非思量の詠唱

曹洞宗総合研究センター編「『梅花流指導必携』の変遷」を読み終わる。一番心に残ったのがこの箇所。

私は詠道に於ては「一に信、二に声、三に節」と従来の標語を改める必要があると提唱するものである。少くとも正法を高く掲げて孤高清節を守られた高祖大師の流を掬む我が梅花流の詠道にあっては「信は道元功徳の母」との教意に徹して「信心第一」の心構えを忘れてはならない。
 詠歌道にこの「信心第一」の心が失われる時、詠歌は単なる喉自慢、声自慢となり、小天狗大天狗輩出して、徒らに他人をけなし合い、自讃毀他、百鬼夜行の浅間しい世界を現出するであろう。それでは何の為の詠歌和讃かわからないことになってしまう。(久我尚寛『梅花流詠道要訣』昭和29年)

まるで65年経った今のことを言っているような内容。お唱えの上手下手に気を取られず、お唱えの中の信心の深さ、「非思量の詠唱」を追究していきたいと思うところだ。

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