2007年2月アーカイブ

大人の能力偏差値カード『FinalWorkout』発売

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学研トイズは2月28日、4種類の脳力をピンポイントで鍛えるトレーニングカードを発売した(学研トイズ大人の能力偏差値カード FinalWorkout)。
発売されたのは記憶力、分析力、集中力、計算力の4種類で各1500円。3月4日まで予約注文すると送料無料。
記憶力ではアルファベット・方向・名前・動物・数字がかかれた計60枚のカードを順に覚えて、思い出すテストをする。13日間にわたって行う長期記憶トレーニングが圧巻。
分析力では両面に別々の名画がかかれた15枚のカードを並べ、裏面を推理する。二人用対戦ルールあり。
集中力では色、形、数がさまざまにかかれた48枚のカードをルールに従って出していくというもの。2分30秒という時間に集中力をいかに持続するかがカギだ。
そして計算力では表にかかれた5つの数字を+、−、×、÷を使って裏の二桁の数字にする。二人用対戦ルールあり。
いずれもゲームとして遊べるものだが、キャッチコピーでは「このカードは「ゲーム」をするためというより「トレーニング」をするために開発されたもの」と謳われ、「脳」力を鍛えることが主眼となっている。難易度を上げたり、結果を偏差値としてウェブで判定できるところが特徴だ。
また美しいデザインも見どころで、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』などニンテンドーDSやPSPなどからの移行組も狙えそう。ボードゲーム愛好者は、これで日頃からスキルアップ?

災害対応ゲーム『クロスロード』

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災害時の対応をゲームで学ぶ 鯖江で研修会(北陸中日新聞)
鯖江市で一般市民を対象とする災害ボランティアの研修会が開かれ、災害時の対応を学ぶカードゲーム『クロスロード』を使い、とっさの判断の是非を学んだ。
このカードゲームは、大学の先生が開発したもので昨年のエッセン・国際ゲーム祭にも出展された(エッセン国際ゲーム祭2006〜日本からの出展編)。いわゆる「教育ゲーム」というジャンルに属するゲームで、娯楽のためのゲームとは楽しさの質が異なるけれども、ただ漫然と講演を聞くのに比べ、参加者が主体的・積極的に取り組めるというメリットがある。
ゲームは設問を読み、参加者が「イエス」か「ノー」を一斉に回答するというシンプルなもの。多数派を予想して答える『フラッシュ』※1型ゲームと、自分の答えを正直に答える『プライバシー』※2型ゲームがあるが、いずれにしても回答後に自分の回答の根拠をお互いに述べ合うのが特徴だ。
記事に紹介されている設問は「避難所に家族同然の飼い犬を連れて行くか」「避難情報が出たが、1家族だけ姿が見えない。探しに戻る?」だが、このほかに援助物資が足りないときや、火葬のキャパシティを上回る犠牲者が出たときなど、重いテーマの設問もある。阪神大震災で本当にあった出来事から取られているといい、実際に経験がある参加者が思い出して泣いてしまったというエピソードもある。
『クロスロード』には、どちらが正解かはっきり分からない問題が並ぶ。参加者はそのジレンマに悩みながら、あとどういう情報があればよりよい答えを出せるかというシミュレーションができるという。非電源ゲームの、新たな可能性を探るものとして注目しておきたい。
※1『フラッシュ』……お題を決めて連想する答えを書き、一斉に公開。同じ答えが多いほど得点が高い。紙と鉛筆があればできるお手軽なコミュニケーションゲーム。ボードウォーク・コミュニティー『フラッシュ』
※2『プライバシー』……きわめて個人的な問いにこっそり、しかし正直に回答し、回答数を予想する。こっそり回答できる布袋がポイント。メビウスゲームズ『プライバシー』

