India: 2005年6月アーカイブ

映画歌手

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ソヌ・ニガム今インドで最も有名な歌手ソヌ・ニガム(Sonu Nigam)のコンサートを聴きにいく。

 ソヌ・ニガムは映画の挿入歌を歌う映画歌手だ。インド映画において挿入歌はBGMではない。俳優が口パクで歌を歌ったり、ダンスをしたりするのが映画の成否を分けるシーンになる。映画が封切られる前からCDが発売され、好きな人は聴き込んで予習してから映画に臨む。そして映画は毎週毎週新しいのが出てくるから、CDもどんどんリリースされる。こうしてインド音楽で今一番メジャーなのは映画音楽になっている。

 話題になった映画のCDを聴いていると、映画監督やプロダクションを問わず歌手はいつも同じ顔ぶれであることが分かる。若い頃からずっと歌い続けてきた75才の「ナイチンゲール」ラター・マンゲーシュカルをはじめ、ウディト・ナーラーヤン、アルカー・ヨーグニク、そしてソヌ・ニガム。特にソヌ・ニガムは最近の活躍がめざましい。『カル・ホー・ナ・ホー』の主題歌から、、現在公開されている『バンティ・オール・バブリー』『パリニータ』『パヘリ』でも歌っている。出すぎ。甘くて繊細な声質、広い音域、インド歌謡独特の節回しのうまさ、悲しみや怒りの表現力、さすがキング・オブ・ボリウッドのシャールク・カーンがファンになっているだけある。勢いで歌う歌手が多い中、憂いを帯びたアンニュイな歌を歌わせたら彼の右に出る者はいない。

 ソヌ・ニガムという名前を認識したのは最近のことである。マラーティー語のコメディ映画『ナウラ・マザー・ナワサーツァー』に出演していて、みんなに「歌ってよー、歌ってよー」と請われて歌うシーンがある。彼が最初スクリーンに出てきたとき、後ろに座っていた女の子が「ハーッ!」と息を呑んだ。家に帰ってCDを見てみると彼の歌があるわあるわ、驚いた。本屋でこのコンサートのポスターを見たときは、即チケットを購入。S席5000ルピー(12500円)から、E席100ルピー(250円)まで、私が買ったのはC席500ルピー(1250円)。2000人ほどを収容する特設屋外ステージは、確かに真ん中ぐらいだった。当日は満席。

 さて今回のコンサートはチャリティコンサートになっている。歌手のラター・マンゲーシュカルはプネーに病院をもっているが、その敷地内に映画俳優のアミターブ・バッチャンらが癌センターを寄贈して、開業祝にこのコンサートが開催されたという訳である。国にお金がないインドで、映画界の社会福祉への貢献はかくも大きい。チケットには午後6時からと記されていたが、はじめに開業式が行われ、アミターブ・バッチャンやバイク会社バジャジの社長らがスピーチをした。アミターブがステージに出ると会場は騒然となる。190センチの身長、白いあごひげは遠くからでも彼だとわかった。スピーチではマイクの高さが低くての調節してもらっていたのはお約束か。明日から封切られる主演映画「サルカール」のキャンペーンがあるため、30分ぐらいですぐ帰ってしまったが、生のアミターブを見られたのは感激。

 こうしてコンサートが始まったのは7時40分。激混みの特設売店でサモサを2つ買い、空腹をしのいで待つ。ステージにはサンスクリット語で「死神に甘露をやるな(mrtyoh maa amrtam gamaya)」と書かれている。死神をのさばらせるな、生かす努力をせよということだろう。癌センターのオープンに相応しい標語だと思われた。前座のトークと歌があって、やっとソヌ・ニガムの登場である。『カル・ホー・ナ・ホー』の1フレーズを歌いながら、男女8人のダンサーを従えて出てきたときは、会場が歓声と口笛の渦となった。

 ソヌ・ニガムには映画以外の歌もあるので予めCDを買って予習していったが、歌ったのは全部映画ものだった。『サティヤー』『カビ・クシー・カビ・ガム』『メーン・フーン・ナ』『ハム・トゥム』『カル・ホー・ナ・ホー』など。ライブらしく、テンポをどんどん早くして盛り上げたり、全休止を長く取って次を期待させたり、2つの曲を混ぜて笑いを取ったり、マイクを観客に向けて一節を歌わせたり(私も歌った)、リズムに合わせて拍手をさせたりと、歌手と聴衆の一体感を高める趣向が続く。歌はいたるところに装飾を入れており、楽譜どおりのCDではわからない歌唱力の高さを存分に味わえる。すごい。

休憩が9時過ぎに入ったときには何時までやるつもりかと心配になったが、休憩後は30分だけで賞味2時間、10時ちょうどに終わった。大満足。終わる前に席を立って帰り始めるのはインド人らしい。日本だったら、歌手がステージから出るまでは、たとえつまらないコンサートでも拍手して見送るだろうが、インドでは終わる気配があるともう我先に帰り始める。映画でもスタッフロールを座って見ていると、インド人は皆さっさと帰ってしまい掃除係が掃除を始めていることもある。

心配は帰りの足。終バスはもう終わっているし、リキシャーも遠いと乗車拒否する。はじめはリキシャーを乗り継ぐつもりだったが、ひとまず大勢の歩く方向に付いていくとバス停があり、駅まで6ルピー(15円)で行くことができた。そこで遅めの夕食を食べ、駅前のリキシャー乗り場に行くとあっさり家まで行ってくれるリキシャーが見つかった。しかし石油値上がりのためにまた値上げしたそうで、1キロ7ルピー(17.5円)、しかも深夜料金1.5倍。駅から家までは8キロだから、80ルピー(200円)にもなった。もっとも、それはよいコンサートを聴いた代償だと思えばあまり苦しくない。

食事

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ターリー名残惜しさのためであろうか、もうすぐインド生活が終わるというときになってインドの料理が美味しく感じられてきた。ほぼ毎日食べているのがターリーと呼ばれる定食だ。ご飯がつくので「ライスプレート」ともいうが、インド製英語らしい。ヒンディー語ならカーナー(食事)。
 標準的な内容はチャパティ(発酵させないナン)3枚、チャーワル(ご飯)、サブジー(野菜のカレー味煮込)、カリー(日本でカレーと呼ばれるもの)、ダール(豆を煮崩したカレー)、パパッド(せんべい)、アチャール(マンゴーのレモン唐辛子漬け)、生タマネギ、レモン。このほかにラッサム(トマトスープ)、ダヒ(ヨーグルト)、デザートがつくお店もある。たいていはベジタリアン料理だが、その量・辛さ・油っこさでどんなにお腹が空いていても必ず満腹になれる。
 食べる順序はインド人を観察したり、試行錯誤したりしてやっと完成した。チャパティーは焼き立てで出てくるので、最初はさわれないほど熱い。そこでせんべいを食べながら少し冷ます。せいべいは結構塩辛いので全部食べないで、後に取っておく。チャパティーが熱くなくなったら手でちぎって、野菜煮込とカリーの具を交互にはさみながら食べていく。液体の豆カレーはチャパティーではさめないのでパス。チャパティーを食べ終わったところで漬物やレモン汁をかけたタマネギをつまんでいったん休憩。気がきくお店なら、このタイミングでご飯を持ってくる。
 ご飯に残った野菜煮込とカリー、豆カレーとヨーグルトをかけてかき混ぜる。ここで先に残しておいたせんべいも砕いて入れると美味しい。このごちゃ混ぜが深みのある味わいとなるのだ。カリーやトマトスープは激辛なことが多いが、ヨーグルトと混ぜることで辛さも和らぐ。ご飯は手で食べる方が美味しいが、終わってからしっかり手を洗えないので、たいていスプーンで食べている。
 そして最後に残ったタマネギを食べてごちそうさま。ちょっといい店なら店員がレモンを入れたお湯を持ってくる。これは手を洗うためのもので、お湯の中でレモンをつぶし、右手を洗う。ついでに口の周りも洗うと気持ちいい。小さい店でお湯が出てこなければ、コップから飲み水を皿に流しながら手を洗う。
 口の中が辛さでひりひりするようなら、チャイを頼むのもよい。でもたいていは満腹で、何も入らない状態である。最後に出てくるミントは、インド人がいうには消化にいいらしいが、本当かどうかはともかく口の中の食べ残しが取れて歯によさそうだ。
 最近見つけた近くの小さなレストラン「グル・クリパー」は定食(写真)が20ルピー(50円)に、チャイが2ルピー(5円)という安さ。しかもかなり味がいいので結構通っている。



