India: 2010年9月アーカイブ

9月10日から2日間にわたって、立正大学で行われた日本印度学仏教学会の学術大会に参加、研究発表してきた。発表するのも行くのも、7年ぶりである。

1日目は、感覚を取り戻すために何人かの発表を聴いておいた。朝一番の新幹線に乗り、真っ先に向かったのは7世紀の仏教論理学者ダルマキールティ(法称)の部会である。毎回人気を集める部会だが、今回も熱気に包まれ、発表が終わるたびに喧々諤々の議論が交わされていた。午後からはアビダルマ部会とインド文学部会をはしご。

心に残った発表は「プラジュニャーグプタの独自相理解」(東京学芸大学・小林久泰氏)。認識の根拠を未来の対象とするプラジュニャーグプタが、独自相を未来に位置づけている仕組みが面白い。それから「チャンドラキールティの論理学」(筑波大学・吉水千鶴子氏)。何も主張を立てず相手の批判だけを行う中観学派で、特に帰謬論証にこだわったはずのチャンドラキールティが、仏教論理学派の枠組みに沿って批判自体を主張と捉えていたという話である。午後からは「阿羅漢の智慧と仏陀の智慧」(東京大学・馬場紀寿氏)」。部派仏教で定まった教説の重点が、大乗仏教に引き継がれ声聞・縁覚像が作られたという。それから「記憶するしくみ―発智論・大毘婆沙論を中心として」(龍谷大学・那須良彦氏)では、刹那滅の中で、いかにして認識内容が受け継がれていくかという問題に3つの答えがあることを説いた。

写真撮影が終わったら総会・懇親会には出席せずに宿へ。キンコーズで原稿をコピーして、三鷹のテンデイズゲームズへ。ネットテレビに出演し、来月にエッセン国際ゲーム祭で発表される注目の新作を紹介してきた。

2日目は発表のあるインド哲学部会に張り付き。発表は15分間で、質疑応答が5分間というのはあっという間である。日本中からこの分野の研究者が勢ぞろいしているわけだが、不思議と緊張はしなかった。たとえ発表にケチを付けたとしても(付けられなかったが)、数少ない仲間である。そう思うと遠慮なくマニアックな話ができるのが楽しく、そしてわざわざここに来て聴いてもらえることがありがたかった。発表中に2回、ウケを取れたのが嬉しい。

午後からは仏教用語の現代語訳を考えるパネルディスカッション。コンピュータで参照できる辞書を作るプロジェクトが進行中で、その経過報告である。仏教用語は、苦・集・滅・道や貪・嗔・痴など、漢訳をそのまま使っていることが多く、それが現代において呪文のようになってしまい、教義について深く考えたり、知らない人に伝えたりする努力を妨げていないかという心配が背景にあるらしい。

予め「訳語は一例の提案」と言ってあったにもかかわらず、早速会場は「そんな訳語じゃダメだ」のオンパレード。原語のサンスクリット語やパーリ語にしても、訳語の現代日本語にしても、ニュアンスの捉え方は千差万別で、さらに長年研究してきたこだわりもあり、今後の難航が容易に想像された。

学会中には、同じ分野の研究者たちと親交を温めることができた。久しぶりに会う人と近況報告し合ったり、論文でしか見ていない人と初対面のご挨拶ができたり、この道に入ったばかりの若い後輩とお話したりと、懇親会に出なかったにもかかわらず、たくさんの人と話できて満足である。そして私も、住職や父親やボードゲームジャーナリストだけでなく、一介のインド哲学研究者だということを思い出すことができた。放ったままの博士論文に期待なさる方もおり、今回の発表を足がかりにできればと思っている。

帰りは秋葉原のR&Rステーションへ。店内で「小野先生ですか」とか声をかけられたのでビックリしたが(最初は昨日収録したネットテレビを見た人かと思った)、学会で私の発表を聴いた筑波大学の大学院生だという。聴けば私と非常に近い分野の研究をしている。学会では筑波大学の先生から今度遊びに来てよと声をかけて頂いた上に、ボードゲームを嗜む学生がいると知ってはぜひ行かねばなるまい。

「リーラー(遊戯)」というサンスクリット語がある。神様が世界を作った理由として挙げられる言葉だ。余裕をもって愉しみながら続けていくのであれば、研究もリーラーなのではないだろうか?

今日の勉強

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参考文献の書き方(出版社が先か、発表年が先かとか)を忘れて、他人の論文を見たりしていた。もうリハビリだこれは。

とはいえ、始めると段々勢いがついてくる。読解力は鈍っているのかもしれないが、サンスクリット語の文章もどうにかこうにか読める(論理学関係限定だが)。

六主張論議は、立論と反論のあとに、再反論を失敗することで始まる。再反論を失敗すると、過失が立論にも遡及する。このことから、立論はそれ自体ではまだ成立したとはいえず、正しい再反論を待たなければならない。これは、ニヤーヤ学派の反駁がない限り正しいという原則(anyathaakhyaati)に則っており、レトリックで言われる「主張は反論によって鍛えられる」にも通じる。本論からは外れるが、興味深い箇所だ。

ウダヤナという11世紀の哲学者がメインだが、その前にジャヤンタバッタという10世紀の哲学者の著書に興味深い著述を見つけた。それ以前の学者とウダヤナとの橋渡しになるような記述である。明日、これについてまとめて、いよいよウダヤナの部分に取り掛かる。

気がつくとパソコンのわきに本が10冊くらい積み重なっている。崩れる前に片付けよう。

今日の勉強

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……って週末に学会があるので今頃起動した次第。先週までに完成させたかったが、ボードゲームの和訳2本を抱えて全く着手できなかった。木曜まで4日で完成させないといけない。

学会の発表テーマは『六主張論議と審判・会衆の役割』。インド議論学で不毛な議論として出される六主張論議が、どうして「6」なのかという話。

今日はひとまず六主張論議とは何かというところから。梶山先生と石飛先生の和訳を参照したが、結局サンスクリット原文から訳した。定式化してみるとこんな感じか。

(1)A:XはPだからQである。何であれ、PであるものはQである。Yのように。
(2)B:PだからといってQとは限らない。確かにYのようにQのものもあるが、ZのようにQでないものもある。したがってXも、QかQでないかは確定できない。
(3)A:「XはPだからQではない」という主張でも、PかつQのものも、PかつQでないものもあるので確定できない。
(3’)(A:XがQではない理由が知覚されず存在しないので、PならばQである。」)
(4)B:(3)からXはQであると言えるならば、同じくXはQではないとも言える。
(5)A:(2)から、XはQでないと言えないことになるので他説追認である。
(6)B:(3)から、XはQであると言えないことになるので他説追認である。

本論部分は、インドで作っておいた和訳をもとに進める。明日は先行研究のまとめかな。

聴講は金曜日午前の第5部会(ダルマキールティ)が面白そうだが、間に合うかどうかは微妙。午後からは第4部会(唯識)あたりが聴きどころか。私が発表する土曜午前の第1部会(バラモン哲学)では知り合いが特に多い。午後はパネルディスカッションで仏教用語の現代語訳を聴講したい。

学会に出るのは何年ぶりだろうか。知り合いばかりで、関西勢があまりいないが、それでも久々なので緊張する。

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