「ごいた」商標登録へ

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石川県能登地方に伝わる伝統遊戯「ごいた」が、このたび地元の保存会によって登録商標化されることになった(北國新聞「ごいた」を商標登録へ 伝承遊びの全国普及目指す)。
「ごいた」は将棋に似たコマを使い、2人1組でチームを組んで手持ちのコマを早くなくすゲーム。能登地方の宇出津というところで明治時代に生まれ、漁師の間で遊ばれてきたという。平成11年に保存会が結成され、大会や講習会が開かれている(奥能登オヤジのログハウス 「ごいた」入門)。
今回の登録商標化は、近年東京の愛好家が注目し、コマをカード化するなど遊びやすくするための提案してきたのを受けたもの。費用は町内の企業や団体から寄付を募って集めた。「ごいた」の普及とともに、能登町の名前の宣伝にもなりそうだ。
青森県津軽地方に伝わるカードゲーム「ゴニンカン」と同様、日本の地方に伝わるアナログゲームが地元の保存会によって保存され、都内の愛好者によってウェブなどを通じて全国に広められてきている。日本のどこかに、見知らぬゲームがまだまだ眠っているかもしれない。

南極キャロム

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南極観測隊に4ヶ月にわたって同行中の小林千穂・日刊スポーツ記者からキャロムのレポートが届いた(南極名物キャロムです)。夜中、隊員の2人が「きゃっきゃ言いながら遊んでいる」様子が伝えられている。

「南極キャロム」は、東京周辺で遊ばれていたキャロム台が昭和基地まで持ち込まれるに及んで付けられた通称。中央がチェッカー(市松模様)になっている。パックのくぼみに指を入れて弾き、必ずワンバウンドさせなければならないというルールがある(南極のキャロム)。滋賀県彦根で製作されており、四隅の穴が広い「彦根カロム」とは形状を異にする。2006年9月に放映された『探偵ナイトスクープ』では、南極観測隊代表と日本チャンピオンとの対戦も放映された(彦根カロムVS南極キャロム)。

かつては「食堂のテーブル全部にキャロムを並べて、大会を開くくらい盛況だった」という南極キャロムも、今回は観測3ヶ月目にして初めてのお目見えだったようだ。船内にはパソコンもDVDもあるので、その分こういう娯楽の魅力は減ったのかもしれないが、隊員同士の交流に役立っているのだろう。

ゲーム好きの間では、「無人島にもって行きたいボードゲーム」なんていう話がよくされるが、シンプルですぐ覚えられ、時間が長くなく、誰にでも上達の余地があって、かつエキサイティングという理想的な要素を全て備えているという点でキャロムはすばらしい。昭和基地にはほかにも麻雀、ビリヤード、ダーツ、将棋、囲碁があるらしいが(南極とマージャン )、以上の要素を全て満たすとはいえない。南極に初めてキャロムを持ち込んだ先人の知恵に敬礼!

B2Fゲームズよりチェコのボードゲーム輸入

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昨年オープンした立川のゲームショップ、B2Fゲームズが徐々に活動を本格化させている。『ウォーハンマー』などミニチュアゲームに加えて、メビウス便や中古レアゲームを扱っていたが、この度昨秋にエッセンで発表されたチェコのボードゲーム2点を独自訳付きで発売した。ユーロ高でボードゲームが値上がりする中、比較的物価の安い東欧圏から優れたゲームが発売されることは歓迎される。
発売されたのはCzech Board Gamesというメーカーの『グリーンランド(Graenaland)』と『レジー(Legie)』。『グリーンランド』は3〜5人用のボードゲームでBGG評価が7.1(115票)と高い評価を得ており、またBoardgame Newsのトロンキスト氏も「とても気に入った」と好意的なレビューを書いている。エッセンの人気調査Scoutaktion(PDF)でも6段階評価中2.38とポイントが高い。『レジー』は2人用ゲームで多くの評価を集めていないが、十分期待できる水準のようだ。
さてその内容は?というと近日中にB2Fゲームズで紹介されるとのこと。楽しみにして待ちたい。
チェコのボードゲームはいかがでしょうか。

バレンタインも過ぎたのにチェコがチョコに見える私……。

ゲーム批評(Spiele-Kritik)

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トム・ヴェルネック(ドイツ年間ゲーム大賞設立メンバー)

そいつを殴り殺してくれ、その犬を! そいつは評論家だ!

ゲーム批評? 一体それは何だ?
「お仕事は何ですか?」「ゲーム批評家です!」「ああ、分かります。モノポリーとか......」
そうじゃない。でも私はすぐには殴り殺されない。ゲーテのヨハン・ヴォルフガングが当時、批評作家の仲間に力説したように。しかし私がゲームを新聞や雑誌で評論しているというとき、たいてい無理解にぶつかる。文学批評家だったら少なくとも文学の4人組以来、いくらかは理解される。レストラン批評家だってミシュランの星のおかげで話題になっている。レコードや映画も批評家の耳や目を通して品定めされる。でもゲームは?