2001年のヒンディー映画。サルマン・カーン、ラーニ・ムカルジー、プリーティ・ズィンターという、今にして思えば豪華キャストである。ジャケットがものすごく軽そうな感じだったので気軽に見始めたが、テーマは重くて、しかもエキサイティングな映画だった。
大富豪の息子ラージは一目で好きになったプリヤと結婚。やがてプリヤは妊娠するが、あるとき転倒して流産、しかも子宮摘出で子どもが産めない体になってしまう。だがひ孫を夢見て生きている祖父のため、ラージとプリヤは彼らに内緒で酒場の踊り子マドゥバラを1年間100万ルピーでおさえ、代理母(!)とすることにした。
3人は仕事を名目にスイスに渡り、かかりつけの医者も口裏を合わせて……最後まで秘密がばれないかハラハラドキドキ。やがて妊娠したマドゥバラは次第にラージに好意を寄せ始め……3人の関係は一体どうなるのか最後まで気が抜けない展開。代理母というテーマ自体が珍しく、最後まで引き込まれた。音楽もいい。
プリーティ・ズィンターは1998年デビューだから4年目だが、今と比べるとかなり太い。一方4才年下のラーニ・ムカルジーは今と比べると細い。あとサルマン・カーンの生え際がすでに後退し始めており、そのあたりの違いも見どころだった(何見てんだか)。
それにしてもラーニ・ムカルジーの役どころはすごいのばかり。Kuch Kuch Hota Haiではいきなり死んでるし、Saathiyaでは車にはねられ重体、Yuvaでも流産し、Hum Tumでは夫に先立たれ、Kabhi Kushi Kabhie Ghamではシャールク・カーンにふられ、Chalte Chalteでやっと結婚できたかと思えば別居。Paheliでも新婚翌日に離れ離れで、めでたしめでたしといえばBunty aur Bablyぐらいか。きっとあのハスキーボイスと抜群の演技力のため、他の女優ができないところが回ってくるのだろう。注目。

映画(29)不思議

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パヘリパヘリ(パズル)
【ストーリー】
昔々、ラジャスタンのお話。年頃を迎えた娘ラッチーは嫁入りの途中、幽霊から見初められてしまう。幽霊はカラスや鳥になってラッチーを追いかけたが、ラッチーは恐れをなして逃げ出した。
さて結婚の相手はキショーン。お金にしか目がない男で、結婚式の間も頭の中は仕事のことばかり。そして初夜に部屋に入ってきたラッチーに向かって「明日から5年間、外国に出張に出る」と言い、泣き出したラッチーに「もう寝ろ」と言って仕事を続けるのだった。
キショーンが旅立ったその日、幽霊はキショーンに変身して家にやって来る。父親には不吉な予言があったので引き返したと言い訳し、家族は幽霊だとは知らず温かく迎える。一番喜んだのはラッチーだった。
その夜、幽霊はラッチーに自分が幽霊であることを告白し、別れを告げようとする。ラッチーははじめびっくりして怖がっていたが、幽霊の一途な愛に心を動かされて引き止め、一緒に暮らし始めた。幽霊はとても明るく楽しい性格で、しかも神通力で不思議なことを起こしたため、本物のキショーン以上に家族みんなから愛された。やがてラッチーは妊娠、幽霊は「女の子が生まれたら、ウッジュイにしよう」と提案する。
そして出産のときになって、本物のキショーンが妻のことを思い出して急遽帰ってきた。キショーンが2人?
さあ本物はどっち? 大混乱する村人たち。家族は幽霊の方がキショーンだと思っていたが、結局羊飼いの男に判定を頼みに行く。あれこれ試される2人に、本物のキショーンは恐れおののくばかり。最後の判定でラッチーを愛しているならば正体を明かすよう求められた幽霊は、妻から「神通力はもう決して使わないで」と言われていた禁を破って正体を明かし、皮袋の中に閉じ込められた。砂に埋まっていく皮袋。
そして普段の生活が戻る。幽霊の言った通り女の子が生まれたが、ラッチーは幸せな気持ちではなかった。キショーンに「これからどうしてあなたを愛せるというの?」と泣きながら顔を背ける。するとキショーンは「名前はウッジュイだよね」。「どうしてそれをあなたそれを…?」と驚くラッチー。そう、皮袋に閉じ込められたと思っていた幽霊はキショーンに乗り移ってその体を支配していたのである。

【感想】
実体はないけれども真剣に愛してくれる幽霊と、実体はあるけれども愛してくれない夫、妻はどっちを取るか?
帰ってきたらもう1人の自分がいた夫、どうやって自分を認めてもらうか? 判定にかけられた幽霊、人間としてい続けるか、妻への愛を貫くか? 幽霊のおかげで家の中がすっかり明るくなった家族、実の息子を取るか幽霊を取るか? 2人の同一人物が現れた村人たち、そのまま2人を認めるか、どちらか一方を幽霊として片付けるか? それが「パズル」である。キショーンと幽霊はシャールク・カーンが1人2役で出演、同時に出る場面は、どうやって合成しているのか全くわからないほど精巧な撮影だった。
何しろ主人公が幽霊なので感情移入しづらい。『居酒屋ゆうれい』のように死んだ配偶者が幽霊になって出てくるならまだその情念が分かるが、「ブート」とはそういった個人の人格がない、どちらかというと妖怪に近い存在だ。それが人間の女性を好きになってしまい、その女性も愛に応え、子供までできる……不思議だ。最後に幽霊は本物を乗っ取ってしまうが、それがハッピーエンドになるのもすごい。本物の方も、旅先で妻のことを思い出して急遽引き返してきたのに、こんな目にあわなければならないとはお気の毒。
おそらくこの映画の見方としては主人公に自分を重ね合わせるのではなくて、登場人物がおりなす奇想天外な出来事の方に重点を置いて楽しむべきなのだろう。本物と幽霊を見事に演じ分けたシャールク・カーンじゃなかったら、B級映画もいいところだったのではなかろうか。ヒロインにラーニー・ムカルジー、父親役にアヌパン・ケール、羊飼いにアミターブ・バッチャンといった大物が出ているが、いずれもあくまで幽霊の引き立たせ役といった感じで、見せ場は少なかったように思われた。キショーンが出した手紙を届けに来たら受け取ったのもキショーンだったという旅人役の喜劇俳優(名前失念・カルホーナホーで「グル」役の人)が光った。「出すのもお前、受け取るのもお前、あっちにいってもお前、こっちにいってもお前、お前はどこにでもいるんかいな!」
ここ数週間で公開され人気を博している3つの大物映画。コメディの『バンティー・オール・バブリー』、古典純愛の『パリニータ』と比べると、どうも最後まですっきりしない不思議さのために『パヘリ』はコメディとしても純愛ものとしてもやや後塵を拝することになりそうだ。音楽も不思議系でイマイチ。

