India: 2005年3月アーカイブ

サトウキビ

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圧搾機には必ずといっていいほど鈴が付いていて、回るたびいい音がする
サトウキビジュース屋

インドで一番暑いのは4、5月なのだが、ホーリーを境に暑さが強まってきた。インド料理の辛さは暑さの中で食欲を出すためにあるのだろうが、汗だくになると辛いものを食べる気も失せる。そこでどうしても手を出したくなるのがサトウキビジュースだ。

ワドガオンシェリのような村でも、ところどころにサトウキビジュース屋さんが開業する。手動の木製圧搾機を備えた屋台も登場するほどだから、結構人気があるのだろう。

まず2メートルほどのサトウキビの皮を削って3等分ぐらいにしておく。皮を削らないと土などの不純物がジュースに混合してしまうからだ。それを圧搾機に入れる。出てきたものを2つに折って入れ、さらに2つに折って…というように最後は8つに折るまでつぶして汁を搾り出す。圧搾機の下には皿が付いており、絞り汁は皿を伝って容器に入る仕組みだ。途中でレモンも一緒につぶす。これによってサトウキビの青臭さがだいぶ緩和される。








液体はやや緑色で、泡が浮いている。爽やかな甘さ
サトウキビジュース

コップ1杯5ルピー(13円)。市内も村も値段は変わらない。チャイと比べれば2倍もするが、ひっきりなしにみんな訪れて飲んでいる。ただの糖分だけでなく、栄養があるらしく、飲みすぎなければ夏バテ解消になるだろう。

当初このサトウキビジュースは、飲むのがためらわれた。まず圧搾機にたかっているハエにたじろぐ。コップも少量の水で洗うだけ。そしてサトウキビジュースに入っていた氷で腸チフスになり、日本に帰国してすぐに何ヶ月も隔離入院させられたというAさんの話。だから最初飲んだときはできるだけ客の多い店を選び、それでもロシアンルーレットのような気持ちで飲んだ。

しかし今は、辛い昼食を食べた後など、気軽に飲んでいる。そのお陰で体調がいいとは思えないが、何とか過ごせているのはサトウキビジュースのおかげかもしれない。

夜に食事に出ようとすると、今日向かいの部屋に引っ越してきたばかりのおじさんに呼び止められ、夕食をご馳走になった。朝からたくさんの人が出入りしていて騒がしかったが、夜は屋上で友人や親戚20人ほどに食事が振る舞われている。その1人が携帯を見せてくれ、部屋を見せてくれ、パスポートを見せてくれと謎の要求をしてくる。さすがに「見たってちっとも面白くないよ」といってパスポートは見せなかったが、部屋でノートパソコンを見せると声を潜めて「セクシーピクチャーはない?」と訊いてくる。「セクシーピクチャー!?」と声を張り上げると、「シーッ、シーッ! 隣りの家に聞こえちゃうよ…」さえなさそうな男だったが、帰ってからこのやり取りを思い出しておかしくなった。

映画(23)(24)

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神様に頼まれた私の夫Navra Maaza Navsaacha(神様に頼まれた私の夫)
知り合いのおばさんから吹き込まれてガネーシャ寺院参りに行きたくなった奥さん。やっとのことで旦那を説得して、お参りにために息子の身代わりとなる等身大のハリボテを作り、バスの座席の下にこっそり隠しておいた。しかしその後、ハリボテの中に強盗がこっそりダイヤを隠す。翌日、たくさんの楽しい客を乗せてバスは出発。途中、歌手のソヌ・ニガム(本物)が乗ってきたり、旅芸人に車掌が集金したお金をばらまいてしまったりと、ハプニングだらけの楽しい旅行が続く。白いシーツをかけておいた人形はケチャップがこぼれたため途中で死体と間違われて大騒ぎ。やがてダイヤを追う警察の手が回ってきた。乗客に扮したダイヤ強盗は誰だったのか、そして人形は無事に寺院まで届けられるのか? はちゃめちゃ喜劇。

映画のほとんどはバスの中。15人以上いる乗客のキャラクターがひとりひとり面白い。ソヌ・ニガム(写真右下)は『カルホーナホー』の主題歌を歌っている歌手で、登場したときは後ろのお姉さんが「ワア!」と驚いていた。

ベーワファーBewafaa(裏切り者)
モントリオールでインド人とカナダ人のハーフとして育った2姉妹アールティ(写真左)とアンジャリ(写真中央右)。インドの大富豪と結婚したアールティは里帰り出産で帰国していた。アンジャリは両親に隠れてミュージシャンのラージャ(写真右)と付き合っていたが、アールティはそのうち両親にとりなしてあげると約束した。
 アールティの出産日。インドから駆けつけた夫のアーディティヤ(写真中央左)を空港で迎えたアンジャリが病院に駆けつけると、双子を産んだアールティはあろうことか産褥で死んでしまっていた。2人の娘を残されたアーディティヤに、両親はアンジャリを嫁がせる。ラージャに連絡もせず、アンジャリは大好きだった姉のために人生を捧げる覚悟をしてデリーに渡る。
 それから3年。娘たちは順調に育っていたがアーディティヤはまだアールティのことが忘れられず、アールティの代わりができないアンジャリは空虚な毎日を送っていた。そこにコンサートのためラージャが来印。再会したアンジャリは夫との間を揺れ動き、悩みは深い。今の生活を捨てて一緒にカナダに帰るよう説得するラージャだったが、やがてアーディティヤの知るところとなって、アンジャリはどちらを選ぶか迫られる。
 そこに駆け込んでくる娘たち。アンジャリは母として今の生活を選んだ。それを目の当たりにしたラージャは、アンジャリにはアンジャリの道があるように、俺には俺の道があるといってインドを後にした。

封切4週間で風前の灯であることから、観客の受けはあまりよくないようだ。1つには悲劇が度を過ぎている。娘を残して死んでしまう妻、亡き妻をいつまでも忘れられない夫、全てを捨てて嫁いだのに夫に愛されない妻、恋人が人妻になったのにひたすら愛し続ける男。悲劇の連鎖で悲しさが増幅して全編に沈痛な雰囲気がのしかかる。アンジャリ役のカリーナ・カプールが眉毛をへの字にした表情をずっと続けるのは見ていて気持ちよいものではない。結末も決してハッピーエンドではなく、フラストレーションがたまる。もう1つは現実感のなさ。2人の娘は幼稚園に通っているものの、映画の中で飾り程度にしか出てこない。豪邸に住むアンジャリは毎日独身のような生活。しかし実際2人も娘がいたら、愛しているとかいないとか、恋人がどうたらとか感傷に浸っている暇もないぐらい子育てに追われるはずだ。新聞の書評にもあったが、25才の若手女優にこの役はありえなかったのではないか。カリーナ・カプールは『時には嬉しく時には悲しく(Kabhi Kushi Kabhi Gham)』、『僕と友達になって(Mujhse Dosti Karoge)』、『ハルチュル(Hulchul)』のときのように男を見下すような高慢な女役が似合う。
 音楽は申し分ない。帰りにメロディーがトラックバックして踊りたくなった。

