India: 2010年3月アーカイブ

今日の勉強

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マラヤラム写本の照合にようやく取り掛かることができた。マラヤラムフォントをダウンロードして、デーヴァナーガリーとの対照表を作成。これを見ながらゆっくりと読む。インド留学中に写本学で学んだグランタ文字と似ている。

写本の画像は非常に見づらい。すでに入力してあるものと見比べながら、ここは2文字あるから異読のほうだななどと推定する。この写本だけで解読するのは無理な話だ。

幸か不幸か、4ページ分しかなく、1/4終了。これが終わったらとりあえずプリントアウトして、それを見ながら和訳を確かめつつ、本文を作る。

写真は上が写本、下がフォントで入力したもの。同じ箇所だと分かるだろうか?

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ムンバイ本照合は60/60で終了。17日で60ページとは予定よりいいペースだ。

インド哲学の文献は、討論形式で著作が作られていることが多い。「前主張」と呼ばれる対論者の主張を記し、それに対して反論を加えるというかたちである。さらに別の人が、その反論に対し再反論を加えるというふうに、1000年もかけて往復書簡のようなことをやっているのである。

その中でよく使われる論法に帰謬論法というのがある。「もしあなたの言う通りならば、こんな不都合が生じてしまう。だからあなたの言うことは正しくない」という。中には過度の一般化や、風が吹けば桶屋が儲かる的なこじつけもあるが、相手が新たに主張を限定すれば、今度は別の主張という反則を指摘できる。

さてここで、他説承認という反則がある。相手が望むことを認めてはいけないという論争のルールである。これを帰謬論法の途中で指摘するという手がある。
「もしあなたの言う通りならば……」
「ハイッ、認めたんならお前の負け!」
せっかちなインド人ならやりそうな気もするが、ズルくね?

帰謬論法は、「相手の意見を一旦認めてみる」という暫定的な定説という枠組みからなされる。「相手の意見を認めたら終わり」という他説承認は、これと矛盾する概念ではないだろうか。このネタ、使えそうだな。

さらにインド哲学でよくある反論法「周知なものの論証」は、他説承認に近いけれど別物であるという。これはどういうことか。どこが似ているのだろうか、考えてみたい。そもそも周知なものの論証は、何の誤りなのか、どのカテゴリーに入るのかもよく分かっていない。

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ムンバイ本照合は53/60。

インドの哲学史は、スートラ解釈史である。独自に著作をするのではなく、学派の創始者が短く記したスートラに注釈をつける。その注釈にさらに複注、複々注と加えられて、基本文献が出来上がっている。なので現代のインド哲学者も、自然と注釈をつけるように論文を書きたくなるのかもしれない。

時代が変わると、理論が発達してスートラが通用しなくなる。そのときに注釈者がよく使うのがウパラクシャナである。スートラの文言は一例に過ぎないとして、著作当時は想定していなかったものまで拡大解釈する手法である。

このウパラクシャナ、梵英辞典にはsynecdoche(提喩)と書かれている。その中でも、一般化の提喩にあたる。「人はパンのみにて生くるにあらず」でパンが食べ物一般を表すように、代表的な個をもって類を表すというものである。

ウパラクシャナとシネクドキは全同でない。個別化の提喩は含まれず、また個は偶然的でもよいからである。例えばカラスが止まっている家で、カラスがその家のウパラクシャナになる(故谷沢先生がそんなことを言っていたなあ)。まあ、よく止まっている家じゃないとそんな喩えは成り立たないだろうけど。

さてウパラクシャナの訳であるが、インド哲学では「代喩」と訳されるが、レトリックの分野では「提喩」が一般的らしい。「代喩」と訳すレトリック学者や辞典もあるが少数である。「代喩」で慣れきっているが「提喩」にしたほうがよいだろうか。どっちも一般的ではないから、そのままでもいいか。

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ムンバイ本との照合は47/60.もう終わりが見えてきた。

改めて読んでみるといろいろ面白いことが書いてあることに気付く。留学中は意味を理解するのに必死で味わう余裕がなかった。

敗北の場合の説明により、インド中世のディベートでは、会衆が一定の役割を果たしている。対立する2人の論者の意見を聞いて、どちらが勝ちかを判定するのだが、騒然となったり凝視したりして発言者を戸惑わせることもあるし、不注意で聞き逃したり、物分りが悪かったり、誤解したりすることもある。でも全会一致か概ねか分からないが、一部の会衆が分からなくてもかまわないとされる。会衆が望むならば、余分な論証も行ってよいし、逆に望まないならばだらだら喋ってはいけない。会衆が議論の理解度の基準になる。審判も人間ということ。

相手の過失をきちんと指摘しないと、「去勢者のカップルのように」真実も勝敗も得られないとか、ドラヴィダ人とアーリア人が議論しているときにドラヴィダ人が現地語をしゃべったら負けとか。

ムンバイ本が終わったら手付かずだったマラヤラム写本を見るつもりだが、読めるかどうか。

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日記に書いていないけどコツコツ毎日やっております。ムンバイ本との照合は27/60.1ページ15分くらいで終わるようになった。

見覚えのあるスートラが出てきた。修士論文で触れたものだった。久しぶりに取り出してみると、不十分な先行研究リストや不正確な翻訳に指導教官の書き込みがびっしり入っている。博士論文はこれ以上のものを書かないと。