Hum Hain Lajawab

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ディズニーのヒーローアニメ『Mr.インクレディブル』のヒンディー語吹き替え版『ハム・ヘーン・ラージャワーブ(俺がラージャワーブだ)』を見る。ヒーローものと言いながら家族愛をテーマにした心温まる話で、JAL機内で一度見てかなり気に入っていた。
インドで販売されているDVDは韓国語字幕までなぜか着いているのだが、日本語はなし。それで699ルピー(1750円)は高い。日本では2,264円で売られているのだから、たいした差はない。
そう思って買うのをためらっていたところに、ヒンディー語吹き替えVCDが199ルピー(500円)で売られているのを発見した。英語オリジナルのVCDが299ルピー(750円)で、それよりもずっと安い庶民価格。でも値段だけならまだ手が出ないのだが、何と主人公の声がシャールク・カーンなのだった。「うっおー!」と喜んで購入。そして今日見た。
……いいなあ、シャールク・カーン。ハハハ…という空笑い、ダメージを受けてあえいでいる声、そして妻への愛の言葉。どんな窮地に陥っても余裕のへっちゃらな感じがよく出ている。ヒンディー語自体はヒンディー映画で見るのと比べて格段に理解できなかったが(実はディテールが細かい映画なのです)、雰囲気をたっぷり楽しむことができた。超お買い得。

焼肉大会

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焼肉大会 前回の「手巻き寿司大会」で提案されていた焼肉大会がK氏宅で開催される。食にこだわるプネー日本人学生の意地をここでも見せつけた。
 K氏の家にはテラスがあって、停電中に外で風に吹かれているときにこの企画を思いついたという。手に入れにくい炭はカドキから、豚肉はI氏が韓国人の知り合いから情報を集めてバラ肉を入手、牛肉はシヴァージーマーケットから入手したものをたれで漬け込んである。豚は1キロ70ルピー(175円)、牛は1キロ50ルピー(125円)で、牛の方が安い。鶏肉もタンドーリと醤油味噌づけ。あとは野菜としてナス、ピーマン、オクラ、ジャガイモ、肉を巻くレタス、ニンニクなど。酒はビールとバカルディに、ウィスキー。
 最大の心配は雨。ちょうど今日モンスーンがプネーに到着したらしい。小雨がぱらつくことがあったが、土砂降りはなく、むしろ適度に曇ったおかげで快適だった。ときどき日が差すと火よりも熱い。コンクリートですら、素足で歩けないほどになる。半日外にいて、肌を露出していた部分は真っ赤に日焼けしてしまった。
 焼肉の楽しみは食べるだけでなく焼くところにもある。5、6枚の肉を並べ、肉汁が浮いてきたものから裏返す。できあがったら側へ。火が足りなくなったら炭を追加。そんな作業がとても楽しい。
 一通り食べ終わったところで、ゲームでもと「タングラム・プラス」を順番にプレイ。板を交互に入れていって、はみ出してしまった方が負けという単純なゲームだが、どの種類の板をどのタイミングでどこに入れればよいかちょっとした戦略性がある。「ここにこの形を入れたら、次に相手がこちらにあの形を入れるから……」などと先の先を読むことも可能だ。3戦3勝。
 続いては紙と鉛筆をまわして「フラッシュ」。お題から連想される言葉を制限時間内に書いて、同じ言葉を書いている人がいたら得点になるというこれまた単純だが奥の深いコミュニケーションゲームだ。常識人が有利なのは言うまでもないが、トップ目の人と重ならないように答えを読むという局面もあり、なかなか面白い。お題はインド、インドの遺跡、バーベキュー、ハリウッド、麻薬、最近のヒット曲など。最近のヒット曲はインドに長いこといる人たちにとってかなりつらいものがあった。最多回答は「世界にひとつだけの花」である。

 あとはI氏がキャンプファイヤーの歌大会や好きな人告白大会を始めようとしておかしかった。
結局食べ続け、飲み続けで10時間。普段食いつけないものを食べてお腹は大丈夫かと思ったが、この頃菜食が多い毎日だったのでよい栄養を取ることができた。

話をきけば結構体調を崩している人が多い。3月からの暑さで体力が弱くなっているところに雨季で湿度が上がり、雑菌が繁殖しやすくなっている。今日も来る予定が体調不良で来られなかった人が2人いた。特にMさんは頭痛と嘔吐で脱水症状になり、入院までしてしまったという。何とも人間の無力さを感じ、神仏に祈りたくもなってくる。インド人の信仰深さの源泉をここに見る思いがした。(写真提供:円実氏)

いよいよ最後の大荷物、冬物のコートとインドで買ったボードゲームを送る。ペンキ屋の箱では小さくて、電気屋からクーラーの箱を買ってきた。30ルピー(75円)。日本だったら、どこでもただで手に入るダンボール箱を入手するのがまず一苦労だ。

ボードゲームはたいてい上げ底なので、内箱を捨てて中にカードゲームやCDを詰め込む。「エッセン旅行のためのバックパッカーガイド」をヒントに思いついたものだが、散乱や破損防止になってよい。ダンボール箱に服、ゲーム、服の順で入れてクッションとした。また、船便は20キロまでと定められているので予め近くのお店に運び、20キロ以下であることを確認しておいた。もし20キロを超えているならば、新たにダンボールを購入して荷物を分割しなければならない。

中央郵便局からの発送も3回目となれば手際もよい。荷造り屋とはお互いに顔を知り合っているので気楽だ。リキシャーを降りてすぐ、荷造り屋に一切を任せる。今日は、前回、前々回とチャンスを逸したラッジューの奥さんが登場。3度目の正直というが、この奥さんが一番丁寧で、手際がよくて、安くて、しかも親切だ。もっともこれは雨季が近づいて荷物を出す人が少ないからかもしれない。繁忙期となれば1人1人にそんなに手厚くはできないだろう。

まずは荷物検査と重量測定がある。このために封はしていない。今回は新人の職員ということで、ボードゲームの箱まで1つ1つ開けて中を確認していた。「アップル
トゥ アップル」のカードを取って、「これは何だ?」たまたま取り上げたカードが恥ずかしいカードでなくてよかった。近くに座っている上司に「CDはいいですか?」「このボードゲームを見てください!」などといちいち報告する。「俺も日本に行きたいな」というので「行くか、この荷物の中に入って」と答えたら上司が笑っていた。ラッジューの奥さんは「あの新人は馬鹿よ。全部見ないと気がすまないの」と言っていた。

