山形新聞連載コラム(2):ボードゲームと語らい

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2月16日の日曜随想掲載分。前回はこちら


 先週、東北芸術工科大学(山形市上桜田)の卒業制作展でトークショーがあった。企画構想学科四年の菊池みなとさんが制作した『ぴりか 』というカードゲームについて、商品化した墓石会社ナイガイの米本泰社長と共に「供養」について語り、来場者と一緒に実際に遊んできた。
 『ぴりか』とは、喪失感にピリオドを打つ「ロス・供養コミュニケーションゲーム」だ。一人が自分の悲しいことや悩んでいることを話し、他の人は「思い出の地に行く」「有名なお寺に行く」「ゴミに出す」などの配られたカードを使ってアドバイスする。勝敗はなく、全員が一回ずつ悩みを打ち明けて全員からアドバイスをもらう。菊池さんが高校時代、お母さんを病気で亡くされたことが制作のきっかけだというが、ゲーム自体は和やかで楽しい。カードが明るい色調で、可愛らしいイラストが描かれていることもあるだろう。「供養」というと暗いイメージがあるのを、明るくしたいという菊池さんの思いがそこにはある。
 トークショーでは、亡くなった方は必ずよいところに生まれ変わっており、供養とは遺された人がその幸せにあやかる機会であること、何をお供えするかは宗教宗派によって異なっても、感謝や出会えた喜びの心が根本にあることをお話した。最近身の回りで亡くなった方を念頭におくと、思いは自ずと深まる。お話をしながら何人かの知り合いの顔が頭をよぎったが、みんな笑顔だった。
 昨年の夏、上山市の公民館研修で『もしバナゲーム 』を遊んでもらったことがある。こちらは重病や死の間際に大事だと思うことを語り合うカードゲームで、「家で最期を迎える」「家族の負担にならない」「神が共にいて平安である」などのカードがある。ゲーム中、介護の話や家族を送った話が溢れ出し、笑いあり涙ありのひとときを送ることができた。死は誰にとっても避けては通れないものだが、「縁起でもない!」などといって話したがらない方が多い。しかし死を考えることは、自分はどのように生きるかという問題に直結する。そんな話を、ゲームを介して気構えずに語らうことができてよかった。
 『ぴりか』も『もしバナゲーム』も死を扱い、ゲームをしなければ一生知らなかったであろう話を聴いたり、なかなか人に話せなかった話を聴いてもらったりできる。そしてゲームが終わった後、自分は孤独ではないこと、皆もそれぞれ悩みを抱えて生きていること、話を聴くだけで相手のお役に立てたことが分かって温かい気持ちになれる。「生前にお墓を建てると長生きできる」というのは墓石会社の宣伝かもしれないが、生前に死のことをあれこれ語っておくと長生きできるかもしれない。
 ボードゲームの魅力の一つに、会話を引き出し、社会的なつながりを強めるというものがある。ボードゲームをドイツ語で「ゲゼルシャフツシュピール」、フランス語で「ジュ・ド・ソシエテ」と呼ぶ。どちらも集団で遊ぶゲームという意味だ。自宅でひとりで過ごすことが多くなっている昨今、個人間の垣根はどんどん高くなり、当たり障りない世間話はしても、相手を信じて悩み事を相談しにくい世の中になっている。そして孤独は寿命を縮める(孤独感によって死亡率が26%も上昇するというアメリカの研究もある)。
 ボードゲームが世界的に流行している背景として、ドイツでは「社会的なつながりの多くがテジタルに移行している中、ボードゲームの物理的・身体的なところが依然として大きな役割をもっている」と分析されている。SNSでいくら友人が多くとも、現実に会う機会がなければ幸せとは限らないのである。

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