修証義の現代語訳(3)

毎年地元の公民館で行われている写経教室では、写経の前にお経の話をしている。1年目は般若心経、2年目は法句経を取り上げたが、3年目は修証義にしてみた。正確にいえば修証義はお経=仏説ではないが、お釈迦様の教えの核心を捉えていると思う。
第1章第5章と読んで、今回は第4章。翻訳にあたっては、専門用語をできるだけ平易な言葉に改めた。解説書を何冊か参照したが、どれも専門用語を噛み砕いてくれず苦労した。専門用語は、はじめは特別な意味をもっていたのだろうが、やがてその原義が分からなくなり、ジャーゴンやマジックワードになってしまいがちだ。
平易に訳してみると、これが今の世の中でも価値を失っていないこと、そしていかに今の自分が至らないかが思い知らされる。人に言うばかりでなく、自分ももう一歩進めたい。


修証義 発願利生 (現代語訳)
菩提心を起こすということは、自分が幸せになる前に、みんなを救おうと誓って修行することです。僧侶であろうとなかろうと、天人でも人間でも、苦しい境遇でも幸せな境遇でも、「お先にどうぞ」の心を起こしましょう。
外見が悪くても、この心さえ起こせばもうみんなの先生です。子供でも僧侶を教え導き、みんなの慈愛あふれる父親となります。性別は関係ありません。これが仏教の正しい法則なのです。
菩提心を起こしてから、地獄から天国までさまざまな生き物に生まれ変わっても、その生まれ変わりの縁がみな悟りのための修行となります。したがって、これまで無駄に過ごしてきたとしても、この生命が終わらないうちに急いで誓いをたてましょう。もう仏になるのに十分な力があるとしても、さらにその力をみんなの悟りのために向けるのです。無限に長い時間、みんなを救い続け、自分はいつまでも仏にならないという菩薩もいらっしゃいます。
さて、みんなを救うには四つの智慧があります。一つ目は与えること、二つ目は優しい言葉、三つ目は思いやり、四つ目は共に生きることです。これを菩薩は実践しているのです。
与えることとは、欲張らないことです。自分のものでなくても与えることはできます。多い少ないを問わず、その気持ちが大切なのです。したがってわずかな教えでも与えましょう。現世と来世で幸せのもとになります。わずかなものでも与えましょう。現世と来世で幸せのもとになります。教えもものとなるし、ものも教えとなるでしょう。どちらにせよ見返りを求めず、自分ができる限り与えるのです。舟や橋で川を渡してあげるのも与えることです。生計を立てるための仕事も、本来は与えることにちがいありません。
優しい言葉とは、相手を見てまず慈愛の心を起こし、その人のためになる言葉をかけることです。赤ちゃんに接するような気持ちで話しかければ優しい言葉になります。徳のある人はほめ、徳のない人はあわれんで言葉をかけましょう。敵でも降参させ、偉い人でも仲良くさせるには、優しい言葉が第一です。面と向かって優しい言葉を聞けば顔がほころび、心が豊かになります。人づてに優しい言葉を聞けば、決して忘れられません。優しい言葉には、天下を一変させるほどの力があることを学びましょう。
思いやりとは、分け隔てなく他の人のためになる手立てを考えることです。弱った亀や雀を助けた人は、見返りを求めず、ひたすら相手のためによかれと思って助けたのです。愚かな人は、他の人のためになることを優先すると、自分の分がなくなると思うものですが、そうではありません。思いやりとは、自分と相手両方のためになるのです。
共に生きることとは、自分にも他の人にも背かないことです。お釈迦様は人間の姿でこの世に現れました。周囲に自分を合わせることで、自分と周囲と同じくするという方法もあります。自分と他の人とは、永遠に関わっていくのです。海があらゆる水を拒まないのが共に生きることです。だから水が集まって海になるのです。
全ての菩提心の修行において、このような四つの智慧を落ち着いて思い巡らしましょう。軽く考えてはいけません。菩薩がほかのみんなを救い、引き受けることで私たちは救われるのですから、その計らいを礼拝し、敬いましょう。

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