ゲームの「検査」?
ゲームの世界にはおそろしいことがある。評論家とは、ゲームを「検査」すると考えている人たちのことだと。それどころか「ゲーム技術監査協会」というのがあって、価値のないものから価値のあるものを選り分けようとしているのだと。私はそれを間違った考えだと思う。ゲームは文化財、しかも日常生活の一部だ。メカニズムの分析だけに限らない。洗濯機なら検査をして、他社製品より性能がよいか調べることができる。1回に必要な電気と水はどれぐらいか、何回使えば廃品になるのかを確かめることができる。ゲームももちろん、そのような視点で「検査」することはできる。上箱を取り外してボール紙を何ヶ月も太陽にさらしておく。この「検査」で色が光に耐えるかどうかを間違いなく確かめることができるだろう。箱の上に重しを乗せれば、ボール紙が頑丈か簡単に折れ曲がってしまうかを調べることもできるだろう。このような試験は確かに客観的な結果を出す点で異論の余地がない。しかし有用かと言えばそうではないだろう。実際何が量られるべきかが全く考慮されていないからだ。そしてゲーム自体、そんなことは関係がない。それならばゲームのルールの品質を客観的に評価できるだろうか? 確かに誤植や文法の間違いは公式にクレームをつけるべきである。しかしドイツ語に誤りがないからといって、ルールが明解で、簡単で、分かりやすいということにはならない。「完全に客観的に」アイデアの独創性や常にゲームから引き出される魅力を評価できるだろうか? 外装と内装が目にも感覚にも好ましいかどうかを、長所や短所を抜きにして事実に即して書けるだろうか? 答えはノー。検査は根拠をもって比較できる仕事の領域に属する。ところがゲームは精神的なプロセスだ。つまり磨きぬかれた障害や困難さえも克服する自由がある。ゲームにおいて検査ははじめからちっとも役に立たない。そしてゲームが検査できると考える人は、ゲームがどのように進行するかという基本的な特徴をただの1度でも知らないことを証明しているだけだ。

批評は主観的でなければならない
客観的な評価基準を最初から考えないというのは、もはや芸術や文化の本質である。批評は主観的でなければならない。批評家に紹介や推薦の役割を認めたいならば、彼らに独立したものさしをもたせなければならない。「自分自身のものさしについて個人として確固たるものをもたない批評家は、単に信用できない批評家だ。基準を定める者ではなく、他の人の成果を繰り返すだけである」とエズラ・パウンドは言う。批評家は通常の意味で「公平」であることはできない。偏っていない判断は価値がない。読者が自分の経験と批評家のものさしを比べ、彼にとってよい経験が期待されるかどうかを読み取ってはじめて、評論家は自分の仕事をすることができ、具体的なゲームを遊ばせることができ、食指を動かさせることができる。しかしそのためには読者はその評論を知るための時間とチャンスがなければならない。批評家の偏愛を自身の好みに合わせなければならない。一致した見解も、相違した価値観も同じ評論家のものとして考えなければならない。そのためには継続が前提となる。そうしてこそ読者が、定期的に現れるコラムのモザイク石材から、生き生きしたゲームの風景を自分で作り上げることができるのである。

