自分の過失は見がたい

「男性を信じられない」30代女性の悩みを東大卒の天才僧侶小池龍之介が一刀両断(FUNDO)

「現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人君子は、この世にいません」

小池氏が引いている法句経はこれです。

「他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。―狡猾な賭博師が不利な骰の目をかくしてしまうように。(sudassam vajjamannesam attano pana duddsam paresam hi so vajjani opunati yatha bhusam attano pana chadeti kalimva kitava satho.)」(ダンマパダ252)

難しいのは、「裏切られるような期待なら最初からしないほうがよい」という話になると無縁社会の推奨になってしまうし、「相手に期待するなら自分もそれに応じたものを差し出すべき」という話になると見返りを求めることになってしまうところ。

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