『善の根拠』


著・南直哉。晋山結制の本則『百丈野狐』の関係で、因果についてあれこれ考えているが、そこにひとつの答えを与えてくれる。

仏教の諸行無常・諸法無我・一切皆空を推し進めれば、昨日の私は今日の私ではなくなり、責任の所在がなくなる。また善悪の基準にも根拠がなくなり、時と場合によって入れ替わったり善でも悪でもなくなったりすることになる。しかしお釈迦様は戒律という形で善悪を明確にした。これをどのように捉えるべきか正面から取り組んだ本。「他者から課せられた自己」は無根拠で矛盾と困難に満ちているが、それを受容する賭けに出たとき、善悪の根拠が発生するという見解に沿って、菩薩十六条戒を検討する。

帰依仏:自己の再起動
帰依法:無常・無我・縁起による自己の認識
帰依僧:新しい自己を規定する共同体への加入
摂律儀:=十重禁戒
摂善法:=摂衆生
摂衆生:一方的に自己を課す他者を尊重する/赦す
不殺生:自死しない
不偸盗:布施する
不貪淫:子供をもたない
不妄語:自他の存在構造を護持する
不酤酒:他者に自己を忘却させない
不説過:自己判断で他者を裁かない
不自讃毀他:ナルシシズムをもたない
不慳法財:所有という幻想を脱する
不瞋恚:正しさを一方的に押し付けず関係性を調節する
不謗三宝:新しい自己の根拠を認める

難解だが、安易に仏典の文言に頼ることなく、自己を徹底的に見つめて、終始一貫した思想が展開されている。もしかしたらブッダもこのようにして、一切皆苦から善悪を導き出したのかもしれない。

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