ありがたいお唱え

4泊5日にわたる大本山總持寺の御征忌会から無事帰宅。台風も通過する中、早朝から夕方までずっとご詠歌をお唱えしていた(正座で足が痛かった・・・)。

先月の講習会で、講師の静岡の安田光彰・正伝師範より、ご詠歌にとって大切なものは信仰心をいかに養うか、抱かせるかというお話を頂いた。お唱えを聴いた方が「上手い」と思うのではなく「ありがたい」と思うお唱えを心がけ、私たちが熱中しがちな声や節回しは二の次だという。

聞き手としての勉強も大切で、粗探しではなく、個性を味わう心のゆとりをもち、唱え手の心を聞き取ることを心がけましょうというお話だった。ここでも信仰心が必要になる。ご詠歌の曲想には「敬虔に」が多く、信仰心をもってお唱えするにはまだまだ修行が必要だ。

「上手い」でなくて「ありがたい」お唱えを目指す――その意味をずっと考えていたところ、大祖堂に響き渡るお唱えは、詠讃師ひとりひとりの魂が伝わってきて本当にありがたいものに感じられるようになった。声や節回しの先にある唱え手の心。旋揺法にばかり気を取られていては一生分からないもの。そこに焦点を合わせられれば、仏祖の御声が聞こえてくるように思われる。

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