに向かう。そこでも既製品はなかったが、オーダーメイドならできるという。そんな値段が違うでしょと思ったら何と、既製品と同じ値段(上下で約9000円)。インドの人件費の安さはこういうところでも感じてしまう。布を選び寸法を取ってもらって、スーツを作るのは生まれて初めてだ。どんなものができあがるかやや心配だが、なかなかいい気分。

 そしてAさんがまだ行ったことがないというのでサンスクリット語の本屋や土曜宮殿などラクシュミーロードの近くを案内し、プネー市役所前ターミナルからバスで帰宅。何だか案内というよりも連れ回したという感じで申し訳なかったが、おしゃべりしながら街を歩くのは楽しい。サンスクリット語の本屋では子どものための読本全四巻と会話の教科書が収穫。会話の教科書を開いたら、第一課がいきなり「飛行機墜落事故で生き残った人にインタビューする」というぶっ飛んだスキットだった。「あなたはどうして助かったのですか?」「謎の力で何とか助かりました」「他の人は今どこにいますか」「たぶん皆死んだと思います」……実用的でない(笑)。

このアーカイブについて

このページには、2004年10月以降に書かれたブログ記事のうちIndiaカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはIndia: 2004年9月です。

次のアーカイブはIndia: 2004年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アーカイブ

リンク用バナー