葬祭業と寺院

何年か前のこと、お葬式でやってきた葬儀屋さんが高校の同じクラスのT君だった。それ以来何度か顔を合わせるけれども会う場所が会う場所なので世間話をしているわけにもいかず。今日は思い立って電話をして、仕事帰りに遊びに来てもらった。
同じクラスといっても部活も違い、それほど親しかったわけではないが、同級生というのは垣根が低い。君付け、ため口で話せる人は貴重だ。
私が日ごろ葬祭業について思っていること、場を仕切りすぎたり場違いなアナウンスをしたりする不自然さ(http://www.tgiw.info/weblog/2005/09/post_139.htmlで書いたようなこと)を遠慮なく指摘。担当が若くて場数が少ないとどうしてもそうなるらしい。
それから寺院側への要望を聞いてみると、司会との打ち合わせで「いつも通りに」なんて言っておきながら開式してから思いつきで変更するのはやめてほしいと(特に喪主挨拶のタイミングを変えられると喪主が大混乱する)。曹洞宗は次第を差定(さじょう)と言って重んじるので、滅多な変更をしないが、真言宗は多いとのこと。
そこから常に打ち合わせておかなければならないこととして会葬者が多いときの焼香のスムーズな進行、弔辞・弔電が多いときの省略方法、閉式後の食事にお寺さんが参加するかどうか、供え物の準備や位置など。
形式的なところばかりを追っているようにも見えるが、円滑な進行があるからこそ遺族が安心でき、感情移入もできるのだと思う。こうしたよいお葬式は葬儀社と寺院が協力してはじめてなしうるものだと思った。
それから下世話だがお布施の相場の話。もっともT君は聞かれても「お寺様によって違いますから、直接ご住職に聞いてください」と言っているそうだ。きちんとお寺を立ててくれているのは嬉しい(でも聞くと怒るお寺さんもいるので、その場合だけ相場を話すとのこと。葬儀屋さんは何でもケースバイケース)。
その話の流れで、ここだけの話の愚痴モード。T君も、家に帰ればお寺の檀家さん。昨年お父さんが亡くなって喪主を務めたときのいろいろ。
「お宅ぐらいですとこのランク以上で」などと高額なプランを勧める葬祭業者がほんとにいるのか知らないが、導師入場でドライアイスを流したりするなど(演歌歌手じゃないんだから)、サービスがエスカレートして常識外れになるケースは聞く。その点、家に帰れば普通の(=信心に厚い、しかしバブリーな葬式は所望しない)お客様と同じ立場になるT君には葬儀業者として信頼がもてた。私も、一般の人の視点は忘れないようにしたい。
最後に迷信の話。山形県置賜地方ではシダミ(死後四日目の葬儀)を避けるところがあるが、これはどうやら置賜(の一部)限定らしい。小国町では代わってツカビ(「塚(墓)」にかけて二日、五日、二十日に葬儀をしない)というのがあるそうだ。これに友引が加わるから、初七日近くまで葬儀ができなかったりする。
やめてほしいと言いながら、T君の勤め先の電話番号下4桁は4444、別の葬儀社は4242(笑)。誰も取らない電話番号だから、取りやすいのだそうだ。確かに!
もうひとつ、迷信というか少なくとも仏教の教義からは完全に外れている清め塩は、お寺さんが入れるなというので入れないと葬儀社にクレームが来る(当たり前か)。葬儀社に入れるなという前に、要らないことを皆によく説明してほしいという。ごもっとも。
今度はほかの同級生も交えて米沢で飲もうという話に。高校を卒業して14年、あの頃が懐かしくなってきた。

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