市内巡り

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先週のインド論理学セミナーで感銘を受けたバヴェー先生宅を訪問。他の先生が古代の論理学者の説をかいつまんで紹介するという中で、いかにも哲学科らしく自分の見解を論じていた人だ。とても面白かったので講義の後に論文をもらえないか頼んだところ、電話番号を教えて頂き、電話をしたら訪問してもよいということになった。

奥さんは数学科の主任教授だとかで、哲学研究者はインドでも奥さんに食べさせてもらっているのだなあと思っていると、バヴェー先生は数学科の名誉教授で、退官してからムンバイで2年半教えてから、今は哲学科で客員教授をしているのだという。インド論理学を学び始めたのは91年からで、ずっと西洋論理学を教えていたが教え子から「インドなのにどうしてインド論理学を教えないのか」と言われたのがもとだという。恐れ入った。家はプネーで最も便利なデッカンジムカナの一角にあるが、夫婦で教授とは思えない質素な住まいだった。

西洋の論理学が形式主義であるのに対し、インドの論理学は経験主義であり続けた。ギリシア以来普遍的・抽象的な論理が求められてきた一方で、インドは議論の場を重視し、その場に居合わせた人の経験を超え出ないように具体的・臨機応変に論理が進められていく。数学においてもしかり、ユークリッドが直線の定義を定式化するとき、インド人は地面に線を引いて「これが直線だ」という話は象徴的である。

その結果科学理論の面では西洋にすっかり溝を開けられてしまったが、絶対的な真理はなく、真理と見なされるものも結局その場その場の一時的な約束事に過ぎないというインドでは当然の真理観は、西洋がゲーデルやヴィトゲンシュタイン以降、ようやく最近になって気づき始めたことである。数学的な真理でさえも、このまま永遠に真理であり続けるという保証はまったくない。

論文を頂いて小一時間ほどそんな話をしてから退出。私が興味を持っている討論術と論理学の関係を考える上で、非常に有意義なひとときであった。

それからMGロードの旅行会社でチケットを購入、アイノックスで映画を見ようとしたがいい映画がなくてEスクウェアに移動してマラーティー語のコメディー映画『神様に頼まれて結婚した夫』を鑑賞、バンダルカル研究所で写本のコピー状況を聞き、ABチョウクのサーヒティヤ書店で本を注文、再びMGロードのピラミッドデパートでおもちゃを見て、夜の7時から日本人学生で夕食。1日中移動していたような感じだ。








80ルピーゲットでほくほく笑顔のおばさん
チャーラート

夕食に向かう途中、道端でゲームをしている集団に出くわした。ずいぶん面白そうなので眺めながら、ルールを聞いてみる。

このゲームの名前は「チャーラート(四八)」といい、パチーシというインド双六の変形のようだ。5×5のマスを作り、各自外側からコマを投入して中央の1マス(王様)を目指す。移動はスイカの種よりちょっと大きい木の実を振る。黒い種は片面を地面にこすり付けて白くしており、この白い面がいくつ出たかで進む数が決まる。種は4つ振るから、最大4マス進める。もちろん早く中央にたどり着くには4をたくさん出した方がよい。

しかし他の人のコマが後から同じマスに入ると、前にいたコマは殺されて盤外へ。再び盤に戻るには、4を出さなければならない。これがパチーシの特徴であり、ソーリー、ザップゼラップなど欧米のゲームにも取り入れられている。5×5のマスの中には、後からコマが来ても殺されない安全地帯がいくつかある。これが4マスおきにあって、4を出し続ければどんどん進むし安全でもあることになる。これが「チャーラート(四八)」という名称の語源のようだ。

3回か4回勝負で、一番多くのコマをゴールに入れられた人が勝ち。当然のことながら、お金を賭けてやっていた。サイコロ一発で決まるのではないので、ギャンブル性は低く、過程で一喜一憂できるゲームのように感じた。イカサマもしようがない。材料もサイコロになる木の実、地面に線を書くチョーク、コマになる適当な棒切れがあればよいのが手軽だ。

インドではよく道端でポーカーやキャロムをやっているのを見かける。ポーカーは賭けてやることが多いようだが、道端で地べたに座って遊んでいると賭場の暗さはこれっぽっちもない。ただ、ポーカー詐欺で旅行者がみぐるみはがされた上にキャッシュカードを最高額まで使わされるということもあるので、イカサマができるようなゲームには参加してはいけない。今日は誘われることもなく、純粋に見て楽しめた。

日本人学生での夕食は7名。インド留学資金の調達方法や大学でのセクハラの話、そしてFさんたちが年末の津波のとき海岸にいて、漁師の警告で逃げて助かった話。今まで多くの人が使ってきた文部科学省アジア派遣の奨学金が、今年から年齢制限が27才までになり、インドに長期間行けるようになる博士課程1年で受給するには浪人も留年もできない。民間の奨学金は受給するために研究の社会的意義などをでっちあげるのは自分に嘘をついているようで辛い。日本学術振興会は博士号を持っていないとほとんど通らなくなった。そもそも、博士論文をそんなに早く書かせるのはどうしてか。コンビニバイトの文学博士が量産されるのではないか……暗澹としている。セクハラの方は、マスコミなどで騒がれるのは氷山の一角に過ぎず、予備軍はいくらでもいる。でもインドの文献を読む授業中に卑猥な文に出くわしたらどうするのか……など。こんな話題だが、楽しい団欒となった。

私はずいぶん前から飲み会で勉強や仕事の話をするのが好きではない。すれば話が合うから面白いのは確かだが、勉強人間、仕事人間というのは人間としての厚みがなく、かっこ悪いような気がするからだ。また、酔っ払って議論しても堂々巡りに陥ることが多く、頭を使ったような気になるだけで何も残らない。どうせ残らないのだったらもっと別な話をして気分転換してはどうかと思う。今日の飲み会はしゃちほこばらず、暗い話題の中も機微がきいた笑いがたくさんあってよい気分転換になった。終バスの時間が気になってしまうのが玉に瑕である。

屋外コンサート

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サドルカル・コンサートとうとう日中の室内気温が体温と同じくなった。ぐったりして昼寝しても、1時間ほどで汗びっしょりになって目が覚める。去年の熱を出したり下痢になったりした教訓から、冷たい飲み物を取り過ぎないこと(ぬるい水を飲む)、食欲がなくても頑張って食べること、そして眠れなくても寝続けることに気をつけている。I氏もH氏も連絡してみると体調を崩しているという。

このところ1週間ほど、新聞のイベント欄にコンサートの案内が載っていた。いつもなら会場はどこか分からないようなところか、分かっても非常に遠かったりするのだが、今回はプネー大学芸術センターということで、シュクラ先生の授業が終わった後に足を運んでみた。

さすが大学のセンターから呼ばれているだけあって一流の歌手、奏者らしい(紹介はマラーティー語だったのでよくわからない)。中央がシュルティ・サドルカルという歌手のおばさん、4人の伴奏を従えての歌唱である。ところが歌手の声を聞くとどうも喉の調子が悪い。さては、毎晩天井のファンを最強にして寝たのではないか。しかしそこはさすがプロだけあってだんだん調子を上げていったが、演奏中にのど飴のようなものをなめたり、頻繁に水を飲んだりしていた。