モーネおじいさんは笑顔でまたやってきた。プラディープとはまだ会っていないという。ラッジューの奥さんに聞いた話によると、モーネおじいさんは荷造り屋ではなくて道端で自転車の修理をしている人(サイクル・ワラ)で、仕事がないので郵便局の中であちこち手伝いをしているのだという。「俺は好きだな、あのおじいさん」というと、ラッジューの奥さんは鼻で笑った。帰りにモーネおじいさんがお金を請求してきたとき、ラッジューの奥さんがプラディープとモーネおじいさんが友達だと証言してくれたおかげでうまく切り抜けることができた。

ラッジューの奥さんが連れている1歳半の娘ソニアは、お母さんが人ごみの中にいるときはドアの陰に隠れてじっとしており、また荷造りしているときは半径15メートル以内をあちこち歩き回っている。着ている服はお世辞にもいいものとは言えなかったが、笑顔をかければ笑顔を返してくるのがかわいい。約1時間で発送をすべて完了した。荷造り代150ルピー(325円)、送料2555ルピー(6388円)。

以上、郵便局から日本に荷物を送るときの注意点をまとめる。


  • 荷造り屋がいる中央郵便局に行くこと。小さい郵便局では荷造りできないので拒否されることが多い。
  • もって行くもの:ガムテープ、はさみ、油性マジックペン、ボールペン、お金多め。
  • 荷物検査があるので、箱の封はしないでもっていくこと。見られて説明に困るようなものは送らないこと。
  • 船便は書籍小包が5kgまで、それ以外が20kgまで。荷造りは必ず布で巻き、書籍小包は一面を開ける。
  • 荷造り屋は梱包だけでなく発送や郵便局員との交渉まで手伝ってくれるので頼むのが吉。
  • プネーの場合荷造り屋は3人ぐらいおり、値段が違うので全員にあたって安いものを選ぶのがよい。
  • 荷造り代は書籍小包が1つ40〜80ルピー、20キロ程度の荷物なら1つ150〜200ルピー。頼めば自宅まで荷造りに来てくれるが、追加料金あり。交渉すること。
  • 書籍小包は一般窓口(プネーの場合3〜5番)から、それ以外の大きな小包は小包窓口(7番)から。
  • 送料:書籍小包は1kgあたり約30ルピー、その他の船便は1kgあたり約140ルピー、航空便は1kgあたり約250ルピー。街中の民間業者に頼むと1kgあたり550ルピーだというので格段に違う。
  • 頼みもしないのに手伝ってくれた人には気持ちでチップを。断るなら最初に。

雨季

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夕立が降ると、急に涼しくなる。雨季がまもなくやってくる前兆だ。モンスーンと呼ばれる湿った季節風が南西からインド亜大陸に上陸し、だんだん北上してくるのを、連日40度以上の暑さに苛まされる人々は待ち望んでいる。
しかし涼しさと引き換えに、2つの困ったものを引き受けることになる。1つが停電、もう1つが蚊の大群だ。停電は1年中あるが、雨季になると雷が鳴るたびに頻繁に停電する。復旧するのは30分後かもしれないし、3時間後かもしれない。特に夜は真っ暗な部屋で寝るか瞑想でもしているしかない。
そして蚊も1年中いるが、夏は暑すぎてそれほど多くない。ところが雨季になると西部警察のテーマをBGMにして、そこら中の水たまりからどんどんやってくる。1年で一番元気がいい時期で、蚊取りグッズもあまり効き目がない。手足は刺され跡だらけ。さすがに毎日コンスタントに刺されているとあまり腫れなくなるものだが、刺されてから10分ぐらいかゆいのは変わらない。こうして夜の安眠は蚊の羽音とかゆさで妨げられ、昼寝を余儀なくされることになる。
暑さを取るか、停電+蚊を取るか。日本に早く帰りたくなるのはそんなときである。

パリニータパリニータ(結婚できる?)

【ストーリー】
 1962年コルカタ。実業家の息子シェーカルは結婚式を前に落ち着かない気持ちでいた。隣りの家に行って幼なじみのロリタに会う。ロリタは「どうして触ってくれないの?
私は既婚者だから何をしてもいいのよ」とシェーカルに歩み寄ったのに怒って突き飛ばす。泣き崩れるロリタ。シェーカルは再び自宅に帰って一心不乱にピアノを弾き始めた。そして回想シーンが始まる。

 2人は小さい頃から仲が良く、ロリタは毎日のように遊びに来て、シェーカルがピアノを練習するのを聴いていた。信頼の深さはシェーカルは棚の鍵を預け、自分の小遣いをロリタが使えるようにしていたほどである。2人は子どもから青年へ、青年から大人へ。シェーカルは作曲家に、ロリタはシェーカルの父の会社の秘書になるが、夜になるといつも通り遊びに来て、シェーカルの新曲にコメントするなどしていた。シェーカルは父親のすすめで見合いをするが、全く乗り気ではない。
 ところでロリタの家は裕福ではなく、古い邸宅を担保にシェーカルの父から借金をしていた。ある日ロリタは会社で、シェーカルの父がその邸宅をホテルにする計画を知ってしまう。早く借金を返さなければ自宅が奪われる。シェーカルに訴えても冗談に取られ、親に訴えてもそんな金はないという。そこに助け舟が現れた。近所にやってきたイギリス帰りの実業家ギリーシュである。ギリーシュはロリタを一目で好きになり、ロリタが困っているのをみて15万ルピーをすぐに調達する。
 こうして借金は無事に返され、邸宅は守られたのだったが、事態は悪い方向に進んでいく。ホテルの計画を頓挫させられたシェーカルの父が怒って、ロリタがギリーシュに体を売ったんだろうと言いがかりをつけ、会社をやめさせてしまったのである。シェーカルもロリタがギリーシュと懇意にしているのを見て嫉妬し、ロリタをなじる。しかしロリタはシェーカルの家で真実を訴え、2人はお互いに愛し合っていることを知る。結婚式の真似をしてネックレスを交換し、肉体関係をもった。
 それからシェーカルが幸せいっぱいの気持ちでダージリンに言っている間、怒りの収まらない父は両家の間にレンガの壁を作らせる。それを見てすっかり驚いたロリタの叔父は心臓発作を起こしてしまう。帰ってきたシェーカルに知らされたのは、叔父の手術のためロリタ一家がギリーシュと共にロンドンに渡るということだった。ロリタ一家を見送ることもできなかったシェーカルは、後にロリタの叔父が亡くなったこと、そしてロリタがギリーシュと結婚したことを知る。意気消沈したシェーカルは夜になるとギリーシュに抱かれるロリタの姿を想像し、ピアノを弾いて気を紛らわせるのだった。そして音楽の仕事を止め、父の仕事に打ち込み、お見合いの相手との結婚も承諾する。

パリニータ 回想シーンが終わってシェーカルの結婚式の当日となった。自宅で悶々としているシェーカルに、ギリーシュが現れる。彼はロリタ家の邸宅の権利書を渡し、涙ながらに驚愕の事実を告げる。彼はロリタに求婚したが、「私は既婚者だから」と言って断られ、誰と結婚しているのかを決して明かさなかったと言う。その結果ギリーシュはロリタの従姉妹と結婚していた。そこでシェーカルは気づく。ロリタの夫は自分だったということを。
 権利書を手に入れて大喜びの父に絶縁を申しつけ、シェーカルは狂ったように外に飛び出す。そして父が作った壁を一心不乱に壊し始めた。「やめろ!」父が言うが手を休めない。やがてシェーカルの音楽の仲間、父の放逸を我慢していたシェーカルの母、挙句に父の部下までもがシェーカルを応援し始める。「やれ!やるんだシェーカル!」
 レンガが崩れるとそこには、ギリーシュに引かれたロリタが待っていた。シェーカルは壁を通り抜けてロリタをしっかり抱きしめた。

