第3日 バルランプル〜シュラヴァスティ〜カピラヴァストゥ〜スノウリ

シュラヴァスティ
きえてゆく 鐘のひびきに ききいれば
いつか澄みくる わがこころかな
 昨日に続き再びシュラヴァスティへ.旅程を考えて日が明けたらすぐに見始めるのがベストだということになり,5:30朝食の6:00出発.宿の朝食は6:30からだったが,交渉したら出してくれた.
 シュラヴァスティは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)と呼ばれるお寺があったところだ.日本人には『平家物語』の文頭「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり」で有名.お釈迦様がここで25回もの雨季を弟子たちと過ごして,説法をしたとされる.鐘はないけれども少し離れたところに日本人が作ったものがある.今は発掘されたいくつかのストゥーパ(記念碑)や,僧堂の跡があるが,お釈迦様の時代のものではない.
 早朝に仏蹟を巡るのはとても気持ちがよい.空気も引き締まっており,すがすがしい気分である.本堂にはお釈迦様の台座があり,インド人の僧侶が一人お経を読んでいた(写真).その側で五体投地の三拝をしてから,どんなお経を読んでいるか覗いてみた.『マハーパリトラーナ』というパーリのお経.ちょっと声に出して読んでいると,僧侶がこのお経をあげると言って差し出してくる.断ると,お寺に行けば同じ本があるから大丈夫だと言って勧めてきた.お金はほしくなさそうだったが,この聖なる場所で毎日読まれている有難いお経本を,むやみに私の家の本棚に入れるべきではないと考え,結局受け取らなかった.この僧侶の穏やかな目が忘れられない.
 シュラヴァスティは小高い丘になっており,雨季を過ごすにはなかなか快適な場所だろう.台座でお拝をしていると,お釈迦様の声が聞こえてくるような気分であった.僧侶たるもの,お釈迦様の教えを常に求め続けなければならない.
 この後近くにあるマヘートと呼ばれるエリアへ.ここには大枚をはたいて祇園精舎を寄進したスダッタ長者のストゥーパと,改心した殺人鬼アングリマーラのストゥーパがある.
 シュラヴァスティを後にして一行はカピラヴァストゥへ.国道でない細い道を行くので4時間.ここは舎衛城と訳されるところで,お釈迦様が王族として育ったところだ.3つの門から街を見に出かけて老病死の苦しみを目の当たりにし,4つ目の門で出家者を見て出家を決意したとされる「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の話は有名な話だ.お釈迦様の出家後,跡継ぎを失ったこのお城は,お釈迦様の存命中に滅びてしまう.
 このカピヴァストゥのあった場所が定かではない.国境をはさんでインド側にあるものと,ネパール側にあるものとの2つがあり,インドとネパールが相譲らない争いになっている.もちろんインド人にとってカピラヴァストゥと言ったらインド側にあるものだけを指す.道を訊いたほとんどのインド人は,カピラヴァストゥがネパール側にもあるということすら知らない様子だった.

 そんなわけでインドがプライドをかけて整備しているカピラヴァストゥは,ほかの聖地よりもきれいになっていた.中央にストゥーパがあり,復元されたレンガと,広大な芝生,池,花まで植えられている.あまりに人工的でゴルフ場のようにも見えた.だがこんなインドの端の端まで訪れる人はまれであるらしく,近くには宿も店もない.ただ田畑が広がるばかりである.公園管理事務所には2,3人いたが,遠目からこちらを見ているだけだった.入場料も無料.
 さて次の目的地であるお釈迦様の生誕地ルンビニは,ここから30キロも離れていない.お釈迦様のお母さんのマヤ夫人(ぶにん)が里帰り出産でこのお城から出発したが,ほどなくルンビニで産気づいてしまう.だからカピラヴァストゥはルンビニから遠くないという訳だが,今この間にはインドとネパールの国境があり,インド人・ネパール人だけが超えられる.外国人は50キロほど離れたスノウリという街で手続きをしないとネパールに入国できない.それがわかって一行はスノウリへ.
国境 スノウリにある国境は,意外なほどにぎわっていた.インド人とネパール人は手続きなしで行き来できるため,双方から人がどんどん出入りしている.したがって門も開けっ放しで,我々が黙って通っても誰にも咎められないような感じがしたほど.空路なら10分で手続きが終わるのでそれぐらいだろうと思っていたのだが,この入国手続きに予想外に時間をとられた.運転手が書類をもってあっちこっちに行ったり,インドルピーをネパールルピーに両替したりしているうちに小一時間ほど経ってしまう.
 そこでまた昨日の夕方のことを思い出した.これからルンビニに行っても日が暮れるまでまた30分ほどしかない.ネパールのカピラヴァストゥは見ることすらできないだろう.そこで手続き終了寸前の運転手を呼び止めて,手続きを中止してもらう.払ったお金は返ってこないので,運転手はどうしても今日中に行きたい様子だったが,明日の手続きに必要なお金はこちらが出すということで納得してもらい,宿に入ることにする.
 夕方の余った時間,スノウリの街中を見物.といっても見るべきものはなく,店を見て回るだけ.観光客向けの店もなく,バケツとか,自転車とか,ハエがたかったお菓子なんかを見て回った.当然買うものもなし.国際電話があったので山形に電話.祖母には「今ルンビニの近く」と伝えた.蚊に刺されながらコーラを飲んで宿に帰る.
 ここの宿は食事は美味しかったが,それ以外は最悪.電圧が足りないらしく,暗いしお湯も出ない.夜中に蚊に悩まされて何度か起きた.もっとも,バックパッカー(低額旅行者)にとってはこれでもかなり贅沢なほうだろう.国境近くで1人,日本人のバックパッカーに会った.バスでヴァラナシへ行くという.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


The reCAPTCHA verification period has expired. Please reload the page.