インドのコンサートで面白いのは、演奏中でも楽器や声の調子が悪いと中断して、チューニングや手入れを始めてしまうところだ。最初の曲で、クライマックスにさしかかったときにタブラ奏者がかなづちで楽器の調整を始めてしまったりしている。

曲目など詳しいことは知らないが、2時間で5曲、1曲あたり20分ほどの長さだ。展開は序破急で、同じテーマを使いながら、テンポがはじめはゆっくり、途中から中庸、最後に早くなる。声の節回しは日本の民謡を髣髴とさせるが、12音階でグリッサンドもあり、同じ歌手がもう1回再現できるのだろうかと思うほど複雑だ。伴奏をはさみながら1フレーズずつ歌うが、バリエーションでどんどん装飾を増やしていく。歌詞は「ア〜アア〜〜ア〜」みたいな感じでほとんど意味をなさなかったが、節回しの妙と、伴奏と同期を取るところが面白くて退屈しなかった。

でもコンサートがまだ終わらないうちに帰宅。そう、村に帰る終バスの時間は早いのだ。

夏到来

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暦の上ではまもなくホーリーがやってきて春となるのだが、感覚としては春を通り越してもう夏だ。最高気温は38〜39度をマークし、40度超えの日も遠くない。道端ではスイカが売られ、もうすぐマンゴーも出回るだろう。

こんなときに昼間外出すると体力を奪われる。帽子をかぶっていても、Tシャツ1枚だけになっても、太陽が肌に直接当たって焼かれるような感覚だ。だから外出は極力控えて、家でぐったりしていることになる。家の中は比較的涼しいものの、1日を通して33度ぐらいはある。パソコンがヒートアップして壊れそうなので(実際去年は壊れた)、本を読んだり、昼寝をしたりして過ごす。天井のファンが頼みの綱だ。

しかしお店や図書館が夜開いているというわけにはいかないから、用事があればどうしても出かけなければならない。来月帰国のチケットを旅行会社で予約して、頼んでおいた写本を研究所で受け取りに出かけた。インド伝説研究所(バーラト・イティハース・サンショーダク・マンダル)は、昼休みが午前11時30分〜午後4時というナメきりようで、昼前に旅行会社に行った後、映画でも見て涼んでから行こうという魂胆である。

旅行会社からCDショップに寄ってDVDを買った後、映画館に向かう。その途中で日本人風の女性が歩いているのを見つけた。プネーの道端で日本人と会うのは珍しいので声をかけてみるとやはり日本人。中国から東南アジア、インド、ヨーロッパと長期旅行をしているという。インドもデリーからジョドプール、ムンバイ、エローラ、アウランガバード、プネー、ゴア、コーチン、コルカタと一周旅行だ。マクドナルドでいろいろと話を伺う。プネーはアウランガバードからゴアに向かう途中に寄っただけで、特に用事はないというのでせっかくだからお節介にも土曜宮殿を案内した。本当は自分が見たかっただけなのだが。

土曜宮殿土曜宮殿は18世紀に作られたマラータ王国のお城。土曜日に竣工され、土曜日に完成したことから名づけられたという。ムガル帝国にもイギリスにも抵抗し続けた最後のマラータ王国の遺跡はプネー市民の誇りとなっている。木造だったため19世紀に火事で焼失し、土台だけが残っているが近年緑の整備が進んで、とても見栄えがよくなっている。外国人料金は100ルピー。インド人は5ルピーで入ることができ、たくさんのカップルが木陰で憩っていた。入場料があって人があまり入ってこないので格好のデートスポットになるのだろう。こんなにたくさんのカップルを見るのは初めてだ。

とはいえ炎天下、土台だけの遺構なので見ていてそれほど面白いというわけではない。おしゃべりしながら周りの城壁の上をぐるりと歩いた。目的をもってある土地に向かうというのが私の考える旅行のあり方だが、彼女によれば転々と旅行していく放浪癖は一種の病気みたいなものだという。そんなものかもしれない。

別れを告げて研究所へ。途中のおもちゃ屋でボードゲームを漁ると、クラマー作『タイクーン』のインド版を見つけた。世界をまたにかけてホテルや工場を建設していくボードゲームで、オランダのジャンボ社が発売していたものだ。版権をちゃんと取ったのかどうか分からないが、350円。リキシャーで市役所前まで行って、バスで帰宅した。

暑さが収まるのは明け方になってからで、夜もずっと暑さが続く。その上、このところどの家でもファンをつけているせいか、夜になって突発的な停電が起こる。20時から23時まで停電になったりすると、もう朝まで寝るしかない。昼は暑すぎて頭が回らず、夜は停電という、勉強するにはかなり過酷な環境だ。花粉症に悩まされる日本とどちらがいいかというと、難しいところだが。

夜のベッドは、昼間の暑さを蓄えてまるで電気毛布が入っているよう。蚊取りリキッドをつけてもまだ蚊が元気なので、とうとう蚊帳を出した。

インド論理学

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先生の家の近く。生ゴミに群がるブタとイヌとウシ。たまにヒトも

シュクラ先生が2日間授業ができないというので理由を聞いてみると、大学で講義があることが分かった。哲学科主催のインド論理学セミナーである。誰でも参加できるというので行ってみることにした。朝10時から午後5時まで、1時間の昼食をはさんでぶっつづけ。内容は私の専門にジャストミートだったので、飽きずに(とはいえ昼食後は眠かったが)2日間参加した。

プネー大学でインド哲学を学ぼうとするならば、サンスクリット学科と哲学科の二択がある。サンスクリット学科はその名の通り読解を重視する授業、哲学科は思考を重視する授業が多い。その結果どうなるかというと、サンスクリット学科では暗記ばかりで思考がストップし、哲学科では文献的な根拠が薄いために発想が稚拙になってしまう。お互い短所を補いあえばいいのだろうが、この両学科は建物も別でほとんど交流がない。

シュクラ先生の普段は玄関のすぐそばにあるベッドに座り、門番をしながら勉強している冴えないおじいさんだが、実は哲学科の名誉教授で、今回のセミナーは最初と最後の2講義を行った。全部サンスクリット語でするのが先生の真骨頂だけれども、さすがに大学ではサンスクリット語を知らない学生もたくさんいるので英語かヒンディー語で講義をする。最初のうちは気取って英語を話しているが、興奮してくるとヒンディー語になったり、マラーティー語になったり、サンスクリット語も多少混じったりするのがおかしい。声を張り上げての授業は迫力抜群。おそらくこの授業を最初に聞いていたら怖くて個人授業をお願いしようとは思わなかっただろう。

以下インド哲学の専門用語が混じるが、専門外の方にはご勘弁いただきたい。

1日目。シュクラ先生の最初の講義は証因と見せかけの証因について。正しい認識手段としての推理の条件と、それを満たさない見せかけの証因について、『ニヤーヤ・スートラ』の古い時代での定義から発展していく状況を概観した。次はナグプールからいらしたジョシ先生(ヒンディー語)。証因の5条件とそれに対応する5つの見せかけの証因、そして論証式を構成する5つの支分とそれぞれを支える4つの認識手段を概観。