【感想】
 困難を乗り越えて2人が愛を成就させる。その最大の困難が強権的な父親だというのは現代に生きる日本人からすれば現実感がないが(同じことは「カビークシーカビーガム」でも思った)、困難の原因は何であれ、愛した人のために人生をかける姿は心を打つ。古典文学作品を映画化したものだというが、このところ純愛ものが少なかっただけにとても心にしみた。でも至るところに笑いもちりばめられており、お涙頂戴というふうでもないので純愛ものだからといって重苦しくはない。満席が続いており、人気の高さをうかがわせる。
 シェーカル役にサイフ・アリ・カーン。「カルホーナホー」「ハムトゥム」では軽い伊達男のキャラクターだっただけに、この映画で根が真面目なお坊ちゃんの役をやりおおせたのが驚く。気が狂ったようにピアノを弾いて気を紛らわすシーンは圧巻だった。
 ヒロインのロリタ役にヴィディヤー・バランという新人。美人だし演技力も素晴らしかったが、声が低く、ちょっと老けてみえるので地味な感じが否めない。演技派女優といった感じか。ダンスシーンはほとんどなかったが、踊りはどうなんだろうか。
 あとは60年代のレトロな雰囲気が映画全体に出ていたのが面白かった。色調もおそらく意図的にセピア色にしていてノスタルジーを喚起させる。ロンドンに向かう空港にいたスチュワーデスの服装がいい感じだ。昔の婦警さんのような帽子をかぶり、どでかいトランシーバーを肩からさげていた。








中央郵便局。荷物を出すなら1時間以上かかる覚悟で。

 荷造り屋のプラディープは約束どおり翌日家までやってきて、書籍小包9個とキャロムボード1枚を荷造りした。所要時間3時間。800ルピー(2000円)を提示したが、郵便局から発送するときに手伝うからということで、900ルピー(2250円)になった。「11時ごろ来ると、混んでなくていいよ」「じゃあ来週の火曜日、その頃に行くからよろしくな」
 そして火曜日。今度は手抜かりなく自転車でリキシャーを連れてきて荷物を載せ、中央郵便局に直行した。9キロちょっとで60ルピー(150円)がメーターの値段だが、荷物代だといって10ルピー(25円)余計に取られる。すんなり払ってもよかったのだが、景気付けにちょっと渋ってみせて交渉する。「これくらいの荷物、2人乗ってるのと同じだろ。2人だったら特別料金じゃない。だから60ルピーだ」「いや、この料金表に荷物は10ルピーと書いてあって」「どこに書いてある? 見せてみろ。ほーらどこにも書いてないじゃないか」「いや70ルピー」「60ルピー!」「70ルピー!」……結局運転手は頑として聞かず70ルピーを払ったが、その代わり荷物を下ろすのを手伝ってくれた。インドでは、「ダメもとで言ってみること」が非常に大事だ。

さすが2回目だけあって勝手はわかっている。荷物はカウンターのそばに積み重ね、列に並んで順番をまつ。案の定プラディープはいなかったが、彼と一緒に仕事をしたモーネというおじいさんがやってきて、世話を焼きたがる。優先的に受付してもらおうと交渉したり、キャロムボードを送る方法を問い合わせたり。どうせお金目当てだろう、あまり世話にならないようにしようと思っていたが、視覚障害者が手紙を出しに来たのを手を引いて案内したり、割り込む若者に注意したりと案外いい奴だった。9つの書籍小包のうち1つが100グラムオーバーしていて、また並び直さなければならないかと思ったとき、本を2冊抜いて手持ちの針と糸で手早く梱包し、ぎりぎりで間に合ったのはお手柄。

さて書籍小包を無事出し終わり、今度はキャロムボードだ。一辺1メートル以上の大荷物のため、プラディープによれば駅の郵便局から出さなければならないという。駅の郵便局は大型荷物を扱い、列車でムンバイまで運んでそこから船に積む。確認のため聞いてみた小包窓口のおじさんも「ここでは受け付けられない。駅に行け」というので覚悟していたとき、見知らぬおじさんが英語で「その荷物はここから送れるよ」と声をかけてきた。見るからに怪しげで、裏ルートを知っているような素振り。「でも小包窓口で断られたんだけど」「大丈夫、こっちにきて」と郵便局の中にずんずん入っていく。

「No Admission」という扉を開くと、各カウンターの内側で、さっき書籍小包を受け付けたおばさんがひっきりなしの客に応対している。おじさんはキャロムボードをはかりの上に乗せ、「1700ルピー(4250円)だ」という。何の権限があってそんなことを……と思ったが、ここまできて詐欺もあるまい。財布にそんな大金はなかったので、銀行のATMに下ろしに行った。ちなみにモーネおじいさんはお金をおろすのもずっとつきっきり。リキシャーで駅まで行って急いでお金をおろして戻ってくると、あのおじさんはあろうことか、窓口業務をしていた。郵便局員だったのである。

あのたらい回しが得意な郵便局員が、わざわざカウンターの外までやってきて声をかけてくれたということが信じられなかった。おじさんは客の受付をいったんやめて、キャロムボードを送る手続きをする。4250円という金額はスピードポストという航空便の送料で、大事なキャロムボードを船で届けることを考えれば安いくらいだ(値段は1100円)。隣りの窓口のおばさんに「何それ?」と聞かれて「キャロムボードさ」と微笑むおじさん。もしかしたら、キャロムプレイヤーなのかもしれない。それなら合点が行かないこともない。「Thanks a lot!」「Welcome!」

2回目は意外にあっさりと片が付いた。が、残った問題はモーネにいくらお礼するかである。プラディープは発送の手伝い賃として100ルピーを余計に請求した。ならば、モーネはその中からもらうべきではないか。「お金はプラディープからもらってくれ」というと、モーネおじいさんの顔が曇る。「プラディープはここ2,3日来ていない」「でも友達なんだろ」「いや、友達じゃない!」そこに、先日荷造りをもっと安くすると言ってきたラッジューの奥さんと赤ちゃんが現れ、また「もっと安く荷造りするよ」「いや、もう荷造りは終わったんだよ」……話がややこしい。

結局、手帳の紙片に「モーネはプラディープに替わって発送の手伝いをしたので50ルピー以上渡すこと」と書き付けてモーネおじいさんに渡した。納得できなさそうな顔をしていたのが気の毒だったので、「それじゃあ、今度会うときまでプラディープと会えなかったら、私が払うから」というと、口だけニコリとして握手して別れた。

これであと日本に送るべき荷物は冬物の服と、インドで買ったボードゲーム。終わりが見えてきた。

近郊バス旅行

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駅前で入手できる1日バス乗車券。30ルピー。名前はおじさんがでっち上げた「オノ・スダーンシュ」。

先月、同じアパートに住むジャーダウ家からお誘いがあって近郊の寺院にお参りに行くことになった。寺院自体はそれほど期待していなかったが、インド人の家族旅行は、車を借り切ってさっと行って帰って来る日本人的な旅行の仕方とどう違うものかお手並み拝見といったところである。

10時出発というので5分前に伺うと、お父さんが腰にタオルを巻いて現れた。お母さんもいつもの寝巻き姿だ。どう見ても準備が終わったような様子ではない。5才になる長男のプラタメーシュ、2才の次男リシケーシュが相撲しているのを見ながら、出されたチャイを飲んで待つ。