入りにくくしているもの
メーカーは批評や批評家を宣伝部の延長とみなしているとマルセル・ライヒ・ラニッキは認め、彼自身ももしメーカーならば、それ以外のことは考えないだろうと付け加える。少ない予算のため、ゲームメーカーはいつも寛大ではない。ゲーム評論家としてやっていこうと思ったならば、ずっとメーカーから犬ひもでつながれることになる。実際、新参者は評論のサンプルにするためのコラムをすでに書いていなければならない。それはときにはコーぺニックの大尉のように、住まいなしには仕事がなく、仕事なしには住まいがないことになる。ゲームなしにはコラムを書けないが、コラムなしには野心に燃えた新参者でもメーカーからゲームを提供されることはない。データバンクと新聞の切り抜きサービスによって、メーカーは評論のサンプルが実際に公開されたかどうかをいち早く正確にチェックすることができる。だから「ゲーム批評」の中には、ゲーム提供を目論んで提灯記事を全くあからさまに書いて、メーカーに気づかせる者がいるのも不思議ではない。いずれにせよこんなひどい状態でゲーム批評の質は間違いなくよくならない。
そして実際、新聞や雑誌はこんなひどい状態である。刊行数がいくらは全く何でもない。そこには不足はないし、日常生活のたくさんのジャンルのスペースがある。音楽、演劇、映画、解説書、娯楽文学、展示会、イベント、その他たくさん。ゲームだけが、しかもまだメーカーの要求が高いまま、多くの新聞で文化の壁の花としてわずかな露命をつないでいる。そんなゲームに突破口を作り、ゲームに必要でありかつゲームに相応しい地位を与えようという話になると、ドイツの紙媒体のマスコミの編集する雰囲気はむしろ希薄だ。そこでゲームは資産になる。ドイツは断然、世界中で最も卓越し、最も革新的なゲーム市場である。約2000万箱、価格にして約5億ユーロ弱が毎年発売されている。統計的に見れば国民の4人に1人が1つゲームを買っていることになる。そしてそれはもちろん、また統計的には4人に1人の読者がゲームを買い、そのための情報とアドバイスを求めていることになる。

下地だけはできた
しかしゲームが依然として低い地位にあるのは、ゲーム批評家の質のせいかもしれない。我々はおそらく依然としてやや役に立っている前段階にあり、そこからゲーム批評をその名前を受けるに本当に相応しいより広い段階にまず引き上げなければならない。いずれにせよ少なくとももう数多くの足場はある。30年以上前、ドイツ語圏でのゲーム評論は指折り数えられるほどだった。今日ではメーカーの報道担当者がもうダースでゲーム批評家やゲーム評論家と呼ばれる人々の名前をデータバンクにたくわえている。ミルクからクリームができるように、一級品が生まれるにはエリートが浮上できるだけの量が必要だ。まさしく農民的な素朴さから知識は得られる。ミルクが多いほど、それだけクリームはうまくなるものだ。要求の多いゲーム批評の前提は―少なくとも理論的には―できあがっている。たとえそれらがたくさんの沈殿物や脱脂乳からなり、ほんの少しのクリームだけが上に浮いていても。
書きたい人たちにメーカーがどんどんゲームを提供するのは、メディアの問い合わせが少ないこととあいまって結局は継続的な質の向上にとって理想的な前提ではない。経験のないゲーム批評家の原稿でよく見られるのは、テキストが手早く書き上げられ、パック詰めされていて、ときにはもしかすると熱狂とゲームの楽しみだけで書いているようで、批判や深みや中身が少ないものもある。評論はゲームの深さを枝葉末節まで戦略的なひだをつけながら描き出すべきであるということでは全くない。それは批評家に前提とされる職人の手腕だ。しかし彼はゲームがより大きな枠組みで見られるべきであり、まとまった文脈に整理されるべきものだということを理解しているのか? 広がりのある全体に正しく位置づけることを? そこに我々の前にはまだ歩かなければいけない道が残っている。
「抜群で優秀で卓越した作品に応じるだけの批評をもつ国民はいない」とゲーテは言う。約350~400のゲームが毎年新しくドイツ語圏の市場に登場する。だから材料の不足はない。しかし批評というブラシは、質の低いものには使うべきではない。それは全部を払い取ってしまうだろう。しかし質の低いゲームを全部お払い箱にしても、1年にいつも3~4ダースは、精査する価値のあるタイトルが残る。それは社会の動向を全て映し出す。要求と変革、憧れと思潮、現実と反応。だから程度が高くて的確なだけでなく、それに加えて広いターゲットをもつゲームの批評がまさしくありえるのだ。