1日目の午後からはジャイナ教論理学について3人が発表。ジャイナ教が提示する証因の一条件説を中心に、他学派との異同が紹介された。現教授のゴーカレー先生は考証を独立した認識手段とする説、内遍充説、三条件説批判を詳細に説明。ジャイナ教の論理学は他学派のような古い伝統がなく、借り物だらけの体系だと揶揄されることもあるが、その実いたるところに独自の考察が見られる。

2日目はシュクラ先生の教え子であるシャルマー先生(ヒンディー語)。正しい認識手段が正しいといわれるための根拠、つまり根拠の根拠を巡る仏教とニヤーヤ学派の見解と、「他者のための推理」がなぜ証言ではなくて推理なのかという問題を考察した。続いて哲学科講師のバヴェー先生が、主宰神論証を例に西洋の論理学とインド論理学の違いを論じた。西洋は完璧な普遍を前提としているのに対し、インドで普遍というのは大なり小なりその共同体でのみ有効な約束事であり、客観的なものではない。ゴーカレー先生も、インドの論理学は形而上学、認識論的なものではなく、議論の文脈で状況的なものであると仰っていた。

2日目の午後は再びジョシ先生(ヒンディー語)が主宰神論証「大地などは作者がいる。結果だから」の展開を追った。続いては驚いたことにジャー先生。ジャー先生はサンスクリット学科ではなくてサンスクリット高等研究センター長だが、哲学科とあまり交流がないのは同じである。それが講義を1つ行うとは、しかも痛い膝をおして哲学科のある4階まで上ってきたのも驚き。ただ中身は、証因の五条件を『ニヤーヤ・マンジャリー』に沿って30分ほど話しただけの手抜き発表。「あとはカーシー版でいうと101ページから読んでください」では質問もしようがない。もっとも、この人の場合はいるだけですごいことなので良しとするか。

そしてシメはシュクラ先生。新ニヤーヤ学派における見せかけの理由の一般定義についてシュクラ節が炸裂した。新ニヤーヤ学派は世界の考察よりも完璧な理論作りに腐心し、過大適用や適用不十分のない定義を作ろうとする。仮説をたて、反例によって例外を見つけ、それに対抗する新しい仮説を作っていく。それ自体は悪くないのだが、反例が重箱の隅をつつくような作り物なのが虚しさを感じる。最終的な定義は「内部が限定されたものに干渉せず、2つ以上の項目が限定されたものに干渉せず、遍充しない対象をもたないものを対象とすることによって、証因知が推理知の主原因となるものの非存在の対立項であることであること」。

昼食では、講義を聞きに来ていたイラン人のアリ、インド人のアントニーと知り合いになった。アリは哲学科に在学中だが、ヒュームなどを勉強したいのにお金がなくてインドに来ているという。そこにきてちんぷんかんぷんなインド論理学の講義を聴いているのは偉いものだ。プネーに4000人いるという(本当か?)イラン人留学生は遊んでばかりで勉強しないと嘆き、2日目にはよかったら共同で住んで一緒に勉強しないかとまで提案してきた。イラン人と過ごしながらペルシア語を習う謎の数ヶ月も悪くないと思ったが、いかんせんワドガオンシェリでは無理だ。アントニーはたまたま近くに住んでいることが分かり、今度遊びに行くことになった。

このような知性あふれる知人も増えるアカデミックイベントがときどき行われているのは学術都市のプネー大学という地の利を感じる。

カリヤニナガル

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翌日の開業式典を見に行ったが、関係者限定だった…
マリーゴールドコンプレックス

午前中から市街地に出てあれこれ写本調査。駅裏のイタリア料理店「ピザ・エクスプレス」でボロネーゼを食べたせいか、夕方の授業が終わってからも食欲がわかない。それならばお腹が空くまで探索しようとカリヤニナガルまで足を伸ばした。行きつけのレストランがあるところからシックスシーターに乗って5分、ランボリというところで降りてから歩いて10分。

サンスクリット語「カリヤーニー(美しい)」+「ナガラ(街)」から作られる「カリヤニナガル」は、今プネーの新興住宅地で人気を集めているところだ。市街地からそれほど遠くなく、それでいてムラー・ムター川を越えたところにあるため土地が広く閑静で、アガカーン宮殿の公園も近い。カリヤニ・グループによって計画的に開発が進められてきたため高級マンションが整然と並び、大きなお店がどんどん建ち、日本人も4,5人住んでいる。周囲にはまだ広大な空き地があり、新しいマンションが続々と建っている。

先週来たビーフステーキ屋まで来ると、向かいに立派な中華料理屋を見つけた。「中華なら入るかな」と思いつつも、もう少し散歩してみることにする。するとさらに奥、コレガオンパークから橋を越えてきたところにマクドナルドを発見。これが最近できたプネーで3件目のマクドナルドである。シャーストリナガルのバス停で宣伝していたので、どこにあるのだろうと気になっていた。

さらに驚いたのがマクドナルドのとなり。シネコンの映画館ができようとしているのである。中はまだ工事中で、映画館はいつから始まるか未定だといったが、映画館の他にも本屋のクロスワード、フレッシュジュース屋、ブティックなどの準備が進んでいた。明日の6時から開業するというが、できていたお店はマクドナルド以外1つもない。大丈夫か?

マクドナルドに入ると、映画館とタイアップしているのか壁には映画の名場面があしらわれ、トム・クルーズの『ラストサムライ』の一場面もあった。よく見れば入口のドアノブも映写機を模している。駅の近くにある映画館アイノックスもマクドナルド併設だが、内装はこちらの方が広くてオシャレ。カリヤニナガルに住んでいたら、勉強どころではなくなったかもしれない。よかった、ワドガオンシェリに住んで(負け惜しみ)。

コーラ・フロート50円で30分ほど休み、中華料理屋まで戻る。「シュウの玉ぎょく(Shu's Jade)」というお店で、値段は結構するが(1品250円ほど)盛りがよく、何より本物のシイタケとメンマが入っているのに驚いた。中国から取り寄せているという。蒸し鶏と焼きそばを食べる。

残さずお腹の限界まで食べて(だから太る)動けないほどになりながら、外に出ると隣りのお店は眼鏡屋さんだった。日本で作るよりも安くできるとI氏が言っていたのを思い出し、度の入ったサングラスを頼む。度は今かけているメガネのレンズをコンピュータで測定し、全く同じものにしてもらうことになった。乱視もきちんと入る。レンズのかたちも同じものにしてほしいといったところ、私のメガネを紙の上において型を写していたのはインドらしいが、それ以外は日本と変わらない。料金は8000円。








こちらワドガオンシェリ、八百屋の店先で古い野菜に群がるブタやイヌ。

リキシャーもたくさん走っていて、1台を捕まえて帰る。いつものレストランまで戻ってきたとき、夢から覚めたような気分になった。

私が今住んでいるワドガオンシェリは舗装もほとんどない石でこぼこの道ばかりで、イヌとブタがあちこち走り回っているような田舎。毎晩アクティブになった犬たちの鳴き声で眠れない。そこからわずか3キロ離れたところに進んだ都会があることに今更驚く。