出発したのは11時近くだった。家族全員で行くのかと思ったら、おばあさん、おじさん、プラタメーシュと私の4人だけだった。おじさんがガスのボンベを買いに行ってきたので遅れたという。リシケーシュは一緒について行きたがって泣いた。

バスはまず「シュバムナガル発市役所前行き」で駅前まで乗り、そこから「チンチュワド発ハラプサル行き」で終点まで。さらに「スワルゲート発サースワド行き」で終点まで。終点から相乗りタクシーでやっとお寺に着いた。ここまで3時間。


最初に見たお寺はバラジ寺院といい、チェンナイにある寺院のコピーである。「ヴェーンキー」ブランドの冷凍鶏肉輸出業で一財を築いた大富豪バラジ氏が、同じ名前の神様に帰依しており、工場の近くに3年前、この寺院を建てた。「ヴェーンキー」はバラジ神の異名「ヴェーンカテーシュ」に由来する。キャノンの社長が観音菩薩から会社の名前を取ったという話を思い出した。








バラジ寺院。たくさんのガードマンで厳重に監視されている

そんなインスタントな寺院なのだが、その豪華さはもしかしたらチェンナイを凌ぐかもしれない。高い壁で覆われた広い境内、カラフルに彩られた内装、金々ピカピカの神像、1枚1枚手書きの天井タイル。参拝客に祝福を与えるバラモン、やたらたくさん配置された清掃員と監視人、ずらりと並んで参拝を待つ何百人もの人々。となりには巡礼者用にロッジまである。寺院内が混乱しないよう、男女別々に並び、交互に50人ぐらいずつ入っていく(中で待ち合わせてもよい)。

30分ほど並んでやっと中に入り、バラモンから聖水をもらって頭に銀の器をかぶせてもらう。帰りにはチェンナイと同じサイズだというどでかいプラサード(お菓子の別当)をもらった。厳重に管理された寺院なので、胡散臭いバラモンや物乞いがバクシーシを要求することもない。つまりどう見ても参拝客はお金を落としていないので、寺院の運営はひとえにバラジ氏の財布で賄われているのだ。これだけの寺院を、現代に独力で建立する富豪の財力と信仰心に驚かされる。そして参拝客の多いこと多いこと。チェンナイなど気軽に参拝に行けないからここに来るのだろうが、富豪も庶民も問わないこの国の信仰心のすごさを大いに見せつける。

見終わって再びサースワドへ。もう3時過ぎなのに昼食を食べていないし、トイレ休憩すらなかった。しかしその辺のレストランに寄るような時間もお金ももったいないのだろう。道端でチックーという果物を買うと、すぐにバスに乗り込んだ。さらに遠郊のジェズリーという街へ。ここにはマラータ王国の四大伝説に数えられるカーンドーバ寺院がある。








ジェズリーのカーンドーバ寺院。高いところだけに見晴らしも素晴らしい。

カーンドーバ寺院は、シヴァ神が妃のパールヴァティーを抱いて、馬に乗っている神像のある寺院。ふもとから山を登って上へ上へ行くと頂上に建物がある。おばあちゃんは足が悪いのでひいひいつらそうに階段を上っていたが、おじさんとプラタメーシュはどんどん先に行ってしまう。階段のそばにはお供え物やカセットテープを売る物売り、行者、道案内、物乞いが並び、お供え物を食べる羊などがずらりと並んでいて賑やかだ。参拝客も多い。

いくつも門を抜けて最後にお寺に着くと、黄色い粉が当たり一面に撒き散らされていてなかなかの光景だ。壁や柱に歴史が感じられ、さきほどのバラジ寺院とは違った深い趣がある。何よりもガードマンによって厳重に警戒されていたバラジ寺院と違い、人々の生活感が感じられるのがよい。子どもたちが捧げられたお供え物や黄色い粉を袋に集め、それらを売っている親のところにもっていく。たくましいものだ。いつも腕白なプラタメーシュが、そんな子どもたちを前にすると都会から来たお坊ちゃんにしか見えなくなる。

予定ではもう1つぐらい見るつもりだったらしいが、ここでもう6時になっていた。またジャンボールという渋甘いブドウのような果物と、アンジール(いちじく)を買うだけで一行は帰路に着く。嫌な予感がして朝食はたっぷり食べてきたが、まさか昼抜きになるとは思わなかった。5才のプラタメーシュも、おばあちゃんも何一つ文句を言わずついてくる。みやげも、その果物の残り。カーンドーバの神像がほしくて買った私は、おもちゃも買ってもらえなかったプラタメーシュより子どもだった。








特大プラサードを食べるプラタメーシュ

帰りもバスを何本か乗り継いで帰宅。さすが50キロ以上離れているところだけあって、帰宅は9時過ぎていた。夕食のナスのカレーをご馳走になる。ナスのカレーはマハーラシュトラ名物だが、これがまた空腹にしみてうまい。いつもは真剣におかわりを断る私だったが、今日はなくなるまで盛り付けてもらった。10時間以上、小さな果物しか口にしていなければ当然といえるだろう。

なお家ではリシケーシュが熱を出したとかで、お父さんとお母さんは1日つきっきり。もしこんなタフな旅行に着いてきていたらもっとたいへんだったかもしれない。

と、なかなかお腹の減る旅行だったが、バス7本、乗り合いタクシー3本に合計6時間以上乗って交通費は87ルピー(221円)。おじさんがプネー市内1日乗車券30ルピー(75円)を教えてくれたが、計算してみると20ルピー(50円)ぐらい得しただけである。しかしいつも態度のでかいバスの車掌が、このパスを見せるとすごすごと通り過ぎていくのが気持ちよくて、お得感は500円分ぐらいあった。

バスの中でははじめ最近上映中の「バンティとバブリー」の歌がずっとリフレインしていたが、そのうち何も考えず景色を眺めながらぼーっとしてきて、帰りには勉強のことを考えていた。旅行の醍醐味とは、行き先ではなくて道すがらにあるのかもしれない。

抵当

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昨日、出かけるときにドアを見たら

THIS PROPERTY IS MORTGAGED(この物件は抵当に入っています)

おいおい、モノポリーじゃないんだから……なんて言ってる場合じゃない。大家が債務超過のため住宅金融会社が差し押さえてしまったのだ。大家の携帯に電話をするもずっとスイッチが切られたまま。夜逃げか?とまで思った。
結局、夜に連絡が付き、大家が金融会社に連絡するので心配しなくていいと言われたが、自分の住んでいるところが抵当に入るっていうのは、非常に惨めな気持ちになるのだなあと感じた1日であった。

日本に荷物を送る

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一面を見えるように布で梱包した書籍小包。「Registered Bookpost by Seamail」の下に宛名を書く

完全帰国まであと1ヶ月近くとなり、そろそろ荷物を日本に送ってみることにした。今まで手紙しか送ったことがなかったので、ぎりぎりになって慌てることがないよう、やり方を覚えておこうというわけだ。まずは近所の電気屋とペンキ屋から段ボール箱を仕入れてきた。大きいもので30ルピー(75円)、小さいもので10ルピー(25円)。ガムテープ(75円)で念入りに補強して、小さい方の箱2つに本をつめこんだ。小さい箱とはいえ、相当の重さである。郵便局では送る前に中を見せなければならないので封はしない。