斡旋術としての批評
批評は斡旋術だと、アンドレアス・ネントヴィヒはニュー・チューリヒ新聞のちょっとした記事の中で書いている。「それはその題材や卸問屋や市場からは自由だ。しかし読者に依存している。だからそれが扱う作品がどれほど複雑であっても、批評は誰にでも―関心を持っていて始める用意があるが特に前知識のない文化欄の読者に―分かりやすくしなければならない。批評はある判断を下さなければならず、それはアンビバレントな判断だろうが論証として根拠付けなければならない。そこで批評は読者をそそのかしてもよい。いやむしろそそのかすべきだ。というのも批評を読むことは軽い精神活動―表面的な魅惑によって刺激され、それがなければすぐに止んでしまうもの―に属するからだ。評論と批評は読者に対し、刺激と共に指針も与えるべきである。ゲームの発売の形には確かにスタンダードや規格はない。だから、ゲームデザイナーがゲーム毎にその始まりから一つ一つのゲーム進行まで全部新しくするように、評論家もそのやり方を1つ1つの場合で新しくしなければならない。経験と広範な予備知識、それと明解な自分の立脚点があれば何が正しくて適切なのかを決めやすくなる。ディテールに富んだ説明、内容と進行の引き締まった描写、システムの分析、組織立った分類、深く立ち入った結論、あるいは自身の好みによる判断。主観性を前面に出しながらも批評家は、ゲームのどの面を観察し、どんな価値観で題材に取り組んでいるのかを常に見えるようにしなければならない。
ガス管を敷設する者は、その専門家であることを示す証明書を持ち歩かなければならない。ゲーム評論はそうではない。誰でもできる。しかし本当に誰でもできるのだろうか? 能力のない政治家が対処できない問題に対する陳腐な解決策を聞きたければ、居酒屋の常連のところに行くだけでよい。デオキシリボ核酸の分析は喜んで専門家に任せるが、失業問題、外国人、車、女性、サッカー、コマーシャルのことになると我々は玄人や専門家のようになる。しかしよく光を当てて吟味すればたいてい玄人でも専門家でもない。そしてゲーム評論においてもゲームを間違いなくルール通りに遊ぶので精一杯という人を多く見かける。ひどい場合にはものを知らずに、好きなように歪曲して書く者たちもいる。ゲーム評論は決して、それ自体を目的として文化欄の一記事に留まってはならない。そして批評はその人自身の恣意で書いてはならない。そうではなくて、内容によって書くものである。

ゲーム批評はつらい
我々には堅実なゲーム批評が必要だ。それは消えて当然のような批評家が、消えるのがおかしいようなゲームを読者に思い出させる口実にしてしまうようなものではない。もちろん批評家は顧客に注意を払い、読者に向かわなくてはならない。読者が自分の場合に置き換えて利用できるようなお薦めを与えなければならない。確かに毒のある辛口批評はどのみちあくびの出る賛辞よりましだ。しかしある特定のゲームを買わせないことを明確に指示してしまっては、読者がゲームを手にとってくれることは稀だろう。やはり、わざわざお店まで行って、売り手にどのゲームを絶対に買いたくないか言う人はいない。確かに、辛口批評はむしろ意図された効果の反対になることが多い。打ちのめすような判断も読者にゲームについて信頼感を抱かせ、未知のものへの無意識の不安を取る。しばらくあとで読者は指示が肯定的だったか否定的だったかを忘れてしまい、名前を思い出してそのゲームを手に取るだろう。これはゲームを買う最初の重要なステップとなる。だから辛口批評を道具にして批評家は注意深く、つましく振る舞う。だから辛口批評を集中的に用いる機会が多ければ、それだけ一層刃は鋭くなる。しかしそれはおかしい。本当は批評家の批評の効果における創造性は批評されるものに基づく。少なくとも批評が考えうる全ての立場の違いに配慮し、事実に即しているならばそうである。不機嫌にでも破壊的にでもなく、知ったかぶりでも感情を傷つけるようなものでもなく、個性の表現として、個々のゲームを文化的に優れたゲームへの貢献として認識し、観念的な決定の手段によって消化する。
しかし批評される方に学ぶ意欲があり、学ぶ能力があるならば、進歩はそこから生まれるだろう。「よい批評家によって認識され診断されて見るべきものは、よい医者に診察されるようなものだ。それはやぶ医者の無駄話を聞かなければいけないのとはちょっと違う。驚くかもしれないし、傷つくかもしれない。だがたとえ診断が死刑判決だったとしても、真剣に受け止める」とヘルマン・ヘッセは言う。クリスティアン・モルゲンシュテルンはこれを以下のように表す。「私にとって自分自身への注意を失わないための唯一の方法、それが継続的な批評である」と。
拒絶のメカニズムはよく知られている。始めに引用したように、批評家に打ち解けた親しみをはっきりもっていて、それゆえに悪魔にも喜んで立ち向かった詩の大家と同じように反応する必要は確かにない。料簡が狭くて喧嘩好きな取り組み方も多くをもたらさず、容易にぶざまな絶交に終わるだろう。批評家がゲームデザイナーやメーカーをののしることを、人は批評と呼ぶ。しかしデザイナーやメーカーが批評家をののしれば、もちろんそれは単なるののしりである。最も賢明な反応はおそらく、エフライム・キショーンが述べている。「作家が新聞の攻撃に公然と立ち向かうには2つの方法がある。沈黙するか、口を閉じるかである。3番目の解決法を出すならば、それはしゃべらないことである。」