今、プネーに住むなら断然カリヤニナガルをお勧めしたい。プネーで一番大きいスーパー、最新の映画館とマクドナルド、ビーフステーキ屋、本格中華料理屋、ごみごみしていない都市空間……ただし、大学やバンダルカル研究所からはとても遠いので、そちらにあまり行く用のない人。

普通?の1週間

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月曜日
後輩たちが去って静けさを戻す。おまけにシュクラ先生がサンスクリット教授法のワークショップのため1週間授業がない月曜日。お昼に外に食べに行って、そのまま映画でも見てこようかと思っていたが、秀丸マクロでテキストデータをいろいろいじっていたら午後6時半だった。博士論文は秀丸で書いていて、LaTeXにするときにマクロが必要になってくる。今からちょこちょこ勉強しておかないと。今日は柳井さんのマクロ「グレップ結果置換」を使わせてもらった。

暗くなりかけた頃にちょうど停電したので外出を決意する。6時45分発のバスに乗ってシャーストリナガルのピラミッドスーパーへ。お菓子とラーメンをたんまり買い込む。その足でリキシャーに乗り、カリヤニナガルで夕食。円実さんから教えてもらったステーキ屋さんはボリューム満点で美味しかった。円実さんは、会社でインド人からイヤな目に合うと「くそうお前ら、牛食ってやる!」と言って食べに来るそうな。それを思い出しておかしくなった。

カリヤニナガルから家までは3キロ半。リキシャーもこれぐらいなら乗車拒否しない。帰宅後はDVDで去年の実質ベストフィルム『ハムトゥム』を見る。インドの映画は製作費用がまるわかりで、その最たるものが外国シーンだ。『ハム・トゥム』はアムステルダム、ニューヨーク、パリと縦横無尽。こういう映画はそれだけでポイントが高い。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、水/昼…トムヤンクンラーメン、ビスケット/夕…ペッパーステーキ、ビール

火曜日
朝から雨音で起きる。何ヶ月ぶりの雨だろうか。

今日は午前9時から3時間の計画停電なので、本を読んで過ごした。お昼に外出しようとしたら、また雨が降ってきたので諦めた。ざあっと降って、しばらく止んではまたざあっと降るのは、不器用なインド人を想起させる。日本の五月雨のようにしとしと降り続けるなんて繊細な真似はできなさそうだ。

インド映画ではよく雨なのに傘もささずずぶぬれになるシーンが出てくる。「水もしたたるいい男」ではないが、男優は一枚かっこよくなるらしい。女優は服が体にぴったりくっついてセクシーになる。それ以上に、雨が滅多に降らないインドでは雨に当たること自体嬉しいのかもしれない。今日も喜んで外に出ているインド人が窓から見えた。ぬれた服はどうせすぐ乾く。

昼食は自炊にして、昼寝。このところ夜も早く寝るので、その上昼寝とあっては娘よりもたくさん寝ているのではないかと思う。起きたら頭がすっきりしたので夜9時までぶっ続けで勉強。正しい/正しくない言葉とは何かという興味深い問題に取り組んだ。

ニヤーヤ学派では、神と協約を交わした言葉が正しい言葉とされる。ミーマーンサー学派はヴェーダに書かれた言葉。要するにアーリア人の言葉だけが正しい言葉なのである。でも世界には「牛」と呼んでいる人たちも、「cow」と呼んでいる人たちもいる。それで用が足りるのは結果論なんだそうな。間接的に指示対象にアクセスしているにすぎない。

勉強が一段落したので行きつけのレストランへ。向かいに座っていたおっちゃんの着メロが「蛍の光」だったのが笑う。水にレモンをしぼってレモン水を作ったら、食事が進んだ。食後はすぐ動くと気持ち悪くなるほど食べるので、携帯電話に付いているゲーム「バントゥミ(マンカラ)」を遊んでいる。最高レベルにしても大差で勝つようになってしまって、これからどうしよう。

帰りはシヴァ寺院でお祭をやっていた。今日は「シヴ・ラートリ(シヴァの夜)」という祭日なのだ。私の住むソームナータナガルも、シヴァの異名「ソーマナータ(ソーマ酒の主)」に由来する。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…エビ風味ラーメン、ポテトチップ/夕…30ルピーのターリー

水曜日
午前中で勉強の一区切りが付き、今日は12時から停電だったので外出することにした。









アガカーン宮殿。実際に入れるのは1階の数部屋に限られる
アガカーン宮殿

午後1時発のバスに乗り遅れ、大通りまで歩いてシックスシーターに乗る。バスが新型になってから、定刻どころか少し前に発車してしまうようになり、このところよく乗り遅れる。でもシックスシーターは5ルピーの安さに加えて、どこでも止まってくれるのがいい。アガカーン宮殿の入口で降りる。

アガカーン宮殿はもともとマハラジャの住まいで、インド独立運動でたびたび投獄されていたマハートマー・ガンジーが21ヶ月間、妻や秘書と共に監禁された史跡である。この間に息子のように愛していた秘書のダサイが50才で亡くなり、次いで妻のカストゥルバが75才で亡くなる。現在はダサイとガンジー夫妻の居室がそのまま残され、館内は小さなガンジー博物館となっている。

入場料はインド人5ルピーで外国人100ルピー。相変わらずの暴利というか、外国人依存型観光というか。資料的なものは貧弱だったが、ガンジー夫妻の居室に白い布団が置かれ、壁に妻をひざまくらで寝かせているガンジーの絵がかけてあったのが印象に残った。いかに豪華な居室でも、インドの命運がかかっている時勢にじっとしていなければならなかったのは、さぞ苦痛であっただろう。いったい何を考えて毎日を送っていたのだろうか。

ダサイとカストゥルバのお墓というかモニュメントも残されている。ガンジーの遺灰が入ったモニュメントがそばに立てられ、2つのお墓を見下ろしていた。建物も豪華さもさることながら、周囲の庭園の美しさも見事である。

さて1時間ほど見学した後、イェルワダのシヴァ寺院に移動。最近シヴァ・シャクティが足りないのでお力を頂こうという訳である。外道に帰依しちゃダメなんだけど。イェルワダのシヴァ寺院は小高い岡の上にあって市内が一望できた。これもなかなかの景色。

お参りが終わった後、シャクティもそこそこに補充されたので昼食をとり、イェルワダの映画館「グンジャン・シネマ」で映画を見ることにする。『ファン』というぶっちゃけC級映画だったが、なかなか楽しめた。