NS2-1-3,NS2-1-4,NS2-2-31はヴァーサルヴァジュニャとウダヤナの両方が引用しているが、ヴァーサルヴァジュニャはそれぞれ確信による対等(saMpratisama)、確定による対等(vyavasteApattisama)、不異による対等(ananyasama)と名づけ、NSで説かれる24種の詭弁が例示に過ぎないとする一方で、ウダヤナはこれらを全て非知覚による対等(anupalabdhisama)の仲間に入れて、24種の枠組みを守る。カシミールとカーシーの伝統の違いか。

そのほか本のレビューで大蔵経データベースの『大毘婆沙論』を調べたり、日記で『法華経』を読んだり。こういうときはWikipediaより『仏典解題事典』などが役立つ。

これからお買い物。明日は一泊で研修会。葬式やら体調不良やらで欠席者続出中だが、踊りはうまくいくだろうか。

パーリ文法学

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インド留学中にサンスクリット文法学を教わっていたマヘーシュ・デオカール先生が来日し、東大で講演会を開かれるというので聴きに行ってきた。副貫首の選挙の仕事が終わってすぐ長井線に飛び乗り、夕方には東大へ。

上野から東大構内行きのバスに乗り、第二食堂前で降りる。生協書籍部に立ち寄り、哲学と宗教学のコーナーで立ち読み。そして法文二号館まで歩く―いつものコースだが、久しぶりで懐かしい。

マヘーシュさんは、全盲の天才文法学者である。パーニニという紀元前の文法学者が作った4000近いサンスクリット文法の規則を暗記しており、しかも専門はパーリ文法学。現在、プネー大学のパーリ学部長を務めており、サンスクリット学部を上回る100人以上の学生を受け持っている。実は私より3つしか年上でないことを今回知った。

私がインドに留学した折、先に留学していたIさんの紹介で授業に出席した。カーラカという、サンスクリット語に七つある格の使い分け方についての講読だった。大学はすぐ休みになるので、日本人3人で自宅に押しかけたり、逆にお招きしたりして講読を続け、ずいぶんお世話になったものである。私が最初に師事した先生が多忙でかまってもらえなかった時期は、図書館でも文法学ばかり勉強していた。

さて演習室に着くと、マヘーシュさんの子供たちがマラーティー語で騒ぎながらホワイトボードに落書きしている。私が帰国してから生まれたサンバル君はもう4歳。うちの長男と同じ年である。プロジェクターの明かりに照らされて、得意げに演説を始めたが、お母さんに抱えられ悲鳴を上げながら出て行った。長女のサユリちゃんはもう10歳で、英語もよく話す。講義を聴きに来たのは先生を含めてたったの8人。いくらマイナーな分野とはいえ勿体なさ過ぎる。

講義の内容は、非パーニニ系統のサンスクリット文法学やパーリ文法学の概要と、文法学の目的について。テクニカルで複雑なパーニニのシステムに対し、後世になって分かりやすい文法学が生まれた。カータントラ派とチャンドラ派である。術語を用いず、例外的な規定を削って規則を減らし、各章で完結し、ヴェーダ語を収録しないことで、一時はパーニニよりも人気を博した。仏典と共にミャンマーやチベットまで伝播したという。

同じ時代、パーリ文法学も生まれた。カーッチャーヤナ、サッダニーティ、モッガラーナの3系統があり、後代になるに従って改良が加えられ、サンスクリット文法学の影響も見られる。

サンスクリット文法学のもともとの目的は、バラモン教の柱であるヴェーダ聖典の理解と正しい読誦のためである。ヴェーダには祭式の次第や由来、そこで唱えるマントラが記されている。祭式を聖典通りに行い、マントラを正しく発音できなければ、バラモン教の司祭としては失格である。そのために文法学を勉強する必要があった。さらには、サンスクリット語を理解するバラモン階級の社会的アイデンティティにもなる。

しかし主流派のサンスクリット文法学はやがて、自己目的化していった。文法学を学ぶこと自体が真実を知るということであり、解脱の道であるという人が現れたのである。そこから言語自体が究極の真理であるとか、言語なしには思考もないという言語哲学も生まれる。日本の言霊信仰や、ヴィトゲンシュタインの言語哲学のようなもので、ヴェーダの文言を究極の真理とする一派と共に、インド哲学特有の思想を形成している。

これに対しパーリ文法学は、あくまで仏陀の言葉を正しく理解するための手段と位置づけられた。大事なのは言葉ではなく仏陀の意図であり、経典に説かれた内容を理解することで涅槃を目指す。非主流派のサンスクリット文法学も事情は同じである。中世からは多くの仏教書がサンスクリット語で著作されており、マスターしやすい文法書が求められたのだろう。今の日本でいうと、辻直四郎では難しすぎるので、ホンダ(ゴンダ)が使われるようなものか。

質問では、サンスクリット語がバラモンのアイデンティティになったように、パーリ語が仏教徒のアイデンティティになったということはないかを尋ねた。インド留学中、仏教を信奉する被差別部落を訪れ(仏教が一端絶滅し、東南アジアから逆輸入されたインドでは、ヒンドゥー教の階級社会からはみ出した被差別階級が仏教を信奉しているという事情がある)、仏教徒なのになぜパーリ語ではなくサンスクリット語を勉強するのかと詰め寄られたことがある。しかし中世には仏教はサンスクリット語で研究されており、サンスクリット語=バラモン教、パーリ語=仏教という単純な二分法ではないようだ。もっとも、現代ではサンスクリット語=大乗(北伝)仏教、パーリ語=上座部(南伝)仏教という相克があるのかもしれない。

講義が終わるともう20時。戻ってきたマヘーシュさんの家族と一緒にそのまま演習室でテイクアウトのインド料理を食べた。上野泊。今日は6時18分発の朝一番の新幹線で帰り、10時から写経教室である。

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