以前、中央郵便局で相談したらイェルワダの郵便局でも取り扱っているという。荷物が重いのでバスで行くことができず、リキシャーを家の前まで呼んで来て運ぶことにした。家の近くはリキシャーが走っておらず、近くまで歩いていったがたまに来るリキシャーはことごとくオバちゃんたちに先を越されて、大通りまで自転車で呼びに行こうかと思い引き返したところで、下の階に住む奥さんがバイクで呼んで来てくれた。村のご近所さんはありがたい。

イェルワダの郵便局までは5キロ。中央郵便局と比べるとさほど並んでいない。これで済むんだったらどんなによかったことだろう。箱の中身を見た局員は、「ここでは扱えない。中央郵便局に行け。」その理由は、船便は布で包まなければならないことが1つ、もう1つは書籍郵便(Bookpost)という制度があり、格安で送ることができる代わりに扱っているのは市内でただひとつ、中央郵便局になるからだった。

中央郵便局まで再び5キロ。ダンボール箱を見ると、リキシャーを降りる前から男が駆け寄ってきた。これは郵便局の前で仕事をしている荷造り屋である。布で包む仕事のほか、たらい回しにしたがる郵便局員との交渉もやってくれる。民間の仕事であるため、値段はまちまちでだいたい外国人はインド人価格の2倍ぐらいふっかけられていることが多い。

荷造り屋はすぐに荷物を局内に運び、重さを量った。書籍郵便は荷物1つが5キロまでと定められており、私の荷物は5キロずつ、全部で6つになった。外に再び運び出して、必要な布を外に買いに行ってから2人で荷造りを始める。書籍郵便の場合は1面を外から見えるようにしておかなければならず、そこは糸で網の目にする。そんな仕事を素人が自力でするのは無理だ。荷造り屋はどうしても必要なのである。

たいていトラブルになるのか、荷造り屋は仕事を始める前に値段を言ってきた。1つ80ルピー(200円)。6つで480ルピー(1200円)だが、450ルピー(1125円)にまけさせた。これでもかなりふっかけられていたことが分かったのは後の話である。仕事の最中にお互いの家族の話など。荷造り屋の向かいで赤ん坊にビスケットを食べさせているのが、彼の奥さんだった。赤ん坊は5ヶ月、名前はシャーム・サイといい、その上にプリヤンカとメーガという2人の娘がいる。外国人から相当ぼったくれる仕事だと思ったが、かなり貧しそうだ。

「俺は息子より娘の方がいい。家に帰ったら、娘は水をコップに入れてもってきてくれるだろう。でも息子は絶対そんなことしない。」日本では、父親が仕事から帰ったときお茶を出してくれる娘なんてもういないかもしれない。

さて荷造りが終わると、窓口に並んで発送の手続き。荷造り屋は2手に分かれて別々のカウンターに並ばせる。私が並んだ方のカウンターはおじさんが1人でさんざん粘った挙句、昼食のため私の前で閉鎖となった。2手に分かれて並んでおいたため、また並び直すことはなかったが、このあたりの手際のよさもさすが荷造り屋だ。これを全部ひとりでやらなければならないことを考えれば、多少高いお金を払っても荷造り屋に任せる方がいいと感じた。

6つの荷物のうち1つは手違いで5キロを超え、荷造りをし直してまた並ぶというハプニングもあったが無事発送完了。日本に送るのに1つ147ルピー(370円)と、確かに格安だ。以前、空輸でどれぐらいかかるか調べたところ1キロ550ルピー(1375円)だと言われたから、18分の1にあたる。荷造り代を入れても、まだ12分の1。

全部終わった頃には、家を出てから3時間半が経過していた。まる1日仕事である。ほっとして郵便局を出ると、別の荷造り屋が近づいてきた。「いくらだった?
80ルピー?! 俺だったら40か50ルピーでやるよ。」後の祭りである。「今回はもう終わったんだから、次回頼むよ」というと、「まだ他に荷物があるだろう。俺にやらせてくれ。あいつら、またぼったくるぞ」としつこい。

実は荷造り屋がバイクで家まで来てくれるというので、明日頼んだところだった。そのことを別の荷造り屋がなぜか知っている。「ワドガオンシェリだろ、俺が行くからあいつらは断れ。俺なら40か50ルピーで……」これまた小さな赤ちゃんをだっこして、涙目で訴えている。「それももう決まったことだから。でもまた来たときに頼むよ。」

郵便局の外の道までついてきたその男を何とかふりはらって1人になったとき、疲れがどっと出た。中央郵便局は手紙ひとつ出すだけでもいつも疲れる。途中ビールを飲んで、家に帰って寝た。今日はそれだけ。家には、この2倍以上の本が残っている。

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水槽から出る水がとても飲めるようなものではないので、20リットルの飲料水を頼んでいるのだが、これが毎回煩わしくてたまらない。たいてい4,5回電話してやっと届けに来る。
今日もそうだ。朝一番に電話したら「1時間後に行きます」……そして夕方、来ないのでまた電話したら「1時間後に行きます」「朝来るって言ったじゃないか」「住所が聞き取れなくて」聞き取れなかったらそう言えよ!と思いながら再び住所と電話番号を言う。そして夜、やっぱり来ないのでまた電話。「明日」「今日来るって言ったじゃないか、1時間後って」「明日、明日」「今日っていったのはお前だろ!」その瞬間、ぶっつりと切られた。さすがに頭にきたのでまたかける。すると受話器を持ち上げてすぐ下ろすという荒技。またかける。これで5回目。あちらも声を荒げて「明日!」「じゃあ何時だ」「9時!」……信用できない。
20リットルの水は175円だが、5回の電話が45円。そして精神的消耗がもっとたくさん。これが約10日に1度繰り返されるのだ。毎度毎度、水を届けに来るたびに150円ぐらいにまけさせたくなる。
……はあ、早く日本に帰りたい。
※翌日追記:昼までに来なかったので電話したら「1時間後に。」よくもぬけぬけと……そして2時間たっても来なかったので、私は外出してしまったのでした。また明日だ。
※翌々日追記:昨日留守中に届けに来たらしい。お隣さんから聞いた。そこで朝電話したら「1時間後に。」これってマニュアルなんだろうか?「毎日1時間後1時間後って! 今度こそ約束だぞ、や・く・そ・く!」そしてようやく3時間後やってきた。「昨日届けたんですがいなくて」「1時間って言ったのに2時間以上待ったぞ」「…すみません」ここまで7回電話して、すみませんを聞いたのはこれが初めてだった。
ちなみにやりとりは全部ヒンディー語です。村に越してきてから、ほとんどそう。

青唐辛子

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ある日の昼食。サモサにたっぷり唐辛子が付いてくる

夏は食欲が落ちるせいか、たいていの家庭で料理を辛くするそうだ。レストランも同じく、辛くしてくれる。いつもでもぎりぎりの辛さなのに、限界を超えることも少なくない。

今日は3月にオープンしたレストランで中華料理「鳥の肉団子ガーリックソース」を食べた。真っ赤な料理が出てきたときに嫌な予感がしたが、それが的中した。今までの経験をはるかに上回る辛さ。立ち上がって口を開けたまま走り回りたくなるような欲求を抑えて、店員に「辛すぎるよ!」