しかし方向は正しい
その名に本当に相応しく、他の文化批評の水準に達したゲーム批評によって話ができるようになるのは、強さも価値も等しい3つのものから輪が生まれてこそである。すなわちたくさんの一級ゲーム、たくさんの高い水準にある批評家、そしてゲームの意味を認識し、それに相応しいスペースを与えてくれるもっと多くのメディア。確かに一級ゲームはあるが、まだまだ少ない。確かに賢くて鋭い目をもつ評論家はいるが、まだまだ少ない。確かに南は『ミュンヘン・メルクル』から北は『北西新聞オルデンブルク』まで新聞には信頼できるゲームのコラムがあるが、まだまだ少ない。そして雑誌、ラジオ、おまけにテレビについてはなおさら全く話したくない。いらいらし続けている。
「混沌にかたちを与える義務は、世界の発展とともに止むことはない。批評が今ほど必要なことはなかった。未来は批評にかかっている」とオスカー・ワイルドはこの言葉を文学批評に向けている。ゲーム批評にもこの考えは当てはまる。そして以上の結論はモルゲンシュテルンが記念帳に書いたことにまとめられる。「どれほど自己批評への意志と能力を高めるかによって、批評の水準も別次元に達するのである。」

※Kritikを「批評」、Rezensionを「評論」と訳し分けた。

Tom Werneck "Spiele-Kritik", Spiel des Jahres e.V.

おもちゃライブラリー

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東京・中野のおもちゃ美術館で、月に2,3回おもちゃライブラリーが開かれているという(朝日新聞2/11生活欄)。
2階のおもちゃライブラリー展示コーナー&プレイルームで、写真入のファイルを見て選び、2週間借りることができる。買わずに借りれば家が散乱せず、それぞれの子に合うものを選べるというだけでなく、「いいおもちゃが家にやってくることで親も影響され、家庭に『遊びの空気』が生まれる(森下みさ子聖学院大助教授)」という。
このシステムは、ドイツのシュピリオテーク(Spieliothek、またはLudothekルドテーク)を想起させる。シュピーリオテークは「ゲームセンター」ではなくてボードゲーム(Spiel)と図書館(Bibliothek)を掛け合わせた言葉から分かるとおり、ボードゲームを貸し出すところだ。借りて遊ぶことによって、コマをなくさないよう、カードを汚さないよう気をつけるようになり、ものを大事にする心も芽生える。現在ドイツには50程度のボードゲーム図書館がある(Gamemob、貸し出しのシステムなどについては「ドイツゲーム事情」『ボードゲーム天国』01号参照)
ゲーム限定ではないけれども、こうした動きが日本でも出てきていることは大いに歓迎される。日本でも大量のボードゲームを保有するコレクターがいるが、気が向いたら貸し出しのできる博物館を開いてみてはどうだろうか。