『Fun(ファン)』









後日プロデューサーたちが猥褻図画配布で逮捕された
ファン

〈あらすじ〉お金持ちの妻ナターシャは、女友達にそれぞれの夫を取り替えて楽しもうと提案し、3夫婦で旅行に出た。どの夫を誘惑するかはくじ引きで決めたが、ナターシャだけは自分の夫を引いてしまう。残りの2人はお互いに相手の夫と親密になっていく。
その頃、ナターシャの夫アリアンは海岸で会った女メーガを好きになる。メーガが溺れそうになったのを助けたのが元で急接近するが、女にはラージという夫がいた。ラージがしばらく滞在した後で仕事でムンバイに去ると、アリアンはメーガに近づいていく。
そんなある夜、メーガが腹を刺されて遺体で発見される。ダイイングメッセージは「ラージ」。警察はラージを疑うが、ラージはムンバイにいた。2人の男は浮気中、アリアンもナターシャと一緒にいたので犯人が分からない。
そのうちアリアンはナターシャが寝てから部屋を抜け出してメーガと密会していたことが判明し、留置所に入れられた。こっそり抜け出してナターシャと会ったとき、真相が明らかになる。
実はナターシャは、ラージと恋に落ちており、邪魔なメーガの殺害を2人で計画していたのだ。そのために2夫婦を誘ってスワッピング旅行を計画し、ラージのアリバイを作ろうとした。ラージはムンバイに行くと見せかけてひそかに戻り、ナターシャがいるところで妻のメーガを殺した。
真相を明らかにした後、アリアンを自殺に見せかけて殺そうとしたラージは、さらにナターシャもただ利用しただけだったことを告げる。ナターシャはアリアンをかばって銃弾に倒れた。アリアンも撃たれようというとき、警察が寸でのところで現れ、ナターシャは最後の力を振り絞ってラージを撃つ。アリアンに詫びて絶命するナターシャ。

〈感想〉4夫婦が登場し、人間関係が複雑に交錯する映画だったが、途中からサスペンスに激変。大どんでん返しの結末は予想できなかった。女優がみんなキレイで(というかケバくて)、現実離れしているように感じた。若い頃の八代亜紀といった感じの女優が4人も出てきて、しかも揃いも揃ってキワドイ服を着ているものだから、最初は誰がどれだか分からない。
新聞の書評では酷評されていたが、濡れ場を売りにした映画にしては筋書きも無理がなく、また歌や踊りもふんだんに入っていて意外に楽しめたような気がする。
グンジャンシネマは単館上映の映画館で、1階席が25ルピー、バルコニーが30ルピー。シネマコンプレックスと比べると、3〜5分の1の安さだ。しかし価格相応で、椅子は金属製だし、画面は絶えずぶれるし、時々電圧が弱くなって暗くなるし、映画が終わる前に照明が全部ついてしまうしで、あまり快適とは言えない。最初に国歌が流れて起立させられるが、スクリーンに出る「ご起立ください」という表示が、破ったメモ用紙に手書きというお粗末なものなので笑える。でも近いから、またそのうち行ってしまいそうだ。今週末からは話題作『ベーワファー』が始まるという。

映画が終わるともう夕暮れ時。マンゴージュースを飲んで、バスを30分待って帰宅。楽しい1日だった。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…ミックス・ハッカヌードル(焼きそば)、リムカ(無果汁炭酸飲料)/夕…マトン・ビリヤーニ(ピラフ)、スウィートラッシー

木曜日
夕食以外は外出せず、ラジオを聴きながら論文の準備と読書で終わる1日。しかも昼寝つきとあっては、ぜいたくなことかもしれない。

今読んでいる本は1938年にカルカッタで発行されたものと、1976年にティルパティで発行された本の2種類がある。それぞれコルカタのアジア協会の写本と、チェンナイの東洋学図書館の写本を底本にしている。この2つがかなり違うため、まずはどこが違うのか調べるところから始める。接続詞があったりなかったりするぐらいならまだよいが、否定辞があるとないとでは意味が全く反対になってしまう。この異同を洗い出していく作業は注意力と時間を要する上に、あまり面白くない。

夕食はいつものレストラン「ラスィカー」にて。いつも気になっていたモンゴロイド系の顔立ちの男が注文をとりに来る。腕を組みながら注文を取るので笑ってしまった。「中国人か?」「いや日本人だ、お前は?」「ネパールだ、ヒンディー語がよくできるな」「少しだけ」「仏教徒か」「日本は仏教国だ」「何をしている」「サンスクリットを勉強している」「どうして」「学問だ」「何年」「2年」「結婚はしているのか」「4年前にして、娘がいる」「それは驚きだ、頭の傷は何だ」「交通事故だ」「インドでか」「日本でだ」……インドで初対面の人とする会話なんて、こんなもんだ。でもネパール人の顔立ちや笑顔は、見ていてなぜか安心する。

去年と比べて格段に強くなったものがある。それは皮膚。蚊に刺されるのは毎日だが、2、3分かゆいだけでほとんど腫れなくなった。でも夜は蚊の羽音がうるさいと眠れないので、毎日蚊取りリキッドを炊いている。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…野菜ラーメン、ジュース/夕…パラック・パニール(ほうれん草を煮込んだ緑色のカレーに豆腐風味のチーズを入れたもの)、ローティ(丸いナン)

金曜日
ヴィナヤクさんと会う約束をして、午後1時のバスで大学へ。アパートの前から市役所まで40分、市役所から大学正門まで15分、大学正門から学食まで5分。待ち時間がほとんどなく、全部で1時間ちょうどで着いたのは新記録。交通費は片道14ルピー(35円)である。リキシャーだったら2キロ乗るともうこの額になるのだから、いかにバスが安いかわかるだろう。

昼食を食べ、図書室に行くと日本から1ヶ月滞在中のH氏が勉強していたので一緒にチャイを飲む。就職するとたとえ大学でも一般教養の授業を受け持つことが多く、専門の研究をする時間が少なくなるという。就職しなければ食えないし、就職すれば研究できないというジレンマが、日本の文系研究者には多い。好きなことを研究してお金をもらえるというのは、非常に稀なのかもしれない。









インド・イティハーサ研究所。入口を入るとホールになっている
イティハーサ研究所

さて、授業を終えたヴィナヤクさんのバイクに乗って出発。今日の目当てはインド伝説研究所「バーラタ・イティハーサ・サンショーダナ・マンダル」の写本だ。プネーで写本が見られるところはこれで6件目。ラクシュミーロードとティラクロードの間にあって、意外と近い。となりにはインド演劇研究所(バーラタ・ナーティヤ・マンダル)もあった。行ってみると午後の開館時刻は4時から8時までだったので、近くにあったヴィナヤクさんの学校まで散歩をして時間をつぶす。この学校でヴィナヤクさんは1年生から10年生までを過ごしたという。授業を終えた子どもたちが元気に遊んでいた。

さて、再び研究所に戻ると戸が開いていて、入ってすぐの部屋におばさんが座っていた。カタログを見せてもらうとちょっと珍しいものが2点ほどあったので来週まで用意してもらうよう頼む。ヴィナヤクさんがマラーティー語で話をつけてくれるので早い。

しかしその後、何か偉そうなおじさんがやってくるとヴィナヤクさんはおばさんと急に口論を始めた。何が起こったのか、マラーティー語なので皆目見当がつかない。後から聞いてみるとそのおじさんは研究者ではなく純粋な趣味で写本を見に来ていて、おばさんがあまりにつっけんどんな態度を取ったのでヴィナヤクさんが見かねて文句を言ったんだそうだ。「プネーにはもっとよい写本の図書館がたくさんありますよ。おじさんそっちに行ったら」「それじゃうちの図書館が悪いとでも?」「そう取ってもらっても結構」……日本人の私がいるから気が大きくなっているのかもしれないが、おばさんがへそを曲げたらどうするんだ? 「そのときは自分たちで図書館に入れてもらって探しましょう。」

