『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史』


著・生駒哲郎。蝉丸Pさんのおすすめ書籍に挙げられていた。『沙石集』『今昔物語集』を中心に、戦や敵討ちがあった時代、どのような行いをすると死後どこにいくと考えられてたかを整理している。

  • 三業(現報、生報、後報)は、罪の重さによって変わり、理不尽な殺生などは現報、つまりこの世で受ける仏菩薩の仏罰があると考えられた。敵討ちは、殺害した相手への現報と、殺害された者への鎮魂の意味があったとのこと。
  • 中世での「逆縁」は、子が親より先に死ぬことではなく、悪事が縁になって仏道に帰依するという意味。身代わりになった地蔵菩薩を縛り上げた者が、後で知って発心した話や、狩猟民が動物を神仏に供えた話など。
  • 地蔵菩薩は、熱心に信仰する者に現世で利益を施し、発心する要素をもっていれば宿業があっても地獄の入口で現世に戻すとされた。しかし地獄に堕ちると地蔵菩薩も救いがたく、追善供養によって地獄にいる時間を短縮し、天界に転生させようとした。
  • 畜生道に堕ちる原因は愛欲や執心。子に執心するあまり、周囲が見えず他人に対する慈悲の心が欠ければ畜生道に堕ちる。肉を食べているのを見て、その肉が前世では親だったかもしれないと考える者もいた。
  • 蛤を子供が金堂に持っていったのが元でお寺の犬に生まれ変わり、お寺でお経を聞いていたので牛に生まれ変わり、大般若経の紙を運んでいたので馬に生まれ変わり、熊野にお参りする人を乗せたので人に生まれ変わり、親切にしたので僧侶に生まれ変わり、修行したので高僧に生まれ変わったという説話。お経を読む声は、毛穴から身体に入って遠い将来の菩提の因縁になると考え、仏と縁を結ぶきっかけをもたせて救おうとした。
  • 仏法を名利のために学び、論議の勝敗を競い、怒ったり恨んだりして、奢り高ぶり、迷いの思いが強かった僧侶が、野槌に生まれ変わったという話。
  • 餓鬼は『往生要集』に16種類挙げられており、財や名利を貪る、食べ物を独り占めするなど、前世の悪業の種類によって分けられた。
  • 地獄と餓鬼の衆生は、水を飲ませたりして一時的に正気を取り戻させ、その間に説法を聴かせて救おうとした。地獄・餓鬼は化生であり、前世の記憶をもっているとされたためである。

近年、宗教界は人類平等や差別解消の観点から前世の悪報を説かなくなっているが、このような観念は日本人の奥底に染み込んでおり、完全に免れることはできない。そのまま紹介するのは注意が必要だが、不昧因果、業報の理を効(なら)い験(あき)らめて、衆生の悩み苦しみを取り除く手立てを考えていく必要があるだろうと思う。 『沙石集』は岩波文庫から出ていたので、今度読んでみたい。

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