日本の玩具市場

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2006年に日本で出荷された玩具・ビデオゲームの総額は1兆2041億円で前年比16.3%という大幅増加。ニンテンドーDSと次世代ゲーム機の発売に牽引されたビデオゲーム市場の拡大(8,910億円)が影響したという。残りの3,131億円がいわゆる伝統玩具市場。2006年のドイツの伝統玩具市場は約3,600億円で、近年のユーロ高や、何を玩具に含めるかなどで違いが出るだろうから大差はない。
しかし、日本の伝統玩具市場3,131億円において、ボードゲームはどれぐらいの割合を占めているだろうか。調査を行った矢野経済研究所では、「ゲーム類(アナログゲーム)市場」というジャンルを設け、主要業者としてエポック社、任天堂、タカラトミー、バンダイを挙げている。
エポック社は野球盤、スーパーサッカースタジアム、魚雷戦ゲームなど。任天堂はトランプ、花札など。タカラトミーは人生ゲーム、モノポリー、黒ひげ危機一髪、ジェンガなど。バンダイはドンジャラ、シンペイ、チケットトゥライドなど。アナログゲーム市場の総額は分からないが、発売品目の数からしていかにも心もとない。2006年ドイツのボードゲーム市場630億円には遠く及ばないだろう。『チケットトゥライド』3,675円を目標の50,000個販売しても2億円に届かない。
この差には、ボードゲームの歴史と認知度など文化的背景が大きいかもしれない。しかしそれだけではなく、マーケティング戦略の違いもあるのではないか。発売品目を少なめにして大量に出荷する日本のマーケティング戦略(ビデオゲームの売り方)と、反対にロット数を抑えてバラエティに富ませるドイツのマーケティング戦略のどちらが優れているかは一概に言えないが、ことボードゲームに関しては単価は上がるけれどもリスク分散の面でドイツに軍配が上がるだろう。
素人がマーケティング分析をしても仕方がないが、大ヒット作でなくてもいいからもっと日本で発売されるゲームの種類が増えてほしいと思う次第である。
参考ページ
2006年玩具市場1兆2000億円 ゲーム機牽引で16%増アニメ!アニメ!/
玩具産業白書 2007年版目次矢野経済研究所
Der Marktanteil von Spielen wächst weiterspielbox-online

大学でボードゲーム(2)

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大学の授業でボードゲームを取り上げる動きとして、前回は多摩大学のコンビニゲーム大会、文教大学の歴史カードゲーム制作、東京情報大学のプレゼンテーションを取り上げた。今日紹介するのは、名古屋大学の基礎セミナー「ボードゲームを究める」だ。

この授業でボードゲームは学生のスキルを高めるための教材という位置づけであり、東京情報大学のケースに近い。しかし考えることの楽しさを味わうことが目的になっており、ボードゲームを通して何かを学ぶというよりは、ボードゲーム自体を学ぶという方向に近い。

もちろん、ただ遊んでいれば単位をもらえるわけではない。ゲーム内容や勝つための戦略などを授業中にプレゼンし、学期末にはレポートも課される。成績はルールの理解と分析、戦略の考案、全員による議論への参加、ルール説明のための表現、そしてゲーム成績が総合的に評価されることになっていて、時間と労力を相当費やすことになりそうだ。

ボードゲームの授業がもつ最大のセールスポイントは、モチベーション。配布資料「なぜボードゲーム?」(PDF)で説かれているように、学生の勉強に対するモチベーションの低さは近年の一大傾向であり、それを打破するためにはボードゲームのような新鮮な刺激がなければならない。ルールの理解と説明、戦略の考案と議論、外国の文化背景の学習など、ボードゲームを楽しみながら学ぶことは多い。

授業では『クク』『ニムト』『ボーナンザ』などのカードゲームから始まって要素の多い『アクワイア』『カタン』『サンファン』へと進んでいく。途中で全体ゲーム『ハグル』『たほいや』を挟むところもにくい。これは、担当教官の有田教授がボードゲーム大好き人間であることの証であろう。

しかも驚くべきことに、1年だけの単発授業ではなく隔年で開講され続けているという。その中でノウハウも蓄積され、より体系的で効果的な授業が作られているようだ。

受験生の皆さん、ぜひ名古屋大学へ!(難関ですが)

ボードゲームを究める(名古屋大学)
大学院情報科学研究科(自然情報学科)の有田隆也教授が全学対象の教養講座として開講。「海外のボードゲームを題材として,「調べる」,「考える」,「交渉する」,「表現する」ための基本的な能力と技術を身につける」という目標を掲げ、ドイツゲームなど数多くのゲームをプレゼンして、予備知識のないものについて多角的にリテラシーを身につけることを学ぶ。