そのあともう1件、ティラク・マハーラシュトラ大学の付属ヴェーダ研究所「ヴァイディカ・サンショーダナ・マンダル」にも連れて行ってもらった。前に1度訪れているが、確認したいことがあった。こちらもなかなか写本が充実している。

市役所前まで送ってくれるという言葉に甘えて、しかも途中で本屋に寄ってインド歌の本とサンスクリット詩学書を購入した。何か甘いものでもご馳走したいというと、ヴィナヤクさんは「ママが待ってるから、また今度」と辞退した。23才にもなって理由がなあ。インド人男性はマザコンが多いらしいというのを思い出した。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…プリー・バージー(揚げたナンと野菜カレー)、スウィートラッシー/夕…チキン・ガーリックソース(中華料理)、ライス

土曜日
金曜日の夜、先生宅に電話してみると先生が出て、今日から授業が再開されることになった。授業の準備は今週一週間かけて済ませているので、今日の日中はボードゲームの記事や書類作成をしたり、昨日買ってきた本を読んだり、インド国歌の歌詞を覚えたりした。15分ほどうとうとしてから、先生宅へ。

先生が今週出かけていたのは、サンスクリット語文法を7年生から9年生(中学生程度)に教えるためのワークショップ。現場の教師を招いて研修している。サンスクリット語の名詞は七格あるが、先生はそのうち第四格(「〜のために」)を担当したという。またコンピュータ会社の人が来て自習ソフトを作ろうとしているらしい。

サンスクリット語はマハーラシュトラ州では選択制だが、ウッタルプラデーシュ州などのヒンディー語圏では義務教育科目だという。その割には先生の語学力が落ちてきているのが今回のようなワークショップが開かれる原因のようだ。

1週間ぶりの授業は、いつもより丁寧な気がした。帰りに道端で顔見知りの少年たちに呼び止められ、インドおはじきのキャロムを遊ぶ。2対2のペアマッチで、先攻だったが最後の最後にストライカーを落としてしまい、クイーンをとられた上に1個差で負けた。しばらくやっていないと腕が落ちる。









途中から体がどっと疲れてついていけなくなった
カウボーイパーティ

からはガールスカウトのボランティアでインドに来ているWさんの招待でI氏と「カウボーイパーティ」に参加。サンガム・ガールスカウトセンターは常時世界中からガールスカウトの人たちが集まっていて、催し物に誘われたのはこれで3回目だが、今回は行ってみるまで何のパーティーなのか分からなかった。

それは、みんなカウボーイハットとバンダナ、それに警官バッチまでつけて飲みながら踊るというすごいパーティーだった。参加者はガールスカウトで来ているイギリス、カナダ、アメリカ人に、お金持ちそうなインド人。8時過ぎから始まって、午前2時頃まで6時間、延々と踊っていた。インド人の中にはボリウッド映画に出たこともあるというダンスの先生がいて、確かに何を踊っても上手だった。私は2時間ほどでギブアップし、踊る人たちをぼんやり眺めながらWさんやI氏とお話。音楽の音量があまりに大きくて、話がしにくい。とても楽しかったが、喉がかれそうになった。

インターナショナルなのに英語圏ばかりという偏り方で、日本人はインド人だけの中にいるよりも浮いてしまうような気がした。フランス人が2人来ていたが、他のヨーロッパ人・他のアジア人がいないためにかなり特殊な空間になっていた。Wさんや以前来ていたYさんはこの中に混じってよくやっているものだと思う。Wさんの日記を拝見したが、会うたびにはつらつとした笑顔からは分からないそういう苦労も見て取れた。

置いてあったお酒がまたどれも高級なものばかりで、アノルというフランス人とI氏の出来上がりっぷりが見事だった。I氏は飲むと普段は見せない個性を発揮して面白い。結局最後まで残って、千鳥足になったI氏が運転するバイクに二人乗りという命知らずな行為で帰る。I氏は「かぶらないと死にますよ」と言ってヘルメットを貸してくれた。途中から私はリキシャーで帰ったが、I氏が無事に帰宅できたかは不明。

〈今日の食事〉朝…パン、スライスチーズ、トマト、牛乳/昼…ロブスター風味野菜ラーメン、ジュース/夕…チキン春巻、チキンロリポップ、ビール、チャパティ、マカロニ、鳥ササミ、豆シチュー、ワイン、ジン

日曜日
カウボーイパーティから帰宅したのは結局午前3時だった。リキシャーのおじちゃんも眠そう。朝起きると、案の定二日酔いである。インドでは去年のズボンがはけなくなるくらい明らかに太っているが、その原因は遅く食べる大量の夕食と、たまにやる深酒だということは、わかっちゃいるけどやめられない。

午前中はうつらうつらと過ごして、午後1時のバスで出発。市役所からリキシャーに乗り換えて、ナショナル・フィルム・アーカイブまで合計45分。今日は日本映画鑑賞会である。早く着いたので日本に電話したり、昼食を食べたりした。レストランでは奥さんが日本人でプネーに住むベデカル夫妻と、同じく奥さんが日本人で埼玉に住んでいるというビドゥスリさんという人に会った。

今日のプログラムは北野武監督・主演の『菊次郎の夏』。父を亡くし祖母と2人で東京で暮らす少年が、遠くで働いているという母を尋ねて豊橋に向かう。同行したおじさんは橋にも棒にもひっかからない人で、渡されたお金は競輪ですってしまい、ヒッチハイクの珍道中。やっとのことで着いた豊橋では母が新しい家族と生活を送っているのを目撃してしまい、そのまま会わずに帰途に着く2人。少年を邪険に扱っていたおじさんは、やがて少年が自分と同じような境遇であることを知り、不器用ながらも面倒を見るようになっていく。

日本でも1度妻と結婚前に見た映画だったが、家族を日本に置いてきている自分の状況や、今年になってから急浮上した父親探しのこと class=footnote>*1が手伝ってか、前よりも深い感動を覚えた。私は父親として娘に何をしているだろうか。そして私にとって父とは何なのか。この2つがあいまって、家族をテーマにした映画を見る私は感傷的になる。

インド人が井出らっきょの全裸シーンに爆笑したりするのは何となく誇らしかった。来ていたインド人の大半は、日本語を習得した人たちのようだ。

予め何の宣伝もしていなかったためか、日本人は6名ほどしかおらず、インド人も20〜30名ほどだったようで、入場料タダなのにもったいない。終わってからパラーグ氏とMさん、Aさんの4人でコーヒーを飲んだ。30も過ぎて大学院を終えても就職先が見つからない日本より、喉から手が出るほど日本人をほしがっているインド企業で仕事をするのも悪くないという話になった。給料は月10〜12万円ぐらい。生活費は2,3万円もあれば足りるし、ちょっと旅行したって1万円以内で収まるのだから、東京で20〜30万円もらいながら10万円以上の生活費を出して生活するのとあまり変わらないのではないだろうか。

その後、今度はFCロードでH氏、I氏と夕食。せっかく街に出てきたのだから人に会えるだけ会おうという田舎者の貧乏根性である。昨夜泥酔したままバイクで帰ったI氏は無事生きていたが、左手に「禁酒」とマジックで書いてきていた。しかし「酒」にビールは含まれないだろうと解釈して、3人でビールを飲む。男だけなので、サンスクリット語を勉強している女の子(特にインド人)の共通点など下世話な話をした。

