お寺でお葬式がしにくい

ここ数年、急速にホール葬が増えている。宗務所長の呼びかけに応じて「お葬式はできるだけお寺か自宅で」と頑張ってきたが、一住職の無力さを思い知らされる。
お寺か自宅を勧める理由は、信仰の面と寺院経営の面の両方がある。
お寺には、何百年もの間、何千人、何万人ものこの地域の先祖が掌を合わせてきた本尊があり、また位牌壇にはその先祖たちが眠っている。そこで亡くなった人を送るということは、かつてこの地で生きた先祖たちに見守られて、仏様に導かれていく確信がもてるだろう。ホール葬で送った人が、終わってから何か物足りなさを感じるとすれば、その安心感だと思う。
自宅でも先祖を祀る仏壇があれば同じ理屈だが、故人が住み慣れた場所で送ることで安心のもとになる。
また、寺院は大きい建物の維持に檀家さんの理解が不可欠であり、本堂をあまり使わないでいると修理のとき理解を得られないどころか、不要論が出てもおかしくない。そのため、檀家さんや近所の方に現在のお寺の建物に入り、内外を見て頂く機会は多いほうがよい。
このような理由から、枕経にはできるだけ早く駆けつけて、やむを得ない理由(雪で駐車場がない、参列者が非常に多い)がない限りお寺や自宅を勧めてきた。ときには一度ホールに決めたものを覆したり、喪主と口論になりそうになったこともある。
しかし昨年、お寺の葬式に呼ばれてひとつ気が付いた。隣組の負担が大きいのである。
うちの田舎では隣組や五人組と呼ばれる制度が続いていて、お葬式の時はご近所の方がわざわざ仕事を休んで駆けつけてくれる。農家が大半だった昔と違い、勤務を休んでくるのは大変なことである。それでいて、今や葬儀の準備の大部分は葬儀社が行っているため仕事は少ない。かつては飾り物の製作や料理もあったが、今では近所へのお知らせ、出棺のときの棺運び、葬儀の受付、念仏、あとは終わった後の飲食といったところだ。
ところが自宅でするとなると、和尚さんたちの接待や葬儀の司会などが加わり、お寺ではさらに花輪の運搬や駐車場係などの仕事が増える。
もちろん、隣組が嫌がることは少ない。そのつもりで集まっているわけだし、暇を持て余していたのでは仕事を休んできた甲斐がない。でもその前に、喪家がそのような仕事をさせることに気を遣って遠慮するのである。それだけ近所付き合いが昔と比べ疎遠になっているということか。
こうして葬儀社任せが加速し、隣組はいよいよ何をお手伝いしたらよいか分からなくなっていく。そんな風潮の中、お寺でお葬式をしたいといえる喪主はどれほどいるだろうか。「近所に迷惑をかけない」というのがホール葬を選ぶ第一の理由ではないかとさえ思える。
喪家だけが大変になるというのなら、一世の一大事と説得して我慢してもらうようお願いできる。しかし隣組を考慮に入れると強硬になれず、ホールでもいいでしょうと妥協してしまう。それが信仰を奪い、お寺の寿命を縮めることになるかもしれないと思っても。
今は大雪なので、駐車スペースがないことを「やむを得ない理由」としてホール葬を承服している。しかしもうすぐ雪が消えてから、喪家でどこまで頑張れるか、はなはだ心許ないところである。

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