勝敗かコミュニケーションか、ではなく

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ボードゲームの目的として、勝敗かコミュニケーションかというのはよくある話である。「スタイル、好み、経験」で、前者寄りをトーナメントプレイ、後者寄りをカジュアルプレイと呼び、このスタイルの違いが想像以上に大きいことを指摘した。

例えば、鈴木銀一郎氏が「ときどき、『ボードゲームはコミュニケーション・ツールだ』とか綺麗事を言う人がいる。 とんでもないね。勝つことにこだわらなかったら、ゲームなんてつまんないですよ。」(Si-phon Game Club Vol.1)というとき、至言だ、全くその通りだと思うか、とんでもない、ボードゲームはあくまでコミュニケーションツールですよと思うかは大きく分かれそうである。

しかし勝敗とコミュニケーションのどちらを重視するかというのは、「誤った二分法」「偽りのジレンマ」である。ひとつには、択一ではなく、両立できるものだからである。実際ほとんどの人が、意識的であれ無意識にであれ、ゲーム(アブストラクトゲームかパーティーゲームかなど)やシチュエーション(2人か多人数か、ゲーマーか否か)によって両者のバランスを調整しているはずだ。

 はてさてゲームの目的はどちらなのだろう? 勝つこと? それとも楽しむこと?  結論は、常識的なものであろう。ゲームとはこの二つの目的を同時に果たすものでなくてはならない。(中略)楽しくあれば何でもいいとばかりみんなが勝負を度外視してやっていたら、ゲームは成り立たない。勝つことばかりを考えた目の血走ったゲームも願い下げであるが、どっちでもいいといったふうな弛んだゲームもうんざりである。(草場純他『ゲーム探検隊』16ページ)

もうひとつは、ボードゲームの目的としてほかに選択肢がありうるからである。 そのほかの選択肢にもいろいろありそうだが、私は芸術鑑賞を挙げたい。コンポーネントやイラストの美しさ、アイデアの斬新さ、システムの完成度など、ボードゲームの芸術性を味わうために遊ぶというのはどうだろうか。

現代のボードゲームはもう芸術の域にまで高められており、音楽を聴いたり、絵画を見たりするように鑑賞する価値がある(ただしボードゲームを鑑賞するには、人間の側がプレイヤーとして積極的に働きかけていくことが求められる)。

勝敗重視もコミュニケーション重視も、ボードゲームを手段として見る点で共通するように思う。だとすれば、その手段がボードゲームでなければならない必然性がない。スポーツだってケンカだって勝敗はつくわけだし、mixiだって携帯だってコミュニケーションは取れる。それに対し、ボードゲーム自体を目的視し、その価値を最大限に引き出す。

ボードゲームそのものを味わうといっても、一緒に遊ぶプレイヤーを無視するわけではない。いろいろな視点をもった人たちが一緒に向き合うことによって、自分だけでは見出せなかった価値を発見することができる。眺めているだけ、ルールを読んでいるだけでは分からなかったポテンシャルを、仲間と共同で引き出すのだ。

ボードゲームは総合芸術である。コンポーネントの隅々まで、ルールが織り成すシステムの端々まで漏らさぬよう、五感を研ぎ澄ませ、デザイナーに深い敬意を払って「作品」に向かい合いたい。

(付言しておくが、これも多種多様な目的のひとつであって、これが一番と言っているのでもないし、ましてや誰かに強要するものでもない。勝敗かコミュニケーションかで綱引きするのは不毛ということを言いたいがために示したものである。また、この論考の中で、ひとくちに勝敗といっても、ゲームで1位を取ることばかりとは限らないということに思い至った。この件については別稿に譲る。)

コメント(1)

私はボードゲームが好きですが、愛好家の方とも、カジュアルに楽しむ方とも、楽しんでいるポイントが異なっている気がします。自分が呼びかけて普段ボードゲームをしない友人とゲームを遊ぶことが多い為、個人が楽しむことより場のみんなが平均点以上に楽しめることに重きを置いています。私は心が折れるほどコテンパンに負けるのが嫌いです。ですので勝つときも負けるときも、場の皆の後味が悪くならないように気をつけてます。でも、どこかで思いっきりディープなゲームで夜通し遊びたいんですよね。。。

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