健康マージャン

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朝日新聞be on Sunday(2月4日)の『元気のひけつ』で健康マージャンの記事。「頭や手先を使うからぼけ防止にいい」ということで、麻雀をするお年寄りが紹介されている。
日本健康麻将協会(http://www.kenko-mahjong.com/)はく60才以上対象の健康マージャンを開いている。もちろん初心者もOKで、各コースを用意。「賭けない、飲まない、吸わない」の「3ない健康マージャン」がモットーだ。
順天堂大の新井平伊教授の談話では、40〜60代に何らかのゲームを多くしていた人は痴呆になりにくいとのこと。推理・集中・判断・注意で前頭葉が、指を動かすことで中心溝が、計算で頭頂葉が、見ることで後頭葉が、記憶で側頭葉がはたらくという。麻雀に限らず、ボードゲームをやっていると脳全体がフル回転している感覚になるが、脳全体が活性化しているというわけだ。ただしエコノミークラス症候群の恐れもあるので、30分から1時間おきに体を動かすことが勧められている。
そして最後に、会社関係しか友達がいない団塊世代が、地域に溶け込む手段として麻雀を利用するという方法も提案されている。いきなり見ず知らずの人とやって、すぐ打ち解ける趣味はそうあるまい。
ボードゲームの効能というと、とかく子どもの教育・発達面に偏りがちだが、これからの少子高齢化社会では、お年寄りも普及の鍵になるのは間違いない。ドイツのセレクタ社は、老壮年向けのボードゲームシリーズ『Nobile』を始めている。
ボードゲーム愛好者は、適度に運動することを忘れないでゲームを続ければ、将来アルツハイマーにならず長生きできる、かもしれない。

ルイ・ヴィトンのチェス・トランプケース

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鹿児島市のルイ・ヴィトン山形屋店でスペシャルオーダーイベントが開かれ、チェスやトランプなどボードゲーム一式を持ち運びできるケースが展示されている(MBCニュース)。
バッグばかりが有名になっているが、もともとルイ・ヴィトンは19世紀に「ダミエ・ライン」と呼ばれる市松模様のチェス盤をデザイン。パリ世界博で金賞を受賞している(ウィキペディア)。また2004年のクリスマスにはクリスマス限定ノベルティとしてマルチカラートランプも製作した。トランプケースもあったようだ。
ニュースの映像を見ると、今回の展示会でも宝石がちりばめられたチェス駒を見ることができる。気になるのはお値段。トランプが3〜4万円、トランプケースが14万円という価格をつけている中、特注のボードゲームケースはいったいいくらなのだろう?
これと比べれば、1万円ぐらいで買えるカタンボックス(『木製カタン収納ケース、発売』)が異様に安く思えてくるから不思議だ。

日本ボードゲーム大賞:ノミネート発表!

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JBP今年5回目となる日本ボードゲーム大賞(主催:NPO法人世界のボードゲームを広める会ゆうもあ)のノミネート作品がホームページで発表になった。
http://www.u-more.com/project/jbpnom2006.jsp
海外ゲーム・入門者部門にノミネートされたのは『アクアダクト』、『フェットナップ(えんがちょ!)』、『おい、それは俺のサカナだぜ』、『海賊組合』、『クラウド9』、『ジャスト・フォ・ファン』、『セルティカ』、『万里の長城』、『ピュンクト』、『魔法の掃除機』の10タイトル。
国産ゲーム(日本語パッケージ)部門には『R−ECO』、『幻影奇譚』、『シャドウハンターズ』、『チケットトゥライド』、『ニムト』、『ハッピードッグ』、『ブロックストライゴン』、『ルーンバウンド』、『ワルモノ2』の9タイトル。
子どもゲーム部門には『キキリキー』、『小さなオバケ』、『ドクターシュリュッセルバルト』、『ピコどうぶつ博士』、『魔法使いの夜』、『レースギャロッポ』、『ロスマンフォス』の7タイトル。
海外ゲーム・フリーク部門は今回から自由記入投票式となり、ノミネートはされなかった。
ショップ、サークルなどからの用紙投票、ウェブ投票によってこの中から4月に大賞が決定される予定。
まずは、遊んでいないゲームがあったらチェックしておこう!

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