死の随念

先日、お寺のお供養で、何よりも生きて今日ここにいられるということがありがたいという話をしていたところ、その2日後、妻が自転車で右折車にはねられそうになったという。そのとき身分証ももっておらず、病院に運ばれても身元不明になっていたかもしれないとのこと。こちらも電話が通じなければ仕事があるんだろうなと思うくらいで翌日になってばたばたしていたことでしょう。

車に気をつけるのはもちろんのこと、気をつけていても寝ているうちに心臓が止まってしまう人だっているし、自分や家族が死ぬことは常日頃から想定しておかなければと妻と話をしたところです。

死随念(『清浄道論』)
① 命は奪われている:今もこうしているうちに身体は老化し、どんどん死が近づいている。
② 得たものは無に帰す:いくら健康でも、いくら若くとも、やがて病気になり、老い、死にゆく
③ ほかの人と同じく:自分もやがてお悔やみ欄に掲載される日がやってくる
④ 身体があるからには:同じ人間の身体をもつ以上、同じような病気や事故で死ぬ
⑤ 寿命がある:たまたま病気や事故に遭わなくても、老衰によりやがて心臓が止まる
⑥ 例外はない:全ての生命は、生まれ、病気になり、死に、遺体は朽ち、心は生まれ変わる
⑦ 時間の限界:人間はせいぜい100歳までしか生きられず、残された時間は短い
⑧ 一瞬一瞬の変化:心は瞬間瞬間に生滅を繰り返しており、それがいつ止むかは分からない

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