終バスが9時半なので早々と帰らなければならないのが残念。でもバスに揺られてぼんやりするのはとても気持ちいい。

シュクラ先生の授業が1回しかなかった割に、いろいろなことがあった1週間だった。シュクラ先生の授業がある限り、ほとんど毎日が火曜日や木曜日で書いたような生活をしているので、毎日日記はこれでおしまい。また特別なことがあったときに書くことにしたい。



*1:3才のとき両親が離別し母の実家で育った私は、30年間父に会っていない。今年は父方の祖父母の法事があるということで、もしかしたら出会えるのではないかと思っている。神の思し召しがあれば。


〈今日の食事〉朝…卵スープ、ビスケット/昼…マサラ・ドーサ(南インドのスナック)/夕…チキン・レーシュミ・カバブ、魚のから揚げ、チキンチャーハン、チキンカレー、ローティ、ビール

日記

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金曜日の夜、先生宅に電話してみると先生が出て、今日から授業が再開されることになった。授業の準備は今週一週間かけて済ませているので、今日の日中はボードゲームの記事や書類作成をしたり、昨日買ってきた本を読んだり、インド国歌の歌詞を覚えたりした。15分ほどうとうとしてから、先生宅へ。
先生が今週出かけていたのは、サンスクリット語文法を7年生から9年生(中学生程度)に教えるためのワークショップ。現場の教師を招いて研修している。サンスクリット語の名詞は七格あるが、先生はそのうち第四格(「?のために」)を担当したという。またコンピュータ会社の人が来て自習ソフトを作ろうとしているらしい。
サンスクリット語はマハーラシュトラ州では選択制だが、ウッタルプラデーシュ州などのヒンディー語圏では義務教育科目だという。その割には先生の語学力が落ちてきているのが今回のようなワークショップが開かれる原因のようだ。
1週間ぶりの授業は、いつもより丁寧な気がした。帰りに道端で顔見知りの少年たちに呼び止められ、キャロムを遊ぶ。2対2のペアマッチで、先攻だったが最後の最後にストライカーを落としてしまい、クイーンをとられた上に1個差で負けた。しばらくやっていないと腕が落ちる。
夜からはガールスカウトのボランティアでインドに来ているWさんの招待でI氏と「カウボーイパーティ」に参加。サンガム・ガールスカウトセンターは常時世界中からガールスカウトの人たちが集まっていて、催し物に誘われたのはこれで3回目だが、今回は行ってみるまで何のパーティーなのか分からなかった。
それは、みんなカウボーイハットとバンダナ、それに警官バッチまでつけて飲みながら踊るというすごいパーティーだった。参加者はガールスカウトで来ているイギリス、カナダ、アメリカ人に、お金持ちそうなインド人。8時過ぎから始まって、午前2時頃まで6時間、延々と踊っていた。インド人の中にはボリウッド映画に出たこともあるというダンスの先生がいて、確かに何を踊っても上手だった。私は2時間ほどでギブアップし、踊る人たちをぼんやり眺めながらWさんやI氏とお話。音楽の音量があまりに大きくて、話がしにくい。とても楽しかったが、喉がかれそうになった。
置いてあったお酒がまたどれも高級なものばかりで、アノルというフランス人とI氏の出来上がりっぷりが見事だった。I氏は飲むと普段は見せない個性を発揮して面白い。結局最後まで残って、千鳥足になったI氏が運転するバイクに二人乗りという命知らずな行為で帰る。I氏は「死にますよ」と言ってヘルメットを貸してくれた。途中から私はリキシャーで帰ったが、I氏が無事に帰宅できたかは不明。

日本人がいっぱい

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2月の下旬からやたら日本人学生づいている。プネーはもしかしたら、インドで1番日本人学生の出入りが多い街ではなかろうか。今プネーには哲学、仏教学、文学、美術学、人類学などさまざまな分野で8人の学生がいる。プネーの外で研究している人や、一時帰国している人もいるので一同に顔を合わせる機会はなかなか持てないが、何人かで集まれば酒を飲みながらだらだら語るのがいつものパターンだ。

2月23日は、IT企業に勤める日本語超うまいインド人、パラーグ氏の招待で6名。龍谷大学から石窟寺院見学で来たNさんとUさんは、専門家のFさんが案内して毎日あちこちを回っている。石窟寺院が多いマハーラシュトラ州は、プネーを拠点に日帰りや1泊で少しずつ見ていくのが疲れず効率がいいようだ。

2月27日には、以前プネーで生物学を学んでいた筑波大学のHさんがちょこっと来訪。一緒にプネー大学で生物情報学を学ぶ予定で来たNさん、そしてI氏とおしゃべり&食事。プネーに来るのは何もインド学だけとは限らない。お金をかけずに英語をマスターし、しかも理系の学問まで学べる大学は、世界を探してもそう多くない。実験器具などに最新型を求めることはできないだろうが、コンピュータは充実しているそうだ。

3月1日は名古屋大学の和田先生がインド論理学についてご講義。お供で以前プネーに留学されていたHさんとこれから留学する予定(?)のOさん、そしてたまたま同じホテルに泊まってサンスクリット語を学んでいるという愛知学院大学のMさん。サンスクリット学でプネーはインドの中心であるばかりでなく、名古屋大学の交換留学制度によって、日本人が学びやすい土地になっている。

3月2日は大学の後輩3名が来訪。その中のA君がパーリ文献を読むためここに留学する予定でいる。一緒に来たH君とIさんは他のところに留学を希望しているが、図書館で本や写本を見たりした。インドは概して本などの保存状態が悪く、日本で手に入らないものはまず手に入らないのだが、プネーはいくつかの図書館が頑張って管理しているので、ときどき珍しい本に出会うことができる。

3月3日は和田先生を囲む会。プネーにいるインド関係の留学生も含めて、総勢10名という大所帯になった。日本の各大学での研究状況とか、インド人の先生に個人授業をしてもらうとき謝礼の相場はいくらぐらいなのかとか、以前インドに留学していた人の消息とか、娯楽はいつの時代も映画しかなかったとか、具体的な話で盛り上がった。

プネーは高崎直道先生(鶴見大学長)、北川秀則先生(元名古屋大学教授、故人)から始まって、数々の日本人学者が留学してきた。プネー大学で博士号を取得された和田先生や、私の指導教官である丸井先生もそうだし、島岩先生(金沢大学)、宮元啓一先生(國學院大学)、阿部慈園先生(明治大学、故人)もいっしゃる。先輩が開拓した道を後輩が引き継ぎ、その連続の末端に今日の我々がいる。インドでは若い学者がなかなか育たず教育環境は前と比べて悪くなったかもしれないが、それでも年配の実力者は健在。今後も続々と留学生が来ればいいなと思う。

ここまで10日間で会った日本人の学者、学生は総勢16名。ほとんどは短期滞在だが、日本人と話をするのは非日常的で、とても刺激になる。飲み会のセッティングをすることが多いので、日本の後輩から「小野さんは宴会部長だそうで」と言われている。3月5日は大学の後輩とI氏でゲーム、飲み、ゲームをしてそのまま空きベッドに泊り込んだ。

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