よく見ると、ソースの中に1ミリぐらいに刻んだ青唐辛子がたくさん入っている。この青唐辛子、そのひとかけらをかじっただけでも水三杯は必要になるのに、5つや6つどころでなく入っているのだ。

店員は私がもだえている様子を見て申し訳なさそうに「取り替えますか? 問題はこれがチリソースだからなんですが。」と言う。チリじゃなくてガーリックソースだろ?と思いながら、もう口をつけてしまったものなので最後まで食べることにした。「いいよ、次回から唐辛子を抜いてくれ」

ご飯の上にかけられたソースから唐辛子を1つずつ取り除きながら食べる。ネギも入っているので分別が難しい。皮が薄いのがネギ、厚いのが唐辛子。30分ぐらいかかって、除いては食べ、食べては除きを繰り返し完食。大事を成し遂げたような達成感がある。最後に取り除いた唐辛子を数えると80かけらもあった。取り除いたところで十分辛く、水も結局7,8杯飲んだ。

食べている途中、高校の部活の一発芸大会でタバスコ1本分を一気飲みし、翌日から3日間学校を休んだ梅津君や、ヒンディー映画『ハム・ディル・デー・チュケ・サナム』で青唐辛子を何本もヤケ食いするサルマン・カーンとアイシュワリヤ・ラーイのことを思い出した。

昼は青唐辛子を揚げて塩をまぶしたものをかじりながらパンを食べる。そんな癖がついているから日本でも漬物の唐辛子をかじってしまう。インドで自信がつけたのは、日本ならばどんなに量が多くても、どんなに辛くてもたいていは食べきれるということだ。体によくないだろうとは思うけれども。

自炊

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朝はパンなどで済ませるとして、1日2回の外食はきついので昼はたいてい麺類にする。そもそも昼は暑くて外に出る気がしない。

  1. お湯を沸かしてスパゲッティかヌードルをゆでる

  2. その間にオクラ(5?6本)、タマネギ(小2コ)、ニンニク(3?4片)を切る

  3. ゆで終わったらお湯を捨て、麺を別の器に移す

  4. 同じ鍋に油を入れ、野菜を炒める

  5. 麺を加えて和え、味付けをしてできあがり


味付けは日本から持ってきたダシ醤油で和風にしたり、ヌードルに入っている粉を入れてカレー味にしたり。外で食べるのと違って量もほどほどだし、辛くもないからお腹にもやさしい。これぐらいの量だと、夜になる頃にはほどよくお腹が空いて、外食に行く気が起きる。それに、野菜は1食あたり10円、麺は20円だからほとんどお金がかかっていないのもメリットだ。外食なら50円はする。
インドでの野菜は作付面積あたり収量がとても少ないせいか、日本のものと比べると甘くて美味しい。だからこんな野菜だけの麺を日本で作ってもあまりうまくないかもしれない。

映画

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ふとしたことで『バンティとバブリー』を2回見ることになる。1回目と違って挿入曲をラジオで何度も聞き、またウェブのレビューで粗筋を抑えているともっと面白くなった。特に会話に注意を払うことができるようになり、1回目は表層的な映画だと思っていたのがぐっと胸の詰まる部分もあったのが収穫。

インド哲学の危機

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前の本が終わって新しく授業で読んでもらっているテキストは、このところずっと仏教説批判が続いている。世親(ヴァスバンドゥ)という仏教徒が「議論(ディベート)」の定義をしたのだが、それをウディヨータカラというバラモンが一句一句、これでもかこれでもかというほど叩きのめす。その方法はまず一句ずつ取り上げ、それは一体どういう意味かと問う。そして可能性を3つぐらい挙げ、1つ1つつぶしていく。こうして全部の語の意味をつぶしてから、今度はそれぞれの語の関係がいかなるあり方でも成り立たないことを示す。さらに、仏教徒が他のところで述べている文言を引き合いに出して、その矛盾をつく。ひとつひとつの批判を見ると論理的には不十分だったり、詭弁だったりもするのだが、仏教徒を完全にやっつけようという執念が恐ろしいほど伝わってくる。

しかしこのような批判をされたことで、この後には仏教徒が自説を強化して対抗する。そしてバラモン教説を叩く。バラモン教も負けじと新説を生み出して……この応酬がインド哲学を発展させてきたのである。

ところでこの仏教を批判する書物はサンスクリット語で残っているわけだが、批判対象になっている仏教の書物は漢訳を除いてもう残っていない。これはどういう事情だろうか。

仏教徒とバラモン教徒の議論は1000年以上も続いたが、イスラム王朝だったムガル帝国期(12世紀ごろ)に終焉を迎えることになる。ムガル王朝は仏教徒もバラモン教徒も殺し、たくさんの本を焼いた。バラモン教は何とか生き延びたが、仏教徒はムガル帝国の影響が及ばなかった地域を除いて全滅してしまう。哲学の議論どころではない。そのため仏教の書物はインドにはほとんど現存せず、中国とチベットにもたらされたものが翻訳として残るのみである。

バラモン教の書物も多くが焼かれたが、代々伝わるパンディット(伝統的教学者)の家で伝承されていたものは難を逃れた。パンディットは一子相伝でバラモン教学を伝えてきたため、子弟の教育のために家に本がある。さすがのムガル帝国もパンディットの家を一軒一軒回ってしらみ潰しに本を焼いていくことはできず、学校などに集められていたものを焼くにとどまる(それでも被害は甚大だったが)。しかし仏教徒は出家者であるため、書物はナーランダなどの大学に保管されていた。これが災いして壊滅的な被害を受ける。三蔵法師がナーランダを訪れたとき900万冊の写本があったというから、それが全部焼けてなくなったことを考えると打撃の大きさが分かる。

しかし何とか生き残ったバラモン教学に、ムガル帝国以来の第二の波が襲ってきている。それは西洋文明の急激な浸透である。

かつてパンディットの家系に生まれた子どもはヴェーダに則って入門し、幼少時から暗記を中心とする徹底的な教育を施された。シュクラ先生も5才のときから教育を受け、以来ずっとこの道だけを歩んでいる。ところが現代においてそんな生き方はできない。学校に入れば国社数理英、西洋化された教育が待っており、コンピュータの知識を身につける必要もあるだろう。シュクラ先生の息子は27才でシステムエンジニアをしているが、バラモン教の知識は0に等しい。

このような事態がシュクラ家だけでなく、バラモン教学を支えてきたパンディットの家で普通に起こっている。家に代々伝わってきた貴重な書物は使われないまま虫食いとなり、誰も読める人がいなくなってゴミとなる。シュクラ先生がヴァラナシにいたとき、そうやって写本がガンジス川に捨てられるのを何度も見たという。強制的に焼かれるのではなく自発的に捨てているのだから、もう末期的だ。この事態に危機感を抱いて各家から写本を集めて保管している図書館もあるが、維持するための資金が続かず管理状態の悪いところが増えている。

近代インド仏教学の貢献は素晴らしく、わずかに残っているサンスクリット写本を見つけ出し、漢訳・チベット訳と相互参照することで壮大な仏教の体系が明らかになりつつある。一方、インドに仏教がなくなってからも発展を続けたバラモン教はこのありさま。インドからなくなった仏教学が世界宗教としての支えで生き残り、一方インドに残ったバラモン教学がヒンドゥー教の支えもなく死にかけているのは誠に皮肉なことだ。もしインドでインド哲学を学びたいという人がいたら、1日でも早く来ておかないと、もう後